風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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夕方のバスとおばあちゃんとチーズケーキ。 :: 2009/04/27(Mon)

 珍しくまだ日も明るいうちにバスに乗って帰宅。夕方近くのバス利用者は、高齢の方がとても多いことが実感できる。にもかかわらず、この時間、低床バスをほとんど見かけない。バスの運転も時間に迫られているのだろう、かなり飛ばして、駅でお客が乗ってきても座り切れないうちに急発車することもしばしばだ。

 若ければ、色々なことに適応は出来るけれども年齢を重ねて来ると、以前出来たこともままならなくなるのは誰もが同じだ。
 ちょうど後ろのドア付近あたりの座席で、日光を避けながら一人でゆったり音楽を聴きながら座っていると、年配の女性が乗ってきた。三段もある高い階段を上るのが大変そうだったので無意識にイヤホンを取って手をさしのべる準備をした。おばあさんは、乗車カードを手に握りしめて居たけれど、それがうまく機械に通せずにいるようだった。そんな状況にはまるで関係なく扉は乱暴に閉まり、バスは発車してしまった。手すりを握り締めたまま、おばあさんは不安そうに私に「これ、ここに入れるんで、ええんですわな?」と聞いた。初めて見たけれど、高齢者女性向きのバス乗車カードのようだ。でも、もう駅を出てしまったので機械に入らないのだ。「もう発車しちゃったから、あとで運転手さんに言ってみるといいですよ」と声をかけると、「そうか、おおきにな」と言って前のほうに座った。

 このおばあさんが、終点に到着すると今度はお金の支払いでまた運転手の隣で立ち往生してしまったらしい。乗客たちはおばあさんを追い抜いて降りてゆく。運転手が何やら声を荒げている。「あー!もう、また、そんなしたらあかんやんか」などと言っている。
 私はおばあさんのそばまで小走りに近寄った。乗るときにスキャンしていないのに、そのカードを無理に通そうとしたようだ。とは言え、私は運転手の男がこれ以上、彼女に偉そうな態度を取れば、持っていた日傘の柄で後ろからゴツンとこづいてやろうと半ば本気で思いながら、「270円をここに入れたらいいんですよね?」と言って、500円を両替したものの、焦るあまり、少し混乱している彼女の手から、「・・・百円、二百円、それから五十円と十円玉ふたつ、はいっ。」とお金を一緒に数えながら運転手の目の前で入れた。

 バスを降りるなり、「おねえちゃんや!」と大きな声をかけられた。
 「いま、21年か?」
 「あっ、はいはい、そうですね。平成21年です(今、何年だっけ?って父もよく聞くなぁ)」
 「はぁ、そーかぁ・・・このカード、20年って書いておったわ。間違ごうたわ。すまんなぁ」
 「いえいえ、そのくらい誰でも間違えますよ(私だって時々わからなくなる)お気をつけて!」
 「おおきに、おおきにな」

 それは実に、湿気のないからりとした声であった。
 おばあちゃん、それでよろし。別にゆっくりでよろし。まわりの人に助けて貰ったらよろし。

明日きっとまたここで。 帰宅してから何気なく、評判のチーズケーキを売る近所のレストランのHPを見ていた。お店まで夕方出かけようかな、と思いながら。チーズケーキは楽天でも買えるようだ。これは美味しそうだなぁ。でも、こんなに沢山ひとりで食べられないし・・・と思った自分は、なぜか『今度おばあちゃんちに持って行って・・・』とほんの一瞬思いかけた。あぁ、そっか。もう居なくなっちゃったんだった。そう思うと、あんなにも大往生してくれたのに急にとても寂しくなるのだった。

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アイのために :: 2009/04/22(Wed)

目下、たいへんな経済発展の時期にある中国。そんなお国から留学してきた大学院生・男子とゼミ。非常に温和そうに見える彼だけれども、その野望は「日本で学んだことを国に帰ってビジネスに活かす!」だそうだ。しかも、先日、私と話していて、にわかに思いついた事らしい。まるで計画性と言うものを欠いているようだけれど、中国青年の大半は、そんな風に根拠がなくとも大志を抱くのが当然なのだそうだ。
 
 その、将来期待に対する大胆さは、きっと今の日本人男子にはあまり見られない特徴だろう。平成を生きる男子の多くは、日本の将来にさほど期待していないので「将来、お金もちになる」とか「将来、有名なる」とか、そういう分かりやすいものから離れた独自の価値観(ある意味で、狭い親密世界のなかで)において満足する方法を模索中だと示すデータもあるよ・・・という話題で彼と雑談をしていた。
 
