風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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こぶた、たぬき、きつね、ねーこ♪ :: 2010/10/31(Sun)

 正規労働者と長時間労働について書こうと思ったけれども、ちっとも楽しくないので、別の話題を。

 この二年くらいの間で、自分が担当する殆どの講義では教員から学生への「完全レクチャー形態」をやめて、学生参画型をあれこれと模索中。しかし、新規な知識なく彼らの観念と経験だけで議論させても、求めるところまで熟さないので、教員はファシリテーターとして参加しながら議論の狭間に新規な知を注ぎこむ、といった方法に臨んでいる。
 講義に出席した以上は、全員が二言、三言以上は発言をして帰られなばならない、反対に言えば自分以外の他者の意見も相当耳を傾けなければならない状況をつくる。そのために、まずは個人で考えたり作業をする時間を作る、というシンプルではあるが毎回、ちょっとずつパタンを変えつつ検討中。
 グループ・ディスカッションは、根拠はないが、あまり見知った者達でない場合は4名くらいが適当かと感じられる。こうしたワークショップ的技法を、私は民間で社会人向けに百戦錬磨のワークショップを開催している講師の方とつき合うようになって学んだ。

お花に囲まれて 講義では、普段、話している仲良しグループではない人々との疎通を図って貰うために、2、3回ごとにメンバーを換える。その方法として、例えば、端から順番に「いち、に、さん、よん」と声を出して番号を言って貰い、同じ番号を告げた物同士でグループづくりをする。議論の口火を切る最初の発表者も、こちらで指定している。たとえば「小指が一番長ひとから」「一番厚着をしている人から」「一番明るい色の洋服を身につけているひとから」右回りで順番に意見を述べるようにと。 
 大学生にもなれば発言の順番くらい自主で決めれば良いという考え方もあるが、要するにいつも前だけ向いて講義を受けているのに、いきなりあまり知らない学生と面と向かう緊張感を削ぐためのアイスブレイクである。それから、自分以外の他者への関心を引き出すという、ささやかな期待もある。今年の春に企画したあるシンポジウムに出席してくれた若い中学校の新任教員の男性が「今日は、久しぶりに相手の顔をみてお話をしました」と言ったことが忘れられない。
 
 「誰の小指が長い?」「誰が沢山洋服を着こんでいる?」「誰の洋服が明るい?」と言われると、皆、自分を観て相手を観て、他愛のないことだけれど、順番を決めるためにまず口を開かずにはいられない。あくまでも人と話すためのきっかけである。机を前にだけ並べて私の話を聞いている間はしんと静かだけれど、これほど慎ましいトピックで学生たちが人と向き合って笑い出す。彼らはやはり関西人だなと思うこともある。「○○クンのほうがいっぱい着てるやん。」「いや、俺は薄着の重ね着で、キミのほうが分厚い服じゃ」などと言い合うのを観て、よく知らない者同士が、ゲラゲラ笑い出すのだ。 
 先日、意外にもちょっとウケたのは、グループ決めの方法だった。番号を告げる方法はマンネリになるので「今日は・・・どうやって決める?・・・・うーん。じゃあ、コブタ、タヌキ、狐、ネコにしようか」と思いついたままに告げる。私たちは園児じゃありません!とクレームがつくこともなく、学生たちも面白がって「こぶた、たぬき、きつね、ねーこ♪」を申告。「はーい、コブタはここやぞ~」と手をあげて仲間の動物を集めていた。そのうち学生たちから、グループメンバーを決めるために提案があるだろう。
 テーマは、『学校生活における社会・心理的不調和と欠損の事例を、地位と役割理論から分析、考察するにあたっての個々の意見の提示、および、そのアウフヘーベン』といったものであるので、コブタさん達もねこさん達も大学生活を振り返りつつ真剣に議論をしていた。今週はネコチームからのプレゼンテーション。

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適当と適切。 :: 2010/10/26(Tue)

 クロネコ。21時までの配達指定を受け付けているが、20時以降は一切、再配達に応じてくれない。もう2日も受け取れないままだ。今日は何が何でもと思い、あと一時間仕事したいところを大急ぎで帰宅する。20時20分。不在連絡票を見るとほんの10分足らず前にドライバーが来た形跡。きっとまだそのあたりに居るはずと、携帯に慌てて連絡を取ると杓子定規な「20時以降は一切、再配達はしません」を繰り返す会社の女性に繋がってしまう。もしかするお客さま根性丸出しで、とにかく今日じゅうに持って来いとごねる客もいて、きっかり時間内に勤務を終えられないのかもしれないが、それにしても悔しいのだった。先日、近所のコンビニから送ったメール便が届くのに何故かしら1週間近くもかかった為、かなり不信。
 翻って、佐川急便にはお礼をしたいくらいだ。申し訳ないほどに何度も来てくれる話は以前にも書いた。いつも同じ穏和そうなおじさんだ。この頃は、私の帰宅は遅くなりがちと判っていて、一番最後に配達を回してくれている模様。不在連絡を見て電話をすると「お、今おかえりになりましたか。参りますよ。」と執事のような口調でもの申す。
 ペリカン。どこぞ、いつも気まぐれに飛んでいるんじゃなかろか、の個人的印象。

