風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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初心に戻った夏。 :: 2009/08/30(Sun)

 8月は、少しばかりの精神的ダメージの経験からスタートした。まもなく入ったお盆休みにはすっかり半ひきこもり生活をしている間に、体重、体力、生産力もすべてが著しいばかりに減退。ところが、休み明けは公的な仕事が目白押しで、週に2度ほど出張が重なったりすると、もうこなしていくことだけで精一杯。極めつけは先週末、教育現場にいる先生たちの専門的知識の補完を目的とした講習を一日担当すること。しかも、皆ベテランばかりの年長者たちなのだ。正直、体力的にも技量的にも非常に負担を感じていた。
 事前に出向いた出張先にも何冊かの本やパソコンなどを持ち込んでのぎりぎり準備となる。そのようななか、講義前日に、まさに「謀られたように」職場のパソコンが壊れる。当日は、睡眠時間も十分に取らずに出向くはめになるが、奇跡的に、途中で倒れたりすることなく義務を終える。最後の1時間半程度は、おそらく気力だけで立っていた。どこから沸く力なのか分からない。それでも等身大の熱弁をふるった。その時間帯、最もひとびとの意識がこちらに向かって来るのを感じていた。
 
 側で見守っていた同僚に「後になるほど元気に、生き生き、楽しそうに授業をしていたわよ。」との感想を聞く。風前の灯火のなか、自身を鼓舞しなければ立っていられなかった。そういうことだろう。
 私は基本的には単純な人間なのかもしれない。一人でよいので大きく頷いてくれたり、「なるほど」という顔を見つけたら、それをよりどころに、立って居ることが出来るのだ。

カメラ女子気取ってます。 あぁ、無事に終わった・・・と安堵のあまりむしろ倒れそうになりつつ、暑いなか丸一日、講義におつきあい頂いたことへの感謝の意を人々に述べたところ、思いがけずぱちぱちと皆が笑顔で労いの拍手をくださった。彼らが、こうした講習を国から義務づけられている事には快く思っていない事実を知っている私は、その出来事にかなり心を打たれ、また深々とお辞儀をした。
 思い出した。就職したての頃、はじめて年上の社会人の方々相手に半期の授業に奮闘した冬、最後日に「皆さんは私にとって初めての貴重な経験をさせてくださった人でした」とお礼を述べてぺこりと頭を下げた時に「せんせ、おつかれ!ありがと」という言葉と共に拍手がぱちぱちと広がったあの時。

 なるほど、と私は納得した。ダメダメだった私は、かろうじてスタート地点までは戻った。いつでも戻るべき場所、そのために、すべき事柄をおさらいした数日間だった。
 週末の夜、Satoさんが持って来てくれた槇原敬之のオーケストラ・ライブのDVDを鑑賞。後半、音楽大学の学生諸君が、合唱隊(兼ダンサー)として参加するのだけど、彼らのプロ未満ではあるけれども、アマチュア以上の熱い心意気で懸命に歌い、踊る姿を見つめているうちに、知らないうちに頬に涙が伝って行った。 

 『先生は、独特の雰囲気を身にまとった、善良な魔女に見えました。感謝!』
 これが、先日の講義の感想文で最も面白かった一文である。

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宅急便あれこれ。 :: 2009/08/23(Sun)

 近頃では水などの日用品から本、洋服、基礎化粧品に至るまで、ネットでの買い物も日常的になった。品物は大抵、宅配業者が運んで来る。最近気づいたこと。業者によってそれぞれサービスに特徴がある。あくまでも私の経験の範囲であるが、佐川急便は、不在通知がすでに二度ほどポストに入っていようとも、電話をすれば希望時間後でもドライバーが駆けつけてくる。クロネコは、夜間にしてほしいとの配達時間の希望をあらかじめしていても、何故か早朝からやってくる。しかも、何度もしつこくインターホンを押す。ペリカンは、たとえば夜6時から8時の間に希望した場合、何とか7時半に自宅に着いたとする。でも、それまでに配達に一度来ていれば、そのあとはずっと自宅に居ると申し出ても絶対に当日配達はしてくれない。

