風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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come on 2010 ! :: 2009/12/29(Tue)

 来年はブルーレイ・レコーダーを自分で買おうと思う。4万円代くらいになれば。ちなみにテレビは数年前に「俺が観るテレビがアナログだなんて断じて許せない」人が、我慢できずに買った。

 今年もまた「クリスマスの約束」は悠長に録画をせずに観た。毎年、Satoさんが編集したDVDをくれるのだ。そのくらい普段は貰ったり借りたDVDを観るだけの代物であり、自宅のDVDレコーダーは果たして本当に「レコーダー」だったのか、ひょっとしてただのプレイヤーなのかも把握していない。

さようなら、2009 ところがである。「オレ、今年はブルーレイだから(←年末にとうとう買ってしまった人)」とクールに言い放たれてしまう。ひとまず、お正月には何度も観たいので、実家のブルーレイでの録画は頼んでおく。しかし、このままでは自宅で観られないではないか。どうしよう。
 そこに一人の男が真夜中に電話をしてくる。「おれ、結婚することになってん」と報告するために。クリスマスにだけ小田さん繋がりで私の存在を思い出すらしい友達である。ひとしきりクリ約の感動を分かち合ったあと、愛しい彼女にもDVDに編集して焼いてあげたと言うので、「Yちゃん、お願いがあります」と、そのときだけ殊勝な言葉づかいで、私にも送って頂くことを懇願する。一応、遠慮がちに「いつでもいいからね。気が向いた時に送ってね、ね。」と言ってみたが、お正月を過ぎても届かなければ「ね、まだ?」と催促メールを書いてしまうだろう。

 どうして、こんなにも他愛のない記事を書いているかと言えば、掃除がはかどらないからである。もう一つは「あの写真、せっかく送ったのになんで貼らないの?」と、以前から3回ほど言われていたからである。(敢えて言えば、カリメロのような髪型に少々の疑問を感じていたからである。)今年は11月が最後の撮影になってしまった。素に近いカリメロ・ボーイッシュな姿で今年は締めくくり。
 
 みなさま、どうかよいお年をお迎えください。

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たしかなこと、ひとつ。 :: 2009/12/29(Tue)

 どうも、これだけは書いておかねばならない気持ちだ。
 まだ大掃除と年賀状づくりが終わっていないけれども。

 「クリスマスの約束」を観た。

 小田さんは終わったあと、「今はまだあまり何も語りたくないんだ」と言ったけれど、私はこらえきれずにすでに何人かの人々と熱くあの素敵な夜について語り合い共感しあった。だから、もう書くべきことがあまり残っていない気がしたけれど、書きはじめてみることにする。

 ========
 
 ひな壇に並ぶアーチストたちを思い出す。あのシーンと似た風景を、私は何処かで見た気がしていた。それは、よく思い出してみると、今年の夏に出向いた小学校にある音楽教室だった。子ども達が手を後ろに組み、かかとを上げ下げしてリズムを取りながら、衒いなく大きな声で「皆と一緒に歌う」という喜びと感動を謳歌していた。なかには隣の友達と手を繋ぎ合って歌っている女の子達の姿があった。根本要氏が「可憐だ」と言ってよいほど終始、タテノリで一生懸命に歌っていたせいかもしれない。
 
 私は、だんだん小田さんが「走れメロス」のメロスのように見えてきた。
 「同じ時代を生きている、同じ国のアーチストたちが互いを称え合えるような文化をつくりたい」というコンセプトは、5人のオフコースが終わったすぐあとの小田さんの「大義名分」だった。小田さんは30代後半頃だったかと思う。そして、あちこちに奔走した。でも、その試みは小田さんの言葉を借りれば「見事に挫折した」と著書にある。
 8年前にはじまったクリスマスの約束でも、沢山のアーチストたちに手紙を書いた。でも、小田さんの想いに共鳴してやって来るアーチストは一人もいなかった。あの頃の手紙にも「互いを称え合いたい」という言葉があったと思う。でも、今回の手紙の全文のどこを見ても、もう「大義名分」を語る言葉はなかった。メロスは親友を救うためにひたすら走り続けたが、最後は「何かもっと大きなもの」のために走り抜くのだ。小田さんの言う「言葉を超える何か」とそれは共鳴するものだ。
 
