風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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怪獣のバラード :: 2010/07/30(Fri)

海が見たい、人を愛したい。 たしか中学時代に合唱曲「怪獣のバラード」に出会ったのである。怪獣が海を目指すという絵本の世界のような歌詞である。当時は、とにかくノリがよくて楽しくて歌っていると爽快で、大好きだった。今聞き直すと、イントロのトレモロ部分やソプラノ以外のメロディーラインも何となく記憶にあるので、相当入れこんでピアノも弾いてみようとしたのだろうし、ほかのパートも覚えてしまいたいほど好きだったのだろう。
 この歳になって歌詞を改めて聴き直すと、これは紛れもなく大人の心に染みる歌だ。

 ひとり、のんびりと砂漠に暮らしていた怪獣に感情移入する。まだ何も知らない。まだ大きな世界を知らない。でも、ボクは海を見てみたい。そして、誰かを愛してみたい。誰かに必要とされたい!
 
 そうやって住み慣れた「砂漠(ぬるま湯の地)」を立ち去り、自分の足跡に涙を浮かべながら手を振って大きな海を目指す怪獣の物語である。

 こんなにも明るくて愉快な曲をなのに感動して泣けてくる私は、いま砂漠のどのあたりにいるのだろう。それから、この怪獣君に、私はあの子やこの子といった学生たちを投影しては、この曲を口ずさんで応援したくなるのだ。みんな、最後に一緒に言おう。「ヤッ!」

 怪獣のバラード
  http://www.youtube.com/watch?v=vJalXZNDApU&feature=related

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バス内の人間模様 :: 2010/07/27(Tue)

 大学も試験期間中に入ったので、試験に間に合う少し早い時間帯から、バス停がいつもより混雑している模様。やや早めに家を出たつもりでも、すでに結構な長蛇である。

 でも、まぁこのくらいならギリギリ座れるだろうなと思いながら日傘ごしに突き刺さる日差しに耐えていると、後ろからやって来たおばさんが話しかけてきた。「これって、○○まで行くんかな?」「行きますよ」と返答してあげる。しばらくして、長い列を眺めていた彼女はさらに私に「今日って、なんかあるの?」と聞く。「いえ、ただ、試験期間がはじまったので学生が多いんですね」「へー、そう」

 そうこうしているうちにバスが到着し、列が徐々に前へと進んでいく。ちょうど乗り場があと数歩だといったあたりで、おもむろに後ろにいた筈のおばさんが私の順番をさりげなく抜かして前に出てきた。こういう時、学生ならば「並んでいるんだけど?」と声をかけるかもしれないが、そのおばさんは少しでも早くバスに乗り込んで、自分の席を確保したいのだろうと思い、身勝手だとは思いながら黙って見過ごした。それでも、予測どおり私が乗り込んだ時点でも、あと3名ほどは座る場所が空いていた。

カフェでケーキを食べないなんて。  バスのなかは「たいへん珍しいことに」、試験に備えて必死で教科書やノートを見返しているような学生たちも散見される。学生同士の会話が聴くともなしに聞こえて来る。
 「最低でも、これだけ覚えたら何とか点数くれるんちゃうん?」
 「あかんって!○○先生、めっちゃ厳しいらしいで!フラ語(フランス語)やろ?
  先輩が12点とかありえへん点数つけられた、って言ってたで?」
 「うそ、まじで!?」

 12点か。確かにありえへん点数である。というのはその点数を付けた先生でなく、そんな点数しか取れそうにないのに語学の試験に臨んだ学生が。

 そうやって考え事をしていると、バスが急に停止して、私の真後ろにいたらしい小学生の女の子がころんと転んでいた。すぐに起きあがって照れくさそうにしていたが、ちょっとお姉さん風の同級生が「なにやってんねん」と注意を促す。結構な坂道をぐるぐる行くのでちゃんと手すりを持たないと危ないのである。
 以前、バス内でまだ小学生にもなっていないくらいのちびっこに席を譲ったことがあった私は、今回はどうしようかと一瞬迷ったが、彼女の周りには3名くらい同級生がいたので、「バス走ってるとき、危ないからね。ここをぎゅってキツく握っておくんよ」とその小さい手を手すりの上からきゅっと押さえてやった。彼女は、私のことをじっと見て小さくコクンと頷いた。私を不思議な人だと思ったのか、下りるときに何度もこっちを振り向いていたので、にかーっと笑ってやった。すると微かだが、口元をきゅっとすぼめながら、はにかんでいた。 

