風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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30円不足。 :: 2010/08/27(Fri)

 昨年あたりから一緒に仕事をしている行政先の女性職員(一部男性)の人達とも大分親しくなってきた。これだけ頻繁に足繁く通っているのだから当然である。おおむね皆、自分よりも年長の方だが、自分ががどのような人間として観られているのか今日は色々教わった。想像以上にとても「観察」の対象になっていることが分かった。

 「まず、今日は、何を着て来るのかがとっても楽しみ(喋ることより?!)」
 
 「先生には見えない(・・・・)」

 「かといって、何者にも見えない(・・・)」

 「ハイジのよう」(?!)

 「喋っている時や、書いてはる文章を読むと、この人、ピシっとしてはるわ。
  賢いわ~と思うのに、時々、降りる駅を間違えたりしてはるよね(笑)」

 「ちょっと天然ボケなところがええわ(ちょっと、ではなく「かなり重度の」である)」

 「あの人が真っ白なのは、数センチの距離の日向も、必ず日傘を差しているせいやって○○課のK君が言ってたで(Kさんは、私に全然話しかけて来ない癖に、余計なところは観てるんやな)」 
  
 話は替わり、今年は学会の仕事もまわって来て、これが苦痛で溜まらない。先日、私も書類作成の一部に携わり、学会員たちに一斉郵送して我が家にも届いている筈の封書が忽然と見あたらなくなった。これは立場上、非常にマズいので、同じ学会員でもある父に「これこれ、こうゆう封筒が届いているはずだから、こちらに転送願う」と依頼。父が、その封書を管理していた!という奇跡に安堵した翌日、消えた封書は格別、捜索の必要もない場所から発見された。 
 そして、さらに本日、実家から、ご丁寧に速達で転送された封書。

 「30円の料金不足です」
 
 ちょっとずつ足りない愛おしい我が家のひとびとである。 

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足下はスニーカー。 :: 2010/08/25(Wed)

 研修講師をしに出向いた遠征先が遠かったことや、前日まで準備に終われていたこともあり、久しぶりに帰宅後すぐに猛烈な眠気に襲われ、そのままメイクも落とさずに意識を失ってしまった。ゆうべのことだ。何時頃だったかも記憶がない。ただ10時頃に届いていたメールには、もはや気づかなかったようだ。寝付きがあまりよくない自分には滅多にないこと。
 眠りながらまだ、まだその日の講義の反芻をしていた。やがて真夜中の2時過ぎにぱっちりと目が覚めた。

 さんざん寝こけていた癖に「はぁ、どうして熟睡できないのかしら」といささか憤慨しながら目覚めた。3分くらいかかって、何がどうなっているのか理解する。「メイクを落とさずに寝るのはママレモンを顔につけたまま寝るに等しい」と誰に聴いたんだっけ・・・と考えながら顔を洗い、シャワーを浴びて、しばらくぼんやりとしてから、再びこてんと眠りに就いた。

 今朝、久しぶりに体重計にのって目を疑った。きっと、ゆうべは帰宅後、お昼ご飯に残したおにぎりを一つ食べたきり、眠ってしまったからだろう。しかし、朝もあまり食べられず、コンビニで栄養ドリンクを買い、ぐびりと飲み干して仕事場に向かった。

 他愛のないことだけれど、外に講師業に出向くときには私は比較的高めのヒールのある靴を履く。遠くの人まで見渡せるように。背筋をぐっとのばすために。そして、翌日はたいてい足に負担のかからないスニーカーを履く。足下が軽くいつもより早く歩けると、僅かではあるけれど疲れていても自信が沸く。

 今日はまだ真っ暗にならないうちに帰りのバスに乗り込む。途中、車窓から夕暮れを背中に河川敷をランニングしている人や、野球少年たちが朗らかにグラウンドを走り回っている姿を眺める。すこし懐かしい風景だ。
 「今、このボールを思い切り投げてごらん」と言われたら、喜んでそうするだろう。それが、仮にどんなへんてこな場所に飛んで行ってしまったとしても、そのあと弾けるような自分の笑顔を想像する。あるいは、「あの川辺に向かって好きなだけ大声で歌を歌ってごらん」と言われたら、ためらいなくそうしたい。
 理屈などなく、ひたすら「楽しい」という気持ちを思い出す。そんな風景のなかに飛び込みたい。
 
 いまの私は、思い切り風を切って駆け抜けることが出来るだろうか。
 いまの満ちた人生にちょっとだけ足りないもの。何も考えずに澄み切った気持ちでかくことができる汗。

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緑の日々。 :: 2010/08/22(Sun)

 同級生に久しぶりに手紙を書く。季節に似合わない桜色の便せんに。

 私たちはいま、四つの季節のどのあたりにいるのだろうね。
 青葉の頃は、ともに過ごしたね。目を閉じると、あの頃の私とあなたと。笑ったり泣いたりして。あの頃は、今が来ることなんて想像もしていなかった。けれど、今だってやはり同じだね。やっぱり笑ったり泣いたりしてる。
 まだまだ人生の秋ではない。ひょっとするともうその手前くらいを歩いていなければならない、のかもしれないけれど。もしかすると短い真夏を、あるいはちょっと切なくて美しい夏の終わりを、沢山の汗をかきながら辛いなぁ・・・でも、何だか生きているって感じがするよなぁ・・・なんて言い合いながら一歩一歩、あゆみを進めているのかもしれないね。