 強烈に印象的であったことが幾つかある。小田さんは自身の冠番組のなかで、誰よりも多くの労力を割きながら、いわば裏方仕事に徹していたこと。そして、若手のアーチストたちから発せられる多くのネガティブな言葉も受け止めて、あくまでも人々の同意のなかで作業を進めようとしていたことだ。
 あのような大曲に編集を施し、コーラス譜全体を作り上げるだけでも想像を絶する作業だったと思うが、小田さんは一人のアーチストでありながらも、あの企画全体を観とおして、着地に責任を持つことを決意した志高き船頭だった。
 「キャプテンなら草むしりもやって当然」という少年期の小田さんの純真な使命感と、長く音楽を愛してやまず、第一線にいても努力をし続けている60歳を超えた小田さんの信念が、この国の大勢の若いアーチストたちと、それを見つめる私たちに大きな贈り物をしたように思う。
 
 ステージに立った彼らは、まるで魔法をかけられたような大きな光と輝きを放ち、そして、お客さん一人一人の物語がそこに乗り移っていた。それでも、最後に残された「斉唱」では、きっとアーチストもお客さんも観ている私たちも一人残らず同じ気持ちになったのではないだろうか。なぜ、あれほどまでに小田さんはユニゾン、すなわち「斉唱」にこだわったのだろうか。そのこたえは最後の最後に分かった気がした。誰よりも一歩前に出たい強烈な個性を持つ集団のなかで、あえて誰の個性も際だたせることは求めず、ひたすらに一つの旋律をともに声を合わせて歌うこと。自分の器量のなかに誰かを受け容れて融合をすること。誰かの器量のなかに自分を招いて貰うこと。「たしかなこと」の歌詞は後半に迫るほどに痛いほどに胸に刺さり、むせび泣きたい気持ちになった。
 小田さんの描いていた夢は、たしかに私たちの皆の心の奥底にずっと在り続けるたしかなものだった。
 
========= 
 
 私たちは、同じ時を生きている。
 
 私はあの番組後にひとしきり感涙し、そのあと奇妙な行動に出た。真夜中2時をすっかり過ぎていたが、今年出逢った、ある行政の主任にパソコンから一本のメールを打った。そこに心新たにして来年からのプロジェクトに臨みたいという気持ちを熱く語った。
 小田さんがこんな風に冒頭に語ったことは、まるで自分に向けてのメッセージのように思えたのだ。
 『今年やろうとしたクリスマスの約束は、自分ひとりで準備するのはなかなか難しい。そう考えて、何人かのアーティストと、小委員会を結成しました。結成しましたと言っても、みんな本当に忙しいのに、僕が一方的にお願いしたのです。何度も集まってもらい、この企画が果たしてホントに実現できるか。とにかく、いっぱい話をして、メールを交換して、という日々が続きました。夏を迎える頃、ようやく、決行しよう!ということに、なりました。そんなわけで、この小委員会がなければ、今年のクリスマスの約束の実現は、なかったと思うのであります。』
 
 私は今年の中盤以降に、とあるプロジェクトの企画推進委員会なるものを結成した。それ以外の沢山の仕事を抱えながらも、日常の殆どは、そのプロジェクト推進のための考えや業務が、色濃く常に私を拘束した。一人でも誰かの共感を強く得たかった。でも、まだ何の信頼もないに等しい。だから私は、ものすごく大きな「大義名分」に依拠して打って出た。それでも共感してくれる人がいたのだ。
 
 すべてのことがそうだ。ときに一喜一憂し、一歩進んではまた一歩下がるような気がするときがあると思う。それでも、一生懸命に取り組もうと思った。自分がどうしたいのかもう分かる。誰か一人でも「やってくれてよかった」と言われる仕事をしたい。同時に誰かと「よかったね!」と言い合いたい。今、私は同じ時を生きている心から「仲間」と呼べる人々と出会っている途中なのかもしれない、と思った。そうして、私は自分が前に進もうとする限り、まだ「挫折」を許そうと思う。

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関西人は本当にヒョウ柄が好きかどうかは別として。 :: 2009/12/25(Fri)

 「可愛いヒョウ柄の帽子を見つけて欲しかったのですが、我慢しました。大阪でヒョウ柄ってあまりにもベタすぎやろ!と思って」

 以前の職場でとても懇意にしてくれた同僚の女子が、このたびお気に入りのアーチストがライブを大阪でやるということで、四国から遙々とやってきた。という旨のメールが冒頭の一文と共に午前中に飛び込んできたのだ。
 ついてはせっかくなので、「ひょとしたら会えるかなー」というニュアンスを、こちらが仕事中だろうという配慮から、遠慮がちに漂わせつつ「大阪って浜村淳のポスターがいっぱいですね!」とか「本当にどこに行ってもヒョウ柄が売っています!」などと楽しいレポートを炸裂させていた。
 浜村淳なんてそんなに見かけたっけなぁと返信すると「大阪人にはもはや空気なんですね・・・」だって。

