風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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Girls meets boys. :: 2011/02/19(Sat)

 ゼミ生2人にアルバイトでデータの集計をお願いし、パソコンのある教室に送り出す。「先生、終わりました!」と言って戻って来た彼女たちと知らないうちに雑談が始まってしまう。特に陽気な彼女らが繰り広げるガールズトークは実に面白いので、ついつい時間が経つのを気にしつつも、つき合ってしまう。
 関西独特なのかもしれないが、身振り手振りの形態模写、および声まで似せたレポートがあると私の笑いは(疲労がピークなので)もはや止まらなくなり、同様に関西人の悪のりで彼女たちをさらに加速させている自覚は多少ある。
 
 それにしても、身近に生息する男子に向けている冷静な観察は聴くに値する。男子同士には、女子以上に「恋愛」に似たややこしい友情関係がある・・・らしいのだ。何となく分かる気がする。反発しあっているように見える男子同士ほど「ほんとうは自分を認めてほしい」同士だったりするのだろう。だから、女子から見ると、けなしておいて結局、面倒を見たり、いじいじしているようで甘えたりする関係が「恋愛」っぽいのだと言う。鋭い。
 
 さらに、女子は見かけ倒しの男子には、相当厳しい。「努力しない」「不誠実」と女子にレッテルを貼られたらもう終わりですよ、と教えてあげたほうがいい気がするほどだ。美男子に対してほど、女子のジャッジはとても厳しい。

姉妹。 ところで、少し古いデータではあるけれど、教師の多くが教室内では女子よりも男子と無意識に多く交流を持つらしい。割合にして3分の2の時間とエネルギーを男子に構うことに割いているとか。そのほうが経験的に「面倒くさくない」らしい。そして、男女との関わり方に偏りを持たせず平等に接する教員に対して、男子達は「あの先生、冷たい」と評す・・・と言うのがガールズたちの説明だ。思い当たるふしがある私は奇妙に納得してしまう。 

 そんな彼女たちの疑問。
 『なぜ、男はつきあい始めてしばらくすると、メールの返事が短く、つまらない会話になるのか』

 男子が振られる確率が女子の2倍であるとは聞きかじった情報に過ぎないが、その理由は何となく透けて見える。

 以上、あたかも人の個性が男女という性にばかり規定されるように語ってしまったが、社会的に傾向はあるにせよ基本的には、そもそも男性と女性の個々人をひとくくりに見るつもりもない。この世には男女の間の性を生きるひともいるので、こうした話題はある意味では、異なった個性を生きるひとりひとりには甚だ失礼である。が、日常的に観察される傾向を語る上では、皆がそれぞれに所感を持ち合えるテーマであるゆえ面白く、しきりと採り上げられるのだろう。
 つい先日、母に「あんたって、理屈っぽい」と言われたことを思い出した。

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短期記憶から消える。 :: 2011/02/12(Sat)

 合同ゼミ発表会が何故か、連休の真ん中というサイアクな日に組まれてしまい、朝から出勤する。消耗するから黙っていようと思っていたが、そうも行かずよそのゼミの先生と小さき攻防を繰り広げる。雪の心配をしつつ、午後の遅い時間から卒論発表会前にまだ一山超えられない学生の対応をし、そのあと急かされている成績をつけて遅く戻った。

ほおづえ たぶん、本来の自分の器量の何倍も、たち動いているので、私の脳内には記憶が溜まらず飽和しているのだと思う。先日、下級生ゼミ室に赴くも筆記用具を忘れ、親切なTクンに「なんでもいいからペン借りられる?」と言うと、赤、青、緑、ピンクと多分5色くらい出してくれた。今、これを書いていて、その色が「完全に正しくない」自信がおおありである。よく「ハサミ・眼鏡・万年筆・クリップ・ホッチキス」などを見せて記憶して貰い、少し時間が経ったあとに「さきほど何をお見せしました?」と医者が患者に尋ねるアルツハイマー・テストで私は引っかかる気がしてならない。
 
 学生があれやこれやと話しかけて来るのに応じて、あわただしく研究室に戻り、次は上級生のゼミを。ふっとその夜、仕事している最中に「あ、ペン返すの忘れちゃったな」と思い出す。Tクンに携帯から「ごめんごめん。ペンを持って帰ってきちゃったみたい。青色だったね」とメールすると「いえ、青ではなく赤が戻ってませんが・・・」と不審そうに返信が来る。「あぁ、そうだった?!赤ならいっぱいあるから2本でも返すよ♪」と、殆どとぼけたままのお詫びをし、今日、その顔を見たので返した。・・・いや正確に言えば「返したらしい」のだ。 ペンを差し出しながら、もう次のことを考えて「全員、反省会するからゼミ室集合ね」とか言ったからだと思う。私は再び、研究室から赤ペンを持参し、「はい、これ返すね」と言ったものだから、「・・・・・先生、大丈夫っすか?返して貰いましたよ、さっき!ボケたんですか?」と言われるはめに。

 もー、そのくらい私は忙しいんだよぉ。と言い返そうと思ったけれど「もしかするとホントにボケたのかもしれない」と正直な気持ちが口とつくと、あたたかく、悲しげな、そして深い労りの眼差しを向けられたのだった。
 しかし、周囲では大きなペンケースを持ち歩いている時にゴトンと落っことしたことに何日も気づかなかっただの言っている先生もいれば、あちこちの研究室を巡回して要件を述べているうちに大きなバッグを何処かの部屋に置き去りにしたか判らなくなったとか、「でも、仕事しなくちゃいけない頃になると出てくるのよ、ちゃんと。何故かしら」と宣う方もいるし、たぶんまだ大丈夫だ。
 