 ところで、彼が知っている日本人タレントや芸能人は、スマップ(なかでもキムタク)、山ピー、堀北まきちゃんであった。キムタクと山ピーに見る「男性性」における微妙な違いと、より若年の平成を生きる男子のお手本は、どちらかと言えば、キムタクみたいにわかりやすいカッコ良さとは一線と画した、繊細さ、女性性、ニュアンス性を持っているように”見える”男、山ピーだという『説』を、その前髪の特徴も付け加えながら独自の考えを加えて説明する(実際、彼がどういった男性なのかは当然、私は知らない)。本当はオダギリジョーも例に挙げたかったが、彼のことは知らないそうだ。でも、律儀にメモをとっていた。
 
 実は先日、こたつに寝転びながら1時間程度でその手の本を読んじゃったのだ(『平成男子図鑑』)。貸してくれたのは、私よりも一回り以上はなれた女性教員。おそらく「あたしは読む気がしないけれど、あなた読んだら適当に解説してちょーだいね」というメタ・メッセージと受け取った。そこに書いてあったことの真偽は定かではないが、現代日本青年の象徴としてはなんとなくそうかなと思えたし、中国人の彼にも意外とあっさり伝わってしまった。
 
 「○○君の周りの日本人男子たちって、あまりガツガツして見えないんじゃない??」と聞いてみると「がつがつ」の意味を電子辞書で調べていた彼。そして意味を知るなり「あーーぁ(納得の声)、そう言えば、ちょっと、なよなよしてると思います。眉毛も女性のように整っています」と穏便に笑った。”ガツガツ”より先に”なよなよ”の意味を覚えていることが面白い。

 そう言えば、ゆうべテレビで観た「アカペラ甲子園」でも女子よりも、男子のほうが歌い終わった途端に手放しで涙していた気がする。別段、男子が泣いたって構わない。今はおじさんだってとても容易く泣く。「涙」はメディアが提供する一番のエンターテイメントでもある。

sakura2009 ところで、彼には母国で同級生だったしっかり者なカノジョがいて、日本内で遠距離恋愛中だそうだ。ある男性の先生に「きみは、あれだね。アイのために留学したんだね(笑)」と言われていると照れくさそうに報告してくれた。彼のことを見ていると、何か不思議な感じがする。そう、ちょうど私が大学生くらいだった頃の同級生男子を見ているそんな感じがするのだ。 


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見知らぬ町で。 :: 2009/04/18(Sat)

 大学院の出張講義に出向く。それなりの成果は出せたような気がするものの、朝から夕方まで続くと、さすがに終わるころには目が回り足元もがくがくに。

 自宅のある最寄駅まで電車で1時間ほど。ホームで特急列車を待っている間、お隣に座っているおばあちゃまが、何故かしらずっと、私のほうを見ていらっしゃる。おばあちゃまと言ってもひょっとすると母より少し上くらい、かもしれないけれど。
 知らない人に話しかけられることは珍しくない。中高年女性を中心に、いとも気易く声をかけられる。この方もそうかな?と思っていたら案の定、「・・・なかなか暖かくならへんねぇ?」と親しげに話しかけて来られた。実は、私は延々と力の限りを尽くして来た後だったので、少し体が熱を帯びていたけれど、「あぁ、そうですよねぇ」と答えてにっこりした。
 そのあとは黙っていたけれど、おばあちゃんはまだ私の横顔をじーーっと見ている。それで、「どちらまでお帰りですか?」とこちらから話しかけた。すると、嬉しそうに「○○までよ。あんたは?」と聞かれたので、何処まで帰りますと答えた。それからぽつり、ぽつりと短い世間話をしていると、おばあちゃんの息子さんが私の務める大学をずっとずっと前に卒業したことがわかった。
 「あぁ、そうですか。とってもご縁がありますねぇ」と私が言うと、さきほどより、さらににっこりと微笑んだ。

1年前の春。  やがて彼女が乗る電車が入ってきた。私がペコリとお辞儀をすると「ありがとうなぁ」と言って電車に乗り、発車するまでずっとこっちを見て微笑ながら手を振ってくれた。可愛い方だった。見知らぬ町が、急に「おばあちゃんとお話した町」になった。疲れ果てて、帰るのさえ放棄したいくらいに思っていたけれど、どことなく清い気持ちになったので何とか無事に自宅まで戻ってこられた。
 一年前の春。
 