 我が家に一番多く来るのは佐川急便。ほとんど毎度、同じ年配男性が来る。もっとも余程大きな品物でない限り、玄関を大きく開ける訳ではない。が、宅急便のためにメイクはしないので、ある時はすっぴんで、ひどい格好をしていることも多いのだ。さすがに恥ずかしいので、ほんのちょっと玄関を開けて、顔もほとんど見ないでさっさと印鑑だけ押す。ちなみに、このおじさんは、こう言っては何だが、デリカシーのある紳士的な人物らしく、私が素顔でパジャマみたいな格好のときは、その様子をそれなりに察してくれて、手早く相応の対応をしてくれるのだ。
 もっともメイクもして多少装った格好のときも態度は変わらず。声のトーンが穏やかで、例えば水12本入りの箱などは親切に玄関の中に置いてくれるなり、「ありがとうございました」と言ってさっと帰ってゆく。同じ業種の人であっても、ささやかに感じのよさを残す人とそうではない人がいる。

夏の記憶も少しずつ遠ざかって・・・。  宅配の人だって早く仕事を切り上げて帰宅したいことだろう。その時間ならば居ると言いつつ、仕事は案外早く終わらず帰れない。そうすると二度、三度と無駄足を踏んで貰うことになってしまう。律儀に仕事をしてくれる人を見ていると申し訳ない。
 それが彼らの仕事だと言えばそうだけれど、この頃はお金を払えば何でもやって貰うことを当たり前とするの事が、何かと社会全体とむしばんでいるような気がするので、私も消費者のときだけ神様ぶらないように気を付けたい。

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よみがえる喜び。 :: 2009/08/19(Wed)

 何年も前に母が縫ってくれた白い膝下丈のスカート。小さなほつれや、生地のすり減りも著しい。それだけ履き続けた証なのだけれど捨てられない。これほどまで体型にぴったりのスカートがないのだ。今年はワンピース下のペチスカートとして履いた。さすがにお暇に出そうかなと思った矢先、漂白してみるとまた着られる気になってしまう。母が私専用に型紙から起こして作ってくれるハンドメイドの服は、長いもので10年以上愛用することもしばしばだ。 

 一方、今年、ネットショッピングで手に入れた、デザインが気に入ったマキシ丈のスカートやフレアキュロットは小さめを選んだつもりでも、想像を超えてオーバーサイズだった。そこで、近所にある「リフォーム・ショップ」を探して出向いて来た。
 店は、とても洒落た雰囲気とは言えないものの、所狭しと依頼を受けた洋服が吊られていた。なんでも、「カラオケ大会で着るつもりで買ったドレスなんだけど、合わないから直して!」なんて依頼も案外あるそうだ。
 そこで、脱いだり着たりしながら、詰める幅や丈を詳細に相談。お盆休みを挟んで1週間以上は直すのにかかると言われたものの、3,4日のうちに仕上がりましたと連絡をくれた。実は1点、キュロットの裾あげにさえ2800円もかかると言われ、思わず、「これだけは、自分でやります」と引き下げた私。(実際のところは、母がこちらに来てくれている間に、手縫いで仕上げてくれた。)

 女性客であれば、夜の訪問も受け付けていると言うので、仕事帰り、引き取りに行ってもいいだろうかと8時過ぎに電話を入れたら「ええねんけどね・・・おばちゃん、もうパジャマやけどええかな?」と言われる。くすっとほほえみつつも、「もちろんです。お気になさらずに」と言って飛んで行った。
 「あなたのこれ、気になってしもてね。早よ取りかかってよかったわ」とパジャマ姿でも愛想のよい笑顔の店主。お直しして貰った2枚のスカートは、とても綺麗に仕上がっていて、さすがにプロの仕事だった。7千円以上も支払ったが、好みの洋服が着られるように蘇ったのだから感動だ。体型に合っていれば、こんなに居心地がよく、からだのラインも変わって見えるものかと改めて再確認。

