風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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あの人は今、どうしているのだろう。 :: 2009/02/28(Sat)

 「彼」はおもむろに、教室に入ってくるなり、黒板の端から端までを使って大きなぐねっと曲がった楕円を描いてみせた。
 『これはな、ミトコンドリアや!』と言ったのを聞いたのが、彼の第一声である。

 「彼」とは、私が中学2年の頃に出会った新任の理科教師だ。大学を出たばかりの正真正銘の新任教員。学生時代はラグビー部員だったらしく、がっしりとした身体つきだったけれど、心はガラスように繊細で純粋だった。明らかにそのやる気は何をしても常に空回りしていたし、最も多感で最も意地の悪い時代を過ごしているまっただ中の中学2年の女子たちには、これ以上ないほどにうっとうしがられた。正義と公正を貫こうとし、何か発言するたびに男子からの失笑と反感を買った。どうやっても生徒に気持ちが通じないとなると、あるときは教壇をひっくり返して教室を走り出してしまうことも一度となくあった。おやおや、どうしたことかと思って窓からグラウンドを見下ろすと、しょんぼりと三角座りをして膝に顔を埋める彼の姿。彼は、ベテラン教師に背中を叩かれながら、慰められていた。廊下で、中学2年の女子と本気で喧嘩していたのも度々見た。
 
 私としては「もう痛々しくて見てられないなぁ」という印象だった。だから、たぶんあるとき、何か言ったのかもしれない。たとえば「もうちょっと肩の力を抜いてみたらどう?」とかそんな風ななことを。だから彼は少なくとも私を、自分に敵意のない貴重な生徒の一人だと思っていたのかもしれない。いっとき、ぼそっと、「ええねん、オレな、もうこの仕事アカンかったらトラックの運ちゃんでやっていくわ」と打ち明けられたこともあった。それが、担任をしている生徒に漏らす言葉だろうか。
 もう一つ思い出されるのが、授業中の思い出話である。何故、彼がそんな話しをしようと思ったのかは知らない。「ボクは学生のとき、家庭教師をしていた女子生徒にチョコレートを貰ったことがありました。でも、先生はな、それがあまりにも大切に思えて1年以上も食べることが出来なかったんや」・・・。純朴を絵に描いたような青年だった。

春めいた演出でギターを弾く。しかし、寒い。 そんな純朴、そして破天荒な「教師」と名のつく人に出逢ったのは、それが最初で最後だった。でも、何故なのか、未だに当時の中学の先生たちのなかで年賀状だけではあるけれど、繋がっているのはその先生だけなのだ。何の根拠もないけれど、彼は、今では生徒にも後輩の先生たちにも大いにに慕われるよきベテラン教師になっているような気がしてならない。
 自分が教育現場に就職するとは当時、夢にも思っていなかったけれど、今こうして自分の学生たちの教育実習などにご挨拶に向かったりする機会ができると、現場の先生たちを見るたびに、彼のことを思いだしてしまう。

 一度、会いに行きたいな。そして、色々な話をしてみたいと思える。
 
 もっとも、向こうが歓迎してくれるとは限らないけれども。
 もう一つ思いだしたことがある。彼は、「○○(私の名前)!お前って、ぺこちゃんに似てんな(笑)」と言ったやつだ。大学の頃に「君って、スヌーピーに似てるね」と軟派な英語教師の言われたことを思うと、私は中学から大学はまだ容姿はいささかか人間的ではなかったという事になる。しかし、今はすっかり大人の女性なった私である(本当か)。 

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ごろごろする日。 :: 2009/02/22(Sun)

