風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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再出発 :: 2011/03/31(Thu)

 4月になれば彼女は。サイモン&ガーファンクルの曲にそんなのがあった筈だけれど、どんな歌詞の内容だったろうか。

 日本も自身も、今年は色々な意味で節目の年になるだろう。あらためて再出発を心に誓いたいものだ。

さくら咲いた。 日本の未曾有な被害に比すれば、あまりに些細なことだが、自宅パソコンがクラッシュしたときに沢山のプライベートファイルを喪失した。バックアップは仕事ファイルだけしか取っていなかったのだから起きるべくして起きたことである。なかには、もう二度と手には出来ないだろう写真のファイルなどもあった。
 だけれど、よく言われるように何かを失うということは、そこにまた新しい風を呼び込む隙間や余地ができるということだ。パソコンのクラッシュも二度、三度、経験すると「しかるべき時期が来たのだ」と思い、慣れた環境設定を脱して新しい道への適応も出来るようになる。

 日々は必ず移ろい、色々なものがそれぞれの速度で変わってはゆくけれど、私たちは最初から「前」にしか進めないように出来ているのだ。そうやって前に歩ませてくれる私の神様や人々の存在に感謝をして、明日を迎える。心機一転の再出発を遂げる。私の速度でよい。

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桜が咲いたよ。 :: 2011/03/29(Tue)

 昔、私が長く暮らした町は、とても桜並木が美しい場所だった。幼いころは、地面に雪のように積もった花びらを沢山かき集めて空に放ち、きゃっきゃっと喜んでいた。少し大きくなると、桜そのものを眺めるようになった。そして大人になってからは、ピンク色の木々の間に注ぐ木漏れ日を見上げた。
 だから、どこの立派な桜を観てもわが故郷の桜が一番「こころに咲く花」だと感じてしまう。

ももいろレンジャー 母は、桜の季節が来るたびに窓の外を観ながら「桜は、春になったらちゃんと毎年、可愛い花をつけて本当にけな気ね」と言っていたものだ。確かに。そうやって毎年、桜を愛でる母の心は豊かであった。一方、我が父は、「桜?そんなの咲いていた?」と言ったことがある。信じがたいことだが、そこまで自身の世界だけに埋没できるなんて、ある意味ではツワモノである。
 
 今日、出勤の途中、バスの車窓から枝に桃色のつぼみを付けた桜が一瞬、心をかすめた。
 新しい季節は誰にも等しくやってくる。「ちゃんとやってくる」

 学生たちのメーリングリストに「さぁ、私たちも新しい季節を迎えましょう!」と4月からゼミをする予定を勇んで報告する。ついでに、初めて私が着任した年に卒業生となった卒業生にも連絡を取ってみる。元気そうだった。一生懸命に働いていると言っていた。それだけで嬉しい。

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送別会 :: 2011/03/29(Tue)

 行く寸前までは「億劫」の極みにあるのが3月から4月にかけての歓送迎会の類である。学生・教員と立て続けにやる。とにかく大勢集まって飲んだり食べたりする狭間に、自己紹介をしあうという宴会的もてなし。転職され、また新しい場で新任となる先生方は幾つ参加義務があるのかと思うほどにこのシーズンには沢山ある。
 
 何がそんなに苦手なのかは実はあまりよく分析できないが「行けばそれなりに楽しいから」と確信犯的に言い聞かせて出向く。それにしても今年度は、年齢的なものか役回り的にも幹事役も多かった。この歳になり、久々に「歓送迎会進行の一般的ひな型」をもう一度、ウエブページで閲覧して復習してみた。学生時代に見て学んだことで十分だと思っていたけれど、そういった決まり事の基本をよく知っているのは敬語と同じでたいへんに便利なものだ。

