風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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グッジョブ。 :: 2010/03/28(Sun)

 なんでも職場内におけるストレス度は殆どその人間関係が決めるらしい。いま、私は比較的、気持ちよくよき人々に恵まれて過ごしていると思う。けれども「働く場所」というのは実際は職場内外、色々とあるわけで、外との連携のコツのようなものが掴むまで今年度はもがいていくのだろうかと思う。
 
 よかれと思い、何でも思いついたことをのびのびと伝えていたら、『もっと自分の領域を守って駆け引きをしなければ!先生が考えているよりも、どろどろした世界なのですよ』などと事務職のプロうん十年の女性に助言されて「ええっ?そうなんですか」とおののいてしまう。無垢過ぎると言われてたじたじになる。組織の異なる人々と何か目的を持っておつき合いしていくのも大変なものだ。

桜は咲いてもまだダウンジャケットが必要なくらい寒い日。 つい最近、NHKが再放送をしてた「グッジョブ」というOLさんを中心に働く女性を描いた小作品のようなドラマがとても好きだった。職種も、「女性」という意味で置かれる立場も、自分とは微妙に違うのだけれど、主人公の上ちゃんを取り巻く女子たちの「働く上での誇り」のようなものを毎回、小気味よく楽しく教えてくれるような内容になっていて、ほとんど胸をきゅんきゅんさせつつ観た。同時に、あのくらいにすがすがしい女子同士のネットワークを活かした働き方にも憧れた。

 春からポストも変わると同時に確実に新しい役職も加わってゆき、正直どのようにこなしていけるのか不安だ。でも、周りの人達をよくよく観ようと思う。助けてくださいと言えるようにしようと思う。反対に助けが必要な人に手をのばせるようになろうと思う。

 外に出れば桜はもう1日、2日で満開を迎えそうだ。
 チューリップもまだ寒さの残る風にけなげに揺れているよ。
 空はかくじつに春色だ。
 
 この一年を通り過ぎて、またこの季節を迎えたときの晴れやかな気持ちをもう今から想像してしまおう。


 先日、真夜中に携帯がなる。 

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自分のかたち。 :: 2010/03/17(Wed)

 珍しいことでもないが、今日も出がけに自宅とマンションの一階を何往復かする。一度は自転車の鍵を忘れ、せっかく取りに行ったものの、今度は違う自転車の鍵を持って来てしまったのだ。我が家には今、3本以上の自転車の鍵が存在することに気づいた。

 今年度めざすならば「脱・廃人生活」だな、と考える。病気でもない限り、休暇も少しくらい動かなければ、筋力も体力も精神力も落ちて、物忘れもひどくなる。ぴたっと止まるとか、通常の2倍くらい動くとか、ハイかローしかない生き方をやめよう。しかし、何故なのだ。こうやって何か決意したくなるときは、”ほどほどに”などとは思えず、思い切りチェンジしたくなるのだ。一度たりとも自分から劇的に変わったことなどないのに。

実は何も考えていません。 つい先日、一日じゅう家のなかでダラダラと過ごしているとあっという間に夜がやってきた。10時も過ぎて、猛烈にジャンクな甘いものが食べたくて仕方がなくなった。キットカットとか菓子パンとかポテトチップスとか。耐え難いほど無性に。こんな時間に、外をむやみにうろうろすると危険ではないか。たとえ、つい最近までの帰宅時間がもっと遅くとも。
 
 仮にである。夜遅くにおやつを買いに行って怖い目に遭うのと、仕事帰りに遭うのとでは自業自得の感じが全く違うではないか。
 こうなったら、何かあれば大声で叫ぼう。それしかない。いや、ずっと大声で歌を歌いながら走っていればお巡りさん以外は誰も近寄れないかもしれない。着替えるのさえ面倒だったけれど、簡単にメイクをし、ジーンズに足を通し、ぼさぼさ頭に帽子をのせて、半分命がけで自転車を飛ばして行った。
 