 そんな彼女に「ヒョウ柄帽子は、これ東京で買ってんと言っておいて、四国で被れば中和されるんちゃう?(←なにが?:笑)」といった冗談メールを飛ばして遊んでいると、しばらくして本当に「励まして貰ったので買っちゃいました」と言ってきた。彼女はきっと関西でも生き生きと暮らせそうである。そういえば学生時代を東京で過ごした彼女は「あの人らの「へぇ・・・そうなんだ・・・」って反応に、はじめは耐えられへんと思いました」と言っていた人だ。「なんでなんで?ほんでほんで?それで、どないしたんよ?」と言わないのは何故なんだ?、と。
 そんな訳で、この週末は、ちょっとだけ足を伸ばして可愛いヒョウ柄の頭を拝みに出向いて来ようと思う。

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女同士のクリスマス・イブ。 :: 2009/12/25(Fri)

 冬休み前の講義がようやく終了である。

 最後の講義に、あるまっとうな理由で、大学時代の同級生を講義に招いて参観して貰う。来年度以降はその専門知識を借りて講義づくりに一役買って貰う予定があるのだ。いわば作戦会議にやって来て貰った。
 それにしても長い時を隔てて再び、私たちが出会った「大学」という場所で、同じ時間を共有していることに不思議な感覚を抱いた。同時に、それが極めて自然でもあることにも驚いた。私が教壇で話している。視線の向こうにはにこにこしている彼女がいる。そのことはとてつもなく以前から用意されていた物語のような気分にさえなってしまう。
 学生時代の授業中は、斜め後ろあたりから彼女の後ろ姿を見ていた。たいていの場合、『眠くて死んでしまう~!!はよ、試験問題を言わんかぁ~!!』と心で叫び、果敢に眠気と闘いながらも、最後はかならず闘い破れて机にうっつぷしてしまう。「眠りに落ちる瞬間」が可笑しくてくすくす笑いながら見ていた。講義後に友人同士で、彼女のノートを覗きこみ、ミミズの這ったような、あるいはほとんど全部が不整脈と言うべきシャープペンシルの軌跡を「なぁに、これ」などと言い合いながら笑うのが楽しかった。
 しかし、立派に使命を果たそうとする社会人、そして母となった彼女はもう授業中に決して眠らなかった。じっと考え込むようにして、時折、すらすらとペンを走らせメモを取る様子は知的そのものだ。それは、まさに隔世の感なのだった。
 当然のように、仕事のあとは共に食事に、最後はお茶に出向いて沢山話す。あの頃のどうしようもなく未熟だった私たちが「イマドキの若者」の話をする。自分たちの事も語り尽くす。そうしてこれまでは大きなトピックではなかった親たちの話もする。すべては「今と未来をどう生きるか」がテーマだ。
 かつて誰かが、女性は、ライフコースの選択によっては友情が途絶えると言った。結婚をするか、子どもを持つか、家に入るか働き続けるかどうか、その折々で。でも、事実からすれば縁ある人はどこまでも縁はあるのだ。もっと言えば、現代の女の生き方は、これまでのような幾つかの定型に納まるものでもないだろう。
 
 実を言えば、前夜は、真夜中に受信した学生からのメールの内容に小さくショックを受けてよく眠れなかった私は、アルコールも飲まずしてすっかり最後は目が重くなり、ほろ酔いのような感覚になってしまった。
 あぁ、今夜はきっとよく眠れることだろう。彼女が来てくれて本当によかった。そうでなければ、今頃はまだ研究室に居て部屋から出そびれてしまっているだろう。「今夜は私、ずっと大丈夫なんだ!」という嬉しそうな言葉に私も残した仕事はみな翌日以降に預けることをすっぱり決めたのだ。
 女友達に、心底感謝しながら過ごした素敵なクリスマス・イブだった。

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ヘルプ・ミー! :: 2009/12/22(Tue)

 とても長い時間、職場にいることが多くなった。土曜日も朝からふたこま連続で講義をしてその後も夜まで働くと、日曜は全く何も出来なくなった。そのつけが月曜日にまわり、ランチまですっ飛ばして気づけば夕方だった。授業中のテンションは著しく高い。ふたこまもすれば体から脂肪が殆どそぎ落とされてゆく。ずっと体重は増えない。
 
