風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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自分で決める幸せ。 :: 2009/06/30(Tue)

 先日の日曜は、朝から気づけば食事もせずに夕方にかけて、それこそ戦場のような仕事場にこもり、夕方、中央郵便局に急いだ。一区切りつけた夜は、高揚したまま眠れず。ずっと手つかずだったデスク周りから書類を片づけ、散乱した洋服の整理をし、それでもまだ眠れないので薬を飲み、久しぶりに小田さんの「クリスマスの約束」を聞きながら布団にもぐりこんだ。

 「ひこうき雲」を歌った年のものだ。心からしみじみとして、ほろりとした。小田さんのおしゃべりが楽しくて気づくと、もう午前3時を回ってしまっていた。

 翌日、寝不足のなか授業をする折り、何となく私の心のなかに小田さんの残像があり、小田さんが私の頭に降りてきたように感じられた。学生に対して冗談を言う口調も、どことなく小田風になっていることに気づく。ちなみに私が授業中に冗談の二つや三つを言うのは、関西人だからとか、学生からのウケ狙いとかではなく、単純に自分が気分よく授業するためという趣味的な問題である。
 「今日は教室の外が騒々しいですね・・・。ま、今日は一斉ゴミ出し日ですからね。ガタガタ音がしても皆、あんまり気にしないで・・・。気にしないと言えば、私は高校の頃、よその学校に借りていたコントラバスを階段からゴロゴロっと落っことしたことがありましてね・・え・へへっ、今だから言えることすが、なんと、それを黙って返してしまったという・・・(笑)」といった感じだ。
 「といった感じだ」と書いても分かる人はきっと誰もいないだろう。が、私の友人で小田ファンの大学教員は「授業んときは、絶対、シャツかジャケットの袖をまくってやってます。小田風です!」と嬉しそうに報告して来るわけで、ファンとはこうした当事者同士しか分からない極めて不可解な存在なのである。

海辺まで行く。 今日は日頃、それほど沢山話す機会もない友人たちからメールなどが届く。
 短い軽いノリのもの。長い長い近況報告。ちょっと涙ぐむほど感動的なもの。どれも嬉しいものだった。それぞれの人たちが自分の人生に向き合って、複雑さを抱えながらも真摯に生きていると思うだけでなんだか勇気づけられた。さして辛いことがあったわけでもないのに「心が疲れている」と日中、自覚していた私は窓を開けてうんと伸びをした。
 しあわせであるかどうかは自分で決めることだ、と改めて思うのであった。 

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オオカミパパ、オオカミママ。 :: 2009/06/26(Fri)

 先日、母にサポートに来て貰った。何のサポートと言えば、食事とか家事とか掃除とか、である。そうした事柄をある程度放置しても命に別状はないとは言え、精神衛生上、非常によろしくないのだ。母が来るという予定が入るだけで、キッチン、リビング、水回りの最低限だけは掃除をする気分になる。家族とは言え、「他者の目」の効き目抜群だ。とは言え、母は来るなり、「なんて磨き甲斐のあるキッチンなの!」と叫びながら片端からキッチン磨き。「これ、なに?」「うーんと、ホットケーキミックスがこぼれたやつ・・・とか」。我が家のキッチンは実家のより小さいし、一人暮らしなので磨いたり片づけたりするとちゃんと綺麗になり、達成感もあるらしい。実家では父がいつも、非人間的な時間帯に食事をするので、いつまで経っても物の整理がつかないとボヤいていた。
 二日目は色々と買い出しに出て貰った。家で仕事しながら過ごしていると、やがて玄関のチャイムが鳴る。母が戻ってきた事は分かっているけれど、玄関先で「だぁれ?オオカミの手じゃないのを見せてちょーだい」なんて、ひとしきりふざけて言っていたら、「もう!重いんだから早く開けてよ!!」と怒っていた。私が小さいときは、毎回、この面倒くさい儀式を楽しんでいたのは母のほうだったくせに。

