風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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文化交流。 :: 2009/05/27(Wed)

 院生ゼミ。中国からの留学生青年に、関西における「ボケ」と「ツッコミ」を教える。もちろん、教えてくれなどとは一言も言われてはいないが、日中比較の論文の内容と彼自身がお国の人として生きている現実とのささいなギャップに関する言及は非常に示唆に富み、実際のところ、半分くらいはこちらが教えて頂いているといった実感。
 それで、お礼と言っては何だが、日本の関西圏で生きていくための処世術を伝授しようと思った。

 「ボケ」とは、おもしろ可笑しくトボケるの意味である。そのメタメッセージとしては「私を構ってください」である。「つっこみ」とはすなわち、そうした関西人特有の承認欲求に対しておおいに貢献する「人類愛」である。基本は「なんでやねーん」と言っておればよい。かなり頻度の高い言葉ではあるが、黙られるのが一番彼らには堪える仕打ちなので、言わないよりはマシである。

ハミングしているのは何でしょう♪ 実例を示そう。以下は、ボケにたいしてボケで応え、さらに周囲にツッコミをさせる高尚な手段である。私が廊下を歩いている。むこうから知り合いの男子学生がやってくる。私は窓からさんさんと降り注ぐ紫外線を避けるようにして目を細め、手の平を窓側にかざして歩いている。その手の隙間から男子学生が、わざわざこちらの顔をのぞき込み、「せんせー、そんなにこのオレが眩しいんすか?!」と嬉しそうに聞jく。ここで愛ある関西人は「そんなわけないじゃん」と冷たくあしらってはならない。「そやねん。○○君がイケメン過ぎて目が開けてられへんくらいにまぶし過ぎるわ!」と言ってあげる。

 ○○君は嬉しくて身もだえる。身もだえる理由は、「イケメン」と言われたからではなく、ボケに乗って来られたその事実にある。さらに、彼に同伴している友人が「せんせい、ほんまのこと言ったってください。ほんまは、コイツのデコ(額)がテカって眩しいすよね!?」とつっこむ。
 といったような一連の話をしてあげた後に、「どう?よくわかったかな?」と聞いてみると、留学生の彼、しばし考えて曰く。

 『わっかれへんわ!』
 よし、今日のメインのレクチャーは完璧や。

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ちょっぴり違うくらいでいいの。 :: 2009/05/25(Mon)

 とある公立中学が近年著しい志願者離れを食い止めるために、従来、「私服」を認めていたその学校で「制服」の導入を検討中だそうだ。たしかに目下、制服は若い女の子たちのファッションの一部のようだ。私服が認められている学校でも、わざわざ制服を着たり、休日に街をぶらぶらするにもお気に入りの制服を着る若者も多いらしい。「カワイイ制服」に憧れて入学を志願する生徒たちは多いらしく、志願者増を目指すならばその効果はかなり大きいとのこと。

 こうしたニュースはなかなか興味深い。ニホンジンの若者は結局のところ個性よりも「同調性」を目指す方向に回帰していると言ってしまうと、ちょっと紋切り型すぎるかもしれない。当人たちがどのくらい自覚しているのかは知らないけれど、制服のように皆が同じデザインのものを着るほうが案外、その着こなしには大いなる差異が生じるものではないか、と私は個人的に思う。ただ、彼女たちが差異化をはかりたいと考えるのは、自分という「個人」と隣に同じクラスにいる女友達という「個人」の間ではなく、ほとんどの場合「オトナ」との差別化であろうと。10代の白書のようなものを読むと、『オトナになんか、なりたくない。一生子供でいたい』と考える子たちが断然多い。
 制服の着用については、学校内の規定で、たてまえ上は、スカートの膝下は何センチ程度で短すぎてはいけないだの、無用な腕まくりはいけないだのと、あれこれ「決めごと」が作られるものだろう。しかし、彼女らは端からそうした規則などを律儀に守る気などなく、そこを「適度にすり抜けておしゃれする」ことが楽しくて仕方がないのだと思う。そうやって「こうしなさい」と大上段に「枠組み」を示してくれるからこそ、そこからの、ほんのちょっとの”逸脱”に自分のささやかな個性を感じられる。たとえ皆が同じ方法で、同じ程度の逸脱をしていても。だからこそ完全自由化、「どんな服を着てもいいよ」と言われたらきっと呆然としてしまうのだろう。多様なモノからたった一つなんて選べない。
 心の何処かで大きなものに枠づけられること、何かに所属していることを望み、見かけ上のスタイルとしては、そこから本気で脱却せずとも小さくレジスタンス。そのくらいのさじ加減を、たぶん、おそらく、想像するに「オシャレ」と呼ぶ。これが現在の制服大好き文化の基盤かと考える。

