風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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佐野元春×小田和正 公開講座 :: 2008/12/28(Sun)

 彼ら二人を招いての公開講座を開催するらしい。
 http://www.rikkyo.ac.jp/events/2009/01/3588/
 なんとも、羨ましい。しかも素敵なタイトルが付いている。「音と言葉の創作ノート」
 私も大学を職場とする立場の人間として、是非一度は、学生たちに話しかける小田さんの姿を生で観てみたと思った。だけれど、こうした類のものは基本としてファンを対象にするのではなく、あくまでも所属の学生がメインだ。案の定、既に受け付けは終了とのことだけれど、NHKが後ほど、その様子を放送をするらしいので、とても楽しみ。

 小田さんは、過去一冊だけ出した自身のエッセイ集のなかで、昔、お母さんが息子である小田さんの将来を占い師にみてもらった際、「なんか、台の上に立つ仕事をするようになるんだって・・・」と言われたことを印象的に書き綴っている。そのときに「台の上って何かなぁ。チップス先生みたいな、先生も悪くないかな・・・」と思ったらしいのだ。
 
 今後の小田さんは、需要さえあれば、様々な所に出向いて、いつになく多様な活動をするのではないかと想像する。音楽家として自身に対峙して取り組むべきことも未だきっとあるだろうけれど、この頃は具体的に一層人に喜んで貰えること、誰かのためになること、には心を傾けているような気がする。ニュース番組のテーマソングを提供した折だったかと記憶しているけれど、「社会に貢献したい」とも言っていた言葉も私の心に鮮明に残っている。

 ・・・と言うわけで、私も小田さんに「我が校の学生たちに、そのお話をして頂けないでしょうか」という「おてがみ」を書いてみようかなと、最初は妄想ではあったけれど、大まじめに考えはじめた。お金はどうするの?何をどう話して貰うと言うの?学生たちに本当に実りある公開授業が出来るの?これが一番大切だ。私はこの人生を通して、小田さんの存在そのもの、その声、一言、一言が若き人々にもたらすだろう多大なる影響と貢献については自信があるけれど、いったい誰を巻き込めば実現するのだろう。考えることは山積みかもしれないけれど、誰かと徒党を組めば、もしかすると、もしかするかもしれないのだ。
 年末に掃除から逃避して壮大な夢を描いている。

 佐野元春の印象を少し。

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ただいま大掃除、の逃避中。 :: 2008/12/28(Sun)

 26日、仕事納め。
 研究室にハタキと掃除機をかける。おおよそ半年ぶりくらいか。
 いやはや、周りでは「え?あなた自分の掃除機なんて研究室に持っているの!?」と
 聞く方もいるくらいで、私はこれでもまだ綺麗好きなのだ、
 と誰も責めていないのに言い訳しつつ、ホコリを舞上げつつ奮闘。
 デスク上に積まれた書類たちも、自宅の書斎と比較すると極めて少ないけれど、
 1時間程度かけて要らないものは大体処分する。
 最後に、付近の住人たちに今年のお礼と、来年もよろしくお願いします、の
 ご挨拶をしてひとまず退散。

 昨日からは、やっと自宅の掃除に取りかかる。
 いきなり、掃除機などは、かけられないほどの圧倒的な散らかりよう。
 つい先日まで仕事やら調査やら(小田さんのライブやら)に追われていたのだ・・・と、
 わたくしの超自我にたいして、自我がしきりに言い訳をする。
 そう言えば、先日、帰宅のバスが一緒になった男性の同僚に
 「きっと、あなたのお部屋はさぞかし素敵に綺麗にされているんでしょうねぇ。
 ぼかぁね、片づけるってことを知らない男で、いつもカミさんに「あんた、片づけなさいよ!」
 って頭ごなしに言われて、つい「これは要るもんだ!」なんて言い返すから、喧嘩しちゃうんで・・・」  
 などと打ち明けられた。私の部屋がいつも綺麗だという幻想についてはやんわり、きっぱり否定し、 
 夫婦喧嘩は犬も食わないと思いつつ「せやなぁ。おれが悪いなぁ。そのとおりや!
 君が正しい!、とでも一度言ってごらんになってみれば?」と、適当に助言しておく。
 