スヌーピー顔と言われる。 私が幼い頃、母は「知らない人が来ても玄関を開けては駄目よ。オオカミだったら食べられちゃうからね」と言い聞かせていた。外出して帰宅すると、玄関のチャイムを鳴らして「ママよぉ」と言ったあとに「本当はオオカミだったらどうする?ほら、ちゃんとママの手を見る?」などと言って新聞ポストからいちいち手を見せたりして遊んでいたのだ。
 それは我が父も同様。そう、あれは忘れもしない。小学校1年生の頃だった。お手洗いに行きたい。”でも、おうちまでもうちょっとよ”そう思って6歳の私は、はやく、はやくと唱えながら一生懸命に駆け足で家路を急いでいた。

 玄関にようやくたどり着く。足踏みをしながら「ぴんぽーん」。平日にもかかわらず、何故かいつも父が家にいる。父は、娘が帰ってきたことは当然分かっていながら「はーい。だれかなぁ?」などと悠長に聞く。「わたし、わたしっ、はやく!はやく開けて!」と言っても「わたしってだぁれ~?おおかみの子じゃないよねぇ(笑)」と言った調子で、なかなか開けてくれないのだった。こうして書きながら、未だに思い出すとむかーっと頭に来る最悪の思い出が蘇るのであった。
 父は子供好きな人であったけれど、破天荒なことばかりしている変人だった。自転車に乗れば、両手を離して乗ってごらんとすすめた。そんなの簡単よ!応えるおてんばな娘。あるときは、風に舞う凧糸を倍もの長さに繋げて、まだチビの私に持たせたものだから、風の強さに耐えきれず、思わず手を離してしまったことがあった。飛んで行った凧が近所の団地のアンテナに引っかかり、これまた大変なことになった。
 近所の幼なじみの男の子が、父には可愛くて仕方がなかったらしいのだけれど、あるとき、彼が自慢げに持っていた宙に浮いている風船を「これね、ぱーって手を離したらどうなると思う?実験だ!それ!」なんて言って、空に放ってしまったことがあった。彼が号泣が地雷のごとくこだましたのは言うまでもない。そのゆがんだ愛の表現は何なのか。

 このような親たちの間でもちろん、多少の変人ぶりは引き継いでしまった自覚はあるが、私は比較的ちゃんと育ったのではないだろうか。父が母に「子育てに一応、成功したって思わないの?」と聞いた折り、母が「あれ(私)のど・こ・が?!」」と言った気持ちも確かに分からないではないが、昔は娘に「あんたはね、あそこの川の桜の木の下で拾った子供なのよ、うふふ」「やっぱり、川の横のゴミ箱の側で拾ったんだっけ・・・ふふっ」などと年中、嬉しそうに、からかって楽しんでいたことを忘れてはならない。そうそう。この際、母も印象深いおふざけをもう一つ書いておこう。近所の愛くるしいおちびちゃんが、我が家にはじめてのお泊まりに来た夜、母が寝際にお話をしてあげたのが臨場感たっぷりの「山姥のお話」。怖すぎて泊まらずに帰ってしまったのは言うまでもなし。両親共にこんな人々だ。

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ゆとり世代との接し方。 :: 2009/06/19(Fri)

 長い学生時代、アルバイトで家庭教師をしていた。ある年、全く勉強する気のない、お金持ちのお宅の坊ちゃんを教えることになった。彼は、スポーツ推薦で高校入試を乗り切るつもりで全くやる気がなかったが、親としては、平均的な学力程度は身につけさせたいという意向だった。
 彼は気だてのよい子だった。けれども、与えた宿題をいっこうにして来なかった。私は宿題をしない、ということよりも、「弁明の言葉さえ考えて来ない」こと自体に、不可解さを感じていた。ある日、「あのね、失礼と思わない?まともな言い訳の一つも考えて来ないなんて」と言ったことがあった。