 自分の誕生日などは比較的あわただしく終えてしまった。でも、不思議だけれど桜色の時代をともに過ごした友がひとつ歳を重ねることを思い出すと、なぜだか我が人生も一緒に振り返ることができる。
 あぁ、過去と未来といまと。どの時代も愛おしいと思えることが年齢を重ねるご褒美だ。
 
 もう戻りたくはないけれど、「あの頃」は恋しい。
 まだ見えない未来も、一抹の不安をエッセンスに慈しみたい。
 
 今の自分をぎゅっと抱きしめようよ。

 友へ。

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楽しんでいこう。 :: 2010/08/16(Mon)

 お盆休みが終わりゆく。私も含めて明日より通常勤務の方々は多いでしょう。気負わず、ともにゆるく生きましょう。

 この休暇中は、一つだけ講演に赴いた。しかし、その日はそれで終われず一日仕事が待っていた。そうでなくとも体調は綱渡り状態でその日を迎え、そういう時に限っていつも以上のテンションで臨む悪い癖も重なり、講演翌日は立ち上がることさえ辛いほどの疲労感。そんな訳で、実につまらないことにこの数日はおのずと半・療養生活であった。
 
 そうした前後、奇妙な症状を経験する。ある朝目覚めて起きあがると、とてつもなくグルグルと回転性のめまいがする。なんだ、これはとびっくりして横になると、また起きあがったのと同じくらいに酷いめまいがする。しかし、そのめまいは、やがて「頭を特定の位置に向けようとする時にだけ生じる」ということに気づく。
 すぐに調べてみると、全く自分の症状とぴったりの症状名が直ぐに検索できた。「良性発作性頭位めまい症」というらしい。一種の三半規管の異常だそうだが、それを引き起こす原因ははっきりとはしていないらしい。が、あるウエブサイトによれば「過労」ともあり、また別のサイトでは「老化」とも書いてあり苦笑してしまった。
 殆どの場合は自然治癒するらしいが、三半規管を正常化させるために、むしろ頭の位置を積極的に動かすようにと何処にも書いてあった。一時は書いてあったとおりに自然と症状は消えたが、その後、本格的に休みに入ると、また軽度のぐるぐる病を経験した。が、理由が分かっているのでさして恐怖感もなくなり、ごろごろと自分が万華鏡にでもなったような気分で布団の上をぐるぐると転がり、自己治癒を目指した。

 この休暇中に私が行ったことはほんの僅かである。
 まず、プチ・ダンシャリ(断捨離)を少しずつ実行した。ゴミ袋を3つ出し、洋服の整理・第3弾を決行した。
 そして、健康になるための休暇ではあるはずだったが、完全な夜型生活を満喫した。ダンシャリも夜行っていた。そして、12時になるといそいそテレビ前に座った。NHKが再放送してた韓国の報道系ドラマにはまり、毎晩楽しみに観ていたのである。ついでに久々に男優の名前を私は記憶に刻んだ。
 そして、3日の一回くらいリハビリに近所まで夕方買い物に出た。そうこうするなかで、自転車を駅の駐輪所にもう2週間近くも置きっぱなしであったことを思い出して心から絶望してみたり。なぜならば、1日預けるごとに150円ずつ加算されていくのだ。したがって記憶が飛んでいたおかげでほぼ撤去料に近しい金額を支払いにとぼとぼ出向いた。それからお盆時期ということもあったのだろうか。祖母のことが急に思い出されて、ひとり静かに家族や祖母のことに思いを馳せていた。

 それでも、ようやく体力も徐々に戻ってきた気がする。週半ばにまた一つ半日かけての社会人向けの長い講義を担当するので、そこをいかに消耗しきらずにやり過ごすかである。準備も含めて「まぁ、楽しんでいこうよ」と思う。すっかり楽しんでいれば、そんな言葉は改めて要らないのであるが。終わったあとのポジティブな方の気持ちだけを先取りしよう。一人からでも良い反応があれば最高だ。さてと。深呼吸して、根拠などなくても気持ちにゆとりを持って。これまであらゆることは「何とかなってきた」じゃないの。これからの出会いを楽しもうではないか。

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諦観。 :: 2010/08/06(Fri)