 そういえば、かつての職場にいたな。
「昨日は飲み会お疲れ様です。ところで、ボクの自転車、知りませんか?」とオールメールで問い合わせていた若き学部長さんが。深い溝を自転車に乗ったまま飛んだことがあるなどの武勇伝が絶えなかった。こうなったら私もそのうち歴史に刻まれるような物忘れ武勇伝を職場に刻めるかもしれないな。
 

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救援物資届く。 :: 2011/02/10(Thu)

 師匠と弟子は似るのだろうか。私のゼミ生たちのほとんどが、ずっとサボっていたにもかかわらず、間際になってお尻に火がつく手前くらいで爆発的な底力を見せたりする。あるいは間際になるほど、時間もないのに、完成度にこだわる性質あり。

 ちなみに私にとっての「師匠」の一人は父と言っておこう。
 昔、よく「構想中だ」と言いながら、いつまでもソファベッドに長々と寝ころんだままずっとテレビを観ていたものだ。「北の国から」を全巻を夜な夜な見続けるといったように、絵に描いたような逃避をしていたのも記憶に新しい。そうして、急にのそのそ真夜中に起き出して、なにか書き出したかと思うと、あげくは「なんだかオレ、自分が可愛そうになってきた」と我を哀れむ。明確にあれは怠惰に次ぐ逃避という名のビョーキなのだが、もはや批判はできない。今だって、学生のレポートを直すのがイヤで、こうやって夜中にブログを更新している。

 学生の論文やレポートなど「適当にしか読まない」という方は結構多いが、自分自身が「てにをは」まで指摘する面倒くさい師匠に指導を受けたため、自身の指導方法も割とそれに近い。
 卒論の発表会の準備に手を貸すだけでもものすごく気重なのに、今年は3回生まで卒論の企画発表を課されて、時期が迫っているために私は半・発狂気味、猛烈な勢いで学生の報告レポートに赤入れをし続けている。

 彼らのモチベーションが低ければこちらもそれなりの指導しか、するつもりはない。が、今頃になって、どうして今頃になって?!と思うほどに急激な成長を見せる学生が多いのだ。もはや無視出来ないテーマを掲げてきたり、飛躍的に文献レビューと考察が進んだりと、のびしろが全く予測できない。
 学生たちとの連絡用に開通させたメーリングリストに『明日の正午までにそれぞれに返送予定。要確認。私が倒れたら紛れもなく過労だと訴え出てくれたまえ』と書いておくと、学生が直接、研究室訪問。片手に仕上げたばかりのレジュメ。もう片方の手にはオロナミンC。「さしいれっす!」。まだ、これ以上、働かせるのか、おぬしは・・と思ったが、とてつもなく飢えて、喉もからからだったので、「さんきゅ、気が利くじゃん」と言って文句を言うのを忘れて飲み干してしまった。
 
 神様は、やはりいるんだなぁと天を恨めしく見上げる。

 学生のそれらを手直ししながら「くそー。なんで、もっと早く仕上げて来ないんだよぉ!」と怒っているこの自分が「お願い!明日締め切りだからこの英文サマリー、チェックしといてー、わーん」と泣き落としているのだから。今も。

 そんなこんな日々に、「救援物資在中」と書いた袋が届く。オロナミンCなどではなく、ステキ女子のお手本のようなラブリー物資である。眺めていると「丁寧に生きる」という言葉が浮かぶのだ。
 私の神様は天ではなく、倉敷方面にいるらしい。ぐふふ。

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優しき傍観者ではいられない。 :: 2011/02/06(Sun)

 大昔に、宮本輝の「青が散る」を読んだ。ひょっとするとまだ中学生くらいの頃かもしれない。主人公は不器用でテニスばかりに明け暮れる大学生の青年だった。よく考えると何の障害もない筈の場所にさえ、わざと石を置いてみて、それに躓いて痛がっているような姿は今の学生たちも同じかもしれない。
 このごろ、当時の「大学生」を描写しているシーンが何故か、忽然と思い出されるのだった。

↓300円もしないおもちゃカメラ。一切の工夫なく、勝手にお洒落風。 
230円のカメラですよ。 授業にちっとも出ていなかった主人公が教授の温情で再試験を受ける機会を得る。しかし、全く試験はちんぷんかんぷんで、とても合格点を貰えそうにない。教授に泣き落としに出向く主人公に、先生は粋なはからいをする。教授は日々、テニスのボールを追いかけ続けていた青年の姿を遠くから眺めていて知っていたのだ。彼はそれとなく「ぼくの車、ずいぶん汚れているんやなぁ・・あれを洗っておいてくれると嬉しいなぁ」と呟くのだ。たしか記憶によれば。
 大学教員の、当時からイメージというのは、「青」の真ん中にいてもがく学生たちを「遠くから」そっと見守る優しき傍観者であった。
  
 しかし、今の自分はどうだろう。気をつけていなければ彼らに振り回されそうである。四季折々、学生たちのメンタルな部分も含めて対応を迫られるようになるとは夢にも思っていなかった私である。

 ちなみに、先日開催した公開講座のDVDが届いたので、自分が話している様子を観てみた。昨年は前列の大学教授だけには言いたいことは伝わったようで「あの話がよかった」と言われたものの、連行したゼミ生は難解だっただの眠くなった、だの言いたい放題だった。そこで、今年はとにかく事例を出しつつ平らに話したつもり。この1年で私は講義形態を劇的に変えるに至る契機があったのだ。
 動く自分も、見ためは普段写真で観るとおりである。話す内容に比して威厳がないのは仕方がないが、もう少し声に安定した圧力が増さないないだろうか、常々思う。息がそのまま太く、よく響いて通る声となる生得的な資質がある人が羨ましい。思っているよりもずっと高くて細い自分の声。甘くはないが、例えれば少年のよう。受け容れがたいが自分なので仕方あるまい。

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