 翻って、我が家の掃除は、まずはキッチンから。
 シンクの汚れは今年中に~とCMのような鼻歌交じりに食器カゴも洗って、
 コンロ周りを油汚れをさっとふき取る程度。
 次は、リビングに散乱する授業関連、およびそれ以外の書類の仕分け。
 紙類は毎日捨てても何故、このように増殖するのか?加えて通販などの段ボールも。
 書斎は一番手強いので後回しにしたいが、まずは、デスクトップの整理だけでも先に。
 そうそう、先日からの調査ファイルを整理して・・・と思って
 保存後に、調査内容をついつい確認しているうちに敢えなく幕切れ。
 
 本日の成果。
 シーツや各部屋の敷物など、大物の洗濯。
 秋から毎日のように重ね着のベースに着ているコットンのタートルを5枚、まとめて手洗い。
 こまめに洗っていたつもりだけれど、意外にも汚れており、ぎょっとする。
 その後、洗濯機がちゃんと仕事をしているかの監視(脱水の様子をじっと見守る)。
 寝室に散乱した洋服の整理整頓。こうやって物を片づけるたびに思う。
 「シンプルライフを送りたいなら、物は増やさないこと」に尽きる、と。
 そして、水回りの垢落としを半分ほど。後で鏡類も拭いておきたい。
 
 リビングに、アクセサリや小物類を仕舞ってあるアンティーク風の飾り棚を置いているが、
 必要以上に時間をかけて整理する。
 物の配置を換えたり、隠したり、見せたり。向きを変えたり、よその部屋に持って行ったり。
 でも、どうやっても、ごちゃごちゃ見えるのは何故なのか。
 古い宿舎時代に、部屋が少しでも可憐に見えるようにと、
 近所の雑貨屋で4千円くらいで調達してきたものだ。
 でも、そろそろ、もう少し大人っぽい洒落た棚を探そうと思った。
 
 今夜は、この書斎の片づけをしよう。
 「山」を切り崩しても、おそらく途中で挫折して、積めるものは積んでおくことになるだろうけれど、
 実家に持ち帰ったり、新年から直ぐに使う資料は分かるようにしておかねばならない。
 明日は手洗い・バスルームなどの普段手の届かないところを綺麗にして
 上手く行けば夕方には実家に帰省予定。

 昨日、お仲間と年末旅行に出たらしい母が、バスの中から
 「○○に行くバスのなかよ~。自宅は疲れない程度にほどほどに掃除して、
 うち帰ってきたら窓を拭いてね」とメールが来た。
 母には、今年、散々こちらに助けに来て貰ったのだから、そのくらいはしなくちゃね。
 と言うか、昨年も一昨年前も窓を拭いたけれど、いずれにせよ、実家での私は、
 基本的に父に次いで「主戦力・外」的印象が非常に強く、「ネコよりはまし」扱いなのだ。
 放っておくと何もしないに違いない、と見越している母がわざわざ仕事を残してある。

 それにしても、掃除機をかけるほうが一気に綺麗になって効率がいいと思うけれど、粘着テープをはがすタイプの”コロコロ”をしはじめると、どうにも片端から目につくあたり全般にコロコロしたくなるのは私だけではないだろう。
 そんな今年の年末だ。写真は先日のアメ村での一枚。「立ち読み歓迎!」と書いてある。

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クリスマスイブ。 :: 2008/12/24(Wed)

 先だって、大阪ライブに赴いた翌日は心斎橋で待ち合わせてアメ村あたりを少しだけぶらりとする。
 もう何年も来た記憶がないけれど、さして変わった様子はないようだ。むしろ活気は薄れているような気もした。今は、若者たちの居場所も、もう少し広範囲に分散しているのだろう。かつては、アメ村と言えば、若者のサブカルチャーの発祥地、混沌とした喧噪、個性的なファッションに身を包んだ若者のたち、とにかくディープな印象があり、何となくその界隈を歩くのであれば普通の格好では雰囲気に負けるような思いこみさえあった。でも、何時頃からか、ともすればそんな排他的な印象は薄れ、新たに出来たファッションビルにあった映画館に、母を伴って出向いたりもした。

 久々に来てみても別段、何て言うこともない。自分が十分過ぎるほどに大人になったせいか、普段から大勢の若者(割と地味な学生ではあるけれど)を相手にしているせいか、ひょっとすると前日ライブの5万人の大群の迫力を実感したせいか、突飛なファッションの若者たちを見ても、店から流されるちょっとやかましい音楽が聞こえても、気後れするようなこともない。 
 むしろ、ちょっと離れたあの近辺の百貨店の周辺をぐるり歩けば、それなりのお金を注いだファッションに身を包む20代後半から50代くらいの女性たちに巡り会える。そういった人々を見ると、あぁ、自分が暮らす街とは、そこが違うんだなぁと実感するのだ。

