風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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ひとりっこ。 :: 2009/07/29(Wed)

  「歳の離れたお姉さんが二人も居たら沢山、かわいがって貰えていいんじゃない?」と帰りのバスで一緒になった二十代・男子に質問してみた。若い割に紳士で、隣の席に招いてくれたうえ「紫外線、眩しいですよね」と言って、こっちの窓のみならず、前の窓の光までシャットアウトしてくれたので「○○くんて、気が利くね。ひょっとしてお姉さんがいる?」と聞いてみると案の定、「ねーちゃんですか。二人いますね」と言うので、冒頭の質問をしてみたわけだ。
 「いいんじゃないって・・・ぜんっぜんっ、よくないっすよ!」
 「え、どして?いじめられるの?」
 「いやぁ。だって、もうね、メシ食ったら、すぐにクーラーかかってる部屋で
  ゴロゴロしてるんすよ・・・3つ上のねーちゃんなんか、まるで妹みたいな感じです」
 「そうなの?女子には、もはや幻想は持てない、みたいな?(笑)」
 「あ、そうそう。あの人たち観てたらそっすね」

世間の姉を持つ弟諸君は、いかなるものだろうか。
でも、早いうちに女子の真実を知っておいても良いかと思うのですよ、私は。

「ところで、先生、きょうだいはいるんですか?」
「私?ひとり。ひとりっこよ」
「あぁ、そんな感じします、します(にまりっと笑う)」
「そ?たまに言われるけど。どんなイメージ?ひとりっこって」
「なんかねぇ・・・おとなしいっていうか、おっとりって言うか・・・」

 (えっ?あんなに、しゃきしゃき喋って講義したつもりなのに?!)と心で一瞬、叫ぶ自分。

男子みたいな女子。 私からみれば、希にみるほどの「至極おっとり系男子」からそのような発言をされると少しだけ複雑である。彼の言うことが真実であれば、私と彼の座った座席は、まるで周囲から見れば「おっっとり」が増幅し、うらららかな日だまりの縁側で、昼寝する二匹の猫たちのように見えてしまう筈だ。
 「先生はなんで今の職業につこうと思ったんですか?」「それはね、毎日、うちでゴロゴロしていた学者の父を見て、私でもなれると思ったから。間違いだったかも。えへへ」とか「今朝、エアコンのリモコンがどうしても見つからなくて、点けっぱなしで来ちゃった」と告白したとき「先生って、面倒くさがりなんですか?」「はい、とても」と答えると、ちょっぴり幻滅していた様子だった。むふふ。
 
 それはともかく「姉がいる弟」のイメージというのがある以上に、とりわけ「ひとりっこ」にはこの歳になっても不思議な幻想が付いて回るのだな、と興味深く思う。

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君はどうなの? :: 2009/07/25(Sat)

 ハラスメントを関する学生の相談に対応する委員なったばかりの同僚と、バスで一緒になり、相談窓口の対応のあり方について色々話す。相談にやってくる学生には、話すだけで良いという者もいれば、全面的に解決に向けてのバックアップが必要な者もいたり色々だけれど、案外、「ひとまず聞いて貰いたいだけ」の学生は多いというのは経験的にも分かる。
 彼は、「でね」と続けた。「報告書を書くときにだ。ぼくは果たして十分に彼らが話したかったことを聞けたのかな、と自問する。ぼくのほうが沢山話しすぎたんじゃないかと。状況は把握出来たけれど、気持ちのほうはどうなのかなって」
 「わかる、わかる」と私は大きく頷く。次元は少し違うが、仕事でした面接調査のあと、後からテープ起こしをすると、時に、むしろ自分のほうが相手よりも言葉数が多い事実が否めない。カウンセリングではなく、対等な関係を前提に、聞き手と話し手の間に何らかの相互作用が生じることを期待しているので、全面的に傾聴のみに徹する必要はないのだけれど、相手が長く言いよどむと、「○○っていう感じかしら?」と言葉を足したり、断片的に散った話を「つまり、こうゆうことでいいですか」と確認するための言葉に加え、自身が感じたことを伝える言葉数も多い。「あ、そうそう。そうゆうことです。まるで翻訳機みたいですね!」と言われて少し苦笑する。相手が独自につづる言葉を引き出せなくてはと思う。

