風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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書きかけの手紙。 :: 2011/06/28(Tue)

 K君、こんにちは。とてもお久しぶり。

 最初は誰のメールだろうと思いましたが、名前を見てすぐにあなただと思い出しました。

 青春時代を回想するような、そんな歳になったのかもしれませんね。

 
 あれから一体どのくいらの時が過ぎたのでしょうか。 

 
 それにしても、確かに検索すれば私の職場アドレスはすぐにヒットするけれど、

 それが、この私だとよく確信できましたね。

 
 あまりにも青い青い時代の古き友人からのお祝いメッセージは

 正直ちょっっぴり照れくさいけれど、覚えていてくれたこと、嬉しかったです。

 どうもありがとう。

 
 私は・・
 
 若い学生たちと戯れて楽しくも苦しくも素敵な毎日を過ごしているように思います。

 今年はそう。小田さんのライブに出来るだけ沢山行こうと思っています。

 あなたもどうかお元気で。そして・・・

 


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続く道。 :: 2011/06/26(Sun)

 立派な目標を立て、脇目もふらずにまっしぐらに進み、それを成し遂げてゆくような人生を歩めたら、なかなな素敵だとは思うけれど「あら、こんな風な場所に行き着いちゃった」というのも案外、悪くない気もする。
 
 先週は時間を作って、昨年度の一年間の「教員活動・自己評価報告書」を作っていた。教育、研究活動、社会活動、管理・運営などの学内活動など何十項目に及ぶ評価項目がある。数年前から導入されて、今では、その自己評価に基づく第三者評価が行われ、その結果は処遇に反映されることになった。
 評価内容の妥当性や、処遇への反映方法の不透明さなど、当事者同士であれば、この評価システムに関して意見のない人はいない。でも、それはまた別の機会に譲ることにする。
 自身の活動を綿密に「ふりかえる」行為自体には、過去の課題や未来の目標を再確認する上では欠かせない。そう書くと真面目に響きすぎる気がするが、要するに強制的に「ふりかえり」をしてみると、案外、自分を知る上で興味深い発見もある。

 私はと言うと、この1,2年は「社会活動」欄のボリュームが相対的に多い。組織的が求める標準的なエフォートよりも、やはり多いと言ってよい。本来の理想では、「研究」欄を誇らしい業績で埋め尽くしてみたい。それを見渡せば、どれだけ気分爽快だろう。
 だからといって、社会活動欄に書かせてもらえた数行には、いくつもの人々との絆の物語があって、これを削ればもっと沢山の研究が出来た訳では断じてない。むしろその逆ではないか。私は、近年になってようやく、自身も含めた社会生活に息づく人々のそばに、自身の研究者としての存在意義を発見しようするまっとうさを持てるようになったのだ。そのようなことを「今頃になって」と思われるだろうが、学生の頃は「研究のための研究」をしていたのではないかと、確かに思う。実際に今となって、大学院生が執筆したであろう論文を審査させてもらうとき、同じような感慨に陥る。

列車は走っていません 今年もまもなく一年の折り返しを迎える今、これからどんな風に生きようかと、たいそうに考える。そして、さしたる”立派なビジョン”は持ち合わせていないと、そう感じる。
 ただ、ふと思うに、私を突き動かすのは自分ではなく関わる人との繋がりだとはっきりと分ったとき、漠然とではあるけれど、先々をどう生きたいかが見える気がする。同時に、「あなたが今、していることが一番やりたいことです」という言葉をを思い出す。探さなくとも、私はもうやりたいことに手をかけているのだろう。

 人々のつながりのなかに自身のポジションを持つときに幸福と同時に面倒くささや、不自由も引き受ける。ちょっとした確信犯的な気分で、その不自由さの先取りを許せるようになるのが、今の等身大の自分にとって、かすかな成長指標のような気もする。

誰も気にしてはいないと思いますが、本日写真のコーディネートについて。 

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オダ病その他の病いろいろ。 :: 2011/06/22(Wed)

 先日、ある機会にちょうど二十歳の学生たちに思春期や、そのころの友達や先生、親たちとの関係を回想してもらった。最後に「大人になった」と思えたとき、あのころの自分にどんな言葉をかけてみたいか聞いてみた。そういったことを照れずに言わせた私も私だと今さらながら思うが、全員まじめに応えてくれた。
 