 平穏そうな月灯りの下にある静かな街並を走ると何となく透明人間になった気分である。3月の夜はまだしっかりと真冬の名残があって、十分にきんと冷え切っていた。それでも、どうしても冷たい飲み物がほしくて冷たいカフェオレと、甘いものやしょっぱりものを取り混ぜてかごに放り込んだ。千円ほどの散財。

 帰り道も頬が冷たかった。信号を待っている間、車は数台しか通らなかった。早く家に帰りたいな。さっきまではうちを飛び出したかったけれど。
 自宅に戻ると、数分前の自分の抜け殻を囲っていた部屋の窓を開け放って空気を入れ換えた。あの「どうしてもジャンクなお菓子が食べたい」欲求が消えていた。

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休暇中の映画鑑賞。 :: 2010/03/10(Wed)

 入試や会議の業務で休日出勤した分の代替休暇が取れた今週。
 今日はパソコンを一度たりとも開くもんかという気分で、珍しくも二本続けての映画鑑賞などをする。その一本が、ユーモラスで気軽に観られそうな「プラダを着た悪魔」。
 
 ところで、私はNHKの海外ドラマ「アグリー・ベティ」の大ファンである。その割には、シリーズの途中から見逃しているうちに、もはやベティが一体今はいつ放送されているかも定かではなかった。が、この機会にさきほど調べて水曜の11時だと確認。それはともかく、「プラダを着た悪魔」もベティも、華やかなファッション雑誌の編集部でファッションより知性を重視する”今ひとつさえない容姿の”若きアシスタントの奮闘ぶり、という設定が共通している。
 けれども、アンディ役のアン・ハサウェイはもはや殆ど着飾る必要もないほど、のびやかな体型で、素材からして溌剌とした美人でチャーミング。冒頭に演じている「野暮ったいファッション」に身を包む流行に無関心な女の子の姿さえ十分に可愛い。途中で超最先端のファッション・センスを磨き、どんどん洗練されていく様は観る側も期待する心躍る筋書きだ。エンターテイメントとしての華やかさに満ちていて楽しめる。でも、少々「当然よね」という感は否めず、個人的にはちっとも変わらままのキャラクターでいるベティの設定が好き。

 さて、この映画はカリスマ編集長のミランダ(メリル・ストリーブ)の悪魔ぶりが際だった魅力かと思う。私生活や親密な人間関係すらも犠牲にしながら仕事に命を懸け、部下や意にそぐわぬ人間には横暴この上ない。
 しかし、どうにも魅力的であり「かっこいい・・・」と唸らせてしまう。現実には、彼女ほどの社会的成功をおさめるほどに才気溢れる人間が居たとしてもほんの僅かだし、あれほどにまで人を切り捨てていくことを厭わないような女性が長く生き残れるケースも少ないと思う。
 
 私たちは「仕事も私生活も何もかも上手く調和させたい」と願っている。人としてそれを志向する意味も、そして権利も当然あると私は思う。切にそうした願いが実現できる社会であって欲しいとさえ思う。だけれど、一方で「上手く調和させる」って一体、誰にとってのどうような状態のことなのだろう、とも思うことがある。もしかすると、そうあらねばならないような脅迫観念を、見えない誰かによって植え付けられてはいないか。
 
 何かに圧倒的に偏っているという状態を許容する、それゆえに何かを圧倒的に犠牲にしているという辛さを抱きしめる。ミランダの生き方の半端ではない潔さや強さには打たれる。実は女性の多くはその強さを潜在的に持っているものではないか。ちょっぴり働き過ぎでこの先どうなるのだろうと不安に思う自分を映画の何処かに投影する。
 眠くなるまで二度目の鑑賞をした。二度目のほうが何だか純粋に映画を楽しむ気分になっていた。