 先日の高知出張の際は、路面電車沿いの新阪急ホテルに滞在。とにもかくにも、二日間激しく疲労して部屋に戻ることは想像に難くない。少しでも気持ちよく過ごせるように部屋は少し贅沢をしてもいいと思った。ちょうどエグゼクティブルームが一泊朝食付きで1万円を切っていたので迷わずに予約を入れておいた(部屋の予約はこれほどカンペキだったのに、飛行機の予約は出発空港を根本的に間違う)。
 実際、部屋は快適そのものだった。何より疲れを癒すベッドやお風呂が十分に広くて清潔感に溢れていたのが、とても嬉しかった。夜も、翌日の準備のために仕事をすることになったので、リラックスできる部屋を取っておいたのは本当に正解だと思った。2日目の夜は、女性のマッサージ師を部屋に呼んで貰った。20分で2100円。少しでも疲れが取れるなら安いだろう。小柄な年輩女性が、黙々と足を中心に上手にマッサージをしてくれたので安心し、結局、延長して40分お願いした。
 当初、禁煙ルームは用意されていないので「消臭対応をします」と聞かされていたけれど、予約を一日後に移行した時に禁煙ルームに変更してくれた。また、最終日に寝坊をしてしまった折、とにかく午前の授業を終えてお昼休みに戻って来ようと、1時間だけチェックアウトの延長を申し出たところ、延滞料金も請求されず「構いませんので、どうぞごゆっくり」と言って貰えたことは嬉しかった。
 そういった訳で、高知の新阪急ホテルには、個人的に満点近くを差し上げたい。

柔らかいカラダと心になりたい そうしたホテル・ライフもたまにはいい。でも、我が家こそ最も気兼ねない場所である。休日の半分以上は、自宅で猫のようにゴロゴロしていたい。ゴロゴロし過ぎて気分が悪くなる事も度々だが、そういった時間がウィークデイに仕事する私を支えているのである・・・と言えば大げさだけれど、とにかく思い切りゴロゴロする我が家は、安心、安全なプライベート空間として実に重要なのだ。
 
 ところが、先日から自宅マンションが外観補修のために工事をはじめた。現在は、最上階まで見るからに頑丈な足場を組んでいる。用心しなければ、確実に泥棒さん、いらっしゃい状態である。
 
 入居の際に、何時になれば工事をしますと聞かされていたわけではなかったし、いずれ必要なことだろうから避けようはない。ただ、まだ眠っていたい時間帯の工事音、帰宅後に部屋まで充満しているペンキの匂い。何処に置いてもホコリまみれになる自転車、ベランダに干せない洗濯物、気軽に開け放てない窓。場合によれば決して小さくはない生活ストレスに、どう対応せんかと検討中だ。せめて家賃が半分くらいになればいいのにと思うけれど、まずは、そんなことは有り得ない。
 仕方なく、気休めにしばらく出していなかった安価な空気清浄機を最強にして点けっぱなしにしている。多忙さでひっくり返したままの部屋を、片端から片づければ少しずつ気分が晴れることは、経験的に分かっている。分かっているけれども、まだ取りかからずに、うだうだしているのだ。あぁ、うだうだ。あぁ、ごろごろ。



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キミは空を見ているか。 :: 2009/02/21(Sat)

 夕暮れにバスから観る夕空や、夜の素朴な街灯りが好きだ。
 でも、この頃そんなことを少し忘れていた。好きな筈の音楽を聴いても、あまり胸に響いて来なかった。頭のなかが「少しも空っぽでない」状態だったから、かもしれない。

 昨日、卒論発表会と追いコンが同時に終了した。
 我がゼミでは、土壇場になるまで頭を抱えた。前日に、読み上げ原稿のたたき台を具体的に提案しておいた筈なのに、その夜は全く練習もしなかったのだろうか。当日の1時間ほど前にリハーサル原稿を読むのを聞いたときは、絶望的な気分になった。時間も大幅にオーバーだし、何より他人の難解な原稿を、意味も分からずに読んでるかのように呂律が全く回っていない。
 もう何も言わずに、さくさくと原稿を修正して手渡す。『あなたの研究なのだから、よく頭で咀嚼して、絶対に人に伝えるつもりで落ち着いてスピーチすることだけを考えなさい。あと、単語の子音をはっきり発音!』と助言し、後は自助努力に任せた。とは言え、その間にレジュメ印刷を替わってしてやるなど、最後まで実際は相当なる過保護ぶりではあった。
 プロはどんな時も、本番では最低でも80点を取る。アマチュアは火事場の馬鹿力で、時に本番では、普段の120%の実力を発揮するとの話は聞いていたけれど、まさにそのとおり。本番でスピーチする姿は、まるで別人かと思うほど、歯切れ良く自信に満ちたものだった。やれやれ、よほど自分の学会報告のほうが気楽だ。ベテラン教員はきっと百戦錬磨なのだろうけれど、私はまだまだ指導した学生が発表するのを見守るほど、祈るような気持ちになることはない。

