風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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食べ盛りは何時までだ。 :: 2010/06/26(Sat)

 学生達とフィールド調査へ。
 調査成果は別として、四方八方、学生に囲まれてそのノリと会話を聴いていると、どうにも可笑しくて溜まらず、私はずっと笑い通しなのだった。ほかの先生たちが学生にどんな風に観られていたり、あだ名を貰っていたりなど、聞かなくとも次々披露してくれる。ちょっぴり高知時代を思い出した。冬には官舎に呼んでよく鍋パーティをしたのだ。最近では「家政婦に雇ってください!そして、バイト代を弾んでください」と冗談で頼まれても断じてシカトである。どっぷりと学生らと関わっていると、プライベート領域は死守せねばという気持ちが働く。
 
 彼らと、とりあえず夕飯を何処かで済ませて、そのあとまたフィールドに戻ることになった。
 それで、私は初めて学生には馴染み深いという「すき屋」デビューをしてしまった。近所にはないが、名前だけはしょっちゅう耳にする。興味津々でお店に入る。イメージとしては、おじさんたちが横一列で黙々と牛丼を食しているというものだったが、店内は案外広々していて、こぎれいな四人掛けのテーブルも複数ある。そう言えば、近所のモスバーガーも一度も入った事がなかったが、学生らとの調査のあとに初めて入って「店員が無駄に多いんだな」などと木訥な感想を抱いたりしたものだ。
 
 すきや。メニューを見てその安さに思わず「今日だけはごちそうする!」という私のかけ声と共に、男どもは遠慮なく「並」から「大盛り」に変更注文。女子たちも皆、体育会系らしくすかさず「サラダ追加!」と声をあげる。

kumakumakuma 「先生、お肉食べられるんですか??スープだけ、とかはないですよ?」と確認した女子が、私がまださして空腹ではなかった為に少し残した「ネギトロ丼」の器をすかさず取り上げ「くださいね!頂きます!」といって平らげた。実に食べっぷりがよい気持ちのいい女子達だ。
 そんな男気ある、頼れる女子チームのガールズトークによれば、お尻を突き出して坂道を息を切らせてぜーぜー歩いたり(我が大学は坂道が多い)、細かいことを気にして繊細過ぎたり、自分よりも体力が劣る男子は「問題外」らしい。が、我がゼミの男子チームが若干その系統にいる。女子らに「あの子ら夏合宿して鍛えたろか?」と相談されている事実を彼らは何時知るだろう。そうは言っても彼女たちは基本的に人をよく見ており親切で優しいことを私は度々感じる。

 また、うすうす感じてはいたが、私が未だに何処に行っても「全く引率教員には見えないために、現場がしばしば混乱する」という事実も自覚することにした。親しげに「先生が来てはらへんねぇ?」と言われて恐縮しつつ「は、すみません。私が先生です」という漫談なような会話は、いつまで続くだろう。ただ、私の印象は予定調和的でないほうが相手は興味を持ってくれるという点に限定すれば、このプロジェクトをする上ではメリットである。

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それがどうしました? :: 2010/06/21(Mon)

 「断捨離」を少し意識しはじめた前後から、何故だかキッチンに食器が溜まらなくなった。それから一時期は、ばかみたいに利用したタクシーも殆ど使わなくなった。日々に「ほんのちょっとだけ」余裕が出来て+αのことがしたくなってきた気がする。そんな気がするのは全く今日だけの話かもしれないが。

