古い友人が、今年のはじめ以来、ずっと果たせなかった再会のために、わざわざ県を隔てて会いに来てくれると言う。年を重ねて残るのは「思い出と友達」。喜び勇んでランチタイム前後の時間を確保した。移動の前後さえ、ずっと間断なく喋り続けていたと思うけれど、一番のお気に入りの隠れ家的カフェに案内し、それこそ本当に「あっ」と言う間に時が過ぎる。
友は外に一歩出ると「あぁ、何だか幻想の世界からいきなり現実に戻った気がする」と呟く。彼女は瞬時にそう感じたようだけれど、私は「確かにそのとおりかもしれない」とそのあと職場に戻り、あれやこれやの雑務に追われたあとの帰路でじわじわと実感するのだった。 私たちは久々の再会とは言え、思えば古き思い出話はほんの僅か、少し大げさに言えば「リアルな今を懸命に生きている」と互いに報告しあったような気がしてならない。だけれど、1点ずつ異なる焼き物器に盛りつけられた甘い味がする五穀米のオムライスセットと、デザートのケーキに美味しい珈琲、。店内に静かに流れるエンヤ、若手作家による小物展示コーナーなどが、ほんの少し現実を遠くに見せ、私たちにそれらを眺めるようにして語るゆとりを与えてくれた。 最近の素敵な出来事として、先日のチョーク男子の話をすると、ほろりと涙をこぼして自分の息子もそんな風に育って欲しいと言った彼女の顔が忘れられない。 |
朝のバス通勤。隣に座った男子学生がi-podを聞いている。それ自体は構わないが、ドラムやシンバルの耳障りな音漏れがもう尋常ではない。しかも、常にゆらゆらと体を動かしたり、足踏みしたりと、完璧なトランス状態である。一瞬その音量にぎょっとしたが、そのときに「喧しいから少し音を小さくして」と願えばよかったかもしれない。
私が「出来れば察せよ」という態度を終始取ったのは、大きな間違いだったと思う。最初は、おもむろに日頃から持参している耳栓を取り出し、彼の目に触れるように耳に差し込んだりした。さりとて、真横から漏れてくる音にはたいした効果がない。次に、狂ったような音を立てている存在の方向に真っ直ぐ向いて、おおよそ5分以上、その表情が全く無いように見えて来る横顔と、手元に握りしめられているi-podを交互に凝視し続けてみた。まさか、この私の異様な態度に気づかない訳はないとは思ったが、驚くことに彼が音量を下げる様子は一切ない。 最後の手段として、私は大げさに両手で耳をふさいで見せた。隣の女が「あんたの音、あまりに耳障り!」と言葉なく訴えている。しかし、当人は、その様子を意に介する様子がない。私の馬鹿みたいな一人芝居に、シャカ男の呆れるほどの無関心ぶりは周囲から見ていても相当、奇異に映ったことだろう。 私は、公共マナーという観点からその学生を諭そうなどと思うのことはやめた。おそらく言っても解らないだろう。私は、バス停に着いた瞬間に真っ先に立ち上がったが、瞬間に思い直し、くるりと振り返るなり、男の耳からイヤホンをすぱっと抜き取った。そのとき、「あぁ、剣道をやっていてよかった」と思った。理性よりも、心よりも、何より先に体が動いたといった感じだ。 そのとき、私は一体どんな顔をしていただろうか。彼はふいを付かれ、明らかに怯えきった表情をこちらに向けた。これまでの「横柄」を通り越した態度と、目の前であまりに狼狽している幼さを見て、私の気持ちはすっと冷めた。それでも、ただ一言、低い声で「君のその音、ものすごくうるさいっ」とまっすぐに彼の目を見つめて言い放った。彼は心臓を射抜かれたように呆然としていた。謝罪なのか、わかったという意味なのか判別はつかないが、僅かにコクンと頷いた。それほど放心するようなことか。どうして、そこまで他人に無関心でいられるのか。 バスを降りたら、後ろは全く振り向かず、研究室に足早に向かった。心はもう次の講義のほうに向いていた。今、一番キレやすいのは若者よりも働きざかりでストレスも最も多い中高年層らしい。 彼が次に朝のバスに乗るときに、再び同じ音量で音楽を聴き続けるのか、少しは周囲のことを考えて行動するようになるのか、誰もわからない。 |
SONYのウォークマンを買った。