 語弊をおそれずに言うと、ほとんどの「インタビュー」においては、インタビューする側が主役になってしまいがちなのだ。引き出したいこたえは既に自分のなかにあり、相手のなかにそれを探している。その人物が、どんなことを考えているのかを本当に知りたければ、彼らに誰かの「インタビュアー」になって貰うのがいいかもしれない。聞かれて答えるより、何かを聞き出そうとするときにこそ、そのひとの価値観なり考え方が透けて見えるのかもしれない。

スワローハットに黒い日傘。  たとえば小田さんは、人にインタビューされるより、彼がホスト役を演じる時のほうが何だか面白い。ゲスに投げかける質問の中身から「へぇ、小田さんってそんなことに興味があるんだなぁ」と、人となりの断片的に感じたりするのだ。小田さんは、自分がインタビューされる最中に時折、「で、君はどうなの?」と返したりする。真実は分からないけれど、そのような彼には時として「君の考える遡上に乗るかどうかは考え中だ」という姿勢を感じる。
 「君はどう?」という言葉には、インタビューされる側とする側の固定的な関係をニュートラルな地平に戻す作用があるような気がする。

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滞納問題。 :: 2009/07/21(Tue)

 「やれやれ、ここが会場か」。エレベーターでその階まで行くと見慣れた風景があった。デスクを二カ所に離して並べてあり、一つには「受付」と張り紙が。もう一つには過去に出版された学会誌などが積んである。受付に赴いて名前を告げる。「正会員の○○です」。ところが、「あの・・・お名前が見あたりませんが」などと言われる。こちらが大真面目に会員を名乗っているため相手も少々焦って、「あの、学会員になられたのは何時でしょうか」と言いながらパソコンでデータを調べはじめた。実は私は内心、動揺が隠せなかった。ひょっとして学会費の滞納があり、いつの間にか「除籍されていた」と言われる可能性もゼロではないと思ったのだ。
 
 先日、東京で行われた学会シンポジウムには久しぶりに出席。目下、指を折って数えてみないと正しく把握できないくらい複数の学会員なってしまっている。実は会費を払いながらも、時々しか出席できない学会ならまだしも、その年の会費を払ったかどうかさえ、おぼろげな類のもある。私のような者がいるせいか、近年では○年以上滞納したら即・除籍といった具合に制度が厳しくなって来ている。毎年、間違いなく参加する学会では、たいてい会場でも学会費納入を受け付けてくれるのだけれど。
 「もしかすると今年、昨年あたりの学会費をうっかり払いそびれているかもしれません。それで除籍の可能性はありますか」と、恥ずかしながら確認。「いえ、5年以上の滞納でなければ、そのような可能性はない筈ですか」といったやりとりをしている最中に、デスクに積んであったレジュメ集のタイトルをふと目にする。んん?そこには全く見知らぬ学会名が記述されておる。まさか!日付を間違えた?それとも、ウェッブ上でチェックした内容は、今年じゃなく昨年の記述?!などと様々な憶測が頭を駆けめぐる。空港を間違えるくらいの自分なので、我ながら自分が一番信用ならない悲しい現実。
 
 その日は、隣同士の会場(大教室)で、別々のシンポジウムが開催されている事実を把握したのは数秒後のことだった。それから約1時間半ほど後、私はまた「その問題」におびやかされる。開催大学で代表をしている先生が、休憩時間になって私の名前を呼びかけた。「○○先生はどちらでしょうか?」「え?なに?もしかして、やっぱり滞納?今から注意される?出ていけと言われる?」とドギマギしながら、こっそり挙手。すると、彼は奇妙に、こやかに近づいて来て、「あなたが○○先生でしたか。お名前は存じながら・・・失礼しました。実は折り入って急遽お願いしたいことが」。

ハッピーがずっと続けばいいのに そうした経緯で、どうした訳か分からないまま、まったく久方ぶりに出席した学会後の総会で議長を引き受ける羽目となる。きっと、こんな若輩者に加え、久しぶりに出てきた会員が議長をするのは余程の事情ありきと言えども異例のことかと思う。ほんとうは終わり次第さっさと抜け出して、あとはSatoさんに夕飯をごちそうになって帰ろうと思っていたのだ。

 でも、何故か非常にぬぐいがたい罪の意識に駆られており、「あの・・・その・・・待ち合わせがあるのですが・・・あ、いえ、なんでもないです」と、もごもご言って全くきっぱりと断り切れなかった。
 そうした訳で、今週はあらゆる学会費納入に関する整理の旅に出るのだ。

