風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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ブルーマンデイ&スマイル :: 2010/05/30(Sun)

 金曜日に朝は9時頃から講義をしている。一週間で最も疲労が蓄積している。金曜はそのあとずっとゼミや講義が続く。下手をすると土曜日も出張に出るということも少なくない。それでも、月曜日よりはずっと元気に一日をやり過ごす。一度、体力が尽きたあとには、最後の生命力と闘志が燃えるのだ。

catcatcat しかし、一日でも休みを挟んだ後の月曜は本当に憂鬱だ。まさにブルーマンデイである。とくにその週に抱えている締め切りやら会議やら様々なノルマを思うと、半分死にたくい気分である。それでも、月曜の午前中から当然ながら講義はある。雨が降っていた先週は学生の出席率も落ちていた。しんどいのは学生も一緒だろう。いつもいつも笑いを誘うような講義をしている自覚はないけれど、私に少しでも元気がないと、学生の一部は敏感に察知をする。「今日の先生は笑顔が足りなかったです。先生の笑顔がないと元気が出ません!」などと、わざわざ伝えてくださるのだ。

 みてろよー。明日は意地でも明るく楽しい講義でスタートを切ってやる。

 もみじまんじゅう。 

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こんな日々。 :: 2010/05/24(Mon)

 「自分探しの旅に出ます」と告げて、一人の学生が昨日から行方不明になってしまった。約束していたゼミの打ち合わせやら講義やらを間近になって全部すっとばして、その後、音信不通になった。
 中途半端な自分に自信がなく。誰からも必要とされていない気持ちがして。だから、自分の信じる「自分」を探す旅に出るのだと友人に告げていた。

 先週末、窓辺でうつむいたまま、これみよがしに大きなため息をついていたので、「自信が出来たら動きだそうって思っていない?行動してみないと自信は出来ないものみたいよ」と軽く声はかけておいた。
 それで・・・彼は消えてしまったのだろうか。周りに結構な迷惑をかけてはいるが、あとで責任を背負う覚悟があれば人生は基本的には自由である。実際、そのくらいダイナミックな旅をしているのであれば良いけれど、家にこもって悶々と自分とは何かと問いかけているくらいなら「誰からも必要とされている気がしない」ゼミにも出て来て、誰かに必要とされるためにはどうあるべきかを考えるほうが、我を知れるだろう。私自身は学生らにまんべんなく帰属や承認の場を提供していたつもりだったのに、いささか残念な気分ではある。

 今日は折しもものすごい豪雨。午前中の講義には、そんな天候や鬱々しがちなこの季節も影響してか学生の欠席もやや多い。私自身も喉が未だ万全でなく、今ひとつ元気が出なかった。それでも別段普段と変わらず講義は終えた。それなのに、「先生、今日は元気がないっすよ。笑いが足りないっす!」だなんてエラソーに。

 ひととおりの雑務を終えて、ようやく自分の論文にかかる。と言っても単なる学内の紀要である。1週間で何とかしようという魂胆である。この頃、そのような綱渡りばかりしている。ただ、仕事をはじめると眠くて眠くて死にそうだった。10分か15分だけ昼寝出来ればいいが、私は職場ではどうしても眠ることが出来ない。

野球帽の女の子たち そのとき、ドアが控えめにノックされた。「はい?」と声をかけると、K女史が「電気ついてたからー。顔見に来ただけ」と、何故かちょっとだけ困っているみたいにも見える、独特な魅力の笑顔を覗かせて言う。先週、風邪引く間際に「風邪ひいてる?」と私に予言し、見事に成就させた女性である。せっかくなので、部屋に引き込んで珈琲ブレイクにつき合って貰う。このひとは不思議で、絶対に私が超多忙な時には現れたりはしない。どちらかと言えば落ち気味の時によく遭遇する。
 しばしの歓談。「私もこの前、風邪引いてずっと治らなくてさ」「ここらへん(胸のあたり)時々、苦しくて、最近も」と彼女。「あら・・・自律神経の失調?」「うーん。でも、今は平気。こうやってあなたと話してたら」
 
