風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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試験にはちゃんと来なさい。 :: 2010/01/27(Wed)

 大変、人なつこい。しかし、私に対して何故かナマイキである。一度、「ね、きみ。なんでそんなに私にナマイキなわけ?」と聞いてみたことさえあるが、さして態度は変わらないので、かろうじて周囲から「教師-学生」という関係性だけは明確になるよう、「君」など付けてやらないのである。

 先日、数名の学生と共に学生の社会活動の一端として、私の仕事を少し手伝わせた。そのあと、労いのメールをそれぞれに送ったところ、呼び捨て君からこんな返信が返ってきた。イマドキの男子がいったい何を考えて生きているか私は未だによく分からないが、一応、返信はしておいた。

 「おつかっれーっす!ぼくは明日デートなんです。カノジョになって貰おうと思います。なって貰えへんかったら死にます。」

 「あら、そう。たとえカノジョになってくれなくても死なないので、来週の試験にはちゃんと来なさいね」

 
 翌日の夕刻、スーパーで食材の買い出しに精を出している頃、携帯にメールの着信が。
 僅か6文字。
 
 「先生さよなら」

 
 上手い失恋報告である。思わず笑ってしまった。単位をやるかどうかはまだ分からないが、座布団はやろうと思いながら返信する。我ながら関西の悪ノリが好きである。

 「どうもご愁傷さまでした。来週の試験にはちゃんと来なさいね。幽霊になってても見えるから」


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走り抜ける。 :: 2010/01/26(Tue)

 山の上に建つ大学では、研究室まで辿り着くにもバス停から徒歩10分ほど。長い階段を毎日上ることにも慣れた。
 
 自転車に乗るときは、時折、達漕ぎで思い切り太股に力を込めるのが好きだ。それとは関係ないけれど、階段をのぼるときも、最近は軽い駆け足だ。もっとも最後の段になるほどキツくなるけれど、ぴょんぴょんと、まだ跳ね上がることが出来るかどうか試してみるのだ。

 先日、ぼんやりテレビを観ていると、小学校3年生くらいの男の子が、リレー競技でバトンを持った瞬間に、ものすごい俊足で運動場を駆け抜けていく映像が映し出された。まわりの、うわーっと沸き上がる声。走ることが嬉しくて仕方がないような独特のランナーの表情。一瞬にして魅せられた。いったい何がそんなに感動的なのか分からないけれど、思わず涙ぐんでしまった。
 かつての自分もあんな風だった。小学生や中学時代は運動会で最も目立つ少女だった。見に来た母が、「めぐみは、まるで足が地に着かずに、飛んでいるようだった」とよく言ったものだ。走っている自分でさえ、風と割れるような歓声が、自分の走るスピードに追いつけずに後ろに遠ざかっていくほどの錯覚を覚えていたのを思い出す。走り終わったあとの鼓動の早さ。まるで今にもちぎれてしまいそうに感じたお尻の筋肉。今、同じように走ればきっと命の危険を感じるだろう。
 
 でも。いまこそ、あんな風にシンプルに何も考えず、思い切り走って、走って、走り抜けることそのものが喜びだった気持ちを思い出してみたい。

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キットカットとカフェオレ的な。 :: 2010/01/21(Thu)

明らかにライフの質量が仕事に偏り過ぎである。
立ち働いている間はよいとして、自宅ではまるで廃人のように過ごしていることが哀しい。
文化的な豊かさを欠いている。
素朴でかつ地道な個人研究を後回しにしている。

今、深夜に「佐野元春氏のソングライティング」の再放送をしている。
ゆうべ小田さん出演の回をまとめて観た。実はこの収録に幸いにも行かせて貰う機会を頂いた。
一言も聞き逃すまいと思ってメモを取りながら参加したくらいなので、
一部始終を覚えていてもいい筈だけれど、今頃になって深々と心に染みてくるやりとりもあった。
 
「誰のために曲を書くのか」
作家性と商業性のバランスという象徴的な言葉を元春氏は使った。
小田さんの結論は「自分のために」であった。素直に自分の気持ちに偽りなく歌いたい、と。