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白いポット。 :: 2009/07/19(Sun)

 先週半ば、ある学内仕事の2度目の打ち合わせ。以前もそうだったけれど、チームリーダの先生が真っ白いポットでお気に入りのお茶を入れてくれる。今回の2度目は、こう言っては何だけれども私も勤勉なる貢献をチーム全体に果たし、打ち合わせは速やかに終わる。「よかったらお茶飲んで行って」と誘って貰って、美味しい紅茶を二杯頂いた。いつも学内外を飛び回り、足が四本あるのかしら?と思ってしまうほどに超多忙なスケジュールで仕事をこなしている男性教員でさえ「じゃ、僕もちょっと頂きます」と珍しくその空間に留まっていた。私もまだ少しすべき事があったけれど、もう少しそこに居たくなっていた。
 白いポットの先生がカウンセラーであるためか、紅茶が美味しいせいか、はたまた穏やかな人柄であるためか、よく分からないけれど話しているだけで非常に心が癒された。私はたいして何もせずとも、知らない間に結構心が張りつめがちなのだろう。去り際、その日の成果について彼から「ありがと、ね」と普段、まずは耳にしないような心のこもったお礼を言われて、正直、ちょっぴり感動した。内心、まいったなぁ、これからの仕事も、もう手は抜けないなと思いながらも。
 
 ところで、「この白いポットいいでしょ?幾らだと思う?」と嬉しそうに聞かれた。なんと、たった700円でネットで手に入れたらしい。えー、うそぉと言う我々にうふふと、さらに嬉しそうにしていた。
 怒りも強く連鎖するけれど、くつろいだ柔らかいだ気分は、もっとまっすぐに連鎖するのかもしれない。その日は結局ずいぶん遅くなって、途中からタクシーに乗り換えて帰宅した。乗るときには「どちらまで?」とさえ聞かない無愛想なドライバーの男性と、たまたたま道案内の過程で、市内で有名なお店について話し始めた。途中、「あ、ここですね。このお隣の洋菓子店は人気ですよ」などと話している私は、まだ700円の白いポットの湯気に満たされていたのかもしれない。下りる時、その日二度目の「ありがと、ね。お気をつけて。」と普段、滅多に聞かないタクシードライバーからの声かけを、確かに耳にした。

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お話を聞きましょう。 :: 2009/07/16(Thu)

 「闘いましょう!」というのは、最近になって、進路やゼミ配属の相談に度々やってくるいわゆる議論好きな明るい青年が言い残して言った言葉。何とどう闘っていいのか分からないという相談で、結論が出た気はしなかったのに、その決めぜりふは何だろう。というのは余談ではあるが。
 これまで出会った学生のなかでは最も博識で専門書もせっせと読み、様々なボランティアだの地域活動に参加し、信じられないくらいに学内外にネットワークを持つ彼が、何故に数回の講義を受講しただけの私に話をしにやってくるのだろうと当初は謎であった。
 話は聞けば聞くほど、何故私なのか分からない。学内には懇意にして貰っているらしい、彼の学びたいことに接近した専門性を持つ教授達は少なからず居るようなのに。

カフェでオーレ。 ただ一つだけ思い当たることは、私が彼の話を興味深そうに聞くせいではないか。同じ大学に居ながら、他領域の先生方とその専門性に触れる話をする機会はまだ滅多にもてない私にとって、彼の話の多くは、彼が関わっている長年に渡って研究を成し遂げた、それも相当ユーモラスな教員たちから刺激を受け、学んだ事柄ばかりだからだ。先人たちの問題に対するアプローチの仕方や人となりに関心を持ち、あれこれ質問をするために、彼をさらに饒舌にさせてしまう。あともう一つ、私が、何かとよく笑うせいかもしれない。「合コンを画策しているが一向に実りません」だの「髪が薄いのが深刻なんす。どないしょましょ」など、内容はどうでもよいが、いちいちその言いっぷりが私には可笑しいのだ。

 彼をよくよく観察していると、「ん?ちょっと待って。本当にそれでいい?」と私が素朴に差し挟む、批判には至らない疑問を言葉にしているとき、明らかに目が泳いでいる。次に口を開けるタイミングをずうずしながら待っているのだ。でも、まぁ、ひとまず私でよければお話を聞きましょうか。私、本質的には話したがり屋で、聞き上手ではないのかもしれない、と時々思うのだけれど。

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他己紹介。 :: 2009/07/14(Tue)

