得意げなひと。
 近頃、研究室に、やたらに迷惑な電話がかかってくる。しかも、大概忙しくしている最中に、仕事電話に混じってかかるのだ。その迷惑電話の筆頭が『マンションを経営しませんか』である。不幸にも勢い余ってそんな電話に出てしまった折りには、極力相手に何も言わせないようにしたうえ、「二度とかけて来ないように」と告げるようはしている。
 ただ、大学のHPを見れば、ほぼ全員の研究室の連絡先は開示されているため、誰でもいいので片端から受話器を取ってくれる人を探すのだろう。

ドアを開けようかなぁ? そんな電話に慣れない頃は、相手は神妙な様子で「○○先生でいらっしゃいますか?」と、重要な仕事の電話をかけてきたような佇まいを見せるため、無駄な説明を聞かされる羽目になった。が、最近は、最初の第一声を聞いただけで、取り合うべきでない内容の電話だと予想がつくようになった。今日のやりとりは、ある意味で特筆に値する。
 
 「あ、もしもし、○○先生・・・でいらっしゃいますか」
 「(もう怪しいな、と思いながら)そうですが、用件はなんでしょう」


 「あっ!あのぉですねー、今、ちょっとお時間よろしいでしょうか?」
 「あ、いま、仕事中ですので時間ありませんが・・・(切ろうとする)」
 
 「あっ、あっ!!ちょっと待って。
 最近ですねぇ、お給料からぁ・・(以下、マニュアルの棒読みをはじめようとする)」
 「マンションの経営ですか?すみませんが、全く興味がないので、もう二度とかけて・・・」
 
 「(すると、突然でっかい声で)いえっっ!!そうではありません!違います!」
 「はっ?)」
 
 「マンションじゃなくて、”パッション”なのです!」
 「はぁ〜?なんですか、それ」
 
 「パッショ〜ン♪♪それは情熱のこもったマンションであります!」 

 その瞬間、無言で受話器を置いた。
 
 でも、あの中学校1年坊主みたいに、絶対にギャグをキメたと思って信じて疑っていない得意げな台詞と、それに対して私がした「仕打ち」の何もかも可笑しくなって、思わずちょっとだけ笑ったのだった。
 「ほんとにばっかだなぁ」と思ったときでも、可愛さが余って許せる相手は好きな人だけだ。
 組み合わせとタイミングが悪ければ、殺意か呪いの念を電話ごしに送られる可能性もあるのでご注意を。
【2008/09/08 19:32】   トラックバック(0) | コメント(2) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






天使の声は澄み渡る。
 週末、大阪まで研究会に赴く。自宅を出たのがぎりぎりの時間になる。

黄色い椅子 大急ぎで切符を買うときに実は気が付いていた。「このまま電車に乗ったら、特急券のお金が払えないな」という事実に。だけれど、遅刻する訳にはいかず、車内で事情を話した。かくかくしかじか、カードでしか払う術がございませんと。車掌さんは親切そうな笑顔で「そうですか。では、新大阪で下りたところでお待ちください。カードでの支払いが出来るところにお連れします」。

 かくして、無銭飲食ならず、「無銭乗車」も新たに体験したのであった。駅で、これまた別のジェントルマンな笑みを浮かべた駅員さんに私の身柄は引き渡され、まぁ要するにJR窓口まで見事に連行されたわけだ。

 研究会。気持ちが引きしまる。体調の悪さも段々緩和されてきて、もうすぐ私の季節がやってくるんだ・・・などと考えながら帰路に向かう。
 ところが帰りの車内。若い男2人が、それぞれの方向を向きながら全く声をひそめることもなく、優先座席付近で携帯でだらだらと電話中だ。いつまでもやめる気配がない。公衆の面前で堂々とマナー違反中であるのに、まるで得意げなにやけた顔が、ある意味で気味が悪い。
 黙っていながらも心では悪態つき、不穏なことを考えていた最中、ちょうど車内アナウンスが入った。「優先座席付近では携帯電話の電源をお切り下さい・・・」。側に座っていた幼稚園児くらいかしら、と思われる子どもが、とても可愛らしい声でこう言った。『なぁ、おとうさん?いまな、ちゃんと携帯電話の電源切ってるのん?』

