風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




スポンサーサイト :: --/--/--(--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. スポンサー広告

「閉じた人」の魅力。 :: 2009/09/30(Wed)

 『私はね、なんか開けた感じの人より、閉じた感じのひとが好き』

 人によって自己開示のラインはそれぞれよね、という話を女4人でしていた。先日の夜の会食は、行政にある企画書を提出する前の打ち合わせを兼ねていた。場所は、テレビにも採り上げられているらしい、ちょっと話題の小綺麗な居酒屋さんだった。平日の比較的早い時間帯だったのでお客も少なく、企画書内容も、ほぼ仕上げられた状態での確認作業なので、ほとんどは雑談を楽しみ、くつろげた。
 メンバーは仕事の関係で仲良くして貰うようになった地域のとある自助グループのメンバー2人と、そのお友達のライターさん、そして私。前述の発言はライターさんによるものだ。
 「閉じたひと」というのは、親和的に振る舞うけれども、自分のことをまるで話さないので、一体どういった人なのだろうと皆で思っているうちに、ある日突然グループを脱会してしまった人のことだ。確かにこういった人は謎を多く残すばかりか、何があったのかと、人々の心配の種になるだろう。
 
 『私も、私も。自分とは全く違うタイプだけど、何も言わない人につい興味を引きつけられるわ』と共感するYさん。Yさんは初めて出逢ったその日に、午後から日が暮れるまでファミリーレストランで私のインタビューに応えてくれた明るい人。
 一方、「閉じた人」とは話が繋がらず、どうしてもうち解けられなくて苦手なの、と告白するHさん。彼女もまた控えめな印象ながら自身についても率直に語れる人。私から見ると、とても真っ直ぐで相談上手。
 私はといえば、人としてはそういう「閉じた人」には興味をそそられるけれど、そっと脇から見つめているくらいがいいと感じる。関わりたくない、と言う訳ではないけれども閉じていたい人を下手に干渉したくはないのだ。私自身が外からの多くの干渉を望まないせいかもしれない。

 あれこれ話をしながら1時間くらいの会食の予定があっという間に3時間近くとなる。この頃は、ちょっぴり無理してでも、仕事やプライベートで自分の「ネットワーク」を創っていきたいなと思うのだ。社会人になって以降、積極的に仲間づくりなど出来なかった私だけれど、どうせなら縁あって、やって来たこの地で何時までもよそ者顔で居たくない。深々と根を張るとまで行かずとも、生きて、暮らしている場所を外側からでなく内側からも理解したい。小さな地方都市ではあるけれど、こんな場所にも確実に面白い人たちがいて、地域の人と人を繋いでいる。豊かさを紡ぐ作戦を練っている。彼女たちもそんな人たちの一人だ。

 ところで「閉じた人・ラブ」のライターさんは、見るからに何か面白い視点で物事を考えていそうだけれど、それはむやみに開示しない印象の人。正直言うと、私は初対面の彼女に興味津々だった。でも、互いにシャイなのか個人的には多く話すチャンスはあまり訪れず。ところが、後になって「彼女、megさんの色っぽさに惚れたらしいですよ」と別のメンバーから伝え聞く。えー!!そんな風に見えたの?!
 言葉数は多くないのに印象的な言葉を残す彼女はミステリアスで魅力的。あとからぼそっとそんな告白を間接的にされたら、こちらこそ惚れてしまうではないか。「閉じた人」にはこういった類の人もいるのか。

 追記:バッグの修理が間に合わず、これ、買ってしまいました(↓)


>>続きを読む

スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. | trackback:0
  3. | comment:2

言うべきか、言わざるべきか。 :: 2009/09/27(Sun)

 私の上唇の上に、小さいほくろがあるのだけれど人相学的には「口は災いのもと」を意味するとか。

 先日、実家に帰ったとき、父が面倒を見ているらしい学生の学位授与がかかった論文を、現段階で「審査基準に達している」と言うべきか、言わざるべきかあまりにも面倒な決断ゆえに逃避気分をひきづったまま、テレビの前と仕事机の前を行ったり来たりしながら悩んでいた。ほどなくして、「決めたぞ。とにかく全論文の問題点はすべて指摘する!」と宣言した。その後、夜を徹して報告文書を作成した模様だ。私は、おー。このひとは、そういう点ではずいぶん偉いなと思ったものだ。