問いかける。
「私は、誰のためにこの仕事をしているのか」

沢山の仕事のなかに、あるはずだ。
「私は、こうしたい」

ノンちゃん雲に乗る端からそれが明確である仕事もあれば、努めて探さなくては見つからない仕事もある。
前者はしたい形に近づける、すなわち要求水準に満たすために唸る。
後者は簡単に言えば「出来れば回避したかった」仕事だ。
まずはそのストレスを乗り越え、さらにベースとしての嫌悪のなかに
ちんまりした自分なりのセオリーを発見するためのプロセスに唸る。   

目標達成と同時に、自分への水やりも必要だ。
キットカットとカフェオレ的な。

カフェオレはノンシュガーで。


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日々雑感。 :: 2010/01/14(Thu)

 多岐に渡る仕事に翻弄されている。普通の感性でいれば、叫びだしたい欲求に駆られる。数年前の自分なら「なんで、自分が一人でこんなことまで?」と思うことは間違いない。 
 
 沢山の仕事をすると、どれもこれもパーフェクトな成功体験になることは珍しいことで、たいていが「これはよかったな」と「でも、あそこはもっとこうしたかったな」「こうすればよかったのかな」が微妙に混じり合う。よかったなの部分があるからこそ、次は課題を乗り越えたいと思う。何故生きているかと言うと、失敗を取り戻すためといったところか。

SAME MOON ブルーレイ・プレイヤーを購入した。購入してしまった。小田さんのクリスマスの約束を見なおすために。
 小田さんの想いは結果としては、みごとに結実し、関わる誰もの物語にも符号して大きな感動をもたらした。けれども、それまでのプロセスを描くドキュメントは正直、観ているだけで痛々しい気持ちになる。
 小田さんは終始頭を抱えているではないか。しかも、小田さん以外の人たちのなかに「それって絶対に間違っている」と思えるような意見を言う人は一人もおらず、それぞれの立場から、実に全うな見解を示している。小田さんは言葉を継げない場面さえある。
 
 小田さんは、ずっと一つの信念を貫き通すという営みを見せる人だと思っていたけれど、彼が見せたのは、実に美しいアウフヘーベンであった。自分流に加えて、多くの意見や感性を採り入れ、反映させ、さらに22分50秒をきらめかせていた。あそこにたどり着いたのは、小田さんの存在抜きではあり得ない。同時に、ほかのアーチスト達の誰が書けてもなし得ない奇跡だったのかと思う。
 
 スケジュール帳をみると、今週末のセンター入試を皮切りに、2月が終わるまで二度程度しか週末の休みがない。泣いても笑っても日々は同じように過ぎていくのは、ちょっと切ないことでもあり、見方を変えれば気楽なことでもある。
 
 春からは、職場の体育の先生のすすめでヨガをはじめようと思っている。

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同窓会。 :: 2010/01/11(Mon)

 昨年末あたりから、例年になく旧友たちに会う機会に恵まれている。これまでも全く機会がなかった訳ではないけれど、私自身が以前とは違い、すこし無理をしてでも「会っておきたいな」と思えるようになったせいでもある。
 
 先日は、大学時代のクラブ活動生間の同窓会。数人ずつなら時折会う機会もあったけれど、10名を超えて一同に集うのは初めてではないかと思う。同級生ばかりではなく、私たちの学年を挟んで上下の先輩、後輩達が集った。
 ただ少し残念なことに、お店の座席指定の関係上、二つのグループに分かれて座ってコース料理を頂くことになったので、2時間半を超えてそこに居たものの、なかなか席を隔てた人と話すには到らず、それに限っては心残りなことではあった。でも、久しぶりに見る懐かしい面々とは、最初の1分くらいが非常に照れくさいのだけれど、不思議なことに次の1分程度で、学生時代とほとんど同じ印象に感じられるというのが大きな発見だった。
 これが幼稚園や小学校時代の同窓会だったら、全く誰が誰なのか判別がつかないという事態も当然起こりうるだろうけれど、ほぼ大人に近づこうとしていた学生時代の一部を共有し、おおむねその個性の確立に刺激を与えあったであろう人たちとの再会とは大抵こういった感じなのだろうか。
 本当は皆、今日という日まで、それなりに大きな人生のうねりを生きていたと思われるのだけれど、そのドラマチックさも、飛び抜けて誰かだけが際だつことはなかったのは、やはり皆が違う人生ながら同じように一つずつ年を重ね、一つずつ様々な経験を増やしたということなのかもしれない。