 私が一番最初にアメ村に行ったのは、確か高校1年くらいの頃だ。当時、放課後になると、自宅から近所の図書館に通っていた。そこで、学校の宿題なんかをしていた私は、やがて毎日、同じテーブルで出会う青年に気付いた。我々はだいたい、夕方から閉館近くまで居た。しばらくして、閉館を告げる音楽が流れ出す頃、私たちは少しだけ口を効くようになった。ある日、私が、持っていたキャンディを「食べる?」と言って差し出した。
 その青年が、はじめてアメリカ村に連れていってくれたのだ。二つ歳上だった。そのときのアメ村の印象が、「ちょっと物騒で、大人な感じ」だったのだから笑える。彼はアーミー・ファッションを好んでいたようで、そんなお店にいきなり連れて行かれたせいもある。
 その彼とは知人以上の関係には至らなかった。そもそも、私に、あまりそういう気持ちはなかった。ただ、スケートにも連れて行って貰った。彼は、小さい頃から父親の影響でスピードスケートをしているらしかった。「弟のほうが勉強もスケートも優秀だから、おやじは弟びいきなんだよ」と言っていた。ちょっと淋しそうな印象だった。彼はきっと、いい人だったのではないかと思う。
 一緒に何処かに出かけたのはその二回きりだったと思う。もしかすると、だ。私の若気の至りで、好意を寄せてくれた彼の気持ちを、ちょっとだけ振り回したのではないかと、ほろ苦く思い出された。

クリスマスの約束を観ましょう! 小田さんがご当地紀行で、「ボクが初めてデートしたのは、ここじゃないかと思います・・・照れくさいですな・・えへへ」と、ご当地紀行で訪れた、とある動物園で話していた。小田さんの初デートと言えば、恐らくは40年くらい前の話なわけで、それでもやっぱり恥ずかしいんだなと微笑ましく思う。
 
 今夜は、クリスマスイブ。
 授業はようやく終了した。まだ今年を振り返るゆとりはない。最後の最後になって懸命に走っている。

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さよならは言わない。 :: 2008/12/21(Sun)

 悲しみはいつか消えてゆく。
 でも、喜びは、いつまでも輝いていく。
 小田さんの『さよならは言わない』の歌詞を思い出しながら、心は色々な方向に向いてゆく。

 大阪ドーム公演に出向いた日の午後、他界した祖母の家を久しぶりに訪れた。
 自転車をこいで、祖母の家が見えて来ると、いつもと変わらない懐かしい気持ちになった。
 ひょっとしてコタツに前のように祖母と大叔母が二人で座って居るんじゃないかしら。

 でも、そんなことがある筈はなく、祖母の妹である大叔母が大きなテレビ音と一緒に迎えてくれた。
 祖母のお骨と共に、以前と変わらず、家じゅうにお花を活けて一人で暮らしている。
 彼女は、祖母の心を、最後の最後まで支え続けたきょうだいである。
 「あの日、つーちゃん、つーちゃんって、姉さんは朝からずっと私の名前を呼び続けていたの」
 大叔母は、きっと何度でも、何度でも私たちにこの話をするだろう。

 思い出される祖母の最後の姿と、笑顔。

 たしかに、である。
 おばあちゃんは、最後に「さよなら」とは決して言わなかったなと思った。
 おばあちゃんが私に最後に言った言葉。手を握りしめながら言った言葉は、
 「またね」と「ありがとう」だった。

 私が帰り支度をはじめると、今度はおおおばちゃんが、表玄関の外までわざわざ出て来てくれて、
 おばあちゃんと同じように、私にひらひらと笑顔で手を振った。
 振り向いたそのとき、その隣には、おばあちゃんの姿が見えるような気がした。

  ↓「さよならは言わない」の歌詞内容はこんな印象。。。

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小田さん、ありがとう!(大阪京セラドーム・小田和正公演) :: 2008/12/21(Sun)

 小田さんのドームツアー最終日、京セラドームに趣いてきた。

 前回、アリーナツアーの際に、家にチケットを忘れたせいで、ひどい遅刻をしたという苦い経験を決して「させてなるものか的包囲網」が私の周りに張り巡らされ、2,3日前から「忘れ物するな!」メールが続々届く。さらに当日、出かける折りは、我が母が幼稚園児を相手にするがごとく、鞄の中身をチェックする。封筒に入ったチケットを出して確認し、さらにバッグに収めたことを指さし確認。
 私は、「日傘、貸してもらえない?」という言葉に母から「いやよ!」と即答されるほど、忘れ物常習犯なのだ。