小雨が降っていた日。 昨年、私は戸籍上の性別と、主観的なジェンダー・アイデンティティが食い違っている学生と仲良くなる機会があった。彼らのような人々の存在を考えると、学校はお客さん確保のエサに制服導入うんぬんを考える以前に、男はズボン、女はスカートという二分法はもういい加減やめるべきなのだ。もっとも、かなり以前に、女子もズボンを履いてよいというシステムにしたけれど定着しなかったとの新聞記事を読んだけれど、それは、結局のところ周囲からの規範的認知を超えられなかったという現実ではなかろうか。
 制服とおしゃれについて書こうと思ったけれど、思わぬ方向に筆が走る月曜日の夜。

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心の傘を。 :: 2009/05/22(Fri)

 関西圏の学校は、もう何処も軒並み休校だらけのさなか、我が大学でも検討はされたと噂に聞いたけれど、異例の休校措置なし。感染者が出ている訳ではない。むやみに休講にすると、結局後から授業の穴埋めに奔走する負担も案外大きいので無理に休講にせずともよい。実際、お山のてっぺんにある我が校の4階で、窓を開け放ち、午前中に授業をしていると、さわさわと5月の風が教室を吹き抜け、まだ何処か眠気眼な学生たちの耳には、遠くの空からカラスの「かぁ~・・・。かぁ~・・・。」という鳴き声が、のどかにこだまする。下界における小さな「マスク・パニック」はまるで夢物語のようでもある。

 けれども、この週末に「京都」である学会が開催されるのだ。きっと学会自体が取りやめを決めるだろうと思っていたら、意外なことにこの時期に至っても強行突破の姿勢を崩していない。学会会場はK大学だけれど、同志社・立命と次々に府の休校要請に対応するなか、なぜだか頑なにK大だけは「今日も授業は通常どおりです」との告知がHPに掲げられている。
 今回は自分が登壇するわけでもないので、この時期にわざわざ行くべきではないかもしれない。でも、開催されるからには聞いておきたい報告もないではない。軽いジレンマの真っ最中だ。K大には、お上の言いなりになどなるものか、といったような反骨精神でもあるのだろうか。このようなややこしい時だ。完全に取りやめを決めてくれたら、すっきりした気分でこの週末は別の仕事にかかれるのに。

白い壁はペンキ塗り立て。  日中、曇り空からぽつぽつと雨粒が落ちてくる。お昼ご飯を買いに出た折り、「あ、雨降ってきたぁ・・。俺、傘持ってへんのに~」とつぶやく男子学生の傍らで友人らしき子が「俺も持ってへん。でもな、心の傘ならかしたるで~!」と明るくでっかい声で答えていた。おそらく周囲は「心の傘ってどないやねん。。。」と、それこそ心のハリセンでつっこんでいたに違いなし。
 
 平静が保たれているというべきか、いささか警戒心が足りないと言うべきかよく分からないけれど、本日も、一応は平和な我が校の風景なのだった。

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君はポールを知っているか。 :: 2009/05/19(Tue)

