紛らわしい。
 何だか日が落ちるのもすっかり早くなったよねぇ、ぐりんちゃん。
 もう真っ暗になっちゃったよ。でも、あんたのシマシマはなぜ、こんな闇のなかでもよく見えるんだろうね。ひょっとして発光してるの?
 赤い傘の下 
 あはは。そんな訳ないよね。はぁ、今日も疲れちゃったなぁ。昨日なんかさ、90名近くいる広い教室で2コマも続けて、うろうろ動き回る講義なんかしたら、もう2コマ目は一時間でぶちっと電池切れちゃってさぁ・・・。
 ね、ね。ところで、「小麦粉」のことをメリケン粉って関西付近でしか言わないんだって。知ってた?まぁね、私は沖縄人と大阪人のハーフだし、色々な意味でバイリンガルだから小麦粉でもメリケン粉でも異存は全くないよ。しかしだね、「スコップ」は園児が使うもの、「シャベル」はおっきくて道路工事などをしているおじさんが使うものってのは、譲れないなぁ。


 「フツーはその反対だから、通用しないよ。気を付けてね」だって!得意げに言ってたよ。スコップ使うのがおじさん?それって、へんだよねー。
 ん?あれれ?ぐりんちゃん、なんかご機嫌悪いの?今日は、にゃんとも言わないじゃない。つれないね。ねー、ねー。たまには私も愚痴も聞いてよ。いつも構ってあげてるでしょ、たとえ君が、うねうね地面に這うミミズに夢中で、私の話なんか途中から眼中になしって時でもさ、温かいまなざしを注いで来たし。

 ・・・・。
 あなた、もしかして、ぐりんちゃんじゃないの?!

 あら、失礼しました。
 なんで、いるの?
 いえろちゃん(瞳が黄色)は、この界隈の主じゃないやん。
 それで我関せずな顔していたのかぁ。はぁ、そうか。もういいわ、帰るから。


 ・・・・・・お見送りもなしなのね。
【2009/11/05 22:11】   トラックバック(0) | コメント(0) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






手紙。
 NHKの音楽番組、SONGSに財津さんと一緒に小田さんが出演と聞きつけ、大急ぎで入浴を済ませてテレビ前にスタンバイする。
 装着すれば、余計に髪がぐちゃぐちゃになってしまうカチューシャのようなヘッドフォン姿の財津さんも、からすとんび(それは何を意味するかは私も知らない)みたいな大きな白いマスク姿でインタビューに応える小田さんも、全く装わない「素」だったが、共に競うようにへんちくりんだった。
 しかし、まるで恋人同士のように直筆の手紙を交換し、音楽で繋がる彼らの友情に感動した。とくに、もうすっかりベテランと言える筈の財津さんが、小田さんが提供した楽曲を「より自分らしく」を目指すのではなく、より小田さんの世界観を重視しようと努力して歌い込む姿や、「小田さんの歌い方は、真っ直ぐに、自分の胸の、奥底にある核たる部分に、問いかけるような歌い方だから・・・」と、じっと瞳を閉じながら、かみしめるように言葉にする姿には胸打たれた。同時に、財津さんが仕上げた曲を聞き終わったあとの、小田さんの瞳を伏せた独特の表情にも。ほとんど羨ましいばかりの瑞々しく素敵な関係。

 そして、こうした話題から派生して、何故この話を綴りたくなったのかは分からないけれど、最近の出来事を書いておきたい。
 先日、同じ学部で働くひとりの学者が急逝した。まだ若かった。平均的にはあと30年くらいは元気に生きてもよいくらいの年齢だった。私は、たった一度しか話す機会がなかった。偶然、今年になって同じ委員会で仕事をすることになったのだ。その一回目の打ち合わせは夏前だった。そのときはまだ彼自身、病気を知らないでいたそうだ。

