風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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遠く離れていても。 :: 2011/05/24(Tue)

 無防備の極みにいるときでも、”斜め前方”くらいからそれが近づいて来るのが見えると、多少の準備はできるとは思うが、気がつくと、すっと頭上にパラシュートで落下があり、「おーーー?」と驚いているうちに、もう一人ふわっと下りてきちゃった。というのが正直な最初の印象だ。

 とても綺麗で溌剌とした声の奥様と、とても優しくおっとりした話し方の「羅針盤は夢に向け」の著者である木下さんだった。

 先日、本の感想を添えたお礼状を送り、学生たち用に本の注文をお願いした。メールで、丁重で心温まるお礼を頂いて「あー、嬉しいなぁ、よかったなぁ」と油断していたら、なんと今度は自宅までお電話をくださった。奥様と少しお話をしたあと、次はご主人が出て来られた。(最後は奥様とまたお話する)

 全く予想し得ない事ではない筈だけれど、なぜなのか全く私にとっては想定外であった。それは、たとえば、明け方まで仕事をして朝寝坊していたら、朝一番に仕事先の役場から電話を受け「いえ、寝てませんよ?断じて寝てなどおりませんから」を装いつつ、チャンネルを切り替えることよりもハードルが高かった。
 実際、かかってきた電話は、実家の父か営業マンだと思い込んでいたのだ。ぶっきらぼうに出てしまったことが申し訳ない。それにしてもあまりにも驚いてしまい、自分が何を話したのかは記憶もすでにおぼろげだ。
 
 ただ、ただ、奥様のまっすぐと芯の通った美しい声に希望を、ご主人の柔らかな声に、生きるしなやかさをしみしじと感じた。

 「震災でうしなったものは沢山あるのですが、得られた沢山の人のご縁が、今回、本当にいっぱいありましてね・・・・」。
 とつとつと言葉を紡ぐご主人の声を改めて思い出したら何だか胸がいっぱいになる。ささやかな贈り物に小田さんのCDを添えたのだけれど、プレイヤーもパソコンも何もかも津波に流されてしまったのだそうだ。そうだったのか、考えが足りなかった。「でも、車のなかで聞きます!」と奥様が力強く言ってくださった。私が、励まされてどうするのだろう。

 驚きと、うれしさと、今頃しんしんと胸に広がる感動と。それから人生の面白さと。
 今夜、眠れるかしら、と思う。

 震災の話以外で記憶に残っていること。「めぐさんのお顔は一杯拝見しているので、声も聞いてみたくなっちゃって・・・」という奥様の言葉だった。写真を観てくださっていて「この人っていったい・・・」と、興味津々、不思議な存在に思えてならなかったとか。あぁ、もうなんて言うか。それで、顔や声、雰囲気は一致して”実存する”ことを確認して頂けたのだろうか。いやいや、そういう問題ではない。どう表現して良いかわからないが非常に恥ずかしい心境なのだった。

 ・・・という一連の報告をSatoさんにありのままにすると「へーっ(笑)よかったじゃん。でも、俺んちに突然かかって来ても、やっぱりキンチョーして喋れねーもんな。とくに二人一度だったりすると、へへっ」と言われる。かく言うこの人もまた、この貴重なご縁を引き寄せた中心にはいるのだけれど。

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探し物は寝て待つ。 :: 2011/05/24(Tue)

 訪問先の行政機関の会議室に、その日一緒に出向いた学生の一人から「ペンケースを忘れて来てしまった、かもしれないです」と連絡が来た。どうでもいいが、今時の女子たちが「ペンケース」と呼んでいるものはもはや「何でも入れて置く」ポーチであり、巨大で重い!実際、リップを塗り直そうとした時にペンケースがないことに気づいたそうだ。
 問い合わせると確かに忘れ物を保管していると言う。着払いで郵送をお願いするように学生に助言したのだけれど、結果的には、何日もかけて、ちょっとばかり驚く経由で伝って戻ってきた。
 
 行政職員→役場から最も近隣にある我が大学の男子学生の自宅→そこに偶然居合わせた学生のおばあちゃま→孫の男子→大学にて本人へと。

 Nちゃんと呼ばれるその学生は、とびきり明るいムードメーカーでもあるが、この半月ほどで、ゼミ室のパソコンにUSBメモリを差し込んだまま忘れて帰ったり、データを保存する前に消してしまったり、彼女が血眼でファイル作成中の自宅パソコンにお父上がビールをこぼしてしまったり、携帯電話を何処に置き忘れたか思い出せなくなったりと。耳に入ってくるだけでも、何ともドラマチックな日常を過ごしているようだ。

 私自身が、重度の注意欠損症状を自覚していたが、上には上がいるものだと驚いていると、「この前、X棟で無くしたショールがY棟のピアノ上で見つかったんです。イリュージョン?(笑)」だって。
 すかさず相棒の女子が「わかるーっ!あたしもそうやねん。でも、気にせーへんかったら、だいたい絶対出て来るやんな??何ヶ月かしたら、あー、こんなとこにあったんかぁって。ほんで、このメガネ4個目やねん(笑)」
 気にしなかったら絶対に出て来るって神業ですか。お願い、君だけはそんな日々じゃないよね?と信じていたK君でさえ「あー。傘は限りなく置き去り、だらけ」とな。