小田さん♪を聞けば自然と笑顔に。 私自身は、負けず嫌いと傷つきやすさを足して2で割ったようなややこしい性格である。この仕事は「評価」も受けるが、反対に何かの折りに、意見や助言や指摘を求められることも多い。たとえば学生に対して。そのときに、相手が「なるほど、そうですね。やってみます!」と気持ちよく受け止めてくれるようなタイプだと、何時でも気づいたことは親切に言ってあげたくなる。
 反対に「あぁ、でも・・・」と、自分が否定されたのだという部分だけに固執して、言い訳を始めたり、下手をすると、こちらを攻撃さえしてくるような気配が垣間見られるだけで、何か言うのがおっくうになる。それが分かるので、自分自身は「あのひとは面倒くさいから、もう何も言わないでおこう」などとは決して思われない程度には、素直であろうと思う。

 相手がこちらの助言の受け手であるほど「伝え方」などは結構悩む。要するに、私は言いたいことは言っておきたい癖に、自分も傷つきたくないらしい。それでも、もっと若い頃は学生にきっぱりと言ったことが、一度だけあった。
 当時、ある学生が、そこらへんの大人よりもずっと自分が優秀で物事が分かっている、と思いこんでいる風情で、何故、こんなバカみたいな課題をしなくてはいけないのかと私に聞いたことがあったのだ。私は出来るだけ冷静に「それは、あなたがどうしようもなく未熟だからです」と答えた。そのあと、その学生とどんな関係になったのかあまり記憶にない。世間を甘く見て、己の力を過信している学生に、その事実を分からせてやろうなんて情熱は持っていなかった。私自身がどう生きていくかの問題のほうがずっと大きかったのだ。

 あの時、あれほと迷いなくキッパリと言えたのは、自分も若く、学生時分に抱きがちな「万能感」の延長上にいたからではないかと思う。私自身が若さゆえに、学生に「未熟だ」と偉そうに言えるくらいに十分に成熟して努力もしている大人だと、疑問を差し挟まずに思えたのだろう。年齢を重ねて経験と多くの出会いが増した私は、当然、以前より謙虚にならざるを得なくなる。
 それにしても、物事は婉曲的に伝えると本意が伝わらず、しかし、確実に否定的な雰囲気だけは伝わってしまうこともある。そうはならない「いい案配」を探すべきか、あるいは、人におおいに嫌われるリスクを背負ってこそ一人前なのか、今日も惑いの時代の終焉が来ることを願って、一言一言を選ぶ。

 前回、カットしてまだ一月半足らずだけれど、すっかり前髪がもっさりと伸びて来たので、美容院に。途中、小学校3年生くらいの女の子を連れたお父さんが入ってきた。おでこをすっきりと出した肩まで長い髪が似合う可愛らしい少女だ。隣で「後ろはあんまり短く切ったらヤダ。前髪はこのくらい!」と雑誌を見ながらきっぱり宣言していた。片や、それを見守る私は、襟足は短く詰めるか、長めに残して梳くのが良いのか決めかねていた。結果、前者を選び、途中で後者にしたほうがいいかな?と思いつつ、言い出せずにちょっぴりイメージとは異なる襟足に、軽い後悔を残す今日このごろ。

  1. 未分類
  2. | trackback:0
  3. | comment:4

川原を歩く。 :: 2009/09/23(Wed)

 実家に帰省中、母と夕方になると近所の川原を歩いた。健康のためにご近所のお友達と一緒にはじめた「ウォーキング」らしいけれど、この数日はご近所さんが留守らしくお供することに。

 桜並木の美しい生まれ育った街を引っ越ししてからは、私は今の実家のまわりの風景をあまり知らない。ちょうどその頃に家を離れてしまったから。母たちの歩くコースは、とても清流とは言えないような都会の川辺ではあるけれども、大和川の支流であり、この頃すこし水が綺麗になって来たらしい。釣り人やサギたちが川面に時折はねる魚を狙っている。

 他愛のないおしゃべりをしながら、「ウォーキング」とはおおよそかけ離れた緩いスピードでその道をゆくと、遠くの夕焼け空が綺麗だ。秋めいた夕風がそよいでいる。遠くには鉄橋が見え、ごとん、ごとんと音を立てて何本もの電車が通り過ぎていく。何だかとても来てよかったと思えた。
 同時に、何故だか懐かしい気持ちになり、普段まったく思い出さないような昔の記憶が蘇ってきた。小学校のとき、夏休みの宿題だった絵を描く風景を探しに、家族で近所の緑地に行ったときに何故、草むらに横になって昼寝をしていた父だけが全く蚊に刺されなかったのか?とか。あのころ、いつもガヤガヤと大勢の子どもたちとお母さんたちで、近所の公園などに遊びに行ったけれど、必ず水たまりや噴水のなかで遊びはじめた私たちのうち、誰かが水に落っこちて帰りはびしょ濡れだったとか。私は晴れた日でも黄色い長靴を履いて走り回っていたとか。