 さて、数万人もの人々が集まったドームで私は、もう何も思い残すことはないほどの完全燃焼を果たした。いや「果たした」人は小田さんであって、私は、それに圧倒され続けたという表現が正しい。
 ひょっとすると、このライブが終われば心にぽっかり穴が空いたような気持ちになるのではないかと、そんな風に心配していた。でも、あれから丸一日。小田さんの歌声、佇まい、表情、会場の雰囲気のすべてを含めた余韻は時間が経つごとに強くなっていくようだ。ぼんやりしていると、何故かふと涙ぐみたくなる。温かな思い出に満ちてくる。
 小田さんは約3時間半を超える長い時間を費やし、なんと37曲を全力で歌いきった。あのばかみたいに広すぎる会場で、少しでも私たちに近づくために、縦横無尽に歩いたり走ったりすることを超えて、とうとう彼は自転車で目の前を駆け抜けたのだ。間近でその姿を観た私は、その尋常でない発想に、ただただ笑いと賞賛、拍手を送った。
 
 最終日だという気負いは感じられなかった。
 ただ、曲の合間のお喋りは、やや控えめだったような気がした。かしこまったような何かを言うつもりもない、という雰囲気があった。小田さんの歌や演奏は、春に聞いた時よりも、格段と言ってよいほどに洗練され、さらに熟練しているのがよく分かった。実際は疲れていない筈がないと思ったけれど、その声には一層、艶が増していることには驚いた。
 
 これまでのライブで本当に、一体何度聞いただろう。名曲「言葉にできない」や「さよなら」、さらに前回ツアーの核となった「たしかなこと」、何度聞いても生演奏になると言葉がぐっと胸に迫ってくる。5人のオフコース解散間際に発表されたNEXTのテーマ、Yes-Yes-Yesなどは、鳥肌が立つくらいに神々しいものを感じた。あの解散ライブの大合唱を、私は後からビデオでしか観ていないのに、まるであの場で人々と共に熱唱したかのような錯覚にさえ陥るのだ。
 若きオフコース時代のメドレーは、隣で観ていたSatoさんの琴線に触れて仕方なかったらしく、時折目頭を拭い、最後は鼻をかんでいた。そんな往年のファンから、私のようなオフコース解散後世代に至るすべての人の心を、小田さんのどこか楽しげで柔らかな歌声が優しく包んでいくそんな時間だった。
 
 
 終盤、「ボクの今の気持ちです」と、とてもシンプルに紹介された新曲は『さよならは言わない』であった。その日、小田さんは吉田拓郎の「今日まで、そして明日から」を鼻歌のように口ずさんだシーンがあった。小田さんの新曲は、タクローが”若き日”に歌ったあの歌へのアンサーソングであるような印象を受けた。タクローは、「明日からもこうして生きてゆくんだろう」と歌った。61歳の小田さんは、友たちに語りかけるように「おれはね、あれから、こうして生きてきたよ・・」と歌った気がした。私は何故だか、急に胸がいっぱいに詰まって仕方がなくなった。
 『いつかすべては終わるんだよと、でも、それは悲しいことじゃないんだ』。もうずっとずっと昔から小田さんは数々の楽曲のなかで伝えて来たのに、私はまるでその事実を初めて知ったようなそんな気持ちに駆られてしまったのだ。
 この公演の一番最後を静かに飾った曲は、小田さんの弾き語りによる「きっと同じ」。「はじまることも終わることもきっと同じだね」と歌われる。
 
 小田さんにもし会うことができれば聞いてみたいな、と思う。
 この長かったライブツアーを、あなたはどんな気持ちで走り続けて来たのかと。どんな風にその気持ちは変わって行ったのでしょうか、と。
 最初はもしかすると、もうこんな長いツアーは最後になるだろうと思っていたかもしれない。でも、彼は見事に走り抜けた。全身全霊。一切の手抜きなし。全力の姿を見せつけた。 
 
 最後のステージを下りた小田さんを、スタッフの人々が待ちかまえていた。彼らに胴上げされた小田さんが、とうとう堪えきれずに両手で涙を拭った姿を、舞台袖まで追いかけていったカメラが会場に残った私たちにスクリーンごしに伝えた。人々が、優しい声で「あぁ、小田さん・・・小田さんが泣いちゃった」と呟いていた。
 
 会場を出たとき、「あぁ、とうとう終わった・・・」という感傷はあまりなかった。みなぎるように若々しい声を張り上げ、彼は「きっとまた会おうぜ!!」と叫んだ。その言葉を多分、会場にいたすべての人が信じることが出来ただろう。