 私は大阪育ち。でも、「ポールウィンナー」の存在を知らなかった。

 先日、TVのケンミンショーが採り上げたため、大阪人なら誰でも知っていて当然だと視聴者は刷り込まれたかと思うのだけれど、それこそステレオタイプと言うものです。私が知っているのは似た形状をした生協の魚肉ソーセージ。高校の頃は、朝食によく食べた。表面を少し焼いてからバタートーストにのせ、マヨネーズをつけるのが定番だった。冷蔵庫にあればおやつにもパクパク食べた。爪楊枝一本で器用に剥くことができた。
 母は私が子供時代、口に入れるものにとてもこだわっていた。幼少期は、母の手作りおやつしか食べる機会がなかった。クッキー(ピーナッツが入っているのが定番)、マドレーヌ(ミルクとの相性抜群)、コーヒーケーキ、ミルクプリンにコーヒーゼリー、アイスクリームやシャーベット。それは、それで全部大好きだった。一方、小学校にあがるとと、友達がおこづかいで買うことができる10円や20円の駄菓子がとってもうらやましかった。気のいい友達が少し分けてくれたのが確か「うまい棒」などのジャンクなお菓子だったと思うけれど、「おいしー!」と正直思ったものだ。ほかにもこうしたカルチャーショックの経験は事欠かない。
 我が家には当然のように「たこ焼き器」があった。もちろん外でも買えたけれど、「買い食い」は禁じられていた。小学校の高学年くらいになると、夜の星の観察が宿題になる。クラスの友達数人と連れだって夜空の観察に行く。結局「オリオン座」しかわからない辺りがミソなのだけれど、やがて誰かがいつのまにか、そのあたりの屋台で「たこ焼き」などを買ってくるのだ。皆に一個ずつ分けてくれたりする。私はその熱々でソースやマヨネーズがどっっさりかかった「わかりやすい」味にほとんど感動した。
 
 私が成人以前に唯一覚えている家族旅行は島根県と鳥取県の境目あたりにあるところまで出向いた海水浴だ。そこで初めて食べたのが缶詰の「ポテトサラダ」。母が作ったものはニンジンなどが十分に潰されずに入っていて、いかにも「お野菜」だった。幼稚園時の私は、お弁当に入れられた人参を「あのね、たべようとおもったら、ぽとってしたにおちたの」と母に報告していたっけ。今では、その素朴な優しい味のポテトサラダが大好きなのに、当時はたぶん人参のせいで、それほどでもなかった。ところで、缶詰のポテトサラダを一口食べた私はほどんど衝撃を受けたと言っても過言でない。まるで違う食べ物に思われたほどだ。化学調味料がいっぱい使ってあるそれを私は「うそー、これ、おいしー!」と思って食べた。
 その旅では、朝はまだ真っ暗なうちに家を出て行くのが常だった。極端にわくわくして全然車内でも眠れなかった。日頃、飲み慣れないサイダーなどを買って貰えた。結果、ひどい車酔いをしたので私は今でも炭酸飲料は好んで飲まない。
 そんな風にして海に着くと、なぜだか規範やルールという日常の色々なボーダーがとても曖昧になった。私は一度、誰も見ていないところで溺れかけ、誰も助けてくれないので自力で生還したことがあった。砂浜をかけ戻り、「ねっ!ねっ!さっき、おぼれかけたんだってば!!」と言っても大人たちは和やかにパラソルの下で「あら、そうなの?」と笑っていた。普段と変わりないのは父だけで、皆がひととり遊んだあとにようやく旅館からむっくりと起きてきて、おもむろに浮き輪をつけると沖のほうまでゆっくりと進んでいき、しばらくぷかぷかと夕刻迫る海に浮かんでいた。あのころ、夕方近いグレーな海色にまるでなじまない父の真っ黄色のチューリップハットは、ものすごくシュールに感じられたものだ。

ギターを持っているひと ポールウィンナーからチューリップハットに飛躍したけれど、先日やって来たさとさんが「ぽーる、ぽーる、ぽーるを買うぜ!」と意気込んでいたのでスーパーで一袋買ってみた。「398円(も)するよ?」と私が言うと「やっすいじゃん!一本40円もしないんだぜ」と生き生きと応戦していた。おみやげに持って帰ろうとまで言っていたくせに、1本食べたら「もう、いいかな」と言う。冷蔵庫にはまだ10本も残っているんだぞ、と思いながら、朝はスクランブルエッグに2本投入。帰る頃には「おみやげには、やっぱいいや」と言って置き去りにされたポール君・・・。

 あれを是非一度食べてみたいと思った日本国民の皆さん。別段、想像を超えない味です。あしからず。ちなみに、私は別に嫌いじゃないですよ。
 それにしても、人間は「機会」が与えられても苦手なものは苦手なままなんだな、と思う今日このごろ。私はちっとも泳ぐのが上手にならなかったし、真っ黒に日焼けしていたのに紫外線は大嫌いに育ち、食事だって健康食を追求するほどでもない。でも、このごろ「梅干し」と「十六穀ごはん」はじめました。

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青春は何度でも。 :: 2009/05/17(Sun)