 「こうやって話してたら平気」と言われるとちょっとだけ嬉しい。

 自分探しに出てしまった学生の話をする。「うちにもいるよ。もうずっと卒業してないの。でも、イマドキのナイーブ少年じゃなくて、昔によく居たタイプ。頭いいけど、大学なんかの授業に出る気もない風来坊で、知らないうちに海外とか行ってしまって帰って来ないのよ。でも、あんなのは何とか生きてくんじゃないかしらね」とのこと。

 いやはや。そんな毎日。

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キミのため。 :: 2010/05/18(Tue)

 先週末から喉を痛めて、仕事に致命的な弊害。

 先日、北欧デザインを謳ったおしゃれエプロン2枚を大人買い。先日の「母の日」と今週の母の誕生日を兼ねてのプレゼントだ。4月くらいから「今年もエプロンにしてちょうだい」と朗らかにリクエストされた。一昨年送ったエプロンをすこぶる気に入ったようだ。(ちなみに昨年贈った観葉植物は至って育つ気概がない。)
 
 そんな母が、日曜のパン教室からそのまま焼きたてパンを持って我が家に元気にやってきた。ついでに素敵エプロンをつけて食べるものもあれこれ作ってもらう。「歯が悪いお父さんのために柔らかいものばかり作っているから、歯ごたえのあるものがいいわ」と言いながら。
 さて、このような娘のことを父は「あいつなー。そうやってママに来て貰うのも、親孝行の一つやと思ってるんやで?たぶん」などと母に確信的に言っているらしい。なんと歪んだ見方だろう。「私は老親をこき使う、なんて親不孝な娘なのだろうか」と自覚し、つねづね胸を痛めていると言うのに(ちょっとだけ)。
 同様に母は、私が時折、父と夜中に長電話することを、どうも私が多少親孝行のつもりでやっていると考えているらしい。それについては一理ある。だいたい真夜中2時近くになると『早く切りなさいってママが怒ってるわ』という父の合図で受話器を置く。喋り過ぎると本当に手足が震えるくらい疲弊するものだ。しかし、父は母に「めぐみって本当におしゃべりだよ・・・」と、さも呆れたように告げているらしく(それはこっちの台詞だ)、まるで父が私にサービスしているかのような発言である。
 
 子どもの頃、わが両親に「アップルパイ」と「コーラ」と「ダイヤモンドゲーム」のマイブームが周期的にやってきて、夜な夜なハイ・カロリーの摂取と、仁義なきダイヤモンドな戦いを繰り広げていものだ。
 先日やって来たときは「最近、お父さんと、囲碁をはじめたの」と母曰く。タテマエ上は「母が父に教わっていて、父が母に教えてあげている」ようだが、だいたいにして、互いが何を想っているか想像がつくというものだ。

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ひとりっこ。後編 :: 2010/05/08(Sat)

 当時、公立中学校に入学したての私は、まだ校内暴力の余韻を引きずった不穏な雰囲気も残る学校生活で、今思えば勇ましいほどの適応力を身につけていた頃かと思う。ただ、一点困ったことに、思春期に居た私が最も重きを置いていたと思われる価値が「ニュートラルであることのかっこよさ」「クールであること」だったような気がする。
 誰のせいかと言えば、多分小田さんだ。ビデオでしか観たことがなかったけれど、彼はあの頃、歌う以外には一言も余計なことは喋らない渋い人だったのだから。そうでなくとも、教室内で日々起きていた「仲間はずれごっこ」は子どもっぽすぎて付いていけなかった。他愛のないものだった。小学生のように幼稚だとそのときの私は思っていた。
 