ピース! でも、ただ、漫然と待っていちゃいけないんだと、そう思うのだ。ずっとずっと小田さんに人生の伴走者を任せていたけれど、自分だってもう同じ時代を生きる同志の一人なのだ。自分の人生を、目一杯に生きていなければ小田さんに会いに行く資格はない。そんな風に、我が人生に最大の影響を与え続けるアーチスト小田和正、61歳。自称「ジジイ」の背中を決して見失うことはない。だって、彼に1センチでも近づきたいのだ。
 
 長くツアーグッズなどを買った試しがなかったけれど、私は小田さんプロデュースの来年のスケジュール帳をひとつ手に入れた。

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公共の場とは何か。 :: 2008/12/18(Thu)

 今朝、バス停に並んでいる際、すぐ前に立っていた男子学生が、列から外れて脇に立つ別の男子学生らしき者と立ち話をしていた。脇に立っているほうの子は、しゃべりながら煙草を吸っていた。やや今風の格好をした、ごく普通の青年に見えた。

 その様子に何となく気を取られていると、彼らと私が並ぶほんの僅かな間に、見知らぬおじさんが自転車に乗ったままいきなり割り込んで来たので驚いた。それだけではない。なんと、そのおじさんは、バスを待つ人々の列を断ち切るように、私の目の前におもむろに自転車を止めた。そこは、当然、駐輪禁止の場所である。まるで彼には人が電柱のようにしか見えていないようだ。思いがけない事態に、多少動揺した。
 バスを待つ列は、前から順番に数名の学生、脇に逸れた煙草男と話す男子学生、『自転車』、そして私、後ろにその他大勢の学生という異様な構図となった。

 仕方がないので、乗るときは自転車を迂回して行こうと思いながら、相変わらず煙草を吸っている男子にふと目をやると、ちょうど地面に吸い殻を置いた瞬間だった。仕草としては目立たないように、靴の下に隠し置いて火を消したという印象だった。
 私は彼に対して、吸い殻はちゃんと拾って、しかるべき場所に捨てるように明るく声をかけるべきか、少し悩んだ。相手は得体の知れない若者ではない。私には自身の学生の心根を信じる気持ちがある。『こんにちは。あなたは○○大の学生さん?私はあなたと同じ大学のしがいない教師なんだけどね、その靴の下の吸い殻、あとでゴミ箱に捨てておいてね』と言いたかった。

神妙な面持ち。 が、あともう少しのところで、何故か言い出せなかった。彼がもし、足の下の吸い殻は「とりあえず置いてあるだけ」であり、立ち去るときには持ち帰るつもりだとしたら・・・?いや、自問するまでもない。これまで、そんな殊勝な行動を取るひとを一度でも見ただろうか。
 私の心には、全く憎しみはなかった。これが教室や学内で、自身が受け持つ学生であれば躊躇わずに言えたのだろう。見知らぬ学生に、公衆の面前で注意を喚起した際、互いが経験するかもしれない苦々しい想いから逃避して、大人としての義務を怠った気分が残った。

 軽くため息をついて、バスに乗り込んで座る。
 本当は、毎日、毎日、見かけているのだ。荷物さえ膝に乗せればもう一人座れるところを、一人で陣取っている横柄な人々の姿を。出来るだけ、必要以上に気持ちに負荷をかけないように、よく見ないようにしている自分にはっとする。

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お寝坊通知。 :: 2008/12/15(Mon)

 今月より「調査」強化月間である。正直言うと、それに相当のエネルギーを割いている。頭のなかはそのことで一杯といった感じで、先日も土曜出勤した際、タクシーで貴重品を忘れる。一応ちゃんと戻って来たのだけれど、周囲の人々から口々に、さまざまに助言される。私は、パーフェクトに健康な人たちの6割程度の生命力とエネルギーしかない。それを、優先的なものに分配すると、周辺は見事にこぼれ落ちるという訳だ・・・などと悠長に弁明する余地はなさそうだ。

 ・忘れそうなものは、前日から、絶対に鞄に入れておくこと!
 ・忘れ物チェック表をつくれ!
 ・出かける前は、消した消した消した、持った持った持った。としつこく「指さし確認」せよ!
 ・モノの置き場所は絶対に変えることなかれ!
 ・「自分はあほだ。忘れる。絶対に忘れる。忘れるんだー自分は!」と常に肝に銘じておれ!
 ・土曜日の京セラドーム(小田さん)のチケット、もうバッグに入れておきなさい!(母より)