 引き出しを整理していたら、友人と旅行中だった母から届いた一枚の葉書が出てきた。消印は1998年5月24日と刻印されているように見える。母は昔から、とにかく文章を書くのが苦手らしく、お礼状一筆にも四苦八苦していたらしい。当時、母の葉書を読んだときは、「お母さんたら、実況中継ばかり書いてる!(笑)」と思って笑った私だけれど、いま読むとちょっと懐かしい。内容的には何を伝えたいのかよくわからんのだが、ともかく、あらゆる物事が新鮮に映っているという雰囲気、非日常な旅の喜びは”そこはかとなく”感じられる。母の北欧旅行はこのあたりから数年続いたのだった。その頃は祖母もまだ元気だった。
 これら一連の旅は、「何かのトラブルで駅で野宿しちゃったの!」なんてハプニングを含め、今なお、キラキラした思い出に違いない。初めてお友達と二人きりで長旅をしてきた後は、おおよそ1年くらいにわたって、事あるごとにあのとき、あんなことがあってこんなことがあってと頬を染めて楽しそうに話していたことを思い出す。

 『お元気ですか。
 ストックホルムの今朝の気温は5度です。
 日中は10度以上にはなりますが、しっかりコートを着て出歩いています。
 初めて利用したフィンランド空港は、フライト時間がほかよりも2時間ほど短く、
 ヘルシンキの乗り継ぎもスムーズで快適でした。
 
 空港からエアバスでさらに59番市バスでYさんのアパートにつきました。
 市バスは入り口が広く大きな乳母車も乗れるようになっています。
 時差のせいで早く目覚め、日没が遅いので、夜コンサートにお散歩に出向くのが当然。
 眠る時間が短く頭がぼーっとしています。
 
 今晩、寝台車でデンマークに行きます。6人部屋しか取れず、やや不安です。
 それでは家のこと。お父さんと仲良くして、よろしくね。 
 追伸 めーちゃんのブレスレット買いました。』

 母の字は昔から変わらない。そして、どうしてなのか、私の字とそっくりだ。
 私がもっとも記憶しているのは、母からの一通の「置手紙」。学生の頃、冬にいつも合唱の定期演奏会をしていたのだけれど、当然毎年、毎回、母は楽しみに観にやってきた。私の衣装製作の担当者でもあった。そういう一連の出来事と経験を含めて、母は「自分の娘時代の追体験」と呼ぶ。

ずっと、ボーイッシュだった私。 それは、確か学生最後の定演を終えた翌日、自宅に帰ったときのこと。そのとき、母はたまたま不在で、テーブルの上に、置手紙があった。 『めーちゃん、おかえりなさい。昨日の演奏会、とてもよかったわよ!めーちゃんが指揮した演奏が一番よかったと思うわ』そのあとに、作ってあるおにぎりを食べよとか、そんなことが書いてあったと思う。
 
 私はその置手紙の文字も何度も目で辿りながら、おにぎりをもぐもぐほお張った。これまた私と、それから母も加わっていた懐かしき「青春時代」のお話。 

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ローカル線に乗って。 :: 2009/05/13(Wed)

 昨年7月、体調を大きく崩した。少し自分の体力を過信したのかもしれない。授業は度々休講にするわけにいかないし、とにかく治癒せねばとの想い、最終的には誰でもいいから、この苦しさを解消して欲しいとの気持ちで、内科~胃腸科~婦人科~心療内科、片端から病院を巡回した。
 婦人科には、不正出血があったのを機に行く気になった。女医さんのいる病院をわざわざ探して行った。そのときに、今から約4年近く前に手術して摘出した「卵巣のう腫」がまた小さく再発していることを聞かされたのだった。
 けれども、腫れはさほど大きい訳でない。今は経過観察で十分、最初は数ヶ月後に、そのあとは半年ごとくらいにチェックしておきましょうと言われた。けれども、結局、このたび、一年近くも検査を延ばしての再検診であった。結果は幸いにも、昨年とのう腫の大きさは変わらず。少々右側の下腹部が腫れていような自覚症状があったので、もしや「大きくなっている」と言われることも多少覚悟したが、「その症状は腸だと思うわよ」との所見で、お腹の張りや痛みを緩和する漢方薬を処方された。日々の暮らしにおける「気がかり」と呼ぶべきが棘が胸から消えた。