 職場の女性ばかりが集まる会合と、そのあとのお食事会。私は本質的に全く社交的とは言えない人間にもかかわらず、そうした場所で何か話さねばならないとなると、何時の頃からだろう、生真面目に話すより、少しくすっと笑って貰えるような話を探してしまう。他の皆さんは、たいてい年長で立派な方々のなか緊張し続けるのは辛く、つい「若手ですのでご勘弁を」といった気持ちから生まれた意識なのかもしれない。
 だいたい初顔合わせの場では「自己紹介」するものだが、”前の席の人と仲良くなって、そのひとのことを皆さんに紹介する”「他己紹介」がその日は採用された。ある程度、年齢も経験も重ねて来た人々なので、目前の人物を紹介しながらも、上手に自分との接点を見つけつつ、自己紹介も兼ねてしまう。ほとんどの人は、その人の経歴や出身、専門分野などを次々紹介した。

何故かちょっぴり神妙な顔 一方、私は目前に座った働くお母さんである女性が発している柔らかいムードと品の良さについてまずは口火を切った。どちらかと言えば、自分は人が話す内容そのものよりも人となりのほうを観察してしまうタイプなのだと思い至った。彼女の雰囲気に合わせて品よくスピーチをはじめた途端、「結婚式のスピーチみたーい!」と親しい先輩教員からつっこみが入る。すかさず「ええ。わたくし、時折、こうゆうキャラになるんです。えへっへ」と返す様子に周りの人が可笑しそうにしていた。最後は、彼女のレトロな趣味に触れたところ「えー、私も好き好き~」という声が挙がったりしたので、皆に紹介するのはひとまず成功だと思えて安堵する。

 後ほど私を紹介してくれた彼女は「先生に今、癒し系の人間のように言って頂いたのですが、実は、そんなことはじめて言われました」と照れながら、最後には研究内容にも触れて「どうか、この大学に長く留まってご活躍を」と言ってくれた。
 帰宅時は、会食時には一度も直接にはお話しなかった少し年長の女性が、声をかけてくださって駅まで送ってくれた。その間、少しだけれど、私の専門に関わるお話を聞かせて貰ったところ「ずっと思い続けていたことをあなたに聞いて貰えてすっきり!私、期待しちゃう。あなた応援したくなる」とまで言って貰え、多忙を極めるなか、よき人々に出会えた素敵な夜になった。

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つかみはオッケー? :: 2009/07/12(Sun)

 小田さんと元春氏の対談、二週目。名曲『言葉に出来ない』の「ラララ・・・」の曲における位置づけを、元春氏が講師らしく、実に見事に分析をしてみせる。おそらくは小田さんへの大きな敬愛の念をこめて。そのあたりが、この番組の真骨頂の部分であると思われた。ただ、それを聞いている小田さんの一瞬の顔ときたら、まるでいたずら小僧のような表情で肩をすぐめがちに笑っていた。照れくさいせいなのか、そんなに真面目に語られるとくすぐったいのか、よく分からないものの、小田さんの「オレ様はアーチスト」然としていないチャーミングな魅力だと思った。
石畳を走り疲れたあと。 元春先生が一人でする講義も聞いてみたいと思えた。小田さんは「君のほうがずっとアーチストっぽいよ」と言っていたけれど、私には元春氏の哲学思考的な自己表現は、アーチストと言うより学者らしいと思えた。小田さんも相当、哲学的と言うか理論構築的な部分がある方だとお見受けするが、表面的には「歌詞書くの嫌いなんだ」「オレ、全部”風”でもいいんだ」などと言って表出されない。観ている者はきっと、あんなに素晴らしい心ふるえる歌詞なのに、本当に?と煙に巻かれる想いだろう。理路整然と説明されるよりも、むしろ「なぜ?!」を聞く側は考え続けるのかもしれない。
 