 学生も教員も互いの「修羅場」を越えて迎えるその夜の送別会の頃には、正直もう心身消耗も著しい。求められる挨拶は手短に、少しは笑いを取って・・・間違っても綿々と思い出話などしないで、と思っていても、4年生はもうすっかり感傷と感動のまっただ中に居る。4年間を振り返っての涙、涙の感謝の言葉を浴びせられると、もう弱った感情は、ぐらぐらになってしまうのであった。
 ゆうべは、さまざまな想いが過ぎり何だか、なかなか寝付けなかった。

ショートブーツを買ったのは久しぶり。 今日はまた土曜だと言うのに大学に出向く。昨日の発表会に必要だった幾つかの機材類を教務でレンタルしたのだけれど、始まる前の慌ただしさと、終わった直後の会議などに追われまくって、会場となった教室に片づけた機材一色を置いて来てしまったからだ。万が一、盗難などで失われてしまうと責任問題となる。仕方がないのでしぶしぶ出向いて、鍵のかかる研究室に物を引き上げた。
 辛い・しんどい・辛い・しんどいが繰り返されて、「あぁ、よかった・・・」「本当によかった」が時々あり、そしてまた、同じことが何度も繰り返されてゆく。

 来年の今頃、一体自分はどんな気持ちでいるだろうと、久しぶりに研究室を出たあと、キャンパスから夕空を見上げた。すると、ようやく純粋にどこか平和で感傷的な気分がようやく満ちて来るのだった。

 車庫に行く・・・の巻

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旧友再会(高知編) :: 2009/02/18(Wed)

 第二のふるさと高知県へ出張に出る。育児休業を取得して復帰間もない友人に替わって3日間の集中講義に出向いてきた。
 入試シーズン、卒論指導、そのほかにも山のようにすべき事柄を抱えた中で、15コマ分の授業準備も当然大変だったけれど、それ以上に90分授業を×5コマ×3日連続といったスケジュールでこなすには、体力的な消耗は否めなかった。こうして終えて戻って来た今でも、よくぞ途中で倒れるとか、声が出なくなるとか、大きな破綻なく終えられたことと思っている。

 学生たちは、おしなべて真面目で、言われたことに素直に取り組む「素直」を絵に描いたような諸君であった。一日目は、私語一つない教室だったが、中盤の演習形式に入ると、次第に学生たちとも打ち解けはじめ、学生間の交流も深まったようだ。とりわけ数名しかいない男子学生たちによる私のファッション・チェックは日ごと行われた。彼らから出た質問は一つか二つを除けば、すべて私の身につけているものに関してであった。そのあたりが、どうもウチの男子学生たちとは違った。「先生、その洋服はもう春物ですか」「先生、その帽子は上等なんですか」「先生、今日はピンクの帽子ですね。何個持って来たんですか」最終日には、白い帽子についたボンボリを「先生、そのボンボリを取ってみたいんですけど・・・」。どさくさに紛れて、「先生、もう今日はこれで授業やめませんか」・・・などなど。
 それはともかく、情報系に強い理系男子ふたりが、自然と私の助手的な役割を担ってくれるようになった。慣れない広い学内を無駄に右往左往するストレスを少しばかり軽減してくれた。
 授業構成については自分なりの反省点を多々残したが、概ね、途中を端折りつつも、かたちとしては目的まではたどり着くことが出来たかと思う。この経験は、今後のおおいなる糧になるに違いない。