 今日は、仕事帰りにデパートに立ち寄り、就職して間もない頃に購入した4℃のシルバー時計を持って行く。少しシルバーが黒ずんで来たので、クリーニングを頼んだら15分ほどで、ブレスレットの部分だけでなく、フェイスも新品同様にぴかぴかになって戻って来たので、いささか感激する。
 こうやって自分が出来ないことは外注しつつも、放置せずに少し心を配り、手をかけて貰えたらちゃんと蘇るのだ。そのささやかな実感が、少し自分を勇気づけた。
 ぽきっと折れても蘇ることはできる。その方法は、そこから離れることではなくて、自分でメスを入れてアレンジしなおすことにほかならない。さぁ、「元通り」を超える蘇りを果たそう。

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缶を捨てますか、誇りを捨てますか。 :: 2009/08/14(Fri)

 私は2台の自転車を所有している。いずれも、マンション下の定められた自転車置き場に置いてある。今日、出かけるときに信じがたい光景を目にする。日常的に乗っているほうのピンクの自転車のかごの中に、缶コーヒーの空き缶が二つも放り込まれていた。こういったことは、場所を問わず、過去にも何度か経験があるけれど、2つも入れるってどうゆうことだ?と痛く嘆かわしく思いながら、ふと目をやると、なんともう一台のほうのかごにも、空き缶が無造作に放り込まれている。
 誰が飲んだか分からないものを手で触れるのも嫌だけれど、仕方なく3つも拾ってゴミ箱まで持っていく。

 想像してほしい。もし、お客が家に来たときに、もう要らないと言って、噛み終えたガムを自分の家の床に吐いたりしたら、一体どんな気分だろう。それと同じなのだと、何故分からないのかな。たばこも、空き缶でも、捨ててはならない場所に捨てた場合は、厳罰に処すべきだと思う。たばこ一本、空き缶一つと思うかもしれないけれど、人々の精神衛生に多大な悪影響を及ぼすばかりか、自然環境も確実に破壊していく。先日、「禁煙ビーチ」でたばこを吸うのを止めようとしない人達の言い訳の数々がニュースで流されていたけれど、もう情けないとしか言いようがなかった。

 手をこまねいていても仕方がないので、一応、マンションの大家にある要件で電話したついでに、ポイ捨て事件が過去、何度か起きていることを伝えておいた。せめて、空き缶専用の、丸い入れ口のあるゴミ箱設置などをして、ポイ捨てを未然に防げないか、なども提案した。もっとも、どうやってもゴミ箱に捨てない人間はいるかもしれないが、「はい、捨てる場所はここですよ」と口を開いた物体が目に入れば、何も考えずにそうした行動をしてしまう人は半減するのではないだろうか。
 大家は、このように説明する。我がマンションは企業経営者などちゃんとした社会的地位のひとばかりである。よって、そうしたポイ捨てなどする人間はいないとの前提である。マンションには外の人も出入り出来るので・・・こればかりはごにょごにょ・・・と最後は言葉を少し濁した。「ただ、被害に遭っているのは、私だけではないと思うのでお耳に入れておこうと思いまして」と言うと、知らせてくださってありがとうというお礼と共に、この件については、明日もう一度お知らせしますとのこと。 

 明日から、母来る。ともに真夏の「片づける気にならない症候群」の真っ最中なのでリハビリを兼ねている。母が来るとなれば、最低限には部屋を掃除する私。娘のところに行くとなれば、おそらくいつもより質量アップで家事をこなしてくるだろう母。

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深夜の映画鑑賞 :: 2009/08/13(Thu)

 ここ数日の夜は、NHKで、広島に原爆が投下される前の数ヶ月間を、当時の中学生だった少女たちの日記によって物語化した番組が放送されていた。また別の日は、当時、爆心地のすぐ近くの学校に通っていた男子学生たちが60年以上のときを経て同窓会を開き、それぞれの想いで人生を生きてきた姿をドキュメントした番組も観た。
 あの惨禍を「生き残った」ひとたちの想いは計り知れない。ただ、女性たちの多くは笑顔で、みずみずしいあの青春を生きたあの日々を「あんな時代たったけれど、楽しかった友たちとの日々」として語っていた。男性たちの多くは生き別れた家族や友たちの話に及ぶと、涙をぽろぽろとこぼして、言葉にならないでいた。言葉よりもその一つ一つの表情が印象的だったインタビューだった。