 さて、私は今、学生の世話係のようなことをしている。たとえば専攻生を中心とした学校行事があれば、上級生を巻き込みながら、色々と段どりをつけるのが役割だ。早ければ1ヶ月以上も前に行事予告をして、参加を促す。放課後の時間を使うけれども、その日だけは予定を調整しておくように。授業の一環と位置づける。余程の理由でなければ学年を問わず出席のこと。欠席者は理由と共にすみやかに連絡を。
 これだけ伝えておいても、前日、当日あたりに1、2回生あたりからドタキャンのメールが相次ぐ。「バイトのシフトが入っているのが昨日分かったんで~。行けません、すみません」。自分の名前が書いてあるだけ、まだマシなのである。ある学生の場合、大学アドレス宛によこして来る携帯メールに「件名」がない、自分の名前もない、○○先生へもない。スパムメールフォルダ行き寸前である。友達同士のやりとりのノリで「今日ぁ、両親が来るから行けません」。その、ちっちゃい「わ」をどう理解せよと言うのか。

この傘は雨傘です。 こうした学生をたしなめたり、叱ったりしなければいけないのは、面倒だ。常識に欠けるとか、フォーマルな振る舞いを知らない、と言うのは若ければ仕方がないと思う。自分もそうだった。むしろ、彼らは基本的な他者尊重という概念というか、感受性を欠いているような気がする。彼らが、「空気を読む世代」だと言う言説はどこまで真実なのだろう。本心のところで言えば、どうしても休みたいのであれば休めばよい。ただし、しかるべき手続きと方法を経て。その仕事に携わる向こう側で働く人の立場を思いやれば、そこに多少の嘘や装いを含んだとしても配慮ある言動を取れるだろう。

 ちなみに、冒頭のぼっちゃんは見事に勉強をせずしてスポーツ推薦で高校に入学した。しかし、その後、身体が故障してスポーツを続けられなくなるという事態を彼は想像しただろうか。彼が「あのとき、やはり勉強しておけばよかったな」と思ったかどうかまでは知らない。残りの高校生活をどうやって送ったことだろうと、今頃になっても思い出す。
 ちっちゃい「わ」の学生をたしなめる長いメールを読み直した。何故、あなたに、こうしたメールを書いているか、何が問題なのか、説明しすぎていて気分が悪くなった。これは、どう見ても、私自身の混迷した頭と心を整理するためのものだ。「ドタキャンは許容されません。メールを書くならフォーマルをわきまえて」これだけで十分ではないか。何もいちいち全部説明することはないのだ。何処かで躓いてみて、はじめて理解できることのほうが圧倒的に強いのだから。
 同僚の教員に、高校の教員経験がある女性がいる。彼女のところに、よく「昨日、授業やすみました」とだけ言いに来る若い学生がいるが、彼女は「それで、なに?」と聞き返すらしい。「あ、そう。じゃあ、これ、昨日配布した資料だから」とすぐに渡してしまうだろう私とは大違いだ。

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変化を求めるとき。 :: 2009/06/16(Tue)

 些末な事柄から、そうとは言えない事柄まで肩に背負っている荷物がいささか重く感じる。
 
 軽い足取りで歩きたい。口笛吹きながら。
 いつもスニーカーを履いているようなフットワークの軽さで走り出したい。
 という気持ちが一杯になって、久しぶりに髪を切る。

 同じような長さを行ったり来たりしているだけなのに、美容師さんには「頻繁に髪型を変えたいひと」だと思われているようで意外に感じる。でも、本当に何年も全く髪型を変えない人も決して少なくないうえ、「お任せします」と一言だけ言う女性も結構多い、と聞いて少し驚く。
 先日、本屋で雑誌を立ち読みしていると、高校生女子がふたり、ティーン向けのファッション誌を観ながらタレントやモデルの髪型や服装を寸評していた。本人たちはきっと気づかないのだろうけれど、あのくらい大きな声で話すのならば、周囲に同じ話題を共有しましょうと参加を促してるようなものだ。でもまぁ、歓迎はされないだろう。ちょうど「このショート、めちゃ可愛いよな!!」と一人の女子が叫んだので、そろそろばっさり切りたいと思っていた私は「おっ??」と小さく反応する。
 「でもさぁ、切ったらやっぱ後悔せーへん?(でも、二週間で伸びるよね)」「最初っから短いひとはええけどさ、中学んとき、ショートにしたときむちゃヤバかっったもーん(やばいって??)」「でも、せめて・・・このくらいやったら思い切ってもええなぁ(どれどれ?!)」と指さしている先を、好奇心から思わずそっとのぞき込んだ。それは、しっかり肩の長さまである今風の重めボブであったため、勝手なこちらの事情で非常に残念に思う。