 その婦人科には昨年はタクシーで行き来したのだけれど、今年は最寄駅を調べて電車に乗って出向いた。そうしたら10分の1程度の値段で済むのだ。ともあれ、この町にやってきて以来、はじめてローカル線に乗った。切符も何処で買うのかわからなくて人に聞いた。
 田舎町をゆくワンマン列車。目的地までたった3駅。なんだかすこし懐かしい風情・・・と、ぼんやりしていると、降りるべき駅を通りすぎちゃった!扉が開かないので待っていたら、なんと発車してしまったのだ。その駅では一番前の車両しか扉が開かないそうだ。どうしてかしら。誰もいない無人駅に降り立ち、「また、いつものことさ」と思いながら反対方向に戻る電車を待った。
 さて、無事に一駅戻って私は悟った。地図を持っていた。おおむねの見当もついていた。しかし、なぜか間違った方向に歩きだすのが自分だ。途中、やはり間違っているような気がして、何かの測量をして風情の作業着を着たおじさんに道を聞いた。「あぁ、わたしもここの者じゃないから、わからんけどね、多分、こっちじゃなくて、あっちの大きな道ちゃうか?」と反対側を指をさした。
 おぉ、そうかそうか。きっとそうだよ!と確信し、なんとか無事に病院に着いたのだ。もう夏のような陽気だったので小鼻に汗が滲んでいた。こんなに一生懸命にてくてく歩いてやって来るのは、全然病人らしくないなと思った。
 
 診察後、足取りも軽く駅に向かって歩いていると、前方からプップーとクラクションの音。見ると、さっきのおじさんであった。「おーい、ちゃんと見つかった?!」と大きな声で聞いてくれたので、にっこりと微笑んでお辞儀した。おじさんはそれを確かめる、安心したように軽くうなづいて片手をあげるとブーンと走り去った。いい人でよかったな。
ローカル線 そしてまた、のどかなローカル線に乗り込んだら、まるでおとぎの国みたいな可愛らしい内装の車両だった。高知では「アンパンマン列車」が有名だったけれど、どこも一生懸命に工夫しているんだな。帰り道で、今日はちゃんと検診を受けてきた記念にシュークリームとチーズケーキを買った。貰ったばかりの漢方の胃腸薬を飲んでから、二つともぺろりと平らげた。

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恩師へのてがみ :: 2009/05/11(Mon)

 拝啓 
 新緑の美しい季節となりました。先生、お変わりなくお過ごしでしょうか。先日は、ご出版されたばかりのご本をお送り頂きましてありがとうございました。先生のご講演と記念会のご案内を頂きましたが、仕事の都合上おうかがいできなかったことが、とても心残りで久しぶりにお手紙をしたためようと思いました。
 
 ご著書のタイトルには見た瞬間に鮮烈な魅力を感じ、「精読」とまでは参りませんが、早速読ませて頂きました。改めて、先生の書かれる文章が、精密で科学的である同時に、日本語として、とても美しいことを実感いたしました。それゆえに「頭」だけではなく、「心」に迫り来るような学術的書物である印象を抱きました。
 
 私は新しい職場に着任してようやく3年目を迎えましたが、目先の雑用や授業構成などばかりに少々振り回され気味であることを恥ずかしく思います。先生のご本を拝読し、論文を書く際には研ぎ澄まされた科学的レトリックがいかに重要であるか、そして理論における古典をきちんと学んでおくことがいかに大切であるかを痛感し、もっともっと勉強を続けていかねばならないと思いました。
 
 先生がご著書を執筆されるにあたり、ご家族の皆さまが草稿を読まれ、ご本の完成に大きく貢献されたことを知り、たいへん感銘を受けました。学生時代に先生から沢山うかがったご家族のお話が懐かしくよみがえります・・・。「家族とはクスリもなりリスクにもなり得る」とは、先生もよくご存じのS先生が書かれた本に見つけた言葉ですが、私自身は未だ家族からは「クスリ」の部分だけを一方的に享受している頼りない娘の地位に甘んじております。このような私ですが、今度も社会の変動を見つめながら、慎ましくも私なりの研究を進めてゆければと感じています。
 このような機会を得て、今一度、私は先生を恩師として持てましたことに改めて感謝をし、心から喜びたい気持ちでおります。今年も、何処かの学会で先生の笑顔にお目にかかれましたら私は大変嬉しく存じます。
 