 そうしたなか、ゆうべは深夜に「夕凪の街 桜の国」という映画を観た。2年ほど前の映画だったようだ。被爆しながら26歳まで13年間を生きた女性と、その姪にあたる現代を生きる同世代の女性二人の想いを通して現在と過去が折り重なっていく。
 少し前から気になる女優さんの一人だった麻生久美子が、被爆後の13年を美しく透明感のある演技で演じていた。彼女は心惹かれた人に生まれてはじめて、自分が被爆後に抱えてきた「妹を死なせて生き残ってしまった」苦しみを打ち明けるの。それからまもなく原爆症の病に倒れてしまう。お見舞いに来てくれた恋人を見送りながら、別れるときは抱き合うでもなく、互いに同じ歌を歌いながら、それぞれに背を向けて家路に向かうときの、清らかで幸せそうな笑顔があまりにも可憐だった。それが一層、まもなく彼女がやがて来る命の終わりを悟り、人生を終えていく姿を切なく浮かび上がらせ、溢れる涙はもう止められなかった。
 それでも、この映画は悲しみだけではなく、たしかなぬくもりを心に残した。なんでもない日々を生きるということの希望と、生きていくことができるという尊さを感じた。周囲で自分を支えてくれるひとたち皆に感謝したくなった。何故か亡くなった祖母のことまで思い出した。祖母も広島の生まれだった。

ベンチの向こうは夏の日差し。 時々、真っ白い紙にすっと一本の線を描いて、今日からは線のこちら側の人生をゆこうなど何でもかんでもシンプル化してみたくなる。でも、隙間のある点々の線くらいでいいのではないか。過去は振り返るためにあるのだから、何もおそれず隙間をぬって何度も見に行ったらいい。それは、すべて誰のものでもなく私のものなのだから。本当は、どこにも線などなくていいと思う。ただ、所々に目印をつけながら、ずーっと繋がった過去も今も未来も受け入れよう。

 「夕凪の街 桜の国」
 公式サイト: http://www.yunagi-sakura.jp/

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いいときも、悪いときも、その間のときも。 :: 2009/08/06(Thu)

 8月に入ってから、せっかくなので、読み直した時に気分がよくなるような日記を楽しく綴ろうではないかと、いう気分でいた。ところが、なかなか毎日、心躍るような出来事に遭遇するわけでもないし、例えば過去を素敵なものに意味づけするにも、一定の時の流れが必要であり、気づけば少し日記の更新も滞りがちになっていた。

水色って好き。水玉も好き。 減ったのは日記の更新ばかりでなく、体重まで減った。
 すこしお腹の調子が優れなかったので、ちまちまと小動物のように食事をしていると、驚くことについ先日、40キロを切ってしまった。私はかつて30キロ台などなったことがないので、いささか恐怖に駆られる。幸い、今は過剰な仕事はしていないけれど、少し無理をしたら途端に倒れると思う。先日、講義が何とか終わったので気が抜けて、何としても食べておかねばという意欲が、少々薄れてしまったのかもしれない。
 
 そろそろお盆休みなので、食事をきちんと摂り、秋からの激務に備えて体力と瞬発力をつけ、日記のほうは、何かしら決めごとも気負いもなく、中庸に淡々と綴ろうと思う。

 仲良しの女性教員と事務所で遭遇。「ご飯食べてる?!私ね、食欲がなくなった経験が一度もないの!だから、食べられないってわかんなーい。私の体のお肉、半分くらい分けてあげたいわ」と半ば真顔で仰る。先日は、口達者な男子学生が「ボク、髪の毛ヤバイんですよ。先生、一杯生えてエエやないですか!ちょっと分けてくださいよ。エクステみたいに付けますんで」と言っていた。私は、「君が必要なのは長さではなく、トップと生え際の髪だよね」と親身な気持ちで言ってあげた。

 本日のめでたきこと。レポートをすべて読み終わり「成績の登録完了!」。 

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