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君を守りたい? :: 2009/04/16(Thu)

 春という季節は、あまり得意ではない。新しいことに次々順応していくストレスが、知らず知らずに蓄積される。毎日、微妙な気温で着るものにだって困る。それでも桜が散ってしまうころには、ようやく新しい日々、新しい人々、移ろう気ままな気温、増殖していく新しい仕事への「適応」準備が気持ちとして何とか整っていく感じ。

 先日、廊下を歩いていると、この春から配属となった我がゼミ生の一人が私の前を、ヒールの靴をかつんかつんと音を立てながら携帯で話しながら歩いていた。かたつむり程度の速度で。「あっ、○○ちゃん?あたし、ソフトクリームが食べたい!」と、相手が出たと思われた瞬間に、前後の脈絡なくきっぱり宣言していた。最近、学食に一台だけ「ソフトクリーム・マシーン」が導入され、セルフ・サービスでグルグルできるらしい。
 初日のゼミが終わろうとするときも、「このあと、学食で、ソフトクリーム食べよーやぁ。あ、先生、学食にあるんですよ?先生もやってみてください(なぜか学生が経験することはおしなべて全てお勧めされる私)」とか、「でも、○○ちゃん、カップにアイス乗せるの下手くそやん。上手いって言うわりには」などと子犬同士のようにじゃれあっていた。うららかな日常に、つい、おばあちゃんになったように目を細め、密かに彼女らを「ソフトクリーム星人」と名付けた。

 歌手の絢香ちゃんと俳優の水嶋ヒロ 君の結婚会見。
 女子学生諸君が「ミズシマヒロええよなー!あの会見、かっこよかったなぁ」としきりに言っていた。「先生も観たほうがいいですよ、ユーチューブで!(またですか)」とまで言われたので、右目の機能に問題を抱えつつも、まじめに観た。やや退屈で、途中眠くなりつつも、学生らの結婚をめぐる価値観を図り知るために必要だと思って最後まで観たのであった。
 いったい、どのあたりが女子学生らの琴線に触れたのだろうか。そうそう。「彼女を守りたいと思います!ってアレがええよなぁ」と言っていたっけ。その話を、たまたま、学内で重要な役職をいくつも経験し、プライベートでも「子育てと孫育てまで終えた」女性教員に告げると、「守りたいって?(笑)そぉ~んなの口だけよ!(笑)」と説明が終わる前に、ばっさりなのであった。さらに「”守りたい”って、口だけでも最近の男は言わないんでしょうね」と男性達に対する容赦ない追撃に笑ってしまった。
 個人的には、類稀な歌手としての才能を持ち、日本の音楽シーンを背負って立つ逸材のひとりだと勝手に期待していた綾香ちゃんには、是非、今後も病気と向き合いながらも(上手に共存しながらも)その才能を近い未来に開花させながら生きて行ってもらいたい。
 
 一方、うちの”ソフトクリーム星人”たちはと言えば、実は案外しっかり者である。思うに、「何々が食べたい」とキッパリ宣言する女性って芯が強い気がする。もちろん根拠は何もないけれど。今度、男子に「君を守りたい!」と告白されたらどう思うか、ちょっと聞いてみようかな。
 「自分がヒロ君でないことをわかっていない気がする」などと冷静に言うような気がしてならない。

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ホトケの私。 :: 2009/04/10(Fri)

 先日、遅くに食堂から出て来たところを、ちょっと体の大きな男子学生に大声で呼び止められた。ん?と思っていると、「先生!!○○の授業、単位をくださって、ありがとうございました!」といかにも仰々しく頭をさげて拝み倒された。彼は昨年度、私の講義を受講していた学生だ。出席率は悪かったのでどうしようかなぁと思っていたけれど、ひとまずレポート内容を考慮してから単位認定を検討すると本人に告げていた。来ない割には人懐こい学生で、何故かほかにも私の講義をいくつか取っていた。「あの人はちょろい」と思ってなめているのかもしれない。真偽はともかく結果として、合格に必要な最低限の点数をつけて単位を授けたのだった。