 親子の間では、性格が似ると言うが、指導教員とその学生の性格が似てくる事もあるのだろうか。
 このごろ、とみに私が指導している学生の「ぼけぼけぶり」が際だって来た気がする。
 たとえば、わずか二人しかいないゼミ形式の授業について「2コマから3コマに変更します」という内容の連絡をメールで回してもらっていると、何故か私のもとに、頼んだ本人からこメールが届く。

 「○○ちぃ~!!明日さ、Meg先生の2から3に変更だって~。お寝坊できるぅ

 おかしくて溜まらないので、『お寝坊できていいわね(笑)。また、間違って私んとこに、来てたわよん。ま、可愛いから許す(笑)めぐ先生より』と返信をしておく。
 
 ・・・というか、もうこの時期は、寝る間も惜しんで課題に取り組んで頂かないと、確実に1月は修羅場ですよ、というお話でもあるのだけれど。 

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# 重傷気味。 :: 2008/12/15(Mon)

 重傷気味なところ。

 髪:そろそろカラーリングに行かねば、完璧なプリン頭

 腰:日曜日の夜9時から燃えたぎって机に向かう。気付くと2時。
   全く同じ姿勢を崩さずで、完璧な腰痛

 頭:タクシーに貴重品を忘れる。戻ってきたのは幸い。

 足:ペタンコ・ブーツのサイズが大きくて、靴擦れ。
 
 

  

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カンペキやぁと叫ぼう。 :: 2008/12/12(Fri)

    私:「どんなカメラを使われているんですか・・・あ、Nikonですね・・・]
    男:「あ、これですか?D3っす。」
    
    私:「あぁ、知ってる知ってる。いいカメラだぁ!(←数字が小さいといいカメラくらいの知識)」
    男:「(ちょっと嬉しそうに)そうなんス!もうね、こいつはホンマええ仕事してくれるんスよ」
    私:「へぇ、カッコイイな。・・・あのね、私も一個だけNikon持ってますよ。可愛いやつ」
    男:「D40?!」
    私:「そそっ!!学生を撮ったり、調査地持ち歩いたり(したことないけど)に便利なんです」
    男:「あぁ、そうそう。あれも、結構いいんすよね、ちっちゃいし・・・ね」

 以上は、卒業アルバムの撮影(学生、教員交えてのカジュアルな集合写真)にやって来たカメラ屋さんのお兄さんとの、主に私の「知ったかぶりな」会話だ。
 昨年のカメラマンは、おじさんで、全体的に無機質で機械的な仕事ぶりだったけれど、今年はちょっと若くてイケメン風のお兄さんが、『はーい。皆さん、もっと、弾けていいっすよぉ~』などと一生懸命に声かけしていたので、「ほらっ、○○君、みなをもっと笑わせてよ!」と便乗するように男子学生をあおって、イケメン風君に協力した私。

 そのあとは、仕事が沢山あって嵐のように過ぎ去った。最後の授業が終わると、長く念願だった高額な統計ソフトを安く購入する手続きなどに奔走する。
 はっと気付くと、もう帰宅バスの時間に。部屋を出る前にようやく気付いた。
 「んんっ??私の日傘はいずこだ?!」
 2秒後に思いだした。写真の撮影のときに、邪魔になるから、後ろにあった石碑の裏に隠すように置いたまま忘れてきたことを。

 ダッシュ、ダッシュ、ダッシュである!
 この地に来たばかりの頃、ホームのベンチに置き忘れたきり、生き別れになった初代・日傘の思い出が蘇る。命にも替えがたい、とまでは言えずとも、母からの大事な贈り物でもある。
 愛する日傘ちゃんに、無事でいてほしい!そんな想いで、廊下を激走していると、3つ隣の研究室から出てきた男性教員に「おっ・・・なんでそんなに急いどんのや?」と驚かれる。「お疲れ様です。傘です!」「????」という、とても緻密な会話を展開し、石碑までたどり着く。祈るような気持ちで、暗がりのその場所に近づいて行った。

 「神様、仏様、雷さま!どうか私の日傘ちゃんが無事ですように」

日傘よ、帰ってきてくれてありがとう。 私の日傘は、置かれたままの姿勢を保ち、ひっそりと主人の帰りを待っていた。 「あぁ、よかった!やった~っ!」とまるでオリンピックで優勝した選手のごとく声を上げながら、小躍りやスキップをしながらバス停に向かった。そんな私を、また誰かが偶然見ていたら「この前は、どうも空を見ながら宇宙と交信したようだし、いつも1ミリくらい地面から浮いて見えるし、時々、クルクル踊ってるし。
 あいつは絶対に変人や」と噂が立つだろう。それでも、私にとっては、完璧な結末なのだ。

