メリケン粉と片栗粉とケチャップがない。
 先週末に母来る。
 
 「依存なきところに自立なし」というのは父の昔からのお気に入りの口癖だ。母が先日、我が家にやって来る直前に、父が「おい、○○まで仕事で行くんだけど、ちゃんと着くかちょっと不安だからさぁ、ママ一緒について来てよ」と言ったらしい。「ついて行っても全然楽しくないじゃないの、私!(私の心の声:え、そういう理由?)」と憤慨していた。
 母は父にインターネットで路線検索する方法を教え(PCで複雑な統計解析が出来るのだから、駅名入力が出来ない訳がない。全くする気がないだけ)、勝手に一人で行くように息子を(いや父を)突き放した。そう言いながら、娘の家にやって来た夜になると「お父さん、ちゃんと迷わず行けたの?」と電話しているのだ。これまで甘やかして駄目な息子(いや父)にしたのは半分は母の責任だ。父は「まぁ、別になんてことはなかったな」と偉そうに答えていたらしい。一緒に来てくれと言ったその口で。

 我が家に母に来て貰うと、食生活が改善されるなどのほか、潜在的にはよき点がもう一つある。私自身の「休日・廃人化の防止」だ。この頃の私は、休日は日がな一日、ネコのように眠り続けてしまい、日曜夕刻のサザエさんを観てしまうと、不毛な時間を過ごしたことに心底絶望するのだ。
 
 身内と言えども、廃人化したままの自分では何故か非常に居心地が悪い。そこでトイレやキッチンの掃除からはじめて、散らかった書類は積んでせめて分類。着て脱いだものは畳んで直す。はじめると徐々に気分が良くなっていくことは知っている。知っているけれど誰も来なければ絶対にやらない。来客は私の社会性をよみがえらせ、廃人化を予防するという訳だ。
 
 家事というのは、住人の裁量次第で大きくもなり小さくもなる。私は、もちろん家は綺麗な好きだ。だから、普段も一見、片づいているように見せることは出来るが、さほどこまめではない。数ヶ月に一度に奮起してあちこちを磨いたり、引き出しや書類入れをひっくり返しすことはあるが、身長より高いクローゼットの上に積もっているだろうホコリは気にしたことがない。だから、母が帰宅したあと1週間もしてから「あらまぁ!こんな所が綺麗なっているわ」と気づいたりする。そして、母もまた「私も自分のウチ帰ったら、このくらい綺麗にしなくちゃ!」と言って、なかなか実行出来ないようなのだ。
 
 ちなみに、私の家ではメリケン粉と片栗粉とケチャップが切れている。割と頻繁に使うから無くなるんだけれど「なんで(そんなものさえ)ないの?」と母に呆れて言われるまで、無くなってしまったことを忘れるくらいの期間は気づかなかったということだ。 依存娘続行中。
【2009/11/02 22:08】   トラックバック(0) | コメント(0) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






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