 「もっともっと広い世界を見ておけ」と激励する者もあれば、「今のあなたのままでいいんだよ」ときっとしんどかった思春期の自分に手をさしのべる者もある。なかには「親にもうちょっと感謝したほうがいいぞ」とすっかり親の気持ちに添う者も。
 そのなかで、割と遠方の島育ちで、島には進学する高校が一つしかなかったという男子が「まぁ、人生なんとかなるからさって伝えたいですね」と言ったとき、周りはその老成した言い方が可笑しかったのか爆笑の渦に包まれたが、彼をそこまでの達観に導いた試練がかいま見えた気がして心つかまれたのだった。

 ところで、再来年の大河は男子学生たちにも圧倒的な人気である綾瀬はるかちゃんが主演だそう。私も生まれ変わったらあのような容姿に生まれたい、というのはさておき 「何でも器用にこなせるわけではない。しかし、等身大で誠実な努力の人」を描くのだそうだ。

 日本をこれまで支えてきたのも、これから支えていくのも、ごくごくふつうの人々の善意と「等身大で誠実な努力」に違いないと確かに思う。私もゼミ生たちに、そんな風な気持ちを持って卒業してほしいと願う。
 それにしても、今日本中で「誠実な努力」の塊のように感じてしまう小田さんを、仕事にちょっとゆとりが出来ると常に思い出している私。

 先日の豊田市でのライブに足を運んで以来、これまでのツアー参加では全くそのような症状はなかったのに、「小田さんは今日も元気だろうか」「無理をして倒れたり、のどを壊したりしないだろうか」などと、まるで初恋のように気になったり勝手に心配したり、胸をきゅんとさせてみたり、しているのだった。これを勝手に「オダ病」と呼んでいる。
 
 私はかねてから、実際に手に取れば何と言うこともささやかな仕事さえ「とりかかる」ことが、この上なく苦手だ。これはもはや、医学的にあなたはそういう病気なのです、と診断されたら私は真に救われる気がする。 

君は空をみてるか。はい、見ています。 そうした訳で(どうした訳もまるで見あたらないが)10日ほど前まで、締め切りをじりじりと延ばし、ずっと書かねばならない原稿を尻目に、オダ病に逃避し続けておったのだ。パンフレットを穴があくほど眺めてみたり、関西圏周辺のライブに仕事をさぼって出向けないかと妄想してみたり、お尻に火がついてすでに燃え尽きた感と人間失格を世界の中心で叫びたい狭間くらいで、ようやくの週明けに書き終えた。ものすごく必死で書いている最中は、オダ病は完治していた。「お」の字も思い出さなかった。よかった、片想いで。
 一週間も遅れて、頭をぺこぺこ下げつつ提出したあとは軽い開放感で、久しぶりに母に電話する。「あら、めーちゃん、また廃人化してるんじゃないかと思ってたわよ♪」と明るい調子で図星なことを言う。おそるべし。

 そういう状況の末期には、「お金を持たずにタクシーに乗る(2回)」という類の社会性欠如が頻発し続けていた。しかし、困ったほどに親切な運転手さんたちで「ええがね。今度乗ったときでお金はな」などと言われる。
 極論を言えば、そういった人たちにごめんなさいと思うから、いつも「ちゃんとやりなおさなくちゃ」って思えるんだな。何度でも。
 
 ゆうべはにわかに腹筋に勤しんでみる。25回。久しぶりだったが、案外、楽勝だった。それをスイッチに散らかり放題の部屋を片づけて回った。洗濯物を干し始めたら、もう気分がよくなりはじめた。小田さんのアルバムを3回聞き終わる頃、すっかり気分は上々に。
 そのうちまた駄目駄目な私に戻るのだろう。それでも、こんな私とつき合っていくのは私しかいないのだ。投げ出さずにぼちぼち行こう。

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チョークも一度は投げてみたい。 :: 2011/06/15(Wed)

 ゼミ指導にとどまらず、あれやこれやと、いろいろな学生たちと、いつになく”みっちり”おつきあい中。
 
 先日、母校の教育実習から戻ってきた学生が研究室に「ご報告」に来てくれた。興奮気味に、当初の空回りから最後の最後に奮闘して勝ち取った生徒たちからの信頼に至るまでのプロセスを、寄せ書きを披露しつつ、感涙を交えながらドラマチックに話してくれた。何とも清々しい話だなぁと思って共感していると不覚にも、もらい涙しそうになりながら聞く。「この寄せ書き、ゼミ室に飾ってもいいですか。やっぱ、やめよ。持って帰って皆が実習から戻ってきてからみせよー」という独り言を耳にしつつ、見送る。
 こうして書くとさぞ慕われているかのようだけれど、「あら、Kのレジュメもらったっけ?」とゼミ中に、彼に2度聞くだけで、「先生、渡しましたよ!ボケたんすか」ときついつっこみが飛ぶのだ。自慢じゃないが、私は集中して一度に複数のことは考えられない。そろそろ気づいてフォローに回ってくれ。

