風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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アイス7個を、物ともせず。 :: 2009/11/26(Thu)

 先日の学園祭で教員チームもお店を開く。ある活動資金の調達と、メンバーの親睦が目的だ。
 はっきり言えば、何のコンセプトもないお店だった。ピクニックシートにずらずらっと、要らなくなった廃品回収物のようなものから、小物、雑貨類まで取り留めなく並べただけのお店だ。もちろん価値ある目玉商品もある。なかでも、とある先生がみずから焼いた和食器は個人的にちょっと目をつけていたものの、あっという間に人手に渡った。
 最終的な売り上げ額を聞いて結構びっくりした。次に、人によって物欲を刺激するボタンがこんなに違うのだと驚いた。最後に、意外な人の手に意外な物が渡っていく様に驚いた。

 ちなみに私がなんとか持っていった商品は以下のとおり。ちなみに洋服を商品にした人は殆どいなかったのが特徴的な我らのお店だった。

 1.母に貰った資生堂の化粧石けんとハンドソープのセット
 2.一度も着て出かけることのなかったベアトップワンピ。ほぼ新品。
   スカート部分がほどよくフレアで可憐。
 3.ネットショップで買い物をした時におまけで付いてきた真っ新のコットンレース・キャミソール
 4.同じくおまけで貰ったチェック柄 シュシュ

ちゃりーん♪ 本当はもっと自宅内を捜索すれば要らないものは発掘されたかと思うが、精神的、時間的なゆとりの限界で以上のみ。
 ハンドソープや石けんは市場価格の半分以下の値段設定であっという間に売れたのは予定どおり。しかし、ワンピやキャミソールは若き学生に「これ、かわいい~」という黄色い声と共にお買いあげ頂く予定だったのに、なんと前者は中年のおじさんが、後者も今どきファッションに身を包んだおばさまがお買いあげになった。一般市民の参加の多さにも目を見張った。
 「おっちゃん、服売っとんねん。これ、どこのブランド?」なんて聞かれた上、ワンピをひっくりかえしたり眺めたりした上、「これ、もらうわ」。あれをさらに何処かで売るつもりか・・・。ちなみに、シュシュはただでも誰かにあげようと思っていたところ、20円で小学生が買ってくれた。

 今にも降り出しそうな曇り空のもとで我々は大健闘をした。大物は売れないというジンクスも翻し、ベビーカーさえ若いパパに売り上げた。
 周りの女性たちの間では「ね、ね。あのおっちゃんさ、ほんまは自分で着るんじゃない?あのワンピ」と、さんざんよからぬ憶測が飛んだが、あまり深く考えないでおくことに決める。
 
 学生の店も食べ物屋はそれぞれに大繁盛していたようだ。とくに近年では、なんでも揚げるのがブームらしく、たこ焼きを揚げたもの、シューアイスを揚げたものが売れていたようだ。が、雨の影響で売れ残ったアイスは自分たちで食べることにしたらしく「ノルマ7個なんです!」と告げながら「じゃ、先生また来週」と言い残して駆けてゆく学生をまぶしく眺めるのだった。 

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春夏秋冬。 :: 2009/11/21(Sat)

 友人を迎えるにあたって駅に急ぐ。駅前に5分程度置いた自転車を「危険のない場所」へ一刻も移動するべく、会えた直後は、地下駐輪所までついて来て貰った。
 
 「ん?自転車って、ピンクじゃなかったっけ?」
 「うん。ピンクは、てっきょ。」
 「・・ははは(苦笑)」
 
 本当は「中央出口」と伝えるべきところ「大きな改札は東出口だよ」と、大きな嘘を教えてしまった私をとがめることなく、「高知んときより、なんだかキラキラしてるね!」と言ってくれた彼女。確かに自分は以前より責任と使命を背負っている自覚は大いにある。が、キラキラというより、首が回らなくなる恐怖に怯えながら、我を見失う一歩手前でぎらぎらしているのだと思う。彼女と言えば、重いパソコンや書類の入った荷物を沢山抱え、靴をすり減らして頑張っていても、「うふふ、実はほら、ここんとこ破れちゃってね」と笑っている。立派だ。