 気づくに、こうした機会にはなんとなく参加する立場よりも、もてなすスタッフ側のほうがずっと参与的意義を見いだせるし、行けば億劫さも激減するということだ。幹事になってしまえば主体的に参加せざるを得ない。同時に、「どうすれば喜んでもらえるのかな」という観点で、自身も楽しむためののハンドルも任してもらえる立場となる。
 
 先日は組合の退職者をお送りする会に出席。
 こんなにも忙しい時期に、なかなか集まらない人を懸命に勧誘してまで実施する必要があるだろうか、と不謹慎にも思っていたが、近日開催のなかでも、もっともフランクでカジュアルな会になり案外楽しかった。
 普段、バンド仲間同士らしいギターを持ち込んだ先生たちが二人もいたのだった。私より少しだけ年長組で、普段は立派な学者たちである。学園祭には学生たちと競って毎年パンク・ロックを披露すべく出演しているなんて知らなかった。そのバンド名もばかばかしくて笑えたし、歌があまり上手ではないのもまたよかった。うるさーいと明るいヤジを飛ばされても楽しくて仕方がなさそうなあたりのアマチュアリズムに惚れ、私は本気でそのバンドの「マスコットガール」を申し出ようと思ったほどである。(いや、本当を言えば、ボーカルの方よりはギターが弾けそうな気配なので、ボーカルに専念して頂いてもよい)

 そんなこんなで「絶対にふつうにはお話ししそうにない」難しそうな方からいきなり話しかけられてびっくりしたり、など予想外の出来事も含め、こうした機会にねじを巻きあげて参加する意味を感じた夜である。
 予定よりも1時間もオーバーしたのに、お店からは何の文句も言われず、組合における新しい目標も共有され、定まって行った。
 最後には、震災のための義援金の袋が当然のように配布され、皆が思い思いの金額を入れていた。こうやって何かあるごとにせめてもの気持ちを注ごうと思っている。
 
 さて、次は歓迎会のシーズンに突入だ。 

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卒業おめでとう。 :: 2011/03/27(Sun)

 その日は折しも雨だった。震災の影響もあってか、やはり卒業生たちも少し控えめで、つつましやかな雰囲気が漂う日ではあった。しかし、恒例行事として卒業生たちは式を終えたあとにお世話になった先生たちの研究室を回っていた。
 私のゼミ室からも今年、二人の学生らが巣立って行った。彼女たちは私がこの大学に着任した同時期に1回生として入学し、3、4回生になると我が研究生のゼミ生として位置づいた。まだまだ未熟な自分とずっと一緒に歩んできてくれた仲間のような存在でもあったと、今は思う。

 急な雪に加え、もはや翌日の卒論発表会の準備を残しては帰れなくなり、実習室で彼女たちが夜を明かしたことなど本当につい先日のようだ。その日の夜の追い出しコンパで、卒業生のひとりからこれ以上ない称賛の言葉が贈れれた。
「私は先生のような大人になりたいです。なんでも相談できるようなひと。決してこれは駄目だとか決めつけないで、柔軟な気持ちで受け止めてくれるような大きな人に」と、聞こえた気がした。前夜、彼女たちに付き合って殆ど睡眠を取っていなかった私は、そのときは、あらゆる物事があまり理解できなかった。自分が贈る言葉を述べているときも、何だか体がふらふらと揺れていた。

 数日後、学生は本当にそんな身に余る言葉を言ってくれたのだろうか、何かの間違いだったのではないかと思えてきた。「恥ずかしながら、あれは私が疲労のあまり耳にした幻聴じゃなかったかしら??」と本人に思わず問い合わせたところ、さんざん笑われたけれど「私はマジで言いました!」と返信が来た。

 そうか、彼女はマジだったのか。でも、自分を見ているとわかる。いつも余裕がなくて気持はコチコチだ。かろうじて笑ってはいるけれど、それは笑える小さな種をいつも探しているからだ。ちょっと突けばパンと、いとも簡単に弾けてしまいそうだと時々思う。どこをどう見たら、彼女のように感じられるのだろうと考えると思い当たることがある。