 私は、とりわけ最も近くに座った先輩と後輩にあたる人々と会話が弾み、気づけばほとんどずっと笑い転げながら話していたように思う。思い出話から、職場で生じるおかしな出来事。健康にまつわるあれこれ。
 ある一瞬、ふっと意識が分散し、自分たちが話しているグループではない人たちが「いったいどんな話をしているのか?」漏れなく聞いて回りたい衝動に駆られた。と言うよりもむしろ、一人ずつあの頃、「私」という人間と関わり合ってくれたこと、受け止めてくれたことに感謝して回りたいような気持ちになった。 そのときだ。同窓生たちだけでなく、混み合っている店に居るあらゆる人々の人生がまるで一挙に自分の心のなかに押し寄せて来るような感覚を覚えて怖くなり、目前の人たちに意識を集中した。 
 私はいつになく饒舌だったと思う。アルコールは僅かに口をつけたに過ぎないのに。とても楽しくて浮かれ、話していない誰かを気にし、そうして何処かで心地よく緊張し、同時に高揚し続けた。

初春2010  とにもかくにも、このような同窓会が実現するのは「やりましょう!」と、実によきタイミングで言い出す人とそれを実行し得るネットワークを持っている人のおかげである。私には幸い、とても広い交友関係を持つ良き親友が居たので今回のような素敵な機会にも恵まれた。
 何度も言うが楽しかった。その顔は見たのに、その変わりのない、そして、さらに磨かれたように感じらられるある印象を伝えたかったのに・・・殆ど話すことが出来なかった人たち。そんな人には漏れなく手紙でも書こうかと一瞬思ったほどだ。きっと、実現可能性は30%程度だけれど。
 
 「鈍重な行動力」。以前からずっと変わらない自分の姿。そうしていささかセンシティブな感情も。そのおかげで私は自分が時々とても面倒くさい。そう思いながらも、その夜はなかなか眠れずに友たちの面持ち、その佇まいを現在から過去を辿りいつまでも思い出していた。 
 
 後悔しているのは、一眼レフカメラを持って行くつもりで結局持っていかず仕舞いだったこと。一枚ずつよい表情を切り取ることができれば今の時代メールで送ってあげることが出来たのに、と。

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大晦日のイリュージョン。 :: 2010/01/09(Sat)

 年末年始、我が家の出来事を回想ダイジェスト版。
 
 あれは年末31日の出来事だ。
 実家に戻った私は殊勝にも午前中に起き出して掃除を引き受けていた。
 父がのっそり起き出して来る。「ね、ね、ね!ピアノの下とリビングテーブルの書類を整理したら?」と、体を動かしてすっかりテンション・ハイな娘は、リビングがおおよそ書斎化してしま様子に見える父にそう言ってみる。予想だにせぬことに「おおっ」などと言って、ごそごそと書類をさわりはじめたが3分も経たないうちに「お腹空いたなぁ。メシを食うよ」と言い出す。
 夕方近く。ちょっと頼まれた買い物に出るために軽くメイクをして出かけようとしたときに、部屋の鏡の側に母の黒いメイクポーチが置いてあるのを発見する。おや?私は昨日ピアノの上に置いてあったこのポーチからやや乾燥しかけのリップクリームを発掘した記憶はあるが、こちらの部屋に持ってきた覚えは全くないのだ。
 「お母さん、ここでメイクをしたの?」「しないわよ。これは、あんたが何か借りようと思って持ってきたんでしょ?」と、しばし持ってきた・来ていないの言い合いとなる。心中、「まさか、これがひょっとして認知症の初期症状だったりしないよね」と心配となり、万が一、自分の短期記憶が消えているとしたら更にもっともっと深刻なことだ・・・と思いながらも、とりあえず、母に頼まれた日用品を含めた買い出しに出向く。
 帰宅し、「ただいま~、買ってきたよ~」と玄関から叫ぶと、母が弾んだ声で「めーちゃん、わかったわ!!」とキッチンから叫びかえしている。聞けば、普段触ることさえないと思われる父が、母のメイクポーチを部屋から部屋へと移動させたのだそうだ。「だってさ、あれってピアノの上にあると汚らしいと思ったんだよ」と説明する。沢山乗せてある書類はあまり気にならないようだ。その朝の僅か3分の間、しかも私の知らないうちに母のポーチだけを、掃除すべき現場から撤収したらしい。
 以上が、我が家における年末のイリュージョンである。
  