 そういうこともあって、「すぱっと短く!」とリクエストすると、「えっ、どうしたんですか、いったい急に。夏に向けてって感じなんですか」などと改めて問われる。「ええ、まぁ、すっきりしたくて」。
 正確に答えるならば「いま、変化がほしいから」。裏を返せば「滞っている感じがするから」と言うことになるだろうか。
 そんな訳で、明日からは重い荷物を背負える筋力づくりをする。

 髪を切った日は、携帯でセットされた髪のフォルムを記録。



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タロウと併走。 :: 2009/06/15(Mon)

 先週、ドアを全開にして風を通していたら、不覚にも「ゴ」を招き入れてしまった。私の研究室はテラスの扉と、階段踊り場の正面に位置するのだけれど、テラスからの吹き抜ける風に流されるようにして、私の研究室にヤツは紛れ込んでおった。こちらに来てから、こうした経験は初めてだったので、心で「ぎゃーーーっ」と絶叫した私は、それでも果敢に退治に挑んだ。一秒でも、ヤツと一緒の空間に居続けることを想像するだけでも卒倒してしまいそうだったからだ。
 どちらかと言えば(きっと)小さい方だし、動きも(たぶん)今ひとつ機敏でない。自分に言い聞かせて油汗をにじませつつ、背後からしのびより、ふるえる手にはティッシュの10枚重ね。えいっっ!しかし、一瞬のことで逃げられたうえ、最もよからぬことには、隣の実習室に扉の隙間をぬって逃げ込んで行った。それが先週末のことである。
 部屋には食べるものはいっさいない。どうかどうか何処かに消えてくれと祈りながら、ホウ酸団子などを買って行くのを忘れたので、私は週明け早々、「ゴ」が歩いたかもしれぬ床におののきならがら、雑務の多さに帰るに帰れない一日を過ごした。

 実は、私の研究室とさほど離れていない場所に「調理実習室」があるのだ。着任して間もない若いN女史は、「あいつが実習室に出るんですよ!!!ゆるせませーん!」と憤慨し、すさまじい勢いでホウ酸団子を置きまくった。その結果、周辺の部屋では、お亡くなりなったままひっくり返っている姿がたびたび見受けられるとかで、そのあたりの実習室にたむろする学生諸君から苦情があり、やつらを「つかみ取る」何かを買ってくれとせがまれた。私はお金は出してあげるから「買ってきてちょうだい」とせがみ返した。学生に対応する係をしているが、まさか「ゴ」退治に奔走することになるとは。

 本日の話題が「ゴ」で終わるのは、心底いたたまれないが、まだ続きがある。とある年配の方に「全部、発音するだけで身の毛がよだつので、ゴ・・・としか言わない」と告白すると、「あらぁ、おもしろいわね。この界隈ではね、彼らのことを、タロウって呼ぶみたいだわよ」と、一瞬、耳を疑う話を聞く。
 男性陣は、やつが現れると「あぁ、タロウだな」とまるで季節の風物詩でも見つめているように慈しんで傍観しているのだと言う。女性陣は「タロウよ!!早く退治してっ!」と叫ぶらしい。本当の話なのだろうか。
 
 私はお隣の飼い犬を遠くからそっと「タロウ君」と呼んでかわいがっていたのに、あまりにショッキングな話だ。明日からは彼のことは「ジロウ」と呼ぶことにしよう。だって、アレと同じニックネームだなんて悲劇としか言いようがない。

 と言うことは、昨年、バス停に向かう階段をダッシュしているときに、ふと目をやると私の隣を同じようなスピードで併走していたあいつも「タロウ君」なのか。そんな風に呼ぶと、もしかするとちょっと可愛いかもしれない・・・なんて、誰が思うだろう!!!