夜のホーム この頃よく思い出すのは、NHKの再放送で観たオフコース時代のレコーディング風景だ。アルバム収録予定曲ごとに、誰の作業がどこまで進んでいるか手書きの進行表が壁に大きく貼り出してある。後日、何かで読んだことには、小田さんは一つずつ終えていくというより「僅かでも同時進行的にも進んでいる感」を救いに思うタイプらしい。小田さんは、しんどくなければ成功を味わえない人らしいので、厳しい現実をより厳しく見据える人なのだ、きっと。
 
 私にも今、あのような表が必要だ。プロジェクト別、研究別、地域連携、教育などなど、それぞれの締め切りなどに分類して。しかし、どのカテゴリーも属さないが早急に迫られる仕事や、どのカテゴリーも関連する仕事はどうしようか?そんなことに悩む暇があれば、手をつけられる事から始めるほうがいいだろう。いずれにせよ、そこまで全体を冷静に見渡せるような私であれば、今、時折の恐怖と焦りには駆られはしない。とりあえず・・・何もかも嫌になって休日は寝て過ごす私と、この言いしれぬ焦燥感は互いに親和的関係にある。
 
 あの頃、パーマがかかった髪に、白いものがぱーっと増え、今よりものすごく若いけれど、きっと眉間の皺はあの頃から刻まれて行ったのだろうと思われる小田さんの、それはそれは張りつめた空気感が思い出される。隅々まで「苦悩的印象」が強く、それが幼心に色っぽく映り、何故か王子様的イメージと繋がったのだ。
 友よ。とここで、突然、勝手に同級生たちを想う。我らは今、季節で例えるならば人生の夏を生きている。それも夏の終わり頃の猛烈にぎらぎらと照りつける太陽の真下だ。ともにこの季節を生き抜いて、さわやかな風を頬に感じる秋、大人の憂いを含んだ美しい晩秋、澄んだ星空が見渡せる冬の季節まで共に過ごそうではないか。
 
 晩秋あたりを生きている、とても仕事のデキる女性たちのスケジュールノートが、もう書く場所がないほどに真っ黒であることについては、そのときになってから考えよう。

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友と会う。 :: 2009/11/20(Fri)

 古い友人が、今年のはじめ以来、ずっと果たせなかった再会のために、わざわざ県を隔てて会いに来てくれると言う。年を重ねて残るのは「思い出と友達」。喜び勇んでランチタイム前後の時間を確保した。移動の前後さえ、ずっと間断なく喋り続けていたと思うけれど、一番のお気に入りの隠れ家的カフェに案内し、それこそ本当に「あっ」と言う間に時が過ぎる。
 友は外に一歩出ると「あぁ、何だか幻想の世界からいきなり現実に戻った気がする」と呟く。彼女は瞬時にそう感じたようだけれど、私は「確かにそのとおりかもしれない」とそのあと職場に戻り、あれやこれやの雑務に追われたあとの帰路でじわじわと実感するのだった。
 私たちは久々の再会とは言え、思えば古き思い出話はほんの僅か、少し大げさに言えば「リアルな今を懸命に生きている」と互いに報告しあったような気がしてならない。だけれど、1点ずつ異なる焼き物器に盛りつけられた甘い味がする五穀米のオムライスセットと、デザートのケーキに美味しい珈琲、。店内に静かに流れるエンヤ、若手作家による小物展示コーナーなどが、ほんの少し現実を遠くに見せ、私たちにそれらを眺めるようにして語るゆとりを与えてくれた。
 最近の素敵な出来事として、先日のチョーク男子の話をすると、ほろりと涙をこぼして自分の息子もそんな風に育って欲しいと言った彼女の顔が忘れられない。

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キレる女。 :: 2009/11/16(Mon)