 でも、実を言うと、今日の私には、もう一つ小さな懸念事項があった。
 持ってきたつもりの研究室の鍵が見あたらなかったのである。仕方なくマスターキーを借りて過ごした。ひょっとして、出勤途中、自転車のカゴに入れたバッグから飛び落ちたのか?・・・バスのなかで慌てて隣に詰めたときに、気付かずに落としてしまったのか・・・。困ったなぁ、もし「紛失」となれば、かなり叱られちゃうなと、少しだけ気分が重たかった。
  
 が、帰宅すると、いつも自宅の鍵を入れる習慣がある玄関の小物入れに、ちゃんと研究室のキーも一緒に入っていた。昨日、自宅キーと一緒に、放り込んでしまったのだろう。

 私は、心で呟いた。
 「私の人生は、まったくもって完璧や!」

 今週、とある女性教員に、ぼそっと「あなた?関西人オーラが出ているわよ」と言われる。

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「もの書き」消える。 :: 2008/12/11(Thu)

 あやつり人形のように。
 過去の記事の整理をしている時、うっかり一番新しい記事を誤って消してしまいました。
 記事自体は、たいした内容ではなかったのですが、
 楽しくて笑える縄文人のAさんのコメントまで消えちゃって、大ショックです。
 コメントしてくださったAさん、面白いやりとりを楽しんでくださった(かもしれない)数名の方々ごめんなさい。

 覆水盆にかえらず・・・ですよ、そこの傘のひと。

 ******************

  
 
 師走の名のとおり多忙さが続きそうです。帰宅時間も段々、遅くなってきました。
 
おばあちゃん、天国から見てて 今日、帰宅時にバス亭に向かう途中に立ち寄った学内の自動販売機コーナーで温かいペットボトルのミルクティを買った。何だかとても疲れていたので、甘くて栄養も多少はありそうな温かい飲み物を口にしたかった。バスが来るまでの数分間にベンチに座ってそっと飲む。一口目が一番、美味しい。ひとときの和みタイム。そのコーナーには、販売機が5,6台並んでいて、通常の飲み物のほかにカップ麺のようなものも買える。中央には、立ったままちょっと歓談できるような小さなテーブルのようなものもある。
 
  そのテーブルで、学内の何処かで工事か何かでもしていたかのように、作業着の男性がカップヌードルをすすっていた。私がそばを通ると、ほんのちょっとだけ気恥ずかしそうな素振りを見せた。
 もうしばらく食べていないけれど、何だか彼が、ひっそりすすっているカップからお醤油の香りがふわっと漂ってくるようで、とても美味しそうに感じられたのは何故だろう。きっと、冬山とかそんな場所で食べたら絶品なのだろう・・と思う私は、帰宅時には冬山から下山するくらいの疲労感なのか。

 思わず、私も一つ買って帰ろうかしらという誘惑に強く駆られたけれど、帰ってもう少し栄養のあるものを食べよう、と思い直した。温かい汁ものがいいな。たとえば、にゅうめんに野菜を色々入れて、卵を落として、葱も沢山いれて・・・。紅茶のペットボトルをほっぺたにくっつけて、片手はコートのポケットに入れながら、僅かな時間の憩いの場所にゆっくりと向かった。そんな日常である。   

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あなたのタイプは? :: 2008/12/05(Fri)

 「話がすごく理解しやすくて、もう一度聞きたいという気持ちになりました」
 「そういう考え方もあるんだと教われて、自分自身が楽になりました」

 先日招いてもらった小さなお話会でのアンケートの声を、わざわざ主催者が送ってくれた。私はとても承認欲求が高い人間なので、そういう声には心から嬉しくなって、思わず人知れずちっちゃくガッツポーズ。手帳に挟んでおこうかな。落ち込んだ時、眺めたら少しくらいは元気になれるかもしれない。

 さて、今夜はよくある心理尺度の一つをご紹介。

 多少の手間がかかるので、ごゆるりと、どうぞ。
 暗算は苦手、間違いやすい人(それは私です)は、電卓があるといいです。

 ========

 ★こちらに書いてある文章をよく読んでください(以下の表、さらに改良しました)
  http://blog-imgs-32.fc2.com/m/e/g/megchy36/20081208214754.htm
  それぞれの質問は、あなたの日常の考えや行動に、どの程度あてはまるでしょうか。
  1~7点の間で、あてはまる数字に○をつけてください。
 