 春の三者面談があった。担任はおそらく学年一のハンサム男で、ちょうど今の私と変わらない年頃だったと思う。几帳面過ぎる文字で板書をし、小学生の男の子の父親でもあり、決して悪い人ではなかった。彼は、私に近頃クラスで起きている「例の事件」(あの仲間外れごっこをそう認識していたようだ)について知っているか、と尋ねたので「はい」と答えた。そして見解を求められたので、私は少し考えて素直に関心が持てないと言った。中庸に、クールに。
 担任は少し目を丸くすると「・・・お母さん、Megさんって一人っ子ですよね。これですよ。彼女にはこうゆうところがあるんです」と、担任はそう告げた。母がなんと答えたかは覚えていない。今思い出すと少し腹立たしいくらいだが、当時の私は彼には自分を全く理解できないのだと思えて少し哀しかったと思う。
 それよりも、その後の彼の発言は忘れられない。「お母さん、もうお子さんは産まないのですか?」。彼は教育的見知に立っているつもり、だったのだろうか。アナタのコドモはフツーと少し違いますよ??
 
 幸いというか何というか、母はある意味で大きな人物らしく、この一連のやりとりを全く覚えていないらしい。ある意味でそれは嬉しいことだ。そして、このささやかなやりとりに、多少センシティブであった少女時代と今の仕事をする自分は確かに繋がっていると感じる。

このカフェにはネコが二匹いるのだ。 私は正真証明の一人っ子である。しかし、それは私の単なる属性の一つに過ぎない。
 NHKが小田さんを特集したときに、あまりに何から何まで「団塊世代」と結びつけて小田和正という人間を語ろうとしたNHKに対し、「人はみな、ひとりひとり(違うの)です」と直筆の手紙をしたためたことを思い出す。・・・あの頃、今みたいにお茶目で泣き虫な小田さんを観ていたら私はきっと、国語の先生に「よく書けています。ただし、読書感想文はもっと”感動的に”書いてみましょう」なんて赤い文字のノートを返されて苦笑することはなかった、だろう。

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ひとりっこ。前編 :: 2010/05/08(Sat)

 私は正真正銘の一人っ子である。 
 
 以前、附属の小学校に仕事で出向いた折り、担任の先生から「クラスの半分が一人っ子なんですよ」と聞かされた。はぁ、そういう時代が来たのかと思った。
 しかし、「ひとりっこが半分」の後の発言のほうが、実は個人的には興味深く思ったのである。「あぁ、だからかって分かったんですよ。うちのクラスの子って皆あっちこっち向いてて、全然同じほう向けへんのですわ」。そう聞いて、ひとりっこがもはやマイノリティでなくなっても「一人っ子神話」は健在なのかと、一瞬の隔世の感のあとに一気に元に戻るという不思議な気持ちになった。
 
 神話と言えば「3歳児神話」という言葉が、なんと昨今、多くの学生に通じない。そんな言葉を聞いた事がないらしい。そういう学生たちはそれでも「子どもが小さいうちは預けたりせんと、側に居てあげなって思う」と言う。この手の神話は「真実ではないにもかかわらず、まことしやかに信じられている幻想」だと思っていたが、どうやら「真実であるかどうかなど関係なく、そうあるべきと思いこまれている規範」なのかもしれないと思う今日このごろ。

 さて、私は「一人っ子」というアイデンティティをかつて強く意識したことは殆どない。が、当時はことある事に「一人っ子って○○だよね」と言われていたのを思い出す。それをとりわけ生き苦しいほどの抑圧として感じたことは一度もないが。一人っ子に対するステレオタイプなレッテルは沢山あって、象徴的なのが「ひとりで育つと協調性がない」「他者を思いやれない」「わがままに育つ」などなど。協調性がないと言われるかと思えば、一方で、ひとりっこは「すぐに人の顔色をうかがう」というのも聞いたことがある。 

 ちなみに、私自身は、きょうだいのいる友達に「きょうだいが大勢いて羨ましいな」「お兄ちゃんとかお姉ちゃんって優しくしてくれるからいいな」などと一度も言いたくなった事はない。しかし、きょうだいのいる友人たちは子どものころ、何度か私に「ひとりってなんか寂しくない?」「いいね、おやつとか一杯貰えるんでしょ?」などと言ったし、その保護者は「お母さんとかお父さんにたっぷり甘えられていいね」と言われた。悪気はなさそうだが、とても余計なお世話である。社会のなかの少数派は多かれ少なかれそうやって好き勝手に言われるのはある種、宿命のようだ。