 朝のバス通勤。隣に座った男子学生がi-podを聞いている。それ自体は構わないが、ドラムやシンバルの耳障りな音漏れがもう尋常ではない。しかも、常にゆらゆらと体を動かしたり、足踏みしたりと、完璧なトランス状態である。一瞬その音量にぎょっとしたが、そのときに「喧しいから少し音を小さくして」と願えばよかったかもしれない。
 私が「出来れば察せよ」という態度を終始取ったのは、大きな間違いだったと思う。最初は、おもむろに日頃から持参している耳栓を取り出し、彼の目に触れるように耳に差し込んだりした。さりとて、真横から漏れてくる音にはたいした効果がない。次に、狂ったような音を立てている存在の方向に真っ直ぐ向いて、おおよそ5分以上、その表情が全く無いように見えて来る横顔と、手元に握りしめられているi-podを交互に凝視し続けてみた。まさか、この私の異様な態度に気づかない訳はないとは思ったが、驚くことに彼が音量を下げる様子は一切ない。
 最後の手段として、私は大げさに両手で耳をふさいで見せた。隣の女が「あんたの音、あまりに耳障り!」と言葉なく訴えている。しかし、当人は、その様子を意に介する様子がない。私の馬鹿みたいな一人芝居に、シャカ男の呆れるほどの無関心ぶりは周囲から見ていても相当、奇異に映ったことだろう。
 
 私は、公共マナーという観点からその学生を諭そうなどと思うのことはやめた。おそらく言っても解らないだろう。私は、バス停に着いた瞬間に真っ先に立ち上がったが、瞬間に思い直し、くるりと振り返るなり、男の耳からイヤホンをすぱっと抜き取った。そのとき、「あぁ、剣道をやっていてよかった」と思った。理性よりも、心よりも、何より先に体が動いたといった感じだ。
 そのとき、私は一体どんな顔をしていただろうか。彼はふいを付かれ、明らかに怯えきった表情をこちらに向けた。これまでの「横柄」を通り越した態度と、目の前であまりに狼狽している幼さを見て、私の気持ちはすっと冷めた。それでも、ただ一言、低い声で「君のその音、ものすごくうるさいっ」とまっすぐに彼の目を見つめて言い放った。彼は心臓を射抜かれたように呆然としていた。謝罪なのか、わかったという意味なのか判別はつかないが、僅かにコクンと頷いた。それほど放心するようなことか。どうして、そこまで他人に無関心でいられるのか。

 バスを降りたら、後ろは全く振り向かず、研究室に足早に向かった。心はもう次の講義のほうに向いていた。今、一番キレやすいのは若者よりも働きざかりでストレスも最も多い中高年層らしい。
 彼が次に朝のバスに乗るときに、再び同じ音量で音楽を聴き続けるのか、少しは周囲のことを考えて行動するようになるのか、誰もわからない。 

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誰も見ていないところで何をするか。 :: 2009/11/13(Fri)

 一週間の終わりに20名少しの講義を持っている。これが、毎回なかなかの手応えがあり、毎週楽しみだ。これだけ少ないと、学生と物理的にも心理的にも距離を近く感じるうえに、各々の顔がよく見える。きっと、この授業内容と私、そして学生たちとの相性が良いのだろう。授業が終わっても、たいてい数名が、まだまだ話し足りない様子で教室に漂っている。

 どの講義でもそうだけれど、最前列に並ぶ諸君は最も熱心な人々だ。一言も漏らすまいと聞いているし、授業後には質問も怠らない。今日はその最前列にいつも座っている一人の青年が、授業後に私が適当に消し終えた黒板を、さらに徹底的に綺麗になるように丁寧に消し直してくれていた。「あら、どうもありがとう」と、声をかけると、何故だかとても嬉しそうに「先生?今日、何か気づきませんでした?」と言いながら、黒板のチョーク置き場を指さした。
 「あ!そうそう、今日はね、白いチョークが沢山あったの!」

お寺で座禅 その教室には、この数週間ずっと白いチョークが切れていた。二週間くらいに渡って「あっ、また白いチョークがないなぁ。いっか。このちっちゃいやつで」「まぁ、いいや。今日は黄色い文字が多いけどね」とか言いながら、短いチョークで不必要に手を汚していた。教務で貰ってくれば良いものを、いつも忘れてしまう私のために、彼がほかの教室から余っている数本を持って来てくれたらしいのだ。
 「そうだったの!?ありがとうー、M君!!」と、私は心底、感動してお礼を言った。「それだけじゃないんすよ」と隣に居た友人が言う。「こいつね、授業前に、ここの黒板を綺麗に消しているんです」と言う。そういえば、授業前に教室を覗いたとき、窓を開けてきちんと換気がしてあった。狭い教室だからチョークの粉末で匂いがこもってしまいがちなのだ。黒板を消すたびに、私は眉をひそめて息を止めていたんだっけ。
 