ギターを弾く 母は母で、全く「歩く」ことは二の次で、川面にいる鳥たちを私に紹介したくて仕方がない。白いのがチュウサギ、ちょっとグレーがかっているのはアオサギ、空を飛んでいる大きなのがダイサギ。「アオサビはとても目がいいから魚を捕まえるのが上手なのよ」。「あっ、ほら、魚を捕ろうとしているみたい!」思わず、魚に狙いをつけているチュウサギの抜き足差し足と同じ歩調で我々は彼の動きを凝視する。「それっ!あれっ、逃げられたぁ。あんた、ちょっと、どんくさいんじゃないの?」と母は誰に言ったつもりだろうか。
 そんな様子なので、断じてウォーキングとは呼べないと思うのだけれど、そんな何気ない時間は普段得られない貴重なときの流れなのであった。
 今日の夕刻もひとりで「お散歩」に出たらしい。「今日のチュウサギは、魚をつかまえたよ」と携帯にメールが届く。まさかとは思うが、どんくさいチュウサギを私と同類種と思って憐憫を寄せているのか。

 追記 実家で「この間、テレビですごく美味しそうな広島焼きを見た。あれが食べたい」と申し出たら、その夜、なぜか普通のお好み焼きと、焼きそばが別々になって一つのお皿に盛られて出てきた。「セパレートよ♪」って、デコさん!(母のニックネーム)。 

  1. 未分類
  2. | trackback:0
  3. | comment:4

「モノ」だってストライキ。 :: 2009/09/20(Sun)

 少し以前のことだけれど、大学のパソコンが突然点かなくなった。まだ4年程度しか使っていなかったDELLのマシーンだったが、部品交換や修理となると、すでに古い機種なので時間もお金もかかりそうだと学校に乗り入れている業者の人に言われる。今がXPを買える最後のチャンスだと言うこともあり、四の五の言っている暇もないため、新しいマシーンを即刻、購入。業者のお兄さんは喜んで翌日には飛んで来て、私が講義に出ている間にもネットワーク以外の設定を終えてくれた。
 この頃は、出張と出張の間に、講義と学外の会議をかけもちしていたよう時期だった。同時に、少し前から「不運だ・・・」と感じることが続出しており、パソコンが何の脈絡もなく壊れた程度に至っては「次はそうきましたか、はいはい」という程度でにしか感知しないでいたことが、すでに少し懐かしい。

 その後の自分には、致命的な不運はなかったものの、出張先でささやかな事件が起きる。
 ポーチや財布、新幹線のチケットなどを入れておく「出張用(プライベートも)」ショルダーバッグの受難である。就職して間もない頃にさんざん悩んだ挙げ句に購入。マーガレットハウエルのシンプルな革製品である。私はとにかく重量感のある物を極力持ち歩きたくない。そのバッグは最初からクタクタしたすでに使い込んだような柔らい質感が特徴で、重量も500グラムを切っている優秀バッグであった。たとえ、Satoさんに「それ、ずいぶん、使いこんでるよねぇ(小汚いと言いたげ)・・・」と心ない発言をされたとしても、「これはね、この質感が特徴なの!」と言って常に持ち歩いていた。
 前置きが長くなったが、先日の出張先で、たまたま薄手の大判・シルクショールを小さく畳んでバッグに入れておいたところ、次に出そうと思ったその瞬間、バッグのファスナーに絡まって取れなくなってしまう。ファスナーはちょうど半分まで開いたあたりで、悲惨なばかりに大きくショールの生地を咬んでしまって、全く取れる気配もない。けれども、そのままだとショールが入り口で邪魔をして、中身を取り出すこともできない。ファスナー部分に一カ所を咬ませたまま、残りのショールを地面に垂らして歩く訳にも行かない。自分への怒りと苛立ちを抑制しながら、事務所ではさみを借りて、ショールだけはカットする。ショールのダメージは大したことはない。多少つぎはぎして、身につけるときに隠せばよい。
 しかし、ショールの切れ端は、どうやろうとも、バッグのファスナーにからみついて「私はもう絶対に取れるつもりはございません!」と断固主張しているように見える。

 結局、手の先しか入らなくなったバッグを肩に提げて帰宅の途につく。しかし、絶対にファスナーの付け替え、修理を何処かに依頼して、このバッグは意地でも使い続けてやろうと思う。
 そんな今日この頃、ひとり暮らしをはじめた頃に揃えた(正しくは自宅から盗ってきた)スカートをつるすハンガーだの、洗濯物を一度につるすハンガー類などが、つい最近になって立て続けにバキバキと音を立てて壊れてしまう日々。次は、何が壊れるかと思うと気が気ではなく、とりあえずは自宅パソコンや、USBメモリのバックアップなどを怠らないようにしている。