 無神経なマナー違反の若者たちもしかり。
 自身の都合で、お客なのですから、と心の何処かで思いながら駅職員に無駄な労力を強いることを厭わなかった自身のこともちょっぴり省みる瞬間なのだった。
【2008/09/02 23:50】   トラックバック(0) | コメント(4) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






祖母と父。
 あっちもいいけれど、柔らかい光のほうが好き。
 「頭に巻いてるのなぁに?」
 「これはね、スカーフよ。水玉のスカーフ。
 ヘアバンドの替わりに巻いているの」
 「かわいいわね。よぉ似合おうとるよ」
 「ありがとう、おばあちゃん」

 ようやく帰省の機会を設けて、祖母を見舞ってきた。
 会うたびに、ちょっとずつ小さくなっていく。もうすぐ天国に行ってしまうかもしれない祖母のことが気になっていて、夢にまで出てきた。「おばあちゃんに会いに行ったのに、もう会えない」という起きたら涙が出るような夢だったのだ。

 「わたしね、今、○○県にいるのよ」
 「あー、しっとるよ(うんうん、とうなずく)」
 「それでね、大学の先生してるの。うちのお父さんと一緒よ」
 「うん、わかっとる、わかっとるよ(また、うなずく)」
 「そっかぁ。女学校じゃぁないよ?」
 「うんうん(ぜんぶ、ちゃんとわかっているという風情)」

 「あんたの・・・その・・・”はちまき”可愛いよ」
 「うん、ありがとう、おばあちゃん。これ、はちまきに見えるよね(笑)」

 祖母は私の暮らす町を今度案内してね、と言った。
 それでまた、あんたに会いたいから「生きてる」と言って手を振ってくれた。

 
 父。「お父さんの原稿が仕上がるまで居てくれよーぉ」
 娘。「やだっ。帰る。仕事があるもん。できたらメールで送ってよ」
 父。「夏休みだし、仕事なんか、休めばいいじゃないかーぁ」
 娘。「だって、まだ、お父さん。全然っ、できてへんやん。」
 父。「できるよ。もう、すぐにできるぞ」

 父は作家ではなく学者だ。
 だから言葉の概念については、自らきちんと定義すればよい。にもかかわらず、「ね、○○って言ったときとさ、○○の○○って言ったときと、○○論って言ったときと、どう違う気がする?」などと昔からよく聞かれた。面倒だから「わかんないよ」と言うものならば「そんなこと言わずに考えてよ」と責めるように言う。今ならば、最初の○○の上位概念が二番目で、三番目は一個の哲学だから相対的なものだ、などとある程度の言葉を持つようになったので、父の独特の質問がはじまると、答えられないほうがどことなく屈辱的な気分にさせられる。

 しかし、父は質問の相手を選ばない。突然リビングに現れて「ママ!!辞書で○○と△△の違いを調べてよ!」などと言うことがあるそうだ。母に「そこに辞書があるでしょ。自分で引きなさい」と叱られるそうだ。今となっても「あれ」と「これ」の似たような言い回しの”違い”を聞かれるそうだがは、母は「私はね、どっちでもいいわ」と最近は答えるそうだ。「ママったら・・・どっちでもいいわけないだろう!」とブツブツ言いながら仕事部屋に戻り、夜な夜な仕事をしている。部屋にはもう2ヶ月以上も広げっぱなしの沢山の本や辞書、論文。母曰く「閉じると分からなくなるから掃除もできないの」

 でも、まだ、求められてすべきことがあるって素敵。
 そう思いつつ、今回の帰省から戻ると、さぁ、自宅ポストに早速お仕事。
 よし、明日からまたがんばるぞ。

 Satoさん、akasakaさんが二度目の「おデート」をしたらしい。「akasakaさんは、ご飯を綺麗に残さず全部食べていた」と報告を受けた。お二人のために撮影時には雨が降らないようにてるてるちゃんを5体も作って「あめ、降らないでね」とお願いしておいたけれど、全然効き目がなかった模様。でも、私は帰省中、少なくとも屋外にいるときに雨に一切遭わなかったので、てるてるきょうだいは私にすべて味方したらしい。でも、「ふたりが仲良く楽しめますように」は通じたみたい(笑)
【2008/08/24 20:24】   トラックバック(0) | コメント(0) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