マッキーを聴いている。 ちなみに、個人的にミランダの悪魔ぶりで最もハマッてウケたのが、彼女がオフィスで何時も飲むスタバのコーヒーを、新人であるアンディがまだ持って来ていない事実を知り、ささやくように静かに「わたしのコーヒーは何故ないの?あの子、死んだ?」と吐き捨てる台詞である。
 
 そういえば最近、学生のひとりから携帯に「先生ー、生きていますか?」とメールが来た。
 まだ死んでなるものか。と返信。

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幸せだ、と思うとき。 :: 2010/03/07(Sun)

 駐車違反で自転車を撤去されてから、ついぞ引き取りにゆく時間を確保できず。
 この3年で保管料として、および交通費として支払った全額で新しい自転車を買えそうだよね、と言われ。
 頑丈ではあったけれど、実はペダルが重いのを10年近く我慢をしており。

 などと色々弁明しても、ちょっと後ろめたいのだけれど、自転車を新調した。土佐の川沿いを走り、急な坂道も立ちこぎをして走り抜き、人がいなければ鼻歌を超えた音量の歌声ものせ、後ろから追い抜いたひとを何度となく振り向かせた。こちらに来てからは僅かな気のゆるみのせいで、毎回2500円をも払って幾度も再会を果たしてきた。出所する人に向けるようにおじさんに「もう二度と来たらあかんで」と背中ごしに言われたものだ。
 数々の思い出は涙を誘うが、人とも物ともお別れはつきものである。

 ・・さらに弁明してしまった。

 いずれれこちらのブログにも「めぐ2号」はお目見えすることだろう。

 それはそうと、休日にさえ平気で会議が入るような昨今。あまりの忙しさに物が行方不明になる傾向あり。先日は、学内でコピーを取るときに必要になるゼロックスカードが見あたらず。このひとつきの間の記憶を辿るが思い出せない。
 実は、これで紛失するのは二度目なのだ。この事実を事務の人に申し伝えるのは、実にしのびない。こうやってしょちゅう無くすのはじーちゃん先生達ばかりだそうだ。私は若年性紛失症候群ということになってしまうだろう。
 ずっと喉に小骨がささっているような気持ちで何日間かを過ごしていたが、家を掃除しているときにひょんな所からカードがぱらりんと舞い落ちてきた!まるで、大好きな人に思い切って告白したのに、つれなく振られ、それなのに今度はムコウから「好きだ!」告白されたくらいに嬉しかった。そんな経験は一度もないけれども、まぁ、そのくらいにすっきり晴れ晴れした気分になったのだ。

 今年の運勢は「末吉」。「失せ物:出ず」と書いてあったけれど、カミサマは味方してくれたようだ。大きな願いの一つもすでにかなったと言ってよい。ものごとはポジティブに捉えるほうが健全だ。
 そんな訳で、めぐ1号、これまでどうもありがとう・・・。
 ”さすべえ”や、決して覗くことのなかったトレードマークのバックミラーも長年、ありがとう。
 これからは物をもっと大切にします。
 そして今年の運勢アップは勝手に「掃除と整頓」と自覚しました。 

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これまで、そして、これから。 :: 2010/03/05(Fri)

 メールボックスに一通の桜色の封筒が入っていた。2月末に終えたシンポジウムを主催した代表の方からだった。

 『先日のシンポジウムのご講演に、参加者の方々から沢山の反応をいただいています。人生のターニングポイントに立っていらした方も多かったようで、先生のお話に、励みと勇気を与えられたと聞いています。また、これまでになく新鮮な内容のご研究であったこと、先生の”戦う姿”に胸を打たれた、という方も多くいらっしゃいました。
 本当に私たちもこのような機会をいただきまして感謝しています。ありがとうございました。その方々たちの感想や、今後期待されていることを先生にお伝えるする場を持ちたいと思っております。その時はよろしくお願い申し上げます。
 この一年間、本当にお疲れ様でした。来年度はますますご活躍のことと思いますが、少しはゆっくりしてくださいね。』