 この春から、県や市町村、民と繋がりながら自身の研究との接合をはかっていくような大きな仕事をはじめた。急激に仕事量が増えたのはそのことにも依る。人々の納得を得るための企画書を練り、「これをやります」「ついては予算をつけてください」と申し立ててまわり、あちこちに話をしにいき、要するに何でもやるプロジェクトの旗振り役になった。労力はほぼ限界に達していて、来年度以降はちゃんと学生アルバイトを見込んで予算を使おうと思っている。
 自分がこういった役割がとりわけ向いている人間かどうかなどは検討しなかった。ふたを開けたらそういうことになっていたのだから。
 
 私は悟った。たった一人ではこのプロジェクトの成功はあり得ない。ちゃんとした「専門家」になりたいと思ったら、ジェネラルな力が要求されている。そういうことだ。
 それにしても、事務や行政を相手にした「オキマリゴト」は面倒で分からないことだらけだ。一度経験してみれば楽だが、はじめてで分からないのは当然だ。論文の書き方は学んで来たけれど、県の長に向けた書類のひな形など私は知らない。
 学生には「分からないことがあればまずは自分で調べてみなさい」と言う。でも、今の私は職場の真ん中でこう叫びたい。

 『私のことを助けてください!!』

 分からないことがあれば、すぐによく知っていそうな人に頭を下げて聞く。「恥をしのんでうかがいます!これこれを教えてください!」と大きな声で叫ぶ。そんな事も知らぬのか、馬鹿者がと思われてもよい。今から知ればいいのだから。そして、言ってみるものだ。案外、「よっしゃ、まかせとき!」と言わないばかりに教えてくれる人もちゃんといるのだ。

 外と繋がるために方々からのメール対応をする合間に授業の準備をして、ハイテンションで授業をする。さらに合間に学内紀要の校正をして・・・今日一日、私は何か実りある仕事をしたと言えるか。一日が終わると悲しくなってしまうことがあった。最終バスで一緒になった研究者が「ネイチャーに投稿したんだ。でも、落とされた。あれから2年経ってようやく○○って雑誌にアクセプトされたんだよ」と嬉しげに語っていた。羨ましかった。つい先週頃のことだ。「私はどんな人間として、どんな風に仕事をしたいのか」と問いかける。
 けれども、明日も歩きださずにいられまい。
 先週の日曜には研究会に行く。饒舌になる自分。よし、私は私だ。
 そして、また戦場に戻って来る。

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空みたいにさ。 :: 2009/12/10(Thu)

 一昨日から喉が痛む。それに耐えて昨日は、朝からよそでふたこま続きの講義をした。大急ぎで大学に戻ってゼミ。最終バスの10時を過ぎるまで、息をつく暇もなく働き続けた。帰宅してみると、単なる長時間労働だけが理由ではない「心労」らしきものが募っていることが分かった。ゆうべのちょうどこのくらいの時刻だ。

ゆったりした時間を。 今朝起きたとき、また新しい朝がやって来たと思った。
 「今日は、歯を磨くように一つ一つを淡々とやり過ごそう。そして、ネガティブな出来事にはすべてプラス補正を心がけよう」と、ベッドでちいさく誓った。出向いてみれば、いつもと変わらない日常があり、どんどん時は過ぎて行った。ただ、たとえば少し過剰負担に感じていた事務仕事をさりげなく手伝ってくれる親切な事務員さんがいたり、ある憂鬱な懸案も手がけてみると、想像したよりは悪くない結果になったり。昨日よりは2本早いバスで帰宅できた、とか。実家から沢山の珈琲や食糧が届いたとか。そんなこんなの積み重ねで、たぶん人の気持ちは15分刻みくらいで変わっていくのではないか。

 だから、かなりどん底に落ちたとしても、案外、何度もの「15分」を重ねていくうちに、あるいはほんのちょっとした出来事をプラスに積算する心づもりがあれば、気持ちは上がっていくのかもしれない。
 何だか劇的なことが起きて幸福の絶頂に行ってしまうより、そうした、つつましやかな気持ちで日常に適応していくことが今、生きていく術なのだろうな。簡単に言えば「よろしくない状況」の日常も、ごく当たり前のこととして受け止める器量があれば、たまにある「よろこび」は絶対に見過ごさないし、霞まない。

 今日、冬のボーナスが出た。

 でも、出る前に買っちゃったのだ。もう間もなくバーゲンというこんな時期に。大物を。
 でも、いいの。とぉーっても気に入ったのだから。
 
 同僚のNちゃんに「あ。ストレス買いですか?」とすっぱり言われる。

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もう一つの部屋。 :: 2009/12/06(Sun)