 久しぶりの高知にやって来たという「感慨」は、一日目が終わったあと、激しい疲労のなか真っ白な頭になりながら、夕飯を求めて街を彷徨い歩いている最中に、何の前触れもなく胸に溢れてきた。2年ぶりに歩く帯屋町商店街。同僚と一緒に、よく出向いたとあるお店の看板が目に飛び込んで来た瞬間だった。その瞬間、何か訳の分からない感傷に咄嗟に襲われて、ふいに涙ぐみたくなった。
 大好きだったひろめ市場は相変わらず盛況であった。私は定番のかつおの叩き定食を頂いた。予約席しか空いていなかったけれど、「お客さんが来るまでどうぞ座ってください」と言って座らせて貰った。突然、「せんせーっ!!」と声が聞こえた。なんと、以前勤めていた大学の卒業生であった。結婚したばかりの彼氏も一緒だ。当時、彼女を含めた学生たちがよく冬になると私の暮らす官舎に鍋などをしにやって来たのだ。そのときの学生ーの一人で、唯一私の自宅に泊まって、翌日のお昼ご飯まで食べて帰った人なつこい女子だった。
 そのころから、つき合っている彼の話は、可愛いらしいワルクチも含めて色々と聞かされていたが、多大な危機を乗り越え結婚に至ったのだという。彼らは今、彼女の実家がある九州に暮らしているそうだが、たまたま高知に遊びにやって来たところ、私を目撃してしまったと言うのだから非常にドラマチックな再会である。「先生と私は運命的な繋がりなんですよ!また会いましょう!」と言いながら手を振ってにこやかに二人で立ち去って行った。ほぼ廃人のような顔をしながら食事をしていたような気がするが、この出来事で、私の細胞も一瞬、かなり活性化したかもしれない。
 
 高知での「旧友再会」はまだまだあった。
 3日目のお昼休みには、かつての同僚の友たちが3人ほど集まり、お店を予約しておいてくれたのだ。一人は同世代の女性で、あとの二人は一回り近く離れたおじちゃんたち。ほんの1時間ほどだったけれども、互いに色々と大変な大学の状況や個人的な問題を抱えていることは察せられた。そうしたことは敢えて言葉にせず、変わらない笑顔を確かめ合った私たちだった。
 かつての同僚の女性は、あの後、ご家族に事情が色々あって、「実はしばらく笑っていなかったんだけれど、こんなにおかしくて楽しくて、大笑いしたのは久しぶり」と言って頬を染め、少し瞳が潤ませていた。その顔がとても愛おしかった。彼女独特の可愛らしいユーモアと茶目っ気を絶対に失わせてなるまいと、私を含めおじさんたちの間には、祈るような気持ちが存在していることは確かだった。そういった誰もが抱える、決して明るいだけではないそれぞれの人生の一面を払拭するように、競うように笑顔を見せあいながら優しい時間を過ごした。

 3日目の講義が終わったあとは、果たして関西まで戻れるだろうかと思うほどの疲労感だった。それでも、何とかこうして帰ってきたのだ。高知空港まで、久々にタクシーを利用したけれど、このほどタクシー乗車においては散々嫌な思いをしてきた私には、その運転手は泣けるほどに親切で感じのよい紳士だった。「また、高知においでくださいね」と言ってトランクから荷物を出し、笑顔で見送ってくれた。

まつぼっくりみっけ。 こんなに過酷な集中講義は、もう二度と引き受けまい、と行く前は思っていたけれど、今の私は、時期さえ選んで4日くらいに分ければ、もう少し楽に何とかやり遂げられる気がしている。「一度経験しておく」ことに勝るものはないのだろう。出来るところまで器量をちょっと越えてもやる。ひょっとすると、それが今の自分のテーマかもしれない。今週いっぱいで山場を一つ越えられる見込み。

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缶詰仕事。 :: 2009/02/09(Mon)

 自宅にて、缶詰状態で仕事。

あなたの声が聞きたい。  何処にいようとメールが受信できる昨今は非常に便利だと思う。けれども、何処にいても休日であっても、受信メールの内容に気を配らねばならないこの状態はどうなのだろう。「ネットにも入れないと、ひどく阻害された気持ちになっちゃうんだよね」とは、世界を飛び回る恩師に昨年会った時の言葉。飛行機の上から「今、○○に向かっています」とわざわざメールが届く。
 