卒業おめでとう 彼女の素直さや、かいがいしさや、優しさに私がずっと惹かれ続けていたのだ。別の学生も同様だ。2年間付き合っていると、表に出さないけれど生きるひたむきさや家族や将来の自分にかける想いがわかる。そうした気持ちに応えたくて、小さな自分のなかの精一杯よかれと思える部分を彼女らには見せていたかった。ただ、それに尽きるのではないだろうか。

 人は自分の鏡である。あなたが私を素敵に見えるのは、あなたが素敵だから。
 救われていたのは明らかに私だ。

 お別れの感傷的なムードが苦手だ。「次に会うときは社会人同士の女子会でお茶をしましょうね!また近々に!」と笑顔で手を振った。こうした世の中で、心の底から自分以外にその幸せを祈れる人が一人でも二人でもいるのは幸福なことだと思う。
 教員になってしまったのは成り行きだ、と以前の自分は思っていたけれど、涙が出てしまうほどの感動も眉をひそめるほどの胸の痛みも、何もかもがここにはある。

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無力であろうと。 :: 2011/03/18(Fri)

 全学的にも被災地への支援を教職員・学生全員で考え実行する大きな流れができつつある。大学の果たすべき当然の義務だろう。

 ゼミを終えて学内での用事を済ますべく学生と歩いていると、珍しくも小さな子どもを二人連れた女性とすれ違う。大学院生だろうか。3歳くらいの子どもがニコニコとあどけない表情で私たちを見つめているので「コンニチハー」と声をかける。暗く沈んだ世界を明るく灯すような、純朴可憐な声で「コンニチハ!!」と嬉しげにお返事。子どもは「天使」などでは断じてないが、その成長していく姿とは、やはり希望そのものだ。

 「学内のあちらこちらで、子どもを連れた教職員や学生がおおらかに闊歩できるようになるのも夢ではない」と、半年前あたりは思ったりした。だから、できる限りの奔走もした。しかし、今では少々の挫折感と無力感のほうが大きい。それでも何もやらないで済ますよりは、ずっとよかった。
 ある学生が、震災地から届く小さな子どもやその母親の姿が映し出される映像には胸が締め付けられそうになると話していた。
 たとえ、わずかであっても大勢が義援金を送り続けることは経済的な支援はもとより「あなた達のことを寄ってたかって誰もが心配して見ています」という想いを届ける、ということ。そんな自己満足的な感情など何の役にも立たないと言うひともいるだろうが。 

 夜の研究室にこの春、退職される先生が、先日のつつましやかな送別会へのお礼に来てくださる。顔をまっすぐに見る瞬間まではそこまでの感傷がこみあげて来るわけではなかったのに、すがすがしい笑顔を見ていると急にさみしくなるのだった。

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雪どけを待つ。 :: 2011/03/18(Fri)

 「自宅までの帰りの交通機関は大丈夫ですか。もし、帰宅できないようでしたら外で待機している事務の方に案内をしてもらってください」といった旨を入学試験の面接後に申し伝えるようになるとは思っていなかった。面接の一問一答と等価かそれ以上に、その一言に応じるひとりひとりの受験生の表情が気になった。

春を待つ 海外メディアが、この過酷な状況を秩序をもって耐え抜こうとする日本人の品格を讃えているいるそうだ。
 私たちは愚かで悲しく、ときに美しい。まだ経験しない危機が迫っていると感じるとき、我先にパンを奪い合ってしまう。危機のど真ん中にあるとき、ひときれのパンを分かち合い、隣人の命と自身の命の重さが同等であることを考えずとも分かるのに。
 我がまちで、真っ先に募金箱を持って声を枯らし、呼びかけをしていた集団は高校生だった。

 知人がこんなメールをくれた。
「いま私たちにできることは、日々の一つ一つの仕事を心をこめて誠実におこなうことですよね」 

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