 こちらは、比較的こぎれいにしている。 
 この夏、何の前触れもなくパソコンがクラッシュした。かなりの修羅場を送っていた私は「むはははっ」と思わず笑ってしまった。人間が壊れかけていると、機械はいち早く察知してストライキを起こす。このセオリーは普遍だ。などと、どうでもいいことが証明されたことに、ほくそ笑むほどには病んでいた。
 
 それはさておき、パソコンがないと仕事にならないので、その日のうちに業者を呼んでさっさと新しいのを注文した。ついでに、ディスプレイもかつてなく大画面を、スピーカーも音質にこだわって選んだ。さらに、この際、学生と一緒にゼミをするためのデスクも明るい黄色に買い換えた。以前はものすごく重量感のある古い灰色のデスクだったが、比較的面積の大きなものを換えると、全く部屋の印象が変わった。椅子も当初は寄せ集めで、何処か具合の悪いバラバラの椅子を使っていたけれど、毎年一点ずつ買い換え、今年ようやくおそろいの3つの黄色いオフィスチェアに揃った。新しいデスクを見た人たちに「黄色が好きなの?」と聞かれたが、実際はちょっと大人っぽいココア色のカフェ風テーブルや、アンティークな物にも憧れる。だけれど、あくまで職場だ。そんな趣味嗜好を追求する訳には行かないので(いや、なかには研究室の一画を畳敷きにして茶室にしている方もいるらしいが)行きがかり上、学生や来客を招くスペースは「明るめ志向」となった。そして、最近になって、ようやく「すぐに沸く」ポットを買い、研究室で自分でお茶を入れるようになった。

こちらは、いつも修羅場化する仕事スペース 着任して間もない頃、前任者が残していった使い方も定かでない「物」ばかりに溢れた部屋で呼吸がしにくかった。何時までも「自分の部屋」という気分になれないけれども、その他の様々なことに適応することに忙しく、部屋を整える暇もゆとりもあまり持ち得なかった。それでも、毎年少しずつ不要品を破棄をしたり、整理したりするうちに、この頃になって少しずつ自分好みの空間になってきた。夜6時を過ぎればお気に入りの音楽を流してお茶をいれ、そうやって長い夜もやり過ごせるようになった。
 
 「そんな訳でね、クリスマスプレゼントには、研究室で飲めるような珈琲や紅茶が沢山欲しいの、マミー♪」と甘えたメールをしてみる、都合のいい娘であった。そして「承りました」と何時までも娘を甘やかしている自覚があっても、放っておけない我が母なのであった。



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忘れないでください。 :: 2009/12/04(Fri)

 小田さんは「苦しいことを経験しないと、安心できない質」とは聞いていたけれど、今年の「クリスマスの約束」は、そんな小田さんが本気で臨んだ集大成が観られそうな予感だ。

http://www.cdjournal.com:80/main/news/oda-kazumasa/27741

紅葉未然 まだ放送を観てもいないのに、記事を読むだけで、勇気づけられてしまう。この頃はもう11時近くに帰宅するのが普通になってきた最近の私も「しんどい、苦しい、ストレスフルだ、なんて思わずに今日の苦労は未来の希望と思って生きよう」と思えて来る。いや、本当のことを言うと、そういう気持ちも半時間くらいで霞んでしまうことだってあるのだ。だけれど、何度も何度でも思い出そうとしている。
 小田さんはアーチストだ。「義務」としての惰性的な仕事などは決してしないだろう。つまり、自らすすんで「苦労」と「棘の道」をゆこうとする人物だ。

 でも、きっとその先の希望を信じて先取できる力を持っているのだろう。それを才能と呼ぶのかもしれない。しかし、彼がこれまで挫折を経験しなかったわけではないと思う。

 昨日、これまでで最も成果を実感した授業があった。ここに来て、ようやく学生への「伝えたいことがあるんだ」が、私のなかできっぱりとした形を帯びてきた。それが存分に伝わったと実感できたとき、私自身の業績や評価がなんら上がる訳でも何でもないが、いい知れない感動があった。真剣に議論を交わす学生たちの姿をみて、ともに授業に臨んでいた年長の教授が「あなたたち。今回、こうして学んだことを決して忘れないでください」と言った。

 私は小田さんの背中を見つめている。まだまだずっとそうしていたい。
 
 学生たちは、もがき続ける今の私の背中を、どう見つめているだろうか。

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