名古屋ですね。曇天です。 先日は、ある可愛がっている専攻生の女子とまもなく講義がはじまろうとする前に雑談。
 「あー、今日、なんだか肌寒いね」と言うと「脂肪があんま、ついてないせいちゃいますか。先生、前から見たらそうでもないけど横向いたときの薄さが半端ないっす(彼女は健康優良児)」「そうそう。確かに全体に薄っぺらいのよね」と共感しきりで応答していると「いったんもめん、みたいにひらひらぁと・・・へっへへ(笑)」。あのね、ゲゲゲには、もうちょっと人間らしい可憐なキャラクターも居るんじゃない?

 かと思えば、ずーっと真摯に相談に乗り続けてきた私をさしおき、「自分はあらゆる人間に不信感を募らせた」と言ってのける不登校を繰り返す学生がいたり。

 ただ、色々な学生たちと接しているうちに、「ま、いっか」と最近は思うのだ。歳をとったのだろう。学生に求める要求水準を大きく下げる訳ではないが、二度、三度の間で期待に応じられずとも、そんなもんだな、と思う。無意味に不遜な態度に出て来るようなのがいても、訳がわからない弁明をしようとも、もはやいちいちカチンと来ることも最近では少ない。

 若者は基本的にどんどん変化していく。人間観察には値する、おもしろい生き物だ。
 向こうも私を「観察」して「奇妙なやつだ」などと言い合っているかもしれぬ。
 
 明日は初日からチョークが飛んできたらしい学校が母校の学生の実習訪問。

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その日が来るまで。 :: 2011/06/05(Sun)

 卵巣のう腫で手術したのは2005年の夏だった。
 
 「おや、また小さいのが出てきてるみたい」と婦人科で言われたのは確か2年ほど前だろうか。
 昨年末の検診では、それが、少し大きくなって来ている以外に、もう片方にも違う種類のものもチラリと見えるらしい。目下、経過観察中。それらが出来る原因は不明らしく、再発率は治癒した当初は知らなかったけれど、調べてみると50%程度と高い模様。
 さほどの不運や衝撃は感じなかった。世界中に病気と闘うひとはいて、ほとんどのひとが認めざるを得ないその状況と共存し、何とかちゃんと生きている。不可避なリスクを背負うのは生きている証のようなものだ。
 
 ウエブページで卵巣のう腫瘍を「再発」した人たちによる手記を読むと、実に色々な人たちがいた。
 手術後、たった数ヶ月で再発、手術といった気の毒な状況を経験しつつも、淡々と「後輩たち」への助言を綴る人もいれば、生涯で2度、3度に収らない回数の手術を経験した人たちさえもいた。
 
 一方、1度の再発で「なぜ、自分ばかりがこのような目に遭うのでしょうか。」と健康な身内や身近な女性を恨み、あのような想いを二度するくらいなら命を絶ちたいと、深々と悲しみを語る人までいて、その受け止め方の違いは一体どこから来るのだろう、と純粋に驚かされる。
 学生時代の先輩が数年前、「卵巣のう腫ってどうだった?検診で見つかったんやけど」と問い合わせてきたことがあった。さぞ不安に思っているだろうとあれこれ思い出しつつ書いて送ったら「あぁ、全身麻酔後の痛みは知ってるので大丈夫やねん!でさ、送別会シーズンで毎日楽しく飲んでるんだけど、いつまで飲んでてもいいかな?で、いつから飲んでもいいの?」と聞かれた。昔からカラリとした愉快な人だった。このひとはすでに何もかも乗り越えたあとの未来を見ていた。

駅の待合い。 「すこやか」とは身体のそればかりを意味するのではなく、むしろ「生きる志」の側面ではないかと、その先輩の姿を見て思った。
 もしも「二度目」を神様が与えるとしても、その時間を慈しみながら過ごそう。ああした時ほど人々への感謝の気持ちや、「生きているって、それだけで素晴らしい!」とあふれ出すような幸福を実感することはない。

 それにしても、たった一つ、2005