 経験的に、だいたい人間が修羅場を迎えると、本来それをサポートしている主要な機械類って必ず壊れたくなるようだ。学生の卒論提出前なんて、まず毎年そうなる。こっちのゼミでもあっちのゼミでも同時期にプリンター、パソコンなどが必ず調子が悪くなったり、使えなくなったりする。
 嘘のような本当の話。機械だって、人間のいらいらやストレスフルな波動を捉えすぎると、ストライキを起こしたくなるのかもしれない。だから、人にも物にも敬意を払って。

  1. 未分類
  2. | trackback:0
  3. | comment:2

おしゃべり人種。 :: 2009/09/16(Wed)

 バスで同僚と一緒になるとき、いつも「みんな、なんてお喋りなんだろう!!」と思わずにいられない。

 先日は、「宇宙で人はどうやって快適に過ごせるか?住まいの感覚から考える学会」に行ったと言う先生がいかにも楽しげにその様子を話してくれたし、その翌日は、ヤドカリの不思議な、しかし非常に合理的な生態について熱弁してくれた生物の先生が一緒だった。研究分野が似ていると、「自分も自分も!」と私もおおいに参戦したい気持ちで一杯なのだけれど、いわゆる理科系の先生たちのお話については、「ほーっ」だの、「へーーっ!ほんとですか?」だの感嘆の言葉しか出てこない。

あそこにいた鳥と目があった! もっとも、彼らが私の反応にどのくらい重きを置いているかは疑問だ。一つ断言できることは、彼らはたとえ横やりが入ったとしても、上から何か落ちてきても、途中で犬のうんちを踏んづけても、何があろうと一度話始めた話題は、結論に至るまで話す、ということ。決して派生したり逸脱しないで夢中で最後まで話し通せるのである。これは彼らの一貫した特徴でもある。
 往々にして「自己の世界に陶酔しすぎて、こちらに分かりやすく伝える気がない」などとキョーイクイインカイなどに言われちゃったりする人々だったりするかもしれないけれど、素敵ではないだろうか。それほどにまで、生き生きと自分の研究を語れるのだから。
 あこがれなど通り越して軽い嫉妬を感じる。自分も負けてられないわと思うのだった。

 今年6月あたりから手をつけたプロジェクトが動き始めそう。研究計画書はさんざん書くけれど、企画書なんてはじめて書いた。自治体からも手応えあり。チームで成し遂げる喜びを予感させる。
 


  1. 未分類
  2. | trackback:0
  3. | comment:0

ハッカ飴。 :: 2009/09/10(Thu)

 ゆうべからもう眠るときにクーラーは必要なくなった。たそがれ時に吹く風に秋を感じ始めると、訳もなく夕日に向かって走り出したくなる。もっとも気分的に、だけれど。

 幼い頃。幼稚園児とか、ひょっとしてもっと小さい頃、「きょうはいい日だったから、あしたはわるい日がくる」といった人生観を持っていた。いいことと悪いことは順番交代にやってくる。ドロップの缶に入っている嫌いな「ハッカ飴」を避けて、好きな味のドロップばかり取り出して食べていると、最後のほうはハッカ飴ばかりが残って悲しい。人生はドロップの缶のようなものだと思っていた。
 
 こんな達観した子どもは、きっと自分だけだと思っていたら、最近になってあるひとに「あ、それ、自分もそうだったよ」と言われて驚く。「ちっちゃいなりの防衛本能ってやつかな」と言われてあぁ、そうか、幼いながらにも「嫌なことが起きても覚悟を決めておけばきっと平気、乗り越えられる」と漠然と感じていたのだろうか。
 しかし、もう少し大きくなると、知ってしまう。どんなに不条理なことが起きたあとでも、必ずしもステキなことが起きるとは限らない。それから、さらに大人になればこんなことにも気づく。長いスパンでよいとき、よくないときはあるものの、そんなに決定的に幸福と不幸は分断してはいないということ。