 彼はあのとき、私に「うそ?ほんとに」と言った。それは私が「今の高校生の女子は、制服がなくなって欲しいなんてきっと思っていませんよ。むしろ、制服は大好きだと思います」と、ちょっぴり若者ぶって言ったときの反応だった。「うそ?ほんとに」というのは私への返答というよりも、むしろ単なる驚きを口にした独り言のようでもあった。あと、いくらかの言葉も交わしたとは思うけれど、とくに印象に残っている内容ではない。

 次の打ち合わせが夏休みが明けてからだった。しかし、彼は欠席であった。そのときに病気で入院していることを、私ははじめて知らされた。重篤な状態だと。
 そして、その翌日、彼がもうこの世にいなくなってしまったという事実を知らされたのだ。私は言いようのない気持ちになった。悲しみよりも何よりも不思議な感覚があった。「うそ?ほんとに」と私は彼と同じようにひとり、呟いた。
 
 そのあとの大きな会議で、全員で黙祷を捧げた。それは、とても長い黙祷だった。
 だから、私はあの最初の会議で隣に座った彼の顔をまざまざを思い出すことが出来た。
 同じ学科の同僚から、彼の学者としての立派な業績と、僅かな人となりをうかがわせる事実が聞かされた。
 夏休みにはもう遺書をしたためていたこと。
 9月の半ばに事務手続きのために大学に来たこと。
 そして、それが最後の出勤であったこと。

 多分、私がまだ一度も話したことがない男性教員のひとりが、眼鏡を外し、そっと涙を拭う姿を見た。
 こんな風にして、人はすっと消えてゆくように居なくなるものなのか。
 彼の遺書は、とても正しい、きちんとした日本語で綴られていただろうと想像する。

 小田さんが財津さんに提供した曲のタイトルは「手紙にかえて」  
【2009/11/04 23:52】   トラックバック(0) | コメント(0) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






メリケン粉と片栗粉とケチャップがない。
 先週末に母来る。
 
 「依存なきところに自立なし」というのは父の昔からのお気に入りの口癖だ。母が先日、我が家にやって来る直前に、父が「おい、○○まで仕事で行くんだけど、ちゃんと着くかちょっと不安だからさぁ、ママ一緒について来てよ」と言ったらしい。「ついて行っても全然楽しくないじゃないの、私!(私の心の声:え、そういう理由?)」と憤慨していた。
 母は父にインターネットで路線検索する方法を教え(PCで複雑な統計解析が出来るのだから、駅名入力が出来ない訳がない。全くする気がないだけ)、勝手に一人で行くように息子を(いや父を)突き放した。そう言いながら、娘の家にやって来た夜になると「お父さん、ちゃんと迷わず行けたの?」と電話しているのだ。これまで甘やかして駄目な息子(いや父)にしたのは半分は母の責任だ。父は「まぁ、別になんてことはなかったな」と偉そうに答えていたらしい。一緒に来てくれと言ったその口で。

 我が家に母に来て貰うと、食生活が改善されるなどのほか、潜在的にはよき点がもう一つある。私自身の「休日・廃人化の防止」だ。この頃の私は、休日は日がな一日、ネコのように眠り続けてしまい、日曜夕刻のサザエさんを観てしまうと、不毛な時間を過ごしたことに心底絶望するのだ。
 
 身内と言えども、廃人化したままの自分では何故か非常に居心地が悪い。そこでトイレやキッチンの掃除からはじめて、散らかった書類は積んでせめて分類。着て脱いだものは畳んで直す。はじめると徐々に気分が良くなっていくことは知っている。知っているけれど誰も来なければ絶対にやらない。来客は私の社会性をよみがえらせ、廃人化を予防するという訳だ。
 