 ダイジョウブ・・・ではないぞ、これは。卒論の提出前になると、もうイリュージョンどころの騒ぎではなさそうなので、今からもう何が起きても笑っていようと決めた。

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公共リラックス :: 2011/05/22(Sun)

 行き詰まりを感じるとき、カフェやファミレスに赴く。格別、静かな環境とは言えず、本や資料を沢山は持ち込めないけれど「2時間だけ集中」などと決めて、公共の場所でする仕事のほうが研究室より捗る。何故だろう。 
 ちょっと環境を変えるならば、図書館でもいいかもしれないが、全く行く気はしない。「だらだら寝ころんだり、さぼってテレビを点けたりは出来ない」程度の緊張感は欲しいが、周りの誰もが真剣に勉強をしているような強い緊張感は要らない。本来ならば、ゆったりくつろぐ場所で、特に構えず仕事の一つも終えちゃおう、と思えるくらいのリラックス空間が良いのだ。
 
 小田さんが曲づくりのための環境について語っていた。事務所では、完全に一人きりになる空間より、仕切はあっても微かに人声が耳に届くくらいの場所が良いそうだ。「人の気配」と「自分を待っている」という期待。納得である。
 仕事をするのに、心地がよいと思える理由は、
 ①必要なものだけが置いてある、余裕のあるデスク。一人で占拠できる。 
 ②開放感がある広めの空間 。さほどお洒落でなくてもよいがクリーン。
 ③人の気配。かと言って決して中断されたり、邪魔はされない。
 (泣きじゃくる子どもがいたり、空間がテーマパーク化はしていない。)
 ④ほどよく構ってくれる人がいる(お茶のお代わりはいかが?とか。)

 少し以前、自宅を居心地よいカフェ的空間にすれば、カフェ並に仕事も捗るのではないかと、大きく勘違いし、コーフンしながら素敵なカフェテーブルの購入まで検討していた。でも、冷静になってよく考えると、鍵となるのはどうやら「人の存在」である。
 もし、似た環境をつくりだせそうな可能性があるとしたら、やはり自分の研究室だ。よく周りを観察していると、超多忙な業務をこなしつつも、論文執筆にも余念なき先生たちは、自分の砦(研究室)の外に一つ、「人」との共有空間を持って仕事しているではないか。
 全く何も余計な物を置かないデスクの確保。共同研究。第三の空間。以上、自分メモ。
 
 とは言え、「自宅を素敵空間に」という夢はまた別なのだった。一人暮らし歴、まもなく10年。人が来ない限りは、何も載っていない状態はまずはあり得ないリビングのこたつテーブル、テレビを見るための背もたれとしてしか使われず、羊が座った隣はバッグ置き場と化しているソファたちと何時、決別できるだろう。

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女神のつぶやき。 :: 2011/05/19(Thu)

 久しぶりに会った人は、私が痩せこけて疲弊しきっているか、それより手前にとどまっているか、比較的、元気そうかを見極めるらしい。そして「私の知る限りはまだ余裕あるわ。大丈夫そう」などと判断される。現時点での健康状態はまずまずだけれど、目は明らかに弱った。1時間もパソコン文字をにらみ付けて仕事していると、もう霞んでよく見えない。

piano piano ある行政機関との継続的な会議にゼミ学生たちを、せっせと連れ出しはじめて二年目だ。
 本来は、彼らに出席義務はないのだが、さもプロジェクトの重要な一員のように接しているうちに、本当に欠かせないメンバーに成長した。
 
 ゼミ活動で重視しているのはチームワークとフォロワーシップ。「群れに育つ」とはこのことだわ、と多くの学生が描く成長曲線の正しさに驚く。もっとも例外も、もちろんある。
 そうした彼らが、得意気に我がゼミの様子を会議の場で紹介する。
 「Mゼミ(私のゼミ)で、日々、闘っています!」だの「こう見えて、結構きびしいM先生です!」だの。
 あれは、きっと自己賛美よね。厳しいゼミに耐え、そこで努力を惜しまない自分たちが誇らしいのだろう。さほど厳しくはないと思うのだけれど、『これぞ卒論にあがく大学生の姿!』と彼らが思い描くそれ、なのだそうだ。
 
 私は自分が締め切りまでに仕事が出来ない苦しみを嫌と言うほど味わっている。だから、矛盾するようだけれど、学生には「発表の1週間前」には出来た範囲でのレジュメの提出を義務づけている。それらは数日内に真っ赤にして差し戻す。そうした仕事に負担はあるが、もっと唸らなければ仕上がらない自分の仕事からの逃避のように思えなくもない。
 なかには「もう発狂しそうな毎日です~」などとメッセージを寄せてくるその学生もいるが、苦労を引き受けている自分が、どことなく愛おしげだ。いや、きっと愛おしいに違いない。私は学生に女神と呼ばれたいくらいだ。

 デスクトップPCのクラッシュに伴って、メインを小さな画面のノートに変えて久しい。当初の「不便」に適応したと思ったら、「以前は便利だった筈」のほうに著しく不適応が生じている。何年も使い慣れた筈のキーボードさえ打ち辛い。なんて面倒なの。久しぶりの記事もやっとの投稿だ。

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