 その大晦日の夜、父が突然、自分の書斎を掃除しはじめた。「なんで今頃掃除しはじめたの?」と聞くと「だって、しろって言っただろ」と言いながら、書斎とリビングに置いたゴミ箱の間を行ったり来たりして、どさっと書類をそのまま捨てている。「あのねぇ、ゴミ箱を自分の部屋に持っていけばいいじゃん。で、書類をそのまま捨てたら駄目だよ、ちゃんと裁断しなくちゃ」と、この天然ボケ系ゴリラ族な学者の父に厳重注意する。「あ、そっか。そっか。めぐみに俺、アレ買ってもらおうかな~ぁ♪しゅっ・・・しゅっ・・えっと、なんだっけ?シェルターか!」

 追記:年始の同窓会で言語療法士をしている友人に「何故、人は心で思っていることを言い間違えてしまうのか」について詳しく聞いてみたかったが、ちょっと逸れて「どの程度の間違いから心配したほうがいいか」と聞いてしまった。結構頻繁に会う2回生男子の名前(とてもありふれた名前)が、どうしても時々出て来なくなるのだ、この私も。

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初詣。 :: 2010/01/02(Sat)

          秋の紅葉が散り、厳冬の苦難の日々が過ぎるのも近いでしょう。 

          神様のお恵みの暖かい御光りが、やがて差しそい、
          幸福と金運が巡って来ます。日々の暮らしを大事に勤めましょう。


 昨年は中吉。後半になるにつれ坂道を登る感が強かった。今年は一層、上り坂はきつそうな気配があるなぁと思っていたところ、やはり「小吉」。細やかに書いてある内容は、一貫して「誠実に努力すれば叶う」。これは、「あらゆることが努力なしに叶う筈ないな」と思える今の実感とものすごく近い。
 ところで、「大吉」の次に運勢がよいのは「吉」か「中吉」か?私は数年前に「吉」であると認識を変更した。でも、今年になって、実は神社によっても定める順番がそれぞれ違うことを知った。いずれにしても、今年は「小吉」なのでカミサマのおっしゃるとおりに「努めるのみ」である。

 主要な運勢の抜粋(厳密には「進学」「就職」は省略)。

 ○願望:至誠の心で事に当たれば万事解決し 叶います(よしっ)
 
 ○待人:誠心が通じ 来ます(よしよし)
 ○恋愛:自己主張ばかりしないで譲り合えば成立します(了解)
 ○縁談:神様の結びの御心により最上の縁談が訪れます(へー。これってほんとに小吉?)

 ○お産:お祈りして待ちなさい 安らかに生まれます(論文執筆も安産となりますように)
 ○金運:報いられない事が多く 金に苦しみますが先で金運を授かります(報いられない事!?)

 ○家庭:別離は不幸の根源です。親子夫婦仲良くせよ
 ○病気:信心専一すれば癒る(病気なるのが前提?)
 ○旅行:日を改めればよし

 ○事業:犠牲を払っても努力せよ(プロジェクトはがんばる)
 ○吉数:十と七
 ○訴訟:誠心を尽くせ 勝ちます(訴訟を起こすようなトラブルはごめん)

 ○転居:お詣りし、移りなさい(ん?)
 ○失物:出ないでしょう(あらぁ。。。。)
 ○相場(賭):少しならよし 利薄し(賭け事はしません)
 
 日々の暮らしを誠実に。これに尽きる一年としましょう。



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