古い町並み  今日は急に気温が下がった。夕刻、キャンパス内に用事があり、寒くて肩をすぼめて歩いていると、先日テレビ出演のための撮影を終えたという学生が遠くから手を大きく振っていた。にこにこと嬉しそうに撮影したスタッフと一緒に撮影した写真を見せてくれたので「撮影って何時間くらい撮るの?」と聴いてみると、「3・・・じかん。放送、30分ね」「あらま、ずいぶん長く撮るのね」「そう。論文と一緒ね。うわ、ずみ、だけ取るの」とイタズラそうに言うので「うわずみだけ?!論文もうわずみ?(笑)そんな事言っちゃダメじゃん!」と言うと、余程ツボにはまったらしくゲラゲラと笑い出した。なんだろうな、このおおらかさは。
 
 超ご多忙でなかなか捕まらなかった情報系のとある先生に、ゼミ室にパソコンを貸し出して貰うにあたり、不具合がないか看て貰う。彼は同じ歳だ。しかし、勤続年数も長い彼のほうが何故かずっと年長(おじさんとは決して言っていない)に見えると私は思っている。
 我がゼミ室に学生が好んでかけてある専攻の学生と先生が皆で集合したカレンダー写真をちらりと観て「こっち側が、全員学生って感じやな・・・ふっ」と独り言を言いながら、ひっそり笑っている。もちろん「こっち側」には私が映っているのだ。ところで、彼が持って来てくれたマウスがいまいち良く反応しない。「あっ!こいつアっカンなぁ」と言いながら、ごそごそ上着を探っている。「あ、ここにもあった、あった」と、何でもない事のようにスーツのジャケットのポケットからマウスを取り出したのが、ドラえもんのようで秘かに感心する。ほかのポケットには普段、何を入れているのか聴きたくて溜まらなかった。が、また別の機会にしようと思う。「ほかの人の研究室なんて見る機会がないですから」と言いながら、私の研究室をあちこち眺めて周り、私が「あ、ちょっとそこは。。」と言う前に、勝手に楽しげに扉という扉を開けたり閉めたりしている様子をみて、やっぱりポケットの中身は今度、根ホリ葉ホリ聴いてやろうと思ったのである。 

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週末。 :: 2010/10/24(Sun)

 週末、これが同じ近畿圏内だろうかと思うほど、大げさな移動手段を使って赴いた会議が20分で終了して唖然とする。仕方がなく受付で徴収された800円で宛われたお弁当を、お昼を待たずに食べることにする。席に戻ると私の隣には同じように「どうしよう。もう終わってしまったぜ」という顔をしている、初めて見かけた珍しくも若い男性研究者がいた。いかにも手持ちぶさた気味に座っているのに気づいて、「先生は今日は(学会の)登壇を?」と話しかけてみると意外にも共通の知人が沢山いる大学に勤めていることを知り、お陰で食事の間はあれやこれやの話で楽しく盛り上がった。と言うよりもあまりのあっけなさを一生懸命に互いに埋めようと、有益であろうがなかろうが、とにかく思いつくままの話題を提供しあったのだった。
 こうした会議で、自分より若い人を一度も見かけた事がなく、「ぼく・・・座長(研究発表会場の司会進行)をやるのは初めてなんで緊張しちゃって」なんて初々しい発言を聴くと何となく嬉しくなってしまう。過去にさんざん何処へでも出向かせられた経験を話して「楽勝、楽勝、発表者よりはずーーっとね」などと言う自分は完全に関西のお節介おばちゃんになっていることを悟る。

高く高く。 帰りに久しぶりに大阪は阪急デパートに立ち寄る。阪急に出向くのなんてどのくらいぶりだろう。普段の私は難波までしか足は伸ばさない。そこで、あまりの人の多さに驚いてしまう。なんだ、なんだ、この人間どもは。
 自分の暮らす街の百貨店など、おそらくスケボーに乗って移動するのも可能だと思う。それが、この人間の「渋滞」ぶりはなんだ!?と、すっかり田舎人口での呼吸に適応してしまった自分が悲しいような気分になる。
 それでも地元、大阪の街での買い物を謳歌。しかし、その後は建物から外への脱出に思いがけず苦戦し、さらに地下鉄の方向は「あっちだ」と分かっているのに、何故かどんどん遠のいてゆく。ひどい遠回りをしてようやく地下鉄に乗れた。あ、だれですか、そこの私を田舎モノ扱いしたひとは。