 とある研修大会に招かれての講演。当日を迎えるまでは気が重いが、たいていの場合は終わってみると「あぁ、やらせて貰ってよかったなぁ」と感じるものだ。今回もまた、普段は自身の領域よりやや外側にいらっしゃる層の方々を対象にした会だったのでまた一つ経験値が上がった。
 時間配分まで自由にやらせて頂けるならば、この頃は、時間いっぱいを使って一方向的に話す事はもうやめた。必ず最後に短くともワークショップ型ディスカッションを採り入れて参加者同士でも話して貰う。という方法論を昨年あたりから学んだ。これは100名を超えても十分に可能であり有効だ。ただ、もしかすると講演者自身が壇上からすたこら降りてしまい、自らマイクを受講者の方々にどんどん向けていく方法はあまりないのかもしれないが、幸いな事に私には威厳も威圧感もゼロな人間である。発言を求めた方たちはちょっと照れつつも、なかには嬉しそうに割と伸びやかにお話してくださる。

 それにしても、この二週間ほど、体調が整わないことも手伝って準備が億劫でたまらずに結局、いつものように前日の夜までかかって資料に手直し。やっかいな事に、ある到達点を過ぎると「もっとこうしたい」「この資料も付けたいなぁ」などと意欲が突然わき上がって来るのである。何故、せめてその意欲が二日前に沸いて来てくれないのか。悲しい実態である。アドレナリンが前夜にピークに達するとよく眠れないではないか。しかし、何よりストレス値をあげている状況は「やらなきゃいけないんだけど、やだなぁ」と思っている、あのおびただしくも長い長い時間である。この手の事柄は、この日記にもさんざん書いてきた。

 が、あの小田さんでさえ、今月のプレスのインタビューで「曲作りに入ると途端に体調が悪くなる」だの「スタート地点にさえ立てないまま時間が過ぎることのほうが多い」、あるいは「集中力がない」などと語っている。才気溢れるアーチストK.Odaと、自分のような凡庸な研究者を並べるのはあまりにおこがましいが、読みながら半分くらい「あー、私も一緒一緒」と共感する。

 もう共感し過ぎて胃が痛くなったほどである。まだ8月は数回にわたって、こうした修羅場を超えてゆかねばならない。苦しみから逃れたいのならば、行動するのみである。と書くのは簡単である。私にはおそるべきDNAという呪縛があるのだ。
 10年近く前になるが、我が父が突然「北の国から」にハマり、わざわざ全巻借りてきて、毎日、涙しながら見続けていたことがあった。父にはほとんどそのような習慣がなかったので、私が「急にどうしたの?」と母に聴くと、母はあっさり「逃避よ。したくないのよ、仕事」。

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おばあちゃんの笑顔。 :: 2010/08/02(Mon)

 息つく間もなく8月になだれ込んだ感。
 まだまだ試験の採点も残っている。これからは何とかの研修会講師だの学会だの、なんとか連携事業だの、とにかく行事や仕事は沢山ある。私たちが学生たちと同様に8~9月は休んでいると思われている方が相当おられるが、私たちの夏は実はとてーもきびしい。加えてこの2ヶ月もの間、ゼミ生たちを野放しにしていて良い筈がないのである。明らかに働き過ぎなひとが「やすみまーす!!」と高らかに宣言してくれるとホッと安堵する。

 さて、先日我が大学にも、うじゃうじゃと高校生たちが大学見学にやって来た。大学を開放し、各学部、学科、教室を挙げて企画を立て、是非ともうちを受験してくださいねとアピールする大学をあげての行事の一つだ。この頃では高校1,2年生のうちに「大学見学に行ってらっしゃい」というのが夏休みの課題になっているらしい。
 
 こうした行事に両親を伴って来る生徒は、もはや全く珍しくない。昨年は、親に加えてボーイフレンドも同伴していた生徒がいた。共通する特徴は本人より、周りのほうが熱心だと言うこと。
 今年は、両親に彼氏、それからお婆さままで一緒にやって来た目立った一行がいた。進路相談に少し立ち会ったが、誰よりもお婆さまが最も熱心に聞き入っている。孫、母、祖母と3代並ぶとほんとうにそっくりだった。聴けばすでに姉は我が大学の3回生だと言う。「是非、孫たち3人をこちらの大学でお世話になりたいと心から思っておりますもので・・・それはもう昔からの私の願いで」と、いかにも上品で温厚そうな笑顔で何度も何度も丁重に頭を下げて帰られた。 
 子どもの自立心うんぬんの話や、家族は幸福財産でもある同時に拘束にもなるという現実は脇に置くとして、あのおばあちゃまにとっては、ああしてやって来て孫のためならば、幾らでも頭を下げることが紛れもない「愛」なのだ。  

 こうした行事があると私はカメラをぶら下げて記録を残す。すっかりその姿も板に付いただろう。なんと言ってもこのご時世なので、広報のために各学部はブログも活用している。写真はあるにこしたことがない。今日はそのオマケ写真。生徒の平均年齢の下がっているため、進学後の難しい話ばかりしても付いて来られない。そこで、お遊び要素も入れた、ある専修の工夫の一つ。こちらは、10分で製作体験ができるとのウリこみで盛況だった。とまぁ、「顔があまり分からない」写真がブログ用には好ましい訳だけれど、この日一番撮ってみたかったのは、あのおばあちゃんの慈悲深そうで、何故だかちょっと切なくて悲しくなるあの笑顔だった。

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