 そんな所から書かなくても、着いてから落ち着いて書けばいいじゃないかと思う一方、「私はここにいます」というメッセージを常に送り届けたい人が”何処かにいる”と感じられるのが、生きる証かとも。
 さて、正しい「缶詰仕事」の方法について他愛なく考える。

 1.「私は追い込まれている。もはや猶予はない」などと思って、悲観してはいけない。
   過呼吸で倒れる前に、こうゆうときこそ、へらへらして深呼吸。
 2.よって、生活が全体として殺伐とし過ぎてはいけない。むしろ整然とした部屋で過ごすことが好ましい。
 3.食事は粗食であってもきちんと摂る。お風呂にも入る。洗濯だってする。
 
 4.「気分転換」には、決してテレビを点けたりせずに少しだけ「家事」をする。
   気分転換ごとに部屋がさっぱりしてきて、一挙両得。
 5.お茶などは、敢えてゆったりと淹れる。
 6.逆算して「間に合わないかも。間に合っても、すごくしんどいかも。いやーん!」
   などと思うときは、「だから、なんだ?どうせ皆、死んじゃうんだ」と思う。

 7.次回からは絶対にコンスタントに仕事して、こんな辛い目に遭うのは二度と嫌だと
   感じるなら、でっかい字で書いて机の前に貼っておくべし。
 8.誰かと一緒に頑張ってる「共生感」を持つために、迷惑がられても
   身近な人にこまめに状況を報告
 9.普段は入れなくても紅茶には、お砂糖は多めに。出来れば甘いものと一緒に。

10.気付いたら何時間もパソコンの前に居るのは駄目。45分ごとにネコ並みのノビをする。

  今、マンションが改装工事中である。だから、結構喧しい。朝ゆっくり眠りたいときは腹立たしい。けれども、今日は耳栓一つで一向に気にならない。雨音が遠くに聞こえる。私は今、起きているのか眠っているのか・・・。この世は夢かまぼろしか。 

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インセンティブ :: 2009/02/04(Wed)

 人をある行動に駆り立てる「何か」とは何か。

The Rose & Meg 2008 ファン会報誌の冒頭に寄せた小田さんのツアーを終えての素直なことば達に触れて、再び熱い気持ちが胸いっぱいに広がった。お客さんたちの信じられないくらいのキラキラした笑顔につられて、自分まで微笑んでしまいたくなった、と綴られていた。
 ツアーではおしなべて広い会場にばかり参加した。小田さんが側を通り過ぎるその一瞬に、この精一杯背伸びした私という存在が見えまいが、それでも手を振らずに居られなかった。でも、私たちの「ありがとう」の気持ちは小田さんの心に十分過ぎるくらいに届いていたのだ。だから、彼はまだ完治にほど遠い足のまま、それでも、とうとうステージを駆け抜けた。

 「評価」。あなたは、自分への評価において、何を基準としますか。

 目下、学校では期末試験に替わるレポートを提出させている最中である。その内容を読めば、講義を通じて自分が伝えたかったことが学生らによってどのくらい理解され、咀嚼され、あるいは興味関心が持たれ、彼らの実りとなったのかが判断できる。
 少々語弊をおそれずに申す。どの講義においても、全く一律の授業評価アンケートの項目で、よい点数を取ることを目標にするのは、甚だ本末転倒だと思う。自身が目指している教育目標が、あるいは学生に出会ってから少しずつ変化するはずのそれが、自分が決定のプロセスに関わっていない「誰かの評価基準」によって作られた項目に、知らず知らずにすり替えられていく。
 私は学生らの「目」は疑っていない。「先生の授業は難しかったけど、考えてみなかったことを考える機会になった」とか「とてもわかりやすかったのでまた聞きたい」などと言われたら、私たちは飛び上がるほど嬉しい。そのくらいに単純なのだから、彼らの声は十分に、もっともっと期待に応えるために頑張ろうと動機づけるためのインセンティブになるだろう。疑うべきは、彼らの素直なそれを表出させるための方法だ。

 町のおまわりさんとの交流。

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