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僕らは。 :: 2010/07/25(Sun)

 私はかろうじて「何者か」になるまでに、ずいぶんと時間を費やしてきたように思う。学生時代をようやく終えて就職をして数年経ってもまだ、やはり完全なる何者かにはなり切れてはいなかったと、今では思う。けれども、そのころ、「自分は何のために生きているのだろう」と考えた事があったかどうか、あまり記憶してはいない。

 「何のための生きているのだろう」という疑問のこたえを性急に用意する必要を、今はあまり感じていない。それは、そのうち分かるかもしれないとも思うし、分からないので生きてみるという言い方もできる。生涯を終えるときに立派な生きる意味を残さずとも良い。無頓着と言うのかもしれないが、誰かに「ありがとう」と言えるような人生を終えられたらそれでいい。

chapel なぜ、こんなことを考えるようになったかと言えば、「何のために生きているのだろう」症候群な若い連中とつき合っているせいかもしれない。「何のために生きているのか分からない」あるいは「何がしたいのか分からない」、もしくは「本当に今、したいことをしているのかわからない」。

 研究室を出て帰路に就くためのバス停までゆっくり歩くと10分かかる。その間に、たいていは、そんな彼らのことを想ってみてはいるのだ。これでも、こんな私に何が出来るのかと。
 
 今週は、ようやく前期の講義も殆ど終わり、試験期間に入る。やや心身不調が続いているので、ハードな来月に向けてのコンディションを調整する一週間にしたい。
 綺麗な夕焼け空が広がる時間には仕事を終えて、ゆっくりと空を眺めながら帰りたい。

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「よっしゃー!あたしは、もっと成長してぇー!!」 :: 2010/07/21(Wed)

 ボランティアに参加して、大活躍してくれた女子から届いたメール。学生の目に映る自分の姿の変遷に、間違いなく私も学生に育てて貰いながら成長を目指しているのだわ、と強く思う。

==========

Meg先生へ

そんな、そんな。
無償の愛なんて大それたものでないですよぉ^^;

でもでも!今日、私らの様子を視察しに来られた方たちのように
周りから見て「えっ!?すごいっ!人の善意だけでこんな凄いことやれるの??」
って思うような、そうゆう風な感動の輪が広がっていって、
組織も動かずに居られないような影響力をもてるチームになっていきたいですね^O^

私も今頃になって、先生のゼミに行けばよかったのにな、と心底後悔です・・・
でも、自分の社会をみる目って言うか、関心が変わるってゆーのも
考えてみれば当然のことなのかもしれません。。。
ゼミ生じゃないですが、これからも(帰ってきてからも)Meg先生のもとで
是非、働かせてください&学ばせてください^^
後期からの留学で、どんだけ自分がデカくなれるのかウキウキしてます♪

「我が大学における、ささやかなる革命の記念すべき第一歩」に参加できたこと
ほんとに光栄です★
せんせいの、その、学生をワクワクさせるような表現、とても上手ですよね^^
レホートに頂く助言とかコトバもそうなのですが、
だからこそ、「よっしゃー!あたしは、もっと成長してぇー!!」
って思えるんだとおもいます^^

去年、初めて講義でお会いしたときは、
「今日は声がでませんので」?とかで、マイクを使ってお話になっていて
なんと可憐で繊細な女性なのか!とビックリしましたが、
今では、なんとパワフルな女性かと思います!