 近頃、他者からの「評価」について考えさせられることがある。かつて小田さんは、自分の初めて作った映画が酷評されたとき、いい知れない腹立たしさを感じたそうだ。何かを創造したとき、何故頼みもしないのに「評論家」を自称する連中が綴る「評価」とセットなのだ。自分は少なくとも自分と同等の実践を行った人間の言葉にしか耳は貸したくない、とまで書いていた。すごくその気持ちは分かった。
 ただ、プロと呼ばれる人は必ずプロではないアマチュアの、あるいはプロの実力のない人々による「評価」にさらされるものなのだ。
 私は、この頃、ほんの少しだけ悟った。仮に、この授業の1回分にどれだけの準備をしたと思うんだ、とか、この半日の講義に命を削ったと言っても過言ではないとか、そんなことは全く関係ない。すべては、受け手の「主観」によって判定されるものが「結果」とみなされる。もっともそれに振り回される必要もなく、それらが自分にとっての「結果」のすべてではないとしても。
 いかに奮闘しようとも、おおいになる不条理に苛まれることだって当然ある。しかし、自分としての「本気120%」くらいの気概で臨んだことは、例え全員に伝わらなくとも、必ずや何人かにはまっすぐに受け入れられ、共感を得るという事実は身をもって知るようになってきた。ときに時間を経ながら。ときに瞬時に。
 
 これからもそうやって進んでいこうと思うのだ。

  1. 未分類
  2. | trackback:0
  3. | comment:6

ありがとう、と言われること。 :: 2009/09/06(Sun)

 「本当に急いでいるんですっ!!」

 と、ほとんど怒鳴り声で叫んだのは、先日、タクシーのなかでのこと。
 外でそんな声を出すことは普段まずあり得ないので、自分のとがった声にびっくりした。

 多忙が続き、朝、相当起きあがるのが辛く、アラームを止めて知らずに寝てしまった日。急いでタクシーを呼んで、朝一の会議に向かう。キャンパスには着いたけれど、研究室はもっと山道をのぼった上にある。体力的な問題も考えて、珍しくふもとから研究室棟までもタクシーで直行を決める。
 時計を見ると、このままま問題なく行けば何とか滑り込みセーフだ。しかし、上まで行くには、小さなゲートを車が超えて行かねばならない。そのゲートでは、守衛からカードを貰い機械に差し込まねばならない。システムはころころ変わっているようだけれど、当然、その事実は外部の人には周知されていない。いつも不思議だけれど、そういった決まり事を呼びかける看板も立っていない。
 車が二台やって来ているのに、困ったことに、ゲート付近に守衛が控えていない。確かずっと以前も同じことがあったことを思い出す。前に停車した車もどうしていいかわからないようで、立ち往生している。そこにどこからか守衛の男性が、悠長に歩いてきた。「おまえ達は仕方がないやつらだ」と言わないばかりの変に強面な顔をして。カードを受け取るには、自分(守衛)が立っている側まであちらからずっと迂回して来い、と説明しているようだ。

聞こえしは希望のうた。 こちらは急いでいるからタクシーを使ってまで来たのだ。ところが、守衛は、タクシーの運転手に、すぐにはカードは手渡さず、まるで重大な規則違反をした犯人を諭すような口調で「あそこを迂回してこっちに来て・・・」と長々とお説教をはじめた。私は、たまらずに「あの・・・すみませんが、私、すごく急いでいるんですよ」と窓越しに言った。そのときは多分、悲痛な訴えだった。しかし、彼は私をいちべつすると完璧に無視をして、また同じことを運転手に説明しはじめた。その瞬間に我を忘れて、あげたのが冒頭の自分の声だ。
 結果的に会議にはぎりぎり間に合った。タクシーをおりるときに「すみません、大きな声を出してしまって」とわびた。何度か乗ったことがある顔見知りの運転手だった。「いえいえ、なんてことないです」と運転手は機嫌よく答えた。
 
 自分が悪い。ちゃんと予定どおりの時刻に起きられたら問題はなかったのだ。少し落ち込んだ。

 あの守衛は、おそらく自分の「存在意義」をあんな方法によって示そうとしているのだ。彼が気持ちよく仕事をしているようには見えなかった。もしかすると、これまで、彼に「どうもありがとう、守衛さん」と言う人が一人もいなかったのかもしれない。大きな声で怒鳴った相手の顔はもう全く記憶にない。その「不遜」と思えた態度だけしか。けれども、今度、いつか何かを尋ねたり聞いたりしたときは、きちんと「ありがとう、守衛さん!」と言おうと思った。
 
 話は飛躍する。社会のなかで「困っている」ひとを自分から作っておいて、さも善人のように手をさしのべるふりをする政治家よりも、多くの人が困らないように、たとえ誰に褒められずとも誰に認められずとも人知れず淡々と道につもる雪をかき、ゴミを拾い、そして花を咲かせ続けられるような人々の存在が日本を変える、と私は思う。このような仕事をしているからこそ、ではあるけれど、盲目的に「啓蒙的」なことを言う人を私は警戒する。

  1. 未分類
  2. | trackback:0
  3. | comment:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。