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I'll survive! :: 2009/06/11(Thu)

 この頃、1週間が早い。早いとも感じる一方で、1週間も前のことは「もうずっと前のこと」に感じてしまったりもする。
 講義づくりなどは幾分、楽になってきた。1年目、2年目に作ったノートのバージョンアップで今はしのげる。少なくともゼロから作る必要はない。でも、そうやって出来はじめた余裕を新しい仕事がどんどん奪っていくスピードも遅くはない。先週末私は、なんちゃらプロジェクトをおしりを叩かれるまま立ち上げて、今週明けにオールメールでプロジェクト始動をインフォメーションした。気づけば、というホントの話。
 私は毎日、「いやだ~、もう投げ出したい!」という気持ちと「うぅ・・・苦しい。でも・・・なんか、もしかしてちょとだけ楽しい?」という気持ちを交互に味わっている。一日じゅう休みなく働いた翌日は本来の生命力が底をつくのか、どんと気持ちが落ちたりする。水も飲まない(→干からびる。注意!)。

 何時のころまでか、ずーっと低空飛行だったような気がするのに、近頃、上るときと下がるときの振幅の幅が大きい。きっと交換神経と副交感神経もぐちゃぐちゃしているに違いなし。こんな状況を一週間のうちに、平均的にならしてコンスタントにして行けないものか。それでも「とっても嬉しい日」と「相当にブルーな日」がある日常と、「ずっと普通」か「ずっとちょっとだけしんどい」が続く日常とでは、いずれが幸福だろうか。
 友人のSちゃんはもうすぐ結婚式だ。「この年齢になってからのドレス選びも案外たのし~よ」というほほえましい言葉の後に、「でもね、最近、職場で部の配属が替わったから、ちょっとブルー」とも。うんうん。働いて生きる私たち、皆、それなりに色々あるよね。

そこでクルクル回ってみて?の最中。 それはそうと、コピーカードが1週間前から見あたらない。ここで見事な推理力によって発見できれば、ものすごく自己効力感アップなんだけれど、そういった気配はなく。1週間前から、記憶がとぎれておるのです・・・。 7月は突発的な新規講義が目白押しで、今から恐ろしい。昨年、7月に倒れている私にとっては鬼門の月だ。それでも、なんとか生きていればいいことにしよう。
 教授会の会議直前、歳の変わらない同僚の女性に「ね、○○さん(私)ってインド行ったことある?」と突然聞かれた。「行ってみたんだけどなぁ。いつ休める?って話ね、ぐふふ」と笑っていたけれど、会議直前、心がインドまで飛ぶとは、今、彼女はどんな働き方をしているのかなぁと想像するのだった。

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地下鉄とアイスコーヒー未満。 :: 2009/06/07(Sun)