いよいよ今週が最後の講義!(;_;)

遅刻せず行きます!笑

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洗濯物をたたむのが好き。 :: 2010/07/18(Sun)

 瞬く間に7月も半ばを通り超してしまった。
 一年の折り返し時点で「これからの一年をどう過ごすのか」とか「どうありたいのか」をじっくり考えたいと頭の片隅で思いつつ、その日を乗り切ることで精一杯。先週は、呼吸をちゃんとしていたろうか、と思う。
 ある事柄だけに専念すると、その成果や進行具合、自他評価が気になって仕方がない。一生懸命にやればやるほど、懸案事項は消えずにむしろ増える。それらの仕事が日々の大半の色を決めるならば「どうせなら、楽しくやろうよ」と声に出してみたりする。が、かえってちょっと痛々しくもある。たぶん、おおらかに前進するためには、何もかも適当に忘れてゆくほうがいい。
 
 仕事を沢山抱えているにも関わらず、見事にそれをこなしている人ほど、あたかもそれが必須であるが如く「遊ぶ」予定を仕事の間にタイトに挟み込んでいる。
 わが職場には、超多忙で数分刻みに一日に幾つもの会議をこなさねばならない重要な役職に就いている女性達がいる。もちろん講義その他の通常業務は当然ある。私生活で親御さんのサポートも一身に担っている。あるとき、数日ほど休暇を取っているようだ、と小耳に挟む。確かにここのところ見かけなかったなと思っていると、また職場で忙しく立ち働き、パワフルなオーラを振りまいている。
 「見てきたのよ、この間」とちょっと嬉しそうに淡々と報告をしてくれる。「ん?何を見てきたんですか?」と思う、当然に。

 「オーロラ」
 
 私にはそんなダイナミックな切り替えは無理である。地続きになりがちなストレスを断ち切るのは、意外とシンプルな作業で十分だ。思い切って家じゅうを掃除するとか、溜まった洗濯をまとめてするとか、とにかく「カタをつける」実感が得られること。やや難関だが、3年半以上も堆積し続けるデスク下の書類の整理がついたら劇的に明るいオーラをまとえるかもしれない。ともあれ、無理にでもそのような作業をするきっかけを得るのが案外、難しくもあるが、自己裁量で、努力から成果の道筋が単純なものに取りかかって没頭すれば、「手応え実感」は必ず得られる。

ボクやったらもっと早く走れるで! この休暇は呆れるほど溜め込んだ洗濯からはじめる。
 もはや、そうでなければ使えるバスタオルが一枚もなかったのである!我が家にはひとりにしては大量のタオルがあるので、この事態には自分でもささやかにショックを受ける。タオルも3枚しか持たないようにすれば、自ずとこまめに洗濯するだろうか。しかし、私は洗濯したタオルを畳み、大量に積み上がった姿を観るのが好きなのだ。
 
写真:「ボクやったら、もっと早くビューーんって走れるで!おねーちゃん、走ってみてや!」

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親ばか。 :: 2010/07/14(Wed)

 子どもを預かることになった。

 と言っても、学業と育児の両立を目指すわがゼミ学生のお嬢ちゃんである1歳児を、学生のボランティアを募って、母である学生が講義中のみ預かって子守をするという試みである。育児休業もしっかり取ってすっかりイクメン(育てる男=イクメン)となった同僚がサポートしてくれる。

 もう1年近く前だった。彼女が私の研究室に入りたいと言って来たのは。物語を書けるくらいに様々な事情を抱えた末、出産を終えて、そして多大な想いを胸に復学を果たした。「私はもう、こちらのゼミしかないと思ってきました」というその切実な言葉を聴いた日から、私は何とかこのような人のサポート体制が組織的に作られないだろうか、とあちらこちらに声をあげてはみたけれど、大きな進展はなかった。
 今年になったある日、「ねぇ。かたく考えずに、お隣さんの肩をちょっと貸してあげる・もらう取り組みにしていこうや」と言ってくださる偉い役職に就いてしまった同僚の男性が現れた。