 そんなちょっぴりよい精神状態なぞ簡単に打ち壊されるのが日常と言うものだ。 
 今朝は、「大惨事」から一日がはじまる。髪を洗っている最中にシャワーヘッドが崩壊したのだ。それはどういった状態かと言うと、ちょうどシャワーが出てくる穴が沢山空いている部分だけが突如、ぼっこりっと外れてしまい、お湯が四方八方の飛び散っての大惨劇となった。ああいった瞬間、何故に私は「お湯を止める」という当たり前の行為にすぐさま移行できないのだう、というのもこの世の不思議である。
 かくして、まだ泡だらけの頭のまま、何とか元通りにくっつかないものか奮闘したあげく、無理だと悟り、仕方なく四方八方に飛び散りたいお湯と格闘しながら頭を洗い上げた。
 ちなみに私の使っているシャワーヘッドは超敏感肌を自覚した3~4年前にネット検索で見つけたちょっぴりお高い品である。塩素除去だの肌や髪に優しいだの謳ってはいるが、実際に使ってみて何がどう良いのかは正直分からないでいた。が、お湯の当たり方が肌にちょうどいい感じは気に入っていた。また、最近、美容院では「カット、パーマ、カラー」を一度に済ますという髪には大ダメージを与えるような荒技をしていたけれども、美容院では「全然痛みがないですね」と言われるので、多少は良いのかもしれぬ。と言うことで早速、本日中にアマゾンで出来るだけお安くなっているものを早速注文。
 問題なのは商品が届くまでをどう繋ぐかである。もっともマンションに越して来た際には元々付いていたものがあった筈だ。今日はそのためにわざわざ帰宅を早めて「大捜索」を繰り広げた結果、元々マンションの浴室についていたものと、比較的安価で買ったのであろう新品のシャワーヘッドの二つが発掘された。後者に記憶にはないが、一応新品が気分が良いのでつけ替えてみた。ま、しばらくはこれで良いとしよう。

ギタレレ公園1  今日はシャワー事件のあと、着替えた白いシャツのボタンの一つが取れかかっていたり、あるゼミ学生の一人がこれまでも数知れぬ「破門」警告を促してきたにもかかわらず、今日も予定していたゼミをドタキャンしたために、やや頭にきてみたり、帰りのバスで急に右足がつりそうになったりと、ささやかな惨事めいたことは綿々と続いた。
 だから、なんだと言うのだろう。今日が終わるまでに、ほかに何が来ようと平気だ。平気だと決めたのだ。

 先日読んだ本にとても共感できる素敵な言い回しがあった。
 「幸福は目標を達成したところに宿っているのではなく、上向きであろうと、下向きであろうと、変化のなかに宿るものです」。

 「先生、資料を持ってきました」 

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虹を見上げたい。 :: 2010/06/12(Sat)

 「断捨離(ダツシャリ)」を推奨する本を寝る前に斜め読みして、ちょっと影響を受けた私は、このところ毎日あらゆる「モノ」との関係性を推し量っている日々である。

 先日は沢山の洋服を業者に買い取って貰ったけれど、本当を言えば最も「カタ」をつけにくいのが情報をめぐるありとあらゆる事柄。
 たとえば自宅の仕事デスクの左隣のスペースには「論文類(要整理!)」と書かれたダンボールが3年前から積み上げられたままである。多分、一切見ることなくそのまま捨ててしまっても、私の研究者人生に大きな支障は出ないだろうと9割方思っている。でも、もしも、「必要な情報」まで捨ててしまったら。決別を阻害する一つの要因がコンプレックスであるとの説はそれなりの説得力がある。

 自分で集めたものの中からさえセレクトが難しいにもかかわらず、日々頼んでもいないのにムコウ側から押し寄せてくるのが「情報」である。たとえばメール。その内容や差出人によるフォルダの分類などは、とうの昔にやめてしまった。最近はもっぱら「検索」機能に頼っており、実際これで事足りている。

公園でギタレレに飽きた後 先日、ある会議に出席すると、とある工学部系の女性研究者が、スマートフォンを見ながらスケジュールをチェックしているのを見て素直に「かっこいい」と思った。私は超アナログ人間なので、未だに手帳に文字を刻み込んでいる。私にはその方法が合っているのかもしれないのだが、それにしてもインターネットをはじめ情報機器やツールを上手に使いこなせる人がとても羨ましい。

 話は全く替わり。先日、我が男子学生たちの「実にどうでもいい」会話が忘れられないので記しておく。
 何故なのか全く文脈が分からないが【俺らのゼミで劇をする場合、誰が何の役か?】がテーマである。
 それぞれをある役に割り当て、最後に最もナイーブな青年であるJ君と、先生である私をどの役に割り当てるかを議論していた。

 「おい。あとは、お姫さまと、姫を助ける騎士やな。・・・」
 「おぉ、せやなっ」

 「どっちがどっちの役やろうな」
 「おー、そやなぁ・・・やっぱ、あれやな。騎士は・・・・・・」

 「騎士は、先生のほうが向いてるよな!」
 「やな!J君には無理やし、先生のほうが、ほれ。かろうじて、リボンの騎士って感じになるやろ(笑)」

 「ほんじゃ、J君は姫か(笑)」
 「気色わりーっ!!騎士の馬がええんちゃうか。てゆうか、これどんなストーリー?!」

 と言いながらギャハギャハ笑っていた。

 おまえ達・・・「破門」という言葉を知っているか。と言ってやりたい気持ちをぐっと抑えて、来週はこんな連中を6、7人も連れて実習に乗り出すのである。

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軽やかな告白。 :: 2010/06/08(Tue)