 ほとんど抱擁してあげたくなるくらいの気持ちで私は彼に「なんて、よく出来た子なの、あなたは!ほんとにありがとう!」と言った。すると、ちょっと照れくさそうに「へへへ」と笑っていた。
 彼は、私が授業はじまりに教壇に立った折り、何故か私のことを見てくすっと笑ったことを思い出した。「ん?どした?何がおかしいの?私が面白いの?(笑)」と冗談を言ったところ「いやぁ、今日は帽子が無いなって思って・・・」と答えていた彼は、ずっと授業中に私が、真新しい白いチョークの存在に気づいて「あ、今日は白いチョークがあるよ!」と嬉しそうに言うのを待っていたのではないかと思うと、ちょっと胸がきゅんと鳴る。
 
 心が洗われるような出来事だ。この大学の教員になれて幸せだ、とまで思った。
 
 話は少し替わり、

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I CAN :: 2009/11/12(Thu)

 SONYのウォークマンを買った。
 そして、ついでにアナログ音源をデジタル化するソフトも購入予定だ。
 その昔、私もウォークマンは持っていたが、あまりの長期に渡って放っておいたせいで充電池は気味悪い色に腐食し、電池ケースが見あたらなくなっていた。それなのに私は、実家から何本かのカセットテープを持って来ていた。「いつか聞きたくなるだろう」と何となくそう思ったのだ。

 学生時代の若い頃にうんと音楽に熱中をした古い友人のブログを読んだ。彼はクラリネット吹きだった。あのころ、誰に聞かせる訳でもなく、飽きることなく何度でも同じフレーズを繰り返し練習したことが綴られていた。あの情熱や集中心は、今も心の何処かにあるのではないか。「ピアニストがピアノを弾くように」。
 ピアニストがピアノを弾くように、というフレーズが琴線に触れた。そうだ。昔、昔、高校生の頃、私も毎日、ギターを胸に抱えて日々練習に明け暮れたことがあったのだった。コンクールに出ることは一つの目標だったけれど、誰かに勝つためではなかった。ただ、ひたすらに一つずつのフレーズを弾きこなせるようになることに夢中になった。「成し遂げたい」。そういう一心で。

 届いたばかりのウォークマンに、当時の自分のコンクール演奏が録音されたテープをそっと差し込んだ。もはや何年ぶりかさえ分からない。
 私は当時、高校3年生。曲はバッハの「バイオリン協奏曲第1番 第3楽章」で、私はその曲のソロパートを担当した。今思えば、相当な難曲である。原曲のバイオリンソロは、スタッカートやスラーを多用し、早弾きの連続だ。原曲を聴いただけでは、到底、アルト・ギター一本でソロを真似ることは不可能だとしか思えない。ただ、不思議なことに、当時の私には「出来ないかもしれない」といった不安が一切なかった。あの、ほとんど根拠のない自信はどこから来たのだろう。
 
 あのころ、私にはほんとうに何もなかった。何一つ自分の証となるようなものを持っていなかった。私は、自分を探してはいなかったかもしれないけれど、誰かに自分を見つけて欲しいとは思っていたかもしれない。
 学校に朝早く行って練習をし、1時間目と2時間目の間の休み時間にお弁当を食べ(早弁の常習者だった)、昼休みを削って練習し、放課後も取り憑かれたように練習をこなしたと思うけれども、苦に思ったことはない。いかに美しい音色を奏でるか。私の理想は、不思議なことにピアノのような音色だった。バイオリン協奏曲をギターで弾く私は、ピアノの音をイメージしていた。

 改めて、当時のコンクール演奏を聞いて、まざまざと思い出した。緊張のあまりに最初のソロパートは少し指が空回り気味だった。あんなにも練習したのに実力をすべて発揮できなかった。きっと、だからもう何年も聞き直そうとしなかったのかもしれない。けれども、次第に何とか我を取り戻し、中盤を超えたあたりのアルペジオによるソロ部分にさしかかる。ここだ。ここが、一番好きだったソロパートだ。  バッハは今のポピュラー音楽の原型と言えるだろう。単調に感じられるバロック音楽にも「胸を徐々に熱くさせる泣かせの部分」が必ず存在するのだ。私は、カセットテープから流れる自分のその演奏を耳にした途端に、ほとんど、苦しいばかりに心の中心を捕まれた気がした。「懐かしい」といったような生半可な感情ではなく、もっともっと激しいものが胸を打ち付けるように迫って来て、うづくまるようにして耳を傾けた。
 ただの素人高校生の演奏である。私は恥ずかしいとは思うものの、その演奏に言い知れない鼓動の速まりを感じ、どんどんボリュームを上げた。それだけではない。ソロパート演奏を引き立てるために細心の注意を払いながらアンサンブルを構成しようと計らいながら懸命な演奏をする仲間達の名前を次々に思いだした。自分の体じゅうが涙に覆われるような気がした。私たちの演奏は、上手とか下手を超えて、ただただ「ひたむき」としか表現しようがなかった。