 私たちは大きな組織を根本的に動かすことより、身近に出来ることから気負わず、楽しそうに、かっこよく、素敵にはじめてしまうことに決めた。それでも、これは多分、小さな革命になるだろう。組織的には「試行」という位置づけである。
 学部の性質上、学生たちの多くは既にさまざまなボランティに半ば授業の一環として参加している者も多いため、人員確保が懸念されるなか、ピンポイントで声かけをした知人学生らは、だいたいの者達が快諾をしてくれた。なかでも、「そんな素敵な取り組みに誘って頂けるなんてとっても嬉しいです!ぜひぜひ私も参加します!友達をいっぱい誘って、継続してやっていけるようにがんばります!」と言って来てくれた女の子がいて、私はその言葉に限りなく胸を打たれた。
 正直、この取り組みをコーディネートしていくことに負担感が完璧にゼロとは言い切れなかった私も、そんな清らかな学生たちの志には殆ど打ちのめされたと言っていい。

 サポーターは確保できそうよ。よかったね。そんな風にママ学生に伝えた。彼女は当初、ゼミにやって来ると、完全に孤軍奮闘の子育ての辛さを語って少し涙ぐむことがあったが、この頃はすっかり逞しくなった。「私は娘を預けているあいだ、たとえ彼女が泣き続けても構いません!娘もそうやって色々な人達と関わって成長してくれると思えます」
 きっと、その小さい存在に私たちは最初は振り回されることだろう。だけれど、きっと彼女が笑うと大人たちは皆心から幸福を感じ、泣き疲れて眠ると心の底から深い安堵に包まれて、その寝顔を眺め続けるのではないかと想う。

 ささやかな取り組みのスタートを切る。

 話はかわり、「親ばかについて」

 母からのメール。「ばかを出せ、と言われたら親を出せばいい、とおばあちゃんがよく言ってたのよ。それって、ほんの数年前の話。自分のことを親ばかだと思っていたみたいね(笑)。でもって、私も相当親ばかでしょ??」

 懐かしい天国のおばあちゃん。愛されて育った自分。余裕を失い過ぎてこの頃、無性に哀しくなることがあるのだけれど、”思い出してごらん”と最近は思う。自分が貰ったものは誰に分けても減らない何かだってことを。
 

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お願い。 :: 2010/07/08(Thu)

 いつもゼミをしている教室のホワイトボードに発見した落書き。

 「Meg先生へ 卒論を書かなくても卒業させてください!お願いします! ktより」

ギター抱える 先週末、京都で行われた学会に登壇。その学会での報告は初めてだったが、あるささやかな使命を果たすべく報告準備をした。私は、その学会におけるある領域へのアプローチにかねてからの疑問があった。それで、ある調査を基に批判的な考察を行って改善の方向性を述べてみたのだ。想像はしていた事だが、終わったあとにその筋の大御所がやって来て「よい報告をどうも・・・ただね!」と言った途端、さんざん怒りをぶつけられる。周りが張りつめるほど。一方、意外なことにその方以外からは、ほかの学会では見られないほどに、色々な方から応援の声を貰って手応えを感じる。アウェイな場所で自らをさらけ出してみて、いい刺激を受けた。
 
 今週、友人の先生が学生向けにしているヨガの授業に参加させて貰う。
 この頃の学生は身体もカタイし、筋力もないから、と言うことで「激しくない」「癒し系」のゆったりめコース。幾つものポーズを教えて貰ったが、辛くなく楽しく参加できた。
 
 体育館に仰向けになって呼吸を意識していると、とても静かに時が流れ、体育館にそよいでくる風の音、鳥の声が耳というか心に届く。
 自分の基礎体力に僅かながらの自信も取り戻すと共に、何よりも「忙しくても自分の投資している時間」という気持ちが心を和らげてくれた。その日もずいぶん長く働いたが、心中は最後まで穏やかだった。
 たとえ、「卒論を書かなくても卒業させてくれ」と願う学生がいたとしても。
 
 今夜は七夕である。Sさんが「皆が幸せでありますように」とカミサマのような純真な願いをしたと聴いて、私はその人物のために「写真コンテストで賞金の荒稼ぎできますように」と祈ってあげた。折衷されて小銭くらい稼げるのではあるまいか。

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