 観ながら考えていた。あそこに集まっている人たちのほとんどは、元春氏や小田さんを尊敬していたり、あるいは曲や歌詞を書くということを目指しているような若者たちばかりだ。でも、仮に、である。小田さんたちを全く認知しておらず、彼らの音楽にもまるで興味がないような学生ばかりを目前にして講義を展開しなければいけないとしたら、一体、どのような手法を用いれば成立するだろうと。一つには、小田さんがおもむろに出てきて、突如あの名曲「言葉に出来ない」を懇親の力を込めて歌い上げてみるのはどうか。「このひとは何者?!」という衝撃のなかで、歌声とは全く違う低い声で話がはじまる。学生は人の魅力を粋に感じ、「このひとの言葉なら聞いてみようか」と思うことがあるのではないか。
 昨年の大学の「授業改善のとりくみ」の会合。学生による授業評価アンケートの評価点が高かった若い男性教員が壇上にあがり、「ボクは必ず授業のはじめに、みなさん元気ですかー?とモノマネかギャグから入ります!」と言ってのけたとき、聞いていた多くの教員たちは心で冷笑したかもしれない。授業はエンターテイメントではない、と。けれども、私は、一生懸命に準備した「是非とも伝えたいこと」を熱心に語るその瞬間、何人かの学生の頭上を明らかに素通りしたなという感触を持つとき、率直に言って悲しい。双方に実りをもたらす講義をするのは並大抵のことではないけれど、この職業人生はまだ長い。自分の器量の範囲で何度でも挑みたいと感じ始めた。小田さんたちの対談をみながら、色々なことを考えた半時間だった。

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女ともだち。 :: 2009/07/09(Thu)

 努力の割に成果あがらず、が原因で午後は、久々にくさくさした気分だった。それでも夕方の会議後には一人、夕飯を食べに学食に出向いて腹ごしらえ。明日の授業準備に遅くまで精を出す。

ガーベラを貰いました。 あぁ、ちょっと誰かと話したいな・・・。世間話。それから、ほんのちょっぴりの愚痴を笑い話に換えて。そんな衝動に駆られて、ご近所の若い女性の研究室に「打ち合わせ」と称して出向く。いつも、廊下などで出会って立ち話を始めると止まらなくなってしまうのは、同じようなことを感じて、同じように悩んで、同じように立ち向かおうとしているからだと思う。けれども、話すときはだいたい半分以上は笑い合っている。
 研究室に戻って「よし、明日からまた頑張る」と唱えていると電話がかかってくる。

 出てみると、この二日ほどいつも帰宅のバスが一緒になるこれまた同世代の女性教員。「今日も一緒に帰らない?」とお誘いの電話だった。「あ、そうしましょう!」と二つ返事で快諾し、本日も仲良く肩を並べて車内で世間話。話していると、「あ、このひともさっきの私みたいにほんのちょっと愚痴を聞いて欲しかったんだな」と分かる。権力や政治的な関係性にはなく、同世代で、がつがつしていなくて、話をしていて楽な人。今のところたぶん互いはそう思い合える。「ごめんね、ちょっとだけ愚痴って」と言いながらひらひら手を振って少し手前の駅で下りて行った。今度、その女性にヨガを教わることになった。

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お辞儀をする。 :: 2009/07/08(Wed)

カフェオレを飲む。 私が「お辞儀」を最初に徹底的に学ばされたのは、剣道を習っている幼少期だ。「礼にはじまり礼に終わる」と、練習が始まる前に声に出して言わされたし、「武道」には基本的にあらゆる場面でお辞儀をするシーンがある。それをおろそかにしては絶対にならない、と叩き込まれた。試合で負けた時こそきちんと礼を尽くし、終焉まで美しく。自分の気持ちにだけは負けないために。

 私はこう見えて半分は「体育会系」だと言っても誰も信じてはくれないけれど。
 エレンガントなお辞儀の仕方を学んだのは大学に入ってから学生指揮者をするようになってから。これは舞台上での演技の一部であり、指揮者のお辞儀からもう音楽ははじまっているのだから、と教えられた。最初は上手に出来ずに、指揮者の先生に「むはっは」と笑われたことも記憶している。

 そうした経緯で、自分の場合、場面に応じたお辞儀の仕方をするといったことは、学校の勉強の外側にあった。けれども、模擬面接中の目前の学生があまりにぎくしゃくしていれば、指摘をせざるを得ない。個々人によって多少の個性はあっても良いとは思いつつも、「あの・・・ね。私、昔剣道をしていたのだけれど」と口火を切ってしまったがために、一緒に面接官をしていた、うんと年配の男性の先生に「あなた、ちょっと見本を見せてあげなさいよ」と言われてしまったのだ。
 何が将来の役に立つのか分からない。そんな風に「お辞儀」に関して思ったのは、もう何年も前、院の修了式で学長を前にしたとき。思いがけず後で「お辞儀が綺麗だった」だなんて同級生が褒めてくれたことを懐かしく思い出す。

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