 これら一連の周囲からのラベリングを敢えて大げさに「ひとりっこ迫害」と呼ぼうと思ったのは、もっとも象徴的な出来事が中学1年のころ起きたからだ。
 

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大谷君。 :: 2010/05/03(Mon)

 大谷君というのは、私が小学生の中学年あたりにクラスメートだった少年の名前である。定かではないけれども、大谷君以外の名前以外をどうしても思い出せない。
 
 彼はお昼の給食時だけ、やたらにと目立つクラスにおけるちょっとしたヒーローだった。
 当時、大抵は担任の先生は一緒に、生徒たちと給食の時間を過ごしていたが、途中で用事があるのか職員室に戻ったきり、そのまま当分教室にやって来ないこともしばしばあった。そのときとばかりに、悪ガキ達は机を四つほどかき寄せて「大谷君のワンマンショー」用特設ステージをあっという間に作ってしまう。
 大谷くんは、ややふくよかな、授業中はさほど目立たないけれども、とびきりに明るい少年だった。そのステージではショートパンツの後ろがはち切れちゃいそうだと思うくらいに、お尻をふりふりしながらアイドルの歌真似を披露したり、とにかく給食の時間に同級生をいかに笑わせるかに命をかけていた。毎回、とてつもなく盛況で、同級生たちはげらげらと笑いあい、ある生徒は、飲み始めた牛乳を、大谷くんの滑稽な動きのせいで吹き出すこともしばしばだった。
 当時は、後々まで牛乳を残しておくとトンデモナイ目に遭うのだ。同級生がこぞって彼や彼女たちを取り囲み、牛乳を口に含むやいなや競っておかしな顔をしたり、ずっこけて見せたりして、「いかに牛乳を吹き出させるか」に試行錯誤を繰り返していた。吹き出した牛乳の勢いが凄ければ凄いほど、教室は白熱して笑いの渦に巻き込まれる。もはや、この小学生だけにしか通じない笑いを誰も止めることは出来ないのであった。

散歩中、人んちのお家の前で。 そして、先生はと言えば突然に教室に戻って来ることがあった。先生は、生徒たちがそうやって行儀悪く給食時に騒ぎまくっていることは何でもお見通しだっただろう。誰かが「あ、先生帰ってきたで!!」と言えば、大谷君は即席ステージを飛び降り、悪ガキどもは即座に机を元に戻して「何事もなかったかのような顔をして」自分の席に戻って座ってみせる。でも、皆の顔はさっきまでの高揚と抑制しがたい笑いでいっぱいだ。先生が「・・・・おまえら、オレがいない間、なにかしてたやろーーっ?!」と言うのがスイッチとなって、教室はまたぎゃはぎゃはと屈託のない笑みで一杯になる。

 大谷君がいてくれてよかったと思う。
 小学生がみな見た目通りに屈託がない、という訳では決してないのである。それでも、こうして私の記憶に留められた小学生のある時期までが、彼のおかげで、素晴らしくおおらかで、ばかばかしく、幸福な日々であった、と断言して綴ることができるのだ。

 あの頃の給食メニューで好きだったパンが黒糖パン。少しほんのりと甘くてふわふわしていて食べやすかった。ハタ君という成績優秀で、女子にも完璧に認められているイケメンがいたけれど、彼は毎回必ず出て来る固形のマーガリンを終盤までパンに付けるのを忘れており、どうするのか?と思っていると、最後の一口になった黒糖パンに、そのパンの1.5倍の量があるマーガリンを載せて一気に口に放り込んだ輩である。そういった端々は何故だか覚えていたくなくても、忘れないものだ。「私」という人物の些末な記憶も誰かの心にこんな風に刻まれているのだろうか。
 
 ちなみに、私の天敵はと言えば「冷凍ミカン」であった。その闘いの顛末はいつかまた綴ることにしよう。

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