初心。
 行く前日、私は大きな大きなため息をついていた。「乗り切れるだろうか」と不安だったのだ。
 だけれど、二日間の「怒濤の」集中講義は、何とか無事に終わった。

 20歳代から70歳代の各世代の方々が、このたびの私のたった二日間の生徒さんたちであった。準備だけはネジを巻き上げて念入りに行い、赴いたあとはごくリラックスしてやろうと・・・と思ったつもりだったけれど、彼ら彼女たちの学びたい、伝えたい、語りたい、交わりたい、そして発見したい!という気持ちは想像以上に大きいものだった。私は今の器量の精一杯でそれに応えられずにいられなくなった。挙手をして質問を積極的にする方も多かった。実は私が世代的に教科書的でしかよく知らないことについては、年長の方に素直にお聞きしたところ、当時の事柄を教えてくれる方もいた。
 だから、気が付くとやはり私は教壇から立ち上がってしまうのだ。マイク設備がなく12時間を超えるこの講義を今の体調で終えられたことが、全く信じられない。案の定、喉は2日目に完全にやられた。

 その二日間、日頃は祖母の介護に毎日奔走している母が、助けにやって来てくれた。本当にありがとう。自らの命をちょっぴり削り、家族親族ネットワークに支えられ、こんな私を必要としてくれた普段は出会う筈もない多様な人たちの元に私は出向いて、類い希な経験を重ねることができた。

浴衣1 もう何年も前に、初めて非常勤講師として教壇に立ったあの日を思いだした。最後の講義を終えたときの気持ちは、まるであの時にそっくりだった。
 
 異質な他者同士が各々の意見を対等に述べ合い、それについて考えること、そして、一つの価値を共有しあった。長きに渡る講義や議論に全員が参加して創り上げた達成感のなかで、最後は誰とも無しに拍手をはじめ、ぱらぱらとそれが伝染して、笑顔の花が咲いたのだ。
 それは、まさに「初心」を思い出すような心に染みいる光景だった。
【2008/08/19 00:30】   トラックバック(0) | コメント(2) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






二度手間がもたらす効用。
 その薬の処方箋に「眠くなったり、物を忘れたりしやすいので、注意してください」と書いてあるのだ。体調が少しずつ元に戻って来るのにしたがって、時々薬を飲み忘れてしまいそうになる。

日焼けする足下にはこの頃靴下を履く。 だけれど、当分はきちんと飲みましょうね、と先生に助言されているので、忘れてはいけない。母に話すと「それ、今にはじまったことじゃなくて、前からものすごく重傷の病気だったわよ」とさらりと言われるが、その薬のせいか(と当人は思っている)最近の私の忘れ物は確かにちょっとひどくなり、しかもその対象が「お財布」にのみ限定されてきた傾向にある。

 1ヶ月ほど前は病院に行くたびに財布を忘れていた。一つは「ほかに何も考えられないほどしんどかった」に加え、日頃の注意欠損症が病気と共に進行したことが考えられる。しんどいのに、自宅と往復して体力を消耗する日々であった。
 そうして薬を飲み始めると、今度は、学食に行くと必ず財布を忘れた。

ディスプレイも素敵。 最近は気に入ったカフェに仕事道具を持ち込んで優雅に活字に目を落とすというのが、ささやかな楽しみだ。先日、ゆったりと絶品オムライスを頂き、お抹茶まで注文し、悠々と時間ををかけて「こんなのが掲載されるなんてまったく・・・」と人様が執筆したものを心で酷評し、そうして立ち上がった瞬間に財布がないのに気付いた。
 幸い、顔見知りのオーナーさんだったので、あははと笑って「また、いつでも来てくださった時に」と言ってくれたけれど、とても恐縮して、翌日早々に持って行くとお店はお休みだった。

 仕方がないので、翌々日また自転車に乗って届けに行った。実はこのカフェ、私のちょっと弱った頭には道が複雑で「なかなかたどり着かないお店」第一位でもあったが、こうして日々通ううちに、完璧に道順を覚えた。
 
 世の中に無駄なんてものは一つもないのね・・・・と、どんなに「それ、食い逃げってやつだよね?最近、範囲が広がってるじゃん!」などと周囲に言われようと、おおらかに心静かに、我が身に起こるできごとを受け止める、わたくしなのであります。合掌。
【2008/08/13 22:28】   トラックバック(0) | コメント(4) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






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