 励みや勇気を貰ったのは、実はほかの誰でもなくこの私だ。終わったあとに駆け寄ってきて感想を述べてくださった方の目に涙がにじんでいるのを見たときに、私は自分の研究の意味を改めて自覚できた。そして、ちょっと胸が熱くなった。
 2年にわたって調査してきた成果を、学会などではなく、当事者たちの集いの場で話しが出来たことをとても嬉しく思っている。
 


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取材拒否 :: 2010/03/04(Thu)

 2月末に好評を得たシンポジウム。翌日、インターネットの地方版ニュースに、短い記事が掲載された。僅かでも主催者たちの活動広報に繋がれば幸いと思った一方で、その記事には「あぁ、あの最低な記者には、やっぱりこうゆう視点でしか書けないだろうな」と思わせる一文があった。
 
 当日、若い記者が事前の承諾もなくいきなり会場に入ってきた。途中を遮り、なんと写真を撮りたいのでそこに並んで欲しいなどと言い放ち、シンポジウムを中断させようとした。あとで聞くと主催者も知らなかったそうだ。一瞬の躊躇のなか主催者が「一般の方々においては顔が写らないように配慮するように」とだけ求めたので、進行役の自分はその存在は無視して続きをはじめた。なんとデリカシーのない記者だろうかと思いながら。
 彼は、最後の半時間程度、会場に居たと思われるが、終わったあとに誰の了承も得ずに私がゲストで招いた学生の一人に勝手に取材をしていた。当人が拒否をしていなかったので介入はしなかったが、私は中途半端な情報提供については危惧していた。そのあと、記者はいささか気まずそうに私の所にやって来てこう言った。「僕、遅れて来たんで先生の話、全然聞いてないんすよ。なんの話されました??」
 先輩教授たちからよく聞かされる。時々、気まぐれに新聞記者がやってきては、勝手な主観で”嘘はったりを書かれる”から気を付けなさい、と。そんな警戒以前の問題で、「聞いてなかったから教えてくれ」との発言には殆ど、こいつはあほではないかと思ってしまった。
 私は取材はお断りしますと伝えた。「でも、先生は皆さんに何を伝えようとしたかだけでもひとこと・・・」とその男が言ったときに、思わず「失礼ですが、あなたこの仕事をして何年たちますか?」と問うた。彼の振る舞いや態度はほとんど成人未満の学生のようにしか見えなかった。
 「え?3年ですが・・・」
 「私は今日の約1時間のお話をさせて頂くために2年に渡って準備をしました。そして、わざわざ時間をつくり、耳を傾けてくださる方のために誠心誠意お話をしました。あなたには話を聞く意志がなかった。聞いてもいない、見てもいない、感じてもいない。その場に居合わせなければ会場の方々の雰囲気さえ感じられないのに、今ここで一言二言を私から聞き出して、一体どんな記事が書けますか?私は書いてほしくありません」

 「・・・と、偉そうに断ってしまいました、ごめんなさい」とあとで主催者グループの方々に告げると、「そんなの当然よ!」と言って拍手までしてくれた。

 しかし、結局、彼の記事は短くインターネット上に掲載されてしまった。私が話さなかったため、概要はちらしやパンフレットに書いてあったような言葉で適当に綴られていたが、学生へのごく短いヒアリングを得て書いたのだろう部分には、私が講演のなかで最も時間を割いて伝えた「メディアがつくりだす社会のゆがみや偏見」がそのまま現れていた。
 悔しく、非常に残念に思う出来事だった。あの場は個々人の自己開示が自然に促される非常に特殊な性質と温度があった。その場に居合わせた共助的な倫理観が創り出したものだ。まるで聖域を踏みにじられたような気がした。閉じるつもりも排他するつもりも一切ない。しかし、センシティブさを持たない人間が来るべき場所ではなかった。

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