 私は基本的に、もの凄く高い点数を付けることは滅多にないけれど、余程でなければ落第させることも少ない(現在のところ)。論外はある。1度も出席していないとか、それにもかかわらず「卒業がかかっています」との嘆願を添えてレポート提出だけあるとか。そういう学生はどう考えているのか知らないけれど「落第」というより「評価不可能」な人々に属する。50点とか80点とかそういう点数でなく、「999」(非該当)と記入される人。
 
 私がまだ学生だった頃、自宅に、とある芸能人のファンを名乗る女の子から、父に宛てて電話がかかってきた。彼女は当時、テレビで活躍しはじめた男性タレントのファンだった。父は、非常勤講師として彼が在籍する大学に赴いていた。そのファンの女子はこう言ったらしい。『○○君は芸能界で将来が期待されている星なのです。芸能界は忙しくて先生の授業にはあまり行けませんでした。でも、何とか大学を卒業できるように先生、彼に単位をください!』
 もちろん、父はすっぱり落とした。「誰だ?(彼の顔も把握していない父)何を言ってるのさっぱりわからないよ。仕事を優先するなら大学をやめるべきじゃないか」とまで言いながら。近頃、あまり見なくなったけれど、時折、その顔をテレビで見かける事があると、この一件を思い出す。「あぁ、この人、単位落とした人だな」と、いちいち思ってしまうわけだ。

めぐちんを探せ。 話は戻り、深々と頭を下げてお礼を言ってくれた彼はのたまう。
 「でも、先生聞いてくださいよ~。せっかく先生が単位をくれたのに、K先生の講義はめっちゃめちゃ落とされたんすよぉ。ボク、正直、先生のレポートよりK先生のやつのほうが頑張ったのにぃ」
 この一言で、一瞬、彼の単位を剥奪してやりたい欲求に駆られるであった。
 かく言う私も学生のころ、「ホトケのヤギ」と呼ばれた宗教の先生の講義にちっとも真面目に行かず、にもかかわらず、その神の御心により単位を頂いた口だった・・・(反省)。

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おつながり、してください。 :: 2009/04/10(Fri)

白い存在の私。 一連の新入生研修やら、嵐のようなガイダンス、歓迎会の類もひととおり終了。来週からは履修登録も終わり、本格的に授業も展開せねばならぬ。そんななか、このごろの自分ときたら、たとえば「コンビニでおやつにチキンを買ったのに、どこにも入っていなかった」程度から、「さんりゅう腫がが自然治癒するには、数ヶ月単位で気長に待ちましょう」と眼科に宣告されるくらいの、ささやかな不運にちょっとずつ足元をすくわれ、でこぼこ道を散策中。
 数日前には、デスクトップパソコンが故障。使い慣れたノートまでご機嫌斜め。
 
 ちょうど保障期間延長を促すかのようで、タイミングが良すぎるのではと疑義を感じつつも、仕方なく新しいハードディスクを送ってもらうことにする。自分で交換し、OSやドライバなどの再インストール。どれひとつ取っても一度も自ら試した経験なし。おそらく手馴れた人にとってはまったく石もない場所で、け躓いている人にしか見えないのだろうけれど、予想していた以上に漏れなく端から躓つく。
 サポートセンターの中国人女性たちも、きっと何度も聞き返されたりすると、さぞかしうんざりすることだろう。しかし、こちらも4度め、5度めとなると、正直、自分を含めて全てに疲弊しているのだ。「ファクスで資料を送ります?さきほど大量に送っていただいた後、ちょうどインクが切れになったんです。いま、電話口で教えてくれませんか」と懇願する。これには若干、逆切れ気味に対応されたため「消費者は決して神様ではございません。はい、本気でそう思っています」という態度を一生懸命に示し、次第に向こうも本来の接客態度に懐柔。言われたとおりにドライバのインストールまでを終える。
 その後、超文系的try&errorを繰り返し、メールは自宅・職場、いずれのアドレスを使っても送受信が可能になる。以前、自宅から職場へ送信するときに感じていた問題点も、なーんだ、そんなことだったのかと解決した。なんでも一度だけやっておけば、後は勘が働くと言うものだ。