 家事というのは、住人の裁量次第で大きくもなり小さくもなる。私は、もちろん家は綺麗な好きだ。だから、普段も一見、片づいているように見せることは出来るが、さほどこまめではない。数ヶ月に一度に奮起してあちこちを磨いたり、引き出しや書類入れをひっくり返しすことはあるが、身長より高いクローゼットの上に積もっているだろうホコリは気にしたことがない。だから、母が帰宅したあと1週間もしてから「あらまぁ!こんな所が綺麗なっているわ」と気づいたりする。そして、母もまた「私も自分のウチ帰ったら、このくらい綺麗にしなくちゃ!」と言って、なかなか実行出来ないようなのだ。
 
 ちなみに、私の家ではメリケン粉と片栗粉とケチャップが切れている。割と頻繁に使うから無くなるんだけれど「なんで(そんなものさえ)ないの?」と母に呆れて言われるまで、無くなってしまったことを忘れるくらいの期間は気づかなかったということだ。 依存娘続行中。
【2009/11/02 22:08】   トラックバック(0) | コメント(0) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






顔は洗って寝よう。
 さして寝付きのよい方ではない私には、滅多にないことだけれど、数日続いた睡眠不足と疲れのためか、自宅に戻り、500円のお弁当を食べ、リビングにひっくり返っているうちに急激な睡魔に襲われた。途中、携帯が2度ほどブンブンと鳴ったが、おそらくはそれほど変ではない返事をして以降、意識が飛んでしまった。

 メイクすら落とさず、薄手のタオルケットにくるまったまま眠ってしまったようだ。気づけば2時を回っていた。と言ってもそれ以前の二日間くらいは毎晩3時、4時まで起きていたのだけれど。
 「メイクを落とさずに寝たりするのは、ママレモンを顔に塗ったまま寝るに等しい」と誰かに聞いたっけ・・・。のろのろ起きあがってシャワーを浴びてメイク落とし。そのままベッドに直行すればよかったのにパソコンを立ち上げてメールチェックなどをする。
 その後、ようやくベッドに入るものの、今度はぱっちりと目が冴えてしまっった。先日提出した申請書はあそこがまずかったかなぁ、とか今度の非常勤先ではどうやって講義しようとか、それ以上に気がかりな仕事のことが頭から離れなくなったりする。子どものおもちゃで、好きなだけお絵描きをしても、さっとレバーを引けば、ひとはけで消せるホワイトボードのようなものがあったかと思うけれど、私の頭のなかも必要に応じて、そのさっとひとはけが出来ればいいのにと思う。いっそ起き出して、メモに思いついたことを全部書き出せば、「ひとまず紙に覚えさせた」つもりになって眠れるかとも思うが。やがて、何もかもが面倒くさくなってきて睡魔に引き込まれた。

 先週も何度か10時を回ったバスで帰宅。私と同様か、それ以上に疲弊している40過ぎくらいのサラリーマンとOLさんの会話が頭上で聞こえる。「まだ、ほんのちょっとだけ寒くなってきただけやのに、もう朝起きるのが辛いんや」「そうそう。でも、ま、家を出ちゃったら大丈夫なんですけどね」「せやねんなぁ、そこまでがしんどいねん」。あぁ、そうそう、私も同じ。世の働き人の多くはそうだろう。特に「ブルー・マンデイ」なんて世界共通語らしいから、休暇後のプチ鬱は皆一緒なのだ。
 公言がはばかれるが、私などは、起きてからおおよそ2時間後にはじまる講義について「あぁ、もうしんどい、いやだ・・・・。いっそ休講にしてしまおうか」なんて年に何度となく考えてしまうとんでもない輩である。もっとも実際には、余程具合が悪い時以外は、そんな事は出来る筈もない。

そこから何が見える? えいやっ!と自宅を出てしまえば後はダイジョウブ。と念じる。もちろんバスに悪酔いすることもあるし、今日はなんて気分が優れないのだ、と異様にグロッキーな日だってある。しかし、職場に赴き、教壇にひとたび立ってしまえば、私は変身するらしい。最低のテンションからネジを巻き上げ切るわけで、終われば「高揚」そのものだ。目に入る学生に片端から声をかけてもいいくらいのテンションぶり。そして、その別人な自分に励まされるようにして、その日一日の仕事を乗り越える。
 体重は増えない。けれども私の器量は必要に迫られて徐々に増している。もう、「増している」と言ってしまおうではないか。