 土曜日。兵庫方面の大学に出張。日帰りで大阪の実家に立ち寄る。

 出張先での会議を終えて、実家に戻る際に地下鉄に乗る。朝からカロリーメイトのようなクッキーをかじった程度でお腹がぺこぺこだ。とにもかくにも「座りたい!」。一本電車を待ってから、先頭に並んだおかげでなんとか座席を確保する。私の前には、やや強面の長身の男性が、仁王立ちして携帯などを、ぱこぱこ打っている。勝手な思いこみに過ぎないだろうが、「こいつ(私)が降りたらオレ様が座ってやる」といった気配をたたええているようでもある。
 そうやって視界を塞がれていたこともあって、しばらく気づけなかったのだけれど、少しだけ離れたところに、体は大きいが、明らかに相当に高齢に見える白髪のおじいさんが、リュックを提げて立ったままでいるではないか。おじいさんの前に座っている数人の若者達は皆、そこに居るように見えるが、実際は別の世界に存在してメールの相手と交信中だ。誰も席を譲ろうとしない。あぁ、どうしよう。せめて目の前に立ちふさがっている強面のお兄さん、ちょっと脇に退いて貰えませんか。
 そう思っていると次の駅で彼を含め結構な人が降りて行った。私の隣も二つの席が空いたのだ。あぁ、よかった。おじさん、こっちこっちと心で叫んでいると、それより先にずいぶんと太った男性が私の隣にどすんと座った。おじいさんはゆっくりと近づいてきて、ちらっと彼の隣を見たのだけれど座らずにさらに向こうの扉のほうに遠ざかって行ってしまった。足が悪いのか、老化のせいなのか、腕は走るときのように一生懸命に振っているのに歩行の幅がとても狭かった。
 「あれれ?どうして?!」と思って、隣をよく確認するとおじいさんが座れなかった理由がわかった。なぜならば、私の隣に座った男は巨漢だった。さすがに巨漢であることを責めたりはせぬ。しかし、彼はその太い足をばかみたいに大きく開いて腰掛けており、さらに競馬新聞らしきものを左右に思い切り広げて持っていた。そのせいで、一人半以上のスペースを占拠していたのだ。私は、一瞬、ぐっとその横顔をにらみ見た。 
 巨漢男は、ばっさばっさと新聞を開けたり閉じたりして、そうかと思うと携帯をいじっていた。私はほとんど身構える気分で、そのばっさばっさ攻撃から防御すべく体をちぢめた。そのときの自分が、空腹と疲労と、その週にあった様々なストレスで完全に気が立っていたことを心から認めよう。私は彼のような人間は、競馬に大負けし、大損した上でうんと痛い思いをするようにと本気で念じた。
 気にしていたおじいさんが、あれから何駅もしないうちに電車を降りたことがせめてもの救いだった。それでも、私は胸にうちに怒りを秘めたばかりで、何もしなかった自分を少し責めた。

 実家に着くと、あいにく両親ともに出かけていて留守だった。それでもリビングの開いた窓からカーテンがそよぐ様子を見て、ようやくほっと安堵する。「あー!私は猛烈に疲れたのだ」と口に出しながら、キッチンでアイスコーヒーを作った。氷とミルクを沢山入れて、ついでにアイスクリームも盛ってやろう。

ちょっぴり物憂げ ハーゲンダッツのアイスがあるはずだ。先日、しきりに「食べないで帰るの?」と母が言っていたあれが。冷凍庫には我が家の10倍くらいの食べ物が入っている。ごそごそ捜索すると、出てきたハーゲンダッツのカップアイスは、上半分ほどが削り取られていた。きっと父が夜中におやつとして食べちゃったんだ。ま、いいや。私は小さなスプーンでうんと力を入れて残りの半分をごそっとカップからすくい取った。そして珈琲の上に投入!・・・しようと思った瞬間に、私のアイスは何が気に入らなかったのか床に向かって思い切りダイブしたのであった。そしてその一部は私の素足の真上に落ちたため、私は飛び上がった。

 母が戻ってきたら一連の出来事も、おしゃべりのなかで消化してしまえるだろう。
 
 「お父さんには小さいのよ」なんて言ってあてがわれたチェックのパジャマズボンの上に母のTシャツ。ボーダーのヘアバンドという究極的にイケていない格好でコーヒーカップを片手にベランダに出てみる。人がまめつぶみたい。そんななかでも、母が歩いてきたらきっと分かるんじゃないかなと思いながら眺めて待つのは5分で限界。ソファーに寝転がってため息をついた。この週末運のボトムラインが底をついた瞬間はきっとアイスのダイブ時だ。そこからは上がるのみ。そういうことにしておいた。

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いいトコ、悪いトコ :: 2009/06/07(Sun)

 「市民の皆様へ」という文言で行政からアンケート調査票が届いた。今後、どんな街になることを期待しているのかという実態調査である。無作為抽出の結果、あなた様を選ばせて頂きましたとのこと。調査票はそれなりの質問数はあるが、よく見かけるおざなりな質問項目しか用意されていない。「福祉に何を望むか」という選択肢には結局のところ高齢者・子育て支援、バリアフリーくらいしかなくて少々、呆れてしまった。最後の「自由記述欄」には「まちなみ整備などの前に、品格ある志を市民にも行政にも求めたい。自分が暮らす街に誇りを持ちたい。」と書いた。