 「0と1の間の違いは天と地ほど大きい」。本日の教訓。
 
 それにしても”DELL”のサポートセンターが中国にあることは知らなかった。日本人より安い賃金なのだろうけれど、彼らは知識も豊富で日本語もたいへん上手だ。先日、ある同僚の先生に、『外国語は母語のレベルは超えない。つまり母語の国語力は非常に重要』と教わったことを考えると、本当によく勉強をしている優秀な人材なのだろうなと思う。ただ、アクセントが微妙に異なるので聞き取りにくいのは確かだけれど、明らかに不遜な態度の日本人スタッフと話しているよりはずっと良い。
 一方、具体的なサポートをしながら日本語を流暢に話すスタッフに比べて、最初に電話に出る受付係(男性)は、やや日本語が不得手らしく「センターにお繋ぎします」と言えない。
 自身も、ちょっと違和感を抱えている様子で、「センターにおつながり、します」
 ためしにもう一度言い直してみる彼だが、やはり、「おつながり、しま・・す(ん?)」。
 
 ええ、ええ。どれもこれも、確かに私の問題ですからね。どうぞ、おつながり、してください。

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地球は今日も回る。 :: 2009/04/05(Sun)

 4度目の眼科に。飲み薬に目薬。どれも効果がなく、段々大きくなっていく。 「ものもらい」だと思っていたら、霰粒腫(さんりゅうしゅ)と呼ばれる「しこり」状のものが感染によって炎症を起こしているとのこと。面倒くさいことを避けるために、痛みを感じて3日目にはすぐに病院に行ったのに、症状はあまりにものんびりと緩やかに確実に進行した。

右目は見せられません。 先日は、腫れが引くのを待ってから、必要箇所だけ切り取るとの話だったけれど、その腫れは一向に引かない。今日、段々と白っぽい芯のようなものが現れてきたので再び行くと、「自然治癒の傾向が出てきていますね。このまま治る可能性が高いですよ」とのこと。先生としても出来るだけ切らずに済ませたいようだ。あまりに大きく切ると瞼の形が変わる可能性もあるとか、ないとか。こうしたブルーな状況はもう半月も続いている。
 ところで、駅前の眼科はどうやら父娘で開業しているらしく、父親が院長先生、多分娘さんが副院長さんだ。私はその女医さんの方に診て貰っている。

 病状は脇に置くとして、個人的に彼女の丁寧な診察と、誠実そうな物腰、知的でそれでいて優しい話し方には好感を抱いている。柔和だけれど、知的さを感じる要素は、選ぶ言葉もしかり、きっぱりと言い切る語尾にある。
 金曜に出向いた時、先生には「私は今日すぐに切ることには躊躇します。もうワンクッション置かせてください。腫れが引いてから出来るだけ切る部分は最小にしましょう」ときっぱり優しく言われる。すぐに処置して貰えないのは残念だけれど、もっともだ。
 でも、刻々と悪化していくように見える患部が結構なストレスで夜もよく眠れず、3日も待たずに出向いた私。「度々すみません。お薬を飲んでいても、この段々大きくなる白いのが気になってしまって」と相談する。そうすると、親身な様子で「私もあれから気にしていまして、院長に相談しました。先日は、このことを申し上げなくてごめんなさいね。」と言いながら、白い芯が出来て来るのは治癒傾向にあってよい方向だと説明をしてくれた。院長が患部の写真を見て、やがてそうなるのではないかと助言したそうだ。
 
 で、私は勝手に父娘の様子を想像する。
 娘 「ねぇ、お父さん。今日看た患者さんで、一向に治らないって方が来られたのよ。女性でね。この写真だけれど、どう思う?私、こんなに大きく切るのいやだから、腫れが引くまで様子見させてって言ったんだけど」
 父 「ははぁん。しかし、あれだな。こんなにパンパンに腫れてたら、そのうち白い芯が出てきて勝手に破れるかもしれんぞ。まぁ、必要なときは私が処置しよう」
 娘 「よかった。私、ちょっとコワイのよ、女の人だし・・・後から瞼の形変わったりするとね。ご本人も、そういうこと当然、気にされてたし。じゃ、切るなら院長がって言うわね。いい?」
 父 「そうしなさい」
 こんな具合に、娘とパパの会話が繰り広げられたのではないかと。
 
 いずれにせよ、当面は、会う人ごとに「右目、見た目が気持ちわるくてごめんなさいね。治療中なんです」と言わねばなるまい。いちいち弁明が面倒くさいときは眼帯をするしかないけれど、それもまた説明材料に変わりないだろう。

 何はともあれ、今年もお城付近の桜は綺麗に咲いていた。
 人間たちは海にミサイルを撃ち込んだりして野蛮なことをしているが、今日も地球は無事に回っている。そういうことなのだ。

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