 さ、11月も働くぞ。勢いに乗るのだ。
 時々、言いしれぬ恐怖に駆られることがある。でも、別に死ぬわけじゃないんだしさ。
 ♪安心な僕らは旅に出ようぜ♪と口笛を吹きながらゆくのだ。
 あぁ、涙が出そうなくらいに秋空が高くて綺麗だ。
【2009/10/30 11:59】   トラックバック(0) | コメント(2) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






君は空を見てるか。
 私の講義の一つを、車いすを使って日常生活を送る学生が受講している。私は彼のチューター役でもある。と言っても別に何もたいしたことはしていない。日常的に、学内にいる彼の存在を気に留めるようにしているくらいだ。それでも、それまではさして気に留めなかった学内の段差や、低床バスの便数の少なさなどが気になるようになった私は、近々要望書のようなものを書くだろう。
 先週は、その車いすの彼とは別に、ある別の障害を持っている学生を迎え入れた。 過去、留学先で大きな事故に遭い、長きに渡る入院と、懸命なリハビリ生活を続けたあとに復学希望を出している男子学生だった。

 脳に少しの障害が残ってしまったものの、強い復学希望を尊重し、学部全体でのサポート体制を敷いた。 実際会ってみると、彼はとても人なつこい印象の人物で 「先生、帽子がよく似合いますね」と、挨拶は余裕に満ちていた。また学校に戻って来られたことに心底喜びを感じている様子に見えた。
 彼はその日一日で、4コマもの講義に出席を果たしたらしい。 今はなんとしても復学を果たすことが彼の生き甲斐で、 将来はふるさとで同じ障害を持つひとの力になりたいそうだ。 復学シュミレーション期間の最後となる私の講義中、彼は積極的に挙手し、真っ直ぐにこちらを見つめて発言をした。 ボランティア学生と専門職の人が万全の体制で3名付いていたが 何の問題もなく講義を終えられた。

 私はいつも以上に努めてきちんと、混乱のないようゆっくりめに話すようにした。そうした心がけを実行することは、思うに、ほかの学生にとっても好ましいことだったに違いない。 時折合わせる視線に彼との疎通を感じていたが、途中には「何か聞き取りにくいことは?」、最後には「わかりにくいことはなかったですか?」と聞いた。彼は 「わかりやすいです。とても楽しかったです」と言ってにっこり笑った。
 
 授業中、彼は「僕は、留学先でお世話になった人たちに もう一度お礼を言いに行きたい」と話していた。命に関わるような大けがを負い大変な想いをしても、 前向きで明るく、知的好奇心に溢れている。生きる意欲に満ちた非常に魅力的な青年だった。 私だけではなく、彼の強さとしなやかさに、他学生の多くも少なからぬ感銘を受けたことと思う。
  日頃、学生諸君の様子にはため息をつくことも少なくないが、 率先してサポートを引き受け、そのことに喜びを感じている学生らの存在と共に、温かさや多様性が確保されたムードのなかで講義が出来たことが嬉しかった。こうした機会をきっかけに、サポートに関わった教員、学生たちが、皆ともにお互いに笑顔で「ありがとう、ありがとうね!」と労いあっている様子をあちらこちらで目にした。
 
 人はただ、日々の生活を放棄せず何とか生きているだけでも十分じゃないかと思うことがある。でも、得難い多くを求めてしまう。そこが人間の苦しさと人とおしさでもある。それぞれが、自分以外の誰かからの、強烈な承認や愛、自分の存在価値を求めながら人生という旅をしている。
【2009/10/25 12:49】   トラックバック(0) | コメント(2) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






| Top | Next