そして、ついでにアナログ音源をデジタル化するソフトも購入予定だ。 その昔、私もウォークマンは持っていたが、あまりの長期に渡って放っておいたせいで充電池は気味悪い色に腐食し、電池ケースが見あたらなくなっていた。それなのに私は、実家から何本かのカセットテープを持って来ていた。「いつか聞きたくなるだろう」と何となくそう思ったのだ。 学生時代の若い頃にうんと音楽に熱中をした古い友人のブログを読んだ。彼はクラリネット吹きだった。あのころ、誰に聞かせる訳でもなく、飽きることなく何度でも同じフレーズを繰り返し練習したことが綴られていた。あの情熱や集中心は、今も心の何処かにあるのではないか。「ピアニストがピアノを弾くように」。 ピアニストがピアノを弾くように、というフレーズが琴線に触れた。そうだ。昔、昔、高校生の頃、私も毎日、ギターを胸に抱えて日々練習に明け暮れたことがあったのだった。コンクールに出ることは一つの目標だったけれど、誰かに勝つためではなかった。ただ、ひたすらに一つずつのフレーズを弾きこなせるようになることに夢中になった。「成し遂げたい」。そういう一心で。 届いたばかりのウォークマンに、当時の自分のコンクール演奏が録音されたテープをそっと差し込んだ。もはや何年ぶりかさえ分からない。 私は当時、高校3年生。曲はバッハの「バイオリン協奏曲第1番 第3楽章」で、私はその曲のソロパートを担当した。今思えば、相当な難曲である。原曲のバイオリンソロは、スタッカートやスラーを多用し、早弾きの連続だ。原曲を聴いただけでは、到底、アルト・ギター一本でソロを真似ることは不可能だとしか思えない。ただ、不思議なことに、当時の私には「出来ないかもしれない」といった不安が一切なかった。あの、ほとんど根拠のない自信はどこから来たのだろう。 あのころ、私にはほんとうに何もなかった。何一つ自分の証となるようなものを持っていなかった。私は、自分を探してはいなかったかもしれないけれど、誰かに自分を見つけて欲しいとは思っていたかもしれない。 学校に朝早く行って練習をし、1時間目と2時間目の間の休み時間にお弁当を食べ(早弁の常習者だった)、昼休みを削って練習し、放課後も取り憑かれたように練習をこなしたと思うけれども、苦に思ったことはない。いかに美しい音色を奏でるか。私の理想は、不思議なことにピアノのような音色だった。バイオリン協奏曲をギターで弾く私は、ピアノの音をイメージしていた。 改めて、当時のコンクール演奏を聞いて、まざまざと思い出した。緊張のあまりに最初のソロパートは少し指が空回り気味だった。あんなにも練習したのに実力をすべて発揮できなかった。きっと、だからもう何年も聞き直そうとしなかったのかもしれない。けれども、次第に何とか我を取り戻し、中盤を超えたあたりのアルペジオによるソロ部分にさしかかる。ここだ。ここが、一番好きだったソロパートだ。 バッハは今のポピュラー音楽の原型と言えるだろう。単調に感じられるバロック音楽にも「胸を徐々に熱くさせる泣かせの部分」が必ず存在するのだ。私は、カセットテープから流れる自分のその演奏を耳にした途端に、ほとんど、苦しいばかりに心の中心を捕まれた気がした。「懐かしい」といったような生半可な感情ではなく、もっともっと激しいものが胸を打ち付けるように迫って来て、うづくまるようにして耳を傾けた。 ただの素人高校生の演奏である。私は恥ずかしいとは思うものの、その演奏に言い知れない鼓動の速まりを感じ、どんどんボリュームを上げた。それだけではない。ソロパート演奏を引き立てるために細心の注意を払いながらアンサンブルを構成しようと計らいながら懸命な演奏をする仲間達の名前を次々に思いだした。自分の体じゅうが涙に覆われるような気がした。私たちの演奏は、上手とか下手を超えて、ただただ「ひたむき」としか表現しようがなかった。 もっともっと幼い頃。父に一輪車を買って貰った。1日、いや2日で、乗りこなしてやろうと私は考えた。何度も何度も転んで膝をすりむき、太股の内側が真っ赤になっても、練習することはちっとも嫌ではなかった。 あの頃、ものすごく強く信じることが出来たのだ。とてもシンプルなことを。 「努力をする。だから、私は、できる」 Bach - Violin Concerto No.1 in A Minor BWV 1041 - 3/3 http://www.youtube.com/watch?v=9A-1iFHoBVE |


Meg(11/23
miho(11/22
Meg(11/17
Meg(11/17
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た(11/17
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