 それでは、先生とご家族の皆さまのご多幸とご健康をお祈りしております。

 追伸:お恥ずかしいしですが、最近撮影した写真をお送りします。できるだけ小さめに写っているものを・・・「私は元気です」とお伝えしたく。 
  
                                                    敬具


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母の日、ごくたまに父の日。 :: 2009/05/10(Sun)

 母の日。
 今年は「ギボウシ」と呼ばれる観葉植物と、もう一点お花が咲く同種のものを贈る。
 母はある時期まで「植物をうまく育てられない」苦手意識を持っていたそうだが、その理由の一つが、私が小学校1年の夏休みに持ち帰った「アサガオ」にあるらしい。夏休みの宿題がアサガオの観察日記をつけることだったのだ。
 白いブラウス  
 よかれと思い、母は土を替えて肥料まで足してやったところ、何がいけなかっったのかアサガオは枯れてしまった。そういえば、日記に「きょう、あさがおが、かれました。」と書いたような気がしなくもない。事実を記しておけば宿題は成立すると思っていた娘は、一切のショックもなかったのに比して、母は多大な責任を感じたらしい。今聞くと笑ってしまう話だけれど。何を機会に、その苦手意識を克服したのか聞くのを忘れたが、この頃では祖母が残したお庭にいろいろな種を蒔いて、お花を育てることを楽しんでいる模様。祖母亡き後に、ひとり家に暮らしている大叔母も大変喜んでくれるのが励みみになるようだ。
 
 父の日。
 通常は、毎年、気にも留めない私。見るからに「モノ」へのこだわりなど無さそうな父に何を贈るべきか検討もつかないし、「ま、おとーさんはいっか」と言うことでスルー。
 ところが、最近の父は「散歩に行くわ」と言い残すと、マンションの隣にそびえ立つジャスコまで遊びに行くようだ。「買い物行動」+「歩くこと」は、変人な父にとってさえストレス発散になり得るらしい。しばらく歩き回って、いかにもジャンクな菓子パンを幾つも買ってきたりする。この数ヶ月は、ピーナッツバターの入った菓子パンがマイブームらしい。
 それはともかく、世俗や流行などからは無関係な父でさえ、大型スーパーを歩けば、世の中の一部を知ってしまうのである。おととしあたりから「ね、父の日って書いてあったけど、そんなのあるの?」と母に聞いているらしい。
 ところで、最近、引き出しから昨年の父の誕生日に送ろうと思ったらしい手紙が出てきた。最後まで書きあげているのに、きっと面倒くさくなって投函まで至らなかったのか。読み返すと後ろのほうに「感謝」などと言った麗しい単語を見かけた。まさか、私が「お父さん、ありがとう」なんて結婚前の娘のような殊勝なことを書いたのか?!万が一、書いてあったら恥ずかしいから、絶対に渡さないでおこうと思って、よく読んでみると「お父さんのよき妻に今日は感謝しましょうね」と書いてあったので今なお、有効な言葉だと判断し、改めて母に預けておいた次第。
 で、父の日っていつなんだろう。

 帰省中に母が作ってくれたパスタが美味しかったので、忘れないように、おぼえがき。
 

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灯台下暗し。 :: 2009/05/07(Thu)

 この連休後半は予定どおり実家ですごす。相変わらず父が超マイペースで生息していたが、今回はあまりそのペースに巻き込まれまいと心に決めていた。3月に数日帰省した折は、すっかり父と共に昼夜逆転生活を送り、ごく最近になるまでペースが戻らなかったのだ。今回は、夜更かしもほどほどにして、朝は午前中を目安に起きることにした。
 いつになくよく眠り、母が作った料理をバランスよく食べていると、帰省前にはどうしようもなく敏感になっていた肌状態もおおむね治まり、一時期少なすぎると思われた体重も少々戻った。
 仕事やプライベートスペースの「巣」である自宅を離れて実家ですごす感覚は、地上を離れて飛行機で数時間過ごす感覚となんとなく似ている。なんだか諦めがつくのだ。家じゅうのお気に入りを持っていくわけにはいかないし、一人で過ごす自由きままを極めた生活もいったん脇に置いておくのが帰省。地上を離れたら、もうそこからで出ることは不可能。ゆえに、かえって迷いなく合理的な選択をするのが飛行機。たとえば、よく眠るとか文献を読むとか、静かに音楽を聴くとか・・・。
 