 実家に一泊して自宅に戻る。実家から最寄り駅までは父に車で送ってもらった。15分程度の道のりで2人きりになると、議論を超えて喧嘩になることが時々ある。今回は喧嘩はしなかったが、われわれ親子の名前表記をめぐり学会では分け隔てが必要である、などといった話しをごちゃごちゃしているうちに車が停まる。あ、着いたのね、と思って降りると何故か目前に人が大勢立っており、私のことを皆がじっと観ているのだ。
 よく見ると、そこはバス停留所の真ん前であった。あら、どーも~、すみませーん、といった雰囲気を醸し出しつつ「ちょっと、お父さん。ここに停めちゃダメだよ。ほらほら。もっと前に行って!」と外から合図すると、私の荷物を取り出すために一度開いたトランクを開けたままぶーーーんと前に行ってしまった。バス停の人達の視線を痛々しいほどに感じた。いかにまぬけであろうと、生きていればいいのである。 

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気づく。 :: 2010/10/23(Sat)

 「悲しみは絶えないから 小さな幸せに気づかないんだろう」と口ずさむ。

 出来るだけ脳天気なことだけを楽しく日記には綴っていたいな、と思っている。すると、何も書くことが出来ない日が多いことに気づく。けれども多分、忘れているだけなのだ。くすっと笑ったり、嬉しかったりした、とても「ささやかで大切な一瞬」を。

 「先生、ボクはこの授業、大好きです!」と言ってくれたのは、留学先で大事故に遭い、脳におおきな障がいを持ちながらも復学を果たした青年だ。彼は、いつもいつもとびきり明るい。真っ直ぐな視線をびしびしと感じる。「生きている」そして「学んでいる」ということを、まるで私の一言一言が耳に届くまでの間にたしかめているように。
 今日、講義後に、とても素敵な話を彼から聞いた。卒業後は、ふるさとのために貢献するのだと。まずは美味しい珈琲の作り方、入れ方を都会に出て修行を積んで学びたい。そして、ふるさとに帰って農業を営みながら温かなカフェを開くのだと言う。お店で出すケーキやクッキーづくりを担当する友も居るらしい。すでに同じ夢を持つ仲間づくりを進めていて、多くは同じような不遇の事故で人生が大きく変わった人達だと言う。

 笑顔を満面に湛えて、ほんとうに心底、嬉しそうに語るのだ。私は久しくこれほど真っ直ぐな笑顔を見て居ない気分になった。彼は全身で語っている。「生きているだけで、この人生は素晴らしい」と。それは、ものすごく素敵な笑顔なのに、思い出すと涙ぐみたくなる。そんな彼のことを支援してくれるひとはきっと沢山いるだろうと感じる。
 彼がこのたび、とあるテレビに出演することが決まったらしく、自慢げに「先生、見てくださいね!」と念を押された。そう言えば、先週は合唱部員が「先生、絶対コンサート来てくだいね」と言っていたっけ。

 私を、精神的に奈落の底に突き落とすことが出来るのも、また、天使のようなほほえみをくれるのも、共に彼らだ。

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喋り過ぎた秋の午後は。 :: 2010/10/19(Tue)

 先日、人気のない田舎のホームでのびのび写真を撮られていると、職場に出入りしている方のお嬢さんが「meg先生にそっくりのひとがいたで!でも、やっぱちゃうよね。何か付いてるでっかいカメラで撮影されていたし・・・」と言っていたそうだ。
 わたしたちが行く先々で写真を撮る姿は、「はい、チーズ」からは大分逸脱してきている。しかし、大勢人が居る場所では当然、躊躇を感じるし、少ない場所でも人にじっと見られると抵抗も感じるけれど「誰も見てないだろうな」という前提では羊のぬいぐるみも抱けば、ヘッドフォンにも絡まってみたり、公共の場所で花瓶や花まで持ち込んで撮影しているのだから、見た人からすれば奇異であろう。が、とにかく色々な場所に少しずつ知り合いも増えて、意外な場所で目撃されるようになっているということである。

「1回、試し撮りね」「ほーい」の図。 ところで、「人疲れ」と言う言葉があるように、何だか人とずっと接しているとストレスが溜まっていく時がある。特徴的なのは、そのときは、さほどストレスに思っていなくとも、何だか後から疲れるのだ。だから、私は決まった学会でしか懇親会にも出席しないし、社交性を欠く人間だ。ところが、自分の場合は、不思議なことに「人疲れ」を癒すのも、やはり「ひと」との関わりのなかにあると思うこともしばしばである。
 元来、おしゃべりな人間である。それは、自己顕示欲の表れの一つでもあると思う。同時に、人の感情の機微を気にしないタイプでもないので、コミュニケーション過剰で疲れてみたり、反対に、そのおしゃべりによって承認を受けている感覚や、尊重されている実感を得てみたりと、まったく忙して面倒くさい性格である。
 