 実は私、「洋服」だけは”ちょっと捨てられない女”であった。あった、と過去形にしておく。
 1ヶ月ほど前、クローゼットのなかの「もう着ない服」を一掃しようと思い立って、ほぼ半日がかりでセレクト作業に勤しんだ際、それを自覚した。
 
クラギトミニ・クラギ 物を思い切って処分した経験を持っている人は、割と物を溜め込みにくい習性を持つらしい。私はかつての職場から今の職場に移るときに相当沢山の物を処分した記憶がある。母に来て貰ってごみ置き場まで一体何往復しただろうか。
 洋服も少しずつは整理している気がしていたのだけれど、それでも冬のコートなどは就職以来、一枚も処分していなかったことに気づく。セレクト作業では、いちいち改めて羽織ってみたり、何かよきコーディネートに使えないかとあれこれ合わせて鏡をのぞき込んでみたりと、自分でも呆れるほど気長な作業を経て、気づけばもう朝方であった。

 そうして段ボールに一杯の「決別」する服を選び出した。とは言え、まだ何処も破損したり汚れたりしていないものも多い。そこで今回、ウェッブで初めて買い取り業者のサービスを利用した。せっかく送ったのに引き取れないと突き返されたら絶望すると思い、小さな襟元の汚れなどがあればその部分だけ洗濯石けんを使って汚れを落としたり、出来る限りの配慮はした。しかし、業者に送り届けるまで1ヶ月以上もかかったのは、身分証明や顔写真まで求めて来るそういった業者の信頼性がよく分からなかったから、でもあった。
 しかし、結果としては利用してよかったように思う。手続きも簡単で、段ボールも無料配布。送るのも査定も無料。送った翌々日には査定結果がメールで届いた。7500円だそうだ。コートや、あまり履かなかったブーツが含まれてはいたものの、何といっても所詮、古着である。今や捨てるにもお金のかかるこの時代に誰かがまた着てくれるなら嬉しい。喜んでその価格で承諾した。
  
 松たかこの「告白」という映画に少し興味がある。
 私もささやかな告白をしよう。まず、結局はこの洋服の大整理を経ても、一番最初に貰ったボーナスで買ったダッフルコートには愛着があり、どうしても処分出来なかった。やはり私は「洋服は、ちょっと捨てられない女」である。

 あと二つ。先日ゼミ中に、男子学生がお腹をぐーぐー鳴らしていたので差し出した。「消費期限が2日切れた」プリンを。もっともその事実は告げたが、それが何か?といった風情で平らげてしまった。
 
 これが最後の告白。春先に大学の農場で収穫したというお米を沢山頂いた。一部は持ち帰ったものの、何せ重いので半分は袋に入れたまま、なんと書棚の下に押し込んであった。久々に修士論文の助言を求めて研究室にやって着た中国からの留学生のT君が「ご飯は沢山食べますよー」と言うので謹んでさしあげた。
 ”虫がついていないか、確認してね”と、一応は言ったのだが。

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すべてはうたかた。 :: 2010/06/06(Sun)

 土曜日、朝から部屋に掃除機をかけていると玄関のブザーが鳴る。
 
 私は普段、想定されている宅急便関連のひと、約束が決まっている訪問者以外は一切扉を開けない生活である。ところが、夜に配達されるはずの宅急便が早めに来てしまったのかと思わず「はい」とインターンフォンごしに返事をしていまった。
 おとなしげな中年女性の声でなにやら言っているが用件がわからない。『このごろのストレス社会のなかでね、心のよりどころを皆さんが・・・」と言った時点で宗教の勧誘と分かる。相手はやたらに丁寧で、そして引き下がる気配もないので、「ごめんなさい、来客で手が離せないので失礼します」と言ってあとは聴かずにそっと切る。