海辺まで行く。 小さくため息をついて寝ころんでいると、ふと先週末に出向いた場所で起きた出来事を思い出した。さとさんが何処かにカメラのレンズフードを置いてきてしまったようで、あちこち探したけれど見つからない。もうきっと戻って来ないと肩を落としていたけれど、ちゃんと忘れ物センターに届けられていたのだ。見つかったことはもとより、拾った物をちゃんと届けてくれた”善良な人”を思い、当たり前のこととは言え、非常に嬉しく思った。私が以前、一瞬の間、駅のホームに日傘を置き去りにしてしまった際、持ち去れた時にはどんなに悲しかったことか。ささやかな事が人の気持ちをここまで支えるのだから、出来る範囲の親切は惜しまずに発揮しようと思ったほどだ。

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赤いボーダー、ピンクのカメラ、若葉色の音。 :: 2009/06/03(Wed)

 低床バスから降りてきた二人連れは、一人のおじいさんと介助者らしき女性だった。介助者の女性は、おじいさんの身内の方かどうかは分からないけれど50歳代くらいの女性。おじいさんのその腰はだいぶ曲がっていて、80歳代も半ばかと思われた。彼はゆっくりと、けれど確かな足取りで、女性に手をつながれて降りてきた。
 ぱっと目を引いたのは、おじいさんの洋服だ。赤と白の太いボーダーのTシャツに真っ白のパンツを合わせて、頭にはベージュのハンチングを目深に被っていらっしゃる。よく見ると、介助者の女性も何気なくカジュアルで品のよい格好をしていたので、コーディネートはこの女性によるものなのかもしれない。
 お年を召してあのような洒落た格好をしている人は、この町ではあまり見かけない。とても素敵だなぁと思って、手をつないで遠ざかってゆく後ろ姿を見ていた。女性は、時折立ち止まり、耳の遠そうなおじいさんのために手のひらに文字を書いてあげているようだった。はっとするほどの鮮やかさと、人の手の平というぬくもりが同居している二人の姿だった。
 私も父が老いたら母と一緒に可愛らしい洋服を選んであげて、あんな風に手を引いて歩くのだろうか。そんな日はとても遠い気がするけれど、きっと刻々と近づいてはいるのだ。

 さて、母がカメラを買い換えた。5年ほど前に発売されたixyを持っていたのだけれど、この頃、映した写真に奇妙な線が入るのだとか。この際だから買い換えればよいと思って、とにかく「見た目」のみを基準にして選んだのがこちら。http://cweb.canon.jp/camera/ixyd/510is/index.html
 シックなゴールドがいいんじゃない?と勧めてみたところ、「ううん。私はピンクにする!」と言うので、そのまま即決、注文。すでに母の手元には可愛らしいピンクの新しいカメラが届いている模様。カメラが新しくなっても写真が上手になる訳ではないけれど、日常にウキウキすることが一杯あるのはよきこと。

 近頃、とても気に入っている曲。
 HALFWAY(Salyu)
 
ローカル線の終着駅。 この人が歌う「to U」に圧倒されて色々検索しているうちにたどり着いた一曲で、何よりこの楽曲がこよなく好きだ。何が琴線に触れるのだろう。ガットギターの素朴な音色。彼女のかすれた低音の歌声、突き抜けるような透明な高音域。私の日々にもあったのだろうか、なかったとしても何故だか自然と心がふるえる青きあの日。「あの」と表現されて描かれる日々はみんな懐かしくて輝いて見える。歳を重ねて嬉しいと思えることの一つだ。
 この曲を、もし色で例えるならば、若葉色だろうか。
 6月。自転車で若葉色の木々のなかを、たちこぎしながら突き抜けてゆくような気持ちで。

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