 もっともっと幼い頃。父に一輪車を買って貰った。1日、いや2日で、乗りこなしてやろうと私は考えた。何度も何度も転んで膝をすりむき、太股の内側が真っ赤になっても、練習することはちっとも嫌ではなかった。
 あの頃、ものすごく強く信じることが出来たのだ。とてもシンプルなことを。
 「努力をする。だから、私は、できる」

 Bach - Violin Concerto No.1 in A Minor BWV 1041 - 3/3
 http://www.youtube.com/watch?v=9A-1iFHoBVE


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クリスマスに欲しいもの。 :: 2009/11/09(Mon)

 先日、自転車の修理に行った。なんの変哲も個性もない大量生産されて、1万円もしなかったスペアの自転車。先日、母が来た折りスーパーに買い物をお願いした。「自転車は黒いやつね。後ろにゴムひもが巻き付けてあるから分かるよ」と言ったら電話がかかって来て「ないわよ!黒い自転車」と言う。無いわけないよ、じゃあ、今から行くから待っていてと電話を切るとまたすぐにかかってきて「あったあった。黒じゃないわ、グレイよ!」と主張していた。厳密に言えば黒とグレーが半々であるが、イメージ的にはすす汚れた灰色である。それでも、高知時代から乗り続けている愛車と言えば愛車である。
 修理に行かざるを得なかった理由は、ある朝、突然タイヤの空気が抜けているのに気づいたからだ。よく見ると「押しピン」がぐさっと刺さっていた。一瞬、不穏な気持ちになった。まさか、誰かが故意にタイヤに押しつけたのだろうか。自転車屋の店主は「一カ所どころか、あちこち穴だらけやで」と言うではないか。「もしかして、ぐさぐさと人が刺した跡なんでしょうか?」「いやいや(笑)、きっと自分で踏んづけたやね」と一掃される。おじさんの話では、押しピンをを断続的に踏み続けながら乗ってしまったのだろうと。

秋ショール・ベストを羽織る。 ポンコツ自転車ではあるけれど、気の毒なことをしたものだ。ちょっと胸を痛めつつ、ついでに壊れてもう長らく点かなくなっていたライトも交換する。豆電球を換えるのではなくライトごと交換だ。しめて2千4百円。おじさん曰く、何とか代はおまけしてくれた、そうだ。入り口には7千円代でぴかぴか光る軽量自転車が並べられていたが、このポンコツ君とまだおつき合い願うことにする。 
 また母の話に戻るが、「あのグレイの自転車、意外と乗りやすいわ。あんたのピンクのより」と言う。実はそうなのである。安価なのに軽くて乗りやすい。比してピンクのは母がある日、もっと高額で買って来た代物である筈が、頑丈なのかペダルが重いのだ。
 
 あぁ、それにしても彼女は(ピンクの自転車)は今、ちょっとした事情で入院中なのだ。と言うべきか、保管場所で養生中と言うのがふさわしい。「あれ」から3ヶ月以内だから今年いっぱいはまだ、心やすらかに養生しておいて頂くことになろうか。私が相当に元気なときに、タクシーに乗らずにお迎えに行けるその日まで。

 自転車が3台あっても別にいいな。「彼女」のお迎えを怠った場合、何だか知らないが大きな罰があたるような気がしてならない。クリスマスに欲しいもの。お洒落で乗りやすくて可愛くて、絶対に失ってなるものか、と思える素敵な自転車。それには、変てこりんな蛍光シールは貼らないが、バックミラーは付けてあげてもいい。あれ、どうしてそんな事思うのだろうか。「やはりお迎えが先だ」。あれあれ、脳より先にキーボードを打つ指先が動く。おそるべし・・・ピンクのめぐ号。