 さて、我が家の人間たちはそれはそれはよく喋る。もっとも、互いに一番よく話すのは自分ではないと考えているが。とりわけ父の話は長いのに加えて、その落としどころがよくわからないことが多い。何かの考え事の最中に独り言を言っている、と思っておくほうが精神衛生上はよいのかもしれぬ。
 「ねぇ、○○と△△って言うと、語感の響きはどう違うと思う?」などと唐突に聞かれる。仕方がないので、ひととおり答える。答えるが、「うーん。そうかなぁ」などと、いつまでもあーでもなく、こーでもなくと相対化しているから一向に答えなどない。こちらはなぜその質問がなされたか知りたい。しかし、それについての言及はない。もう長く関西に暮らしているのだから、起承転結、ぼけつっこみ、オチのひとつくらい学んでもらいたい。ゆえに、最終的には多少苛立ちを感じながら「それで、オチはなんなのよ?」などと聞くはめになる。すると「ん?会話を楽しんでるだけだよ」などと言う。父よ、あたしは全然、楽しくないねん。

リコー  こんなこともあった。かつての自分の部屋に布団を敷き、青いチェックのパジャマを着て、お風呂上りにごろごろしながらネットサーフィンをしている母と雑談していると、「おい、めぐみ~」と父が扉を開けた。「ん?」と思っていると、父が「あれ?めぐみは何処に行ったんだ」と言って去っていった。まさか布団の柄とパジャマのチェック柄が混じると私が見えないのだろうか。なぞであった。「お父さん、見えてないの?」と母に聞くと「そ、見えてないの」と何でもないように答えた。

 翌日、また母と布団の上でごろごろしていると、「おい、めぐみ~」と父が探しにきた。すると前日と同様「まったく、ふたりとも何処行ったんだ・・・」とつぶやきながらまた去って行った。つまり、自分の視界に映るものしか見てないのだ。おそらくは奥の机に座っているイメージで、まさか自分の真下に転がっているとは思わないのだろうが、おそろしい近視眼である。
 大丈夫なのか、とーさん!

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あした。 :: 2009/05/02(Sat)

 数ヶ月ぶりに美容院に行って身奇麗にすることからはじめた。キッチンを片付け、家のなかの水周りも久しぶりに丁寧に掃除をし、鏡をふき、洗濯をし、ひと部屋を30分ずつかけて片付けていった。金曜日の朝ひとこまの講義のために前日までに準備を完了させ、朝はタクシーなどを使わずに15分早くバス乗り場に向かった。
 そうした「とても当たり前のこと」を、ちっともこなせていなかった。当たり前のことをすると、無理に時間を作らなくても心にゆとりが生まれていった。ぎゅうぎゅうづめになっている部屋や本棚や心のまま、私は夜更かしをしながら、ネット上で飽くことなく「欲しいもの探し」をしては、お気に入りに沢山リストを作っていた。しかし、それらをすべて削除していい気持ちになった。

カーテンごしに 昨日も今日もよい天気で洗濯物はよく乾いた。明日からは実家に戻り、二度目の論文合宿をしようと思う。父や母の顔をこれからの数日は眺めて平和に暮らす。そして連休が終われば、体調管理のために婦人系の検診にも行っておかねばと思う。いつかお世話になった方が言ってくれたのだった。「何ができるというのでなくともいいのよ。まずは元気でいること、それだけで十分」と。
 私は 「明日」、そして「あさって」がきっと来ると今は信じて生きている。それは、本当にどれだけ幸せなことだろうか。

 
 『余命1ヶ月の花嫁』という映画http://www.hanayome-movie.jp/index.htmlがまもなく上映されるそうだ。私はその前に作成されたこのドキュメンタリー放映を偶然、二度観る機会があった。若く、そして恋人もいる女性が、恋人や友人、家族に支えられながらがんと闘病し、「きらきらと生きた」姿を伝える内容である。

 みなさんに
 明日が来ることは奇跡です。

 それを知っているだけで
 日常は幸せなことだらけで溢れています。

 (長島千恵 さんの言葉より)

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