 1から10まで、とは言わないが、そのときの他愛のない「気分」のようなものを、あるいは、ただただ身の回りで生じている出来事とそれに伴って来る感情のようなものを、へーっ、ほーっ、はぁー、あははは、などと笑って聴いてくれる友が一人でもいたら、十分に満たされた幸福な人生に違いない。

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注意欠損症候群。 :: 2010/10/16(Sat)

 新しい職場に来て、たしか2年目くらいで早々にコピーカードを紛失した。結局、そのときは事務に謝って新しく作って頂いた。
 「なくしてはいけない大切なモノを失ってしまった・・・」という経験は何とも言えず、心を塞ぐものだ。自分の管理能力への不信、なにより他者からの信頼感の喪失。事務の人には「どの方も、たいてい後から見つかるんですよね」と笑われた。すると、その言葉どおり何ヶ月も経ってその傷心も忘れかけた頃、忽然とジーンズのポケットから、それは姿を現した。そのときは既に新しいカードに自分の名前を刻み、すっかり懇意になっていたが、「なんと!そんなところに隠れていたのか、キミは!大切にしなくてごめんよー(涙)」と抱きしめて口づけしようか・・・というばかりの感動の再会であった。翌日に「あのぉ・・・やはり見つかりました(照)」と報告できた折りの過剰なまでの喜びたるや。

 あれからまだ2年も経たない先日、今度は研究室の鍵が忙しすぎて大切にしきれなかった私に愛想を尽かしたらしく、置き手紙もなく私の元から立ち去ってしまった。最初は楽観していた。ヤツが収まる場所は決まっている。きっとそこに隠れているだけだ、と。しかし、それは間違いであった。2日以上経っても、いったい何処で別れてしまったのか検討が付かずに、結局また同じ事務の女性にきっと内心ばかだなぁと思われているだろうな、と覚悟しつつ事実を報告をすると「あ。じゃあ、新しいの作りますね」と実に気軽で事務的な対応を受けた。
 翌日、重い足取りで出勤のためにマンションの自転車置き場に向かい、自転車のかごに荷物を入れようとしたそのとき、かごの編み目の狭間に、キラリと光る見覚えのある鍵が挟まっているのに気づいた。
 「きみーっ!!いつからそこに居たの?心配したじゃないの、ばかー(涙)」と感涙の再会を果たした。きっとバッグのなかコピーカードが、冷ややかな気分で「けっ。めぐのばーか」などを呟きながら観ていたに違いない。

湯浅1 つい先日は、さらに重大責任が問われる可能性のあるモノを管理しそびれて見失ってしまった。しかも、1週間近く経ってから気づいた。必死で記憶を辿り、「たぶん、あそことあそこしか置いた場所はないと思うのです」とその場所に連絡をとって担当の人に探して貰った。最初のうちは、実は「見つかるかもしれない」と60%程度の希望を持っていたが、「仰る場所は探して見つからないが、もう一度、全館を点検をします」と言われてからは自己弁償と謝罪文を練り始めていた。

 しかしである。どうやらカミサマはこの世にいるらしく、なんとその会場からその日の夜に「お忘れ物が見つかりました」と連絡が入ったのである。私は天に向かって叫びたかった。「ありがとー。わが人類!この宇宙よ!」

 今年のおみくじに書いてあった。「失せモノ出ず」。しかし、運命は変えられるのだ。やっほー。この安堵は何ものにも代え難い・・・と一連の大騒動を娘から伝え聴いた我が母が「ほんとは、マイナスからゼロに戻っただけなのにね、あはは」と、おおらかに反応される。

 ようやく、やや正気に戻る。
 この頃の私は、手に幾つかの資料とスケジュールノートを握りしめながら学生に「あれ、私のスケジュール帳、知らない?」などと言っている。

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Bad Girl :: 2010/10/08(Fri)

 栄養ドリンクと栄養剤と安定剤と、時々珈琲。なんかもうどれが効いて、どれが効いていないのか。帰宅12時半。

 日曜あたりまでが山である。疲労がピークに達し、さらに虚無感が加わり、マンネリと凡ミスを超えた高みに見えるのは何か。これが不思議なことに「止まらないクツクツ笑い」である。しかも一人で。自分と同じようなあたりで足下をすくわれて、キレるのを我慢しながら自分自身を笑っている人をみると同情しつつおかしくなってくる。人がいささか壊れていく感じが溜まらなく笑える。そして、一度笑い出すと止める体力がないらしい。ひとって可笑しいなぁと思う。防衛反応の一つなのかな。

 しかし、まぁ、学会のこんな事務系・激務系・裏方系仕事は、先々10年くらいはもうやりたくないぞ。

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