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紛らわしい。 :: 2009/11/05(Thu)

 何だか日が落ちるのもすっかり早くなったよねぇ、ぐりんちゃん。
 もう真っ暗になっちゃったよ。でも、あんたのシマシマはなぜ、こんな闇のなかでもよく見えるんだろうね。ひょっとして発光してるの?
 赤い傘の下 
 あはは。そんな訳ないよね。はぁ、今日も疲れちゃったなぁ。昨日なんかさ、90名近くいる広い教室で2コマも続けて、うろうろ動き回る講義なんかしたら、もう2コマ目は一時間でぶちっと電池切れちゃってさぁ・・・。
 ね、ね。ところで、「小麦粉」のことをメリケン粉って関西付近でしか言わないんだって。知ってた?まぁね、私は沖縄人と大阪人のハーフだし、色々な意味でバイリンガルだから小麦粉でもメリケン粉でも異存は全くないよ。しかしだね、「スコップ」は園児が使うもの、「シャベル」はおっきくて道路工事などをしているおじさんが使うものってのは、譲れないなぁ。


 「フツーはその反対だから、通用しないよ。気を付けてね」だって!得意げに言ってたよ。スコップ使うのがおじさん?それって、へんだよねー。
 ん?あれれ?ぐりんちゃん、なんかご機嫌悪いの?今日は、にゃんとも言わないじゃない。つれないね。ねー、ねー。たまには私も愚痴も聞いてよ。いつも構ってあげてるでしょ、たとえ君が、うねうね地面に這うミミズに夢中で、私の話なんか途中から眼中になしって時でもさ、温かいまなざしを注いで来たし。

 ・・・・。
 あなた、もしかして、ぐりんちゃんじゃないの?!

 あら、失礼しました。
 なんで、いるの?
 いえろちゃん(瞳が黄色)は、この界隈の主じゃないやん。
 それで我関せずな顔していたのかぁ。はぁ、そうか。もういいわ、帰るから。


 ・・・・・・お見送りもなしなのね。

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手紙。 :: 2009/11/04(Wed)

 NHKの音楽番組、SONGSに財津さんと一緒に小田さんが出演と聞きつけ、大急ぎで入浴を済ませてテレビ前にスタンバイする。
 装着すれば、余計に髪がぐちゃぐちゃになってしまうカチューシャのようなヘッドフォン姿の財津さんも、からすとんび(それは何を意味するかは私も知らない)みたいな大きな白いマスク姿でインタビューに応える小田さんも、全く装わない「素」だったが、共に競うようにへんちくりんだった。
 しかし、まるで恋人同士のように直筆の手紙を交換し、音楽で繋がる彼らの友情に感動した。とくに、もうすっかりベテランと言える筈の財津さんが、小田さんが提供した楽曲を「より自分らしく」を目指すのではなく、より小田さんの世界観を重視しようと努力して歌い込む姿や、「小田さんの歌い方は、真っ直ぐに、自分の胸の、奥底にある核たる部分に、問いかけるような歌い方だから・・・」と、じっと瞳を閉じながら、かみしめるように言葉にする姿には胸打たれた。同時に、財津さんが仕上げた曲を聞き終わったあとの、小田さんの瞳を伏せた独特の表情にも。ほとんど羨ましいばかりの瑞々しく素敵な関係。

 そして、こうした話題から派生して、何故この話を綴りたくなったのかは分からないけれど、最近の出来事を書いておきたい。
 先日、同じ学部で働くひとりの学者が急逝した。まだ若かった。平均的にはあと30年くらいは元気に生きてもよいくらいの年齢だった。私は、たった一度しか話す機会がなかった。偶然、今年になって同じ委員会で仕事をすることになったのだ。その一回目の打ち合わせは夏前だった。そのときはまだ彼自身、病気を知らないでいたそうだ。

 彼はあのとき、私に「うそ?ほんとに」と言った。それは私が「今の高校生の女子は、制服がなくなって欲しいなんてきっと思っていませんよ。むしろ、制服は大好きだと思います」と、ちょっぴり若者ぶって言ったときの反応だった。「うそ?ほんとに」というのは私への返答というよりも、むしろ単なる驚きを口にした独り言のようでもあった。あと、いくらかの言葉も交わしたとは思うけれど、とくに印象に残っている内容ではない。