キック!! ストレス社会。確かに潜在的なものも含めてストレッサーになりそうな要素を数えてしまうと、もうキリがない。どうせ、それなりの時が来れば、殆どのことはいかなる形にせよ流れて行ってしまうのだ。最も短いもので一晩眠れば半分以下のストレスになるものだってある。小耳に挟んだ話では嫌なことがあってふて寝してしまうのは、案外、理にかなっているらしい。眠りはある事柄を一度リセットするためには最も効率よい手段だそうだ。眠らない人は日中に受けた心の傷が地続きになりやすい。そうしたわけで、私は「日にち薬」は信じている。時ゆけばすべては泡沫の夢になる。あるいは思い出の歌となる。
 
 しかし、まぁ、てっとり早く気持ちを切り替えるために、私がもうずっと昔から行う身近な営みは「書く」ことだったと思う。若い頃は「次からどうあればこのようなストレスを感じずに済むか」を書き連ねる「目標主義」だった。そしてその目標が果たされるかどうかは別として書くだけで当時は、その場しのぎのリセットが可能だった。
 この頃では、落ちた気持ちのきっかけに始まり「根本的には、何に心が痛んだのか」を割と見つめる。うんと見つめる。結局そうゆうことなんだな、と分かるまで書く。あとはリフレーミング。この出来事の見方をどんな風に変えられそうか、落ちたときは実はチャンスを獲得する大きな機会と思いこむこともある。とにかく、あとは「こうした気持ちでいよう」と決める。眠る前にそれをしてから朝を迎える。あとはまた忙しい日々のなかで、一つ一つのストレスは自然に相対化していく。ごく最近では、「いつもより、ゆっくりと丁寧に家事や片づけをしてみる」ことも心の秩序を取り戻す割とよい手段である。

 人の心は15分でも変わる、とそう思うことがある。
 地球規模でみれば、あまりにもささやかな人の一生なのに、全くあらゆることに一喜一憂して、ひとって、だから愛おしいとも思う。

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ボクがボクであるために。 :: 2010/06/04(Fri)

 先月は、比較的大きい仕事の締め切りがめっぽう多かった。「締め切りに間に合わないかもしれない」ストレスはまだしも、「締め切りは過ぎてしまったのに、まだ仕上げられない」ストレス。最も厄介なのは「とにかく手をつけねばならないのに、全くやる気にならないのはいかなることか」といった類の、もうダメダメ人間そのものを自覚するストレスに苛まれた。しかし、結果としては乗り切ったのだ。もうそれでいいことにしよう。

 この怒涛の期間を過ぎ、私はつくづく自分が「こつこつタイプ」になれない事を悟る。何時でも短期集中・決戦型である。器量以上のエネルギーをごく短い時間に注ぎ、それゆえに些細なミスを後から取り戻さねばならなくなり、そのあとは疲れ果てて膨大な時間を死んだように過ごす。
 けれども、最近はさすがに多少学習したのだ。「準備の整った仕事はとても楽だ」という事実を。楽だと言うのは精神的な苦悩が、かなり減じられるという意味だ。まさに備えあれば憂いなし。

イケメン?と私。 さて、「自分を探す旅」に出ていた学生も二日ほどで戻ってきた。戻って来るなり研究室に行っても良いかと連絡が来た。しばしの面接で、彼は「自分は誰からも求められている気がしない」と語った。
 私は思った。私には大学時代、「この人にだけはどうしても認められたい」と思える先生が圧倒的な魅力で存在してくれていた。たいして話をした記憶もないのだけれど。非常に極論すれば、その存在から受ける何らかの肯定的な反応だけで生きて行くことが出来た。まさか、自分がそんな人物になり得るとはとても思えない。

 けれども僅か数名足らずでも、それほど強く求めるのであれば惜しみなく与えてやろうと思い到る。彼らの求める「承認」とやらを。
 その”自分さがしの旅人青年”を含むゼミ生達が集う部屋のホワイト・ボードには毎週、へんちくりんな落書きと同時に、そのすみっこの方に誰かが「独り言」を書き残している。

 「誰に何を言われても気にしない。だって、ボクはボクなのだから。ボクは自分を信じているのだから」

 誰に見てほしいのだろう。誰に見つめていて欲しいのだろう。そう思いながらゼミに赴くと黙ってそれを読んでいる私である。学生たちは何か言うのを期待しているだろか。けれども、振り返ると「さ、はじめようか」と私は言う。ただ、時々「つぶやき」が更新されていない週は「今日はないんだね?」と言ってみる。
 そして、この数ヶ月の間に撮影した彼らの素顔の写真を丁寧にレタッチして印刷し、ホワイトボードに丁寧に貼り始めている。
  

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