 ★点数の数え方

  ①まず、●印がついた項目は「逆転項目」と呼ばれる項目です。
   例:「引っ込みじあんである」に7点をつけた場合は、
   1点と読み替えます。6点だった場合は2点に。5点だった場合は3点に、   
   4点の場合はそのままです。
   ●印付きの質問:1、2,4,5,6,7,12,13,15,16は必ず、
   点数を逆転して、読み替えてくださいね。
 
  ②点数の読替ができたら、次に、赤い文字で書かれた質問(1,3,6,8,10,13,14)の
    合計点を出してみましょう・・・・・マークの項目の合計:(    )点
  ③同様に、赤い文字以外のほかの質問(2,4,5,7,9,11,12,15,16)の合計点を
    出してみましょう・・・・・・・・・・・・◆マークの項目の合計(    )点

  さて、これらの点数から分かることとは??(解説)

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始動。 :: 2008/12/03(Wed)

 12月始動である。

 とある授業の参観に赴いてきた。「参観」と言っても、我が子(学生)の様子を見に行くわけではない。教員同士が、よりよい授業づくりのために互いの授業展開のスキルを見せ合いましょう、という主旨である。
 折角なので自身の関心分野でもあり、なおかつ授業が面白いと人気が高い講義に「参観させてください!」と申し出る。「ぜひ、来てください!」と返事が来る。教室に行くと、先日、私の授業参観に来ていた先生がいた。我々のあいだに研究領域には全然接点はないのだけれどご縁はあるようだ。こまめにメールもくださる。ちょっと嬉しい。
 普段、授業で教えている学生たちもチラホラ見かける。中には、以前、出席は足りており、授業中に課したレポートも出しているにもかかわらず、試験に替わる最後のレポートだけは締め切りまでに出さなかったので、心配して自宅まで電話をかけたことがある男子学生もいる。悪びれる感じもなく彼が「おっ、せんせ、なんでいるんすか?こっちこっち、ここ座って」と手招きするので、並んで授業を受けた。
 
 これは、なかなか新鮮な経験だ。実際、上手な授業展開で90分を全く長く感じさせない。噛んで含めるような言い方でもなく、むしろスピーディだ。「なるほど、ここは是非、真似しよう」「ここはひょっとして自分も、信念を持ってやっていることだ。そうか、これは自信を持っていいのかもな」。刺激を受けたり、自身を再評価したりの楽しい時間を過ごした。

 それだけではない。受講生の多いその講義で、今回、自身の研究調査について、その内容を学生らに話す機会を与えて貰えた。「多くの学生に出会う」ということが実は自分にとって財産である、ということを最近知る私。その反応は想像以上で、授業後に「興味があります。調査に協力したいです」と言いに来てくれる学生たちの姿に感動する。
 
 これから、ますます多忙な日々になるだろう。だけれど、いま、たまらなく生きている実感がある。苦しくて楽しい。出来れば面倒くさいし、やりたくないけれど、やれば嬉しくなって興奮する。しんどいけれど、やらずにいられない。やりたいことと、やらなくちゃいけないことは色々。

銀杏並木 そうした毎日のせいだろうか。どうも、夢見がよろしくない。今朝は小田さんが夢に出てきた。最近、ライブ(現実世界の)リハーサルですっ転んだそうで、痛い足をひきずりながら「走れなくてごめんなさい」と言いながらサービスたっぷりのライブを敢行したらしい。夢に出てきた小田さんは、やせ細って少年のようにも見え、疲労困憊しており、いかにも痛々しい。何故か、我が実家でその病後を見守っているという設定だった。心が痛い。小田さん、あなたはもうそんなに走らなくても十分に人を感動させられると神様が仰っているのでは?それとも、あなたは私の心の分身? 
 
 明日以降は、「あなたは自己中?」というテーマで少し書いてみたい。

 (本日の学食での夕飯:430円)
・ご飯SS
・ひじきと枝豆の煮物
・ほうれん草のポン酢和え
・白菜と鮭のクリーム煮(うまい!)
・ぶりの甘辛煮(白ごまパラパラ)
・鶏の唐揚げ(2つだけ。ここのは美味しいから、必ず選んでしまう)
・あと1品何か忘れた・・・いま、思いだした。「こいも、蓮根、人参の煮物」

 最近、私の顔を見るたびに「えさをやらねば」と思う人々、続出。


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