 次の打ち合わせが夏休みが明けてからだった。しかし、彼は欠席であった。そのときに病気で入院していることを、私ははじめて知らされた。重篤な状態だと。
 そして、その翌日、彼がもうこの世にいなくなってしまったという事実を知らされたのだ。私は言いようのない気持ちになった。悲しみよりも何よりも不思議な感覚があった。「うそ?ほんとに」と私は彼と同じようにひとり、呟いた。
 
 そのあとの大きな会議で、全員で黙祷を捧げた。それは、とても長い黙祷だった。
 だから、私はあの最初の会議で隣に座った彼の顔をまざまざを思い出すことが出来た。
 同じ学科の同僚から、彼の学者としての立派な業績と、僅かな人となりをうかがわせる事実が聞かされた。
 夏休みにはもう遺書をしたためていたこと。
 9月の半ばに事務手続きのために大学に来たこと。
 そして、それが最後の出勤であったこと。

 多分、私がまだ一度も話したことがない男性教員のひとりが、眼鏡を外し、そっと涙を拭う姿を見た。
 こんな風にして、人はすっと消えてゆくように居なくなるものなのか。
 彼の遺書は、とても正しい、きちんとした日本語で綴られていただろうと想像する。

 小田さんが財津さんに提供した曲のタイトルは「手紙にかえて」  

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メリケン粉と片栗粉とケチャップがない。 :: 2009/11/02(Mon)

 先週末に母来る。
 
 「依存なきところに自立なし」というのは父の昔からのお気に入りの口癖だ。母が先日、我が家にやって来る直前に、父が「おい、○○まで仕事で行くんだけど、ちゃんと着くかちょっと不安だからさぁ、ママ一緒について来てよ」と言ったらしい。「ついて行っても全然楽しくないじゃないの、私!(私の心の声:え、そういう理由?)」と憤慨していた。
 母は父にインターネットで路線検索する方法を教え(PCで複雑な統計解析が出来るのだから、駅名入力が出来ない訳がない。全くする気がないだけ)、勝手に一人で行くように息子を(いや父を)突き放した。そう言いながら、娘の家にやって来た夜になると「お父さん、ちゃんと迷わず行けたの?」と電話しているのだ。これまで甘やかして駄目な息子(いや父)にしたのは半分は母の責任だ。父は「まぁ、別になんてことはなかったな」と偉そうに答えていたらしい。一緒に来てくれと言ったその口で。

 我が家に母に来て貰うと、食生活が改善されるなどのほか、潜在的にはよき点がもう一つある。私自身の「休日・廃人化の防止」だ。この頃の私は、休日は日がな一日、ネコのように眠り続けてしまい、日曜夕刻のサザエさんを観てしまうと、不毛な時間を過ごしたことに心底絶望するのだ。
 
 身内と言えども、廃人化したままの自分では何故か非常に居心地が悪い。そこでトイレやキッチンの掃除からはじめて、散らかった書類は積んでせめて分類。着て脱いだものは畳んで直す。はじめると徐々に気分が良くなっていくことは知っている。知っているけれど誰も来なければ絶対にやらない。来客は私の社会性をよみがえらせ、廃人化を予防するという訳だ。
 
 家事というのは、住人の裁量次第で大きくもなり小さくもなる。私は、もちろん家は綺麗な好きだ。だから、普段も一見、片づいているように見せることは出来るが、さほどこまめではない。数ヶ月に一度に奮起してあちこちを磨いたり、引き出しや書類入れをひっくり返しすことはあるが、身長より高いクローゼットの上に積もっているだろうホコリは気にしたことがない。だから、母が帰宅したあと1週間もしてから「あらまぁ!こんな所が綺麗なっているわ」と気づいたりする。そして、母もまた「私も自分のウチ帰ったら、このくらい綺麗にしなくちゃ!」と言って、なかなか実行出来ないようなのだ。
 
 ちなみに、私の家ではメリケン粉と片栗粉とケチャップが切れている。割と頻繁に使うから無くなるんだけれど「なんで(そんなものさえ)ないの?」と母に呆れて言われるまで、無くなってしまったことを忘れるくらいの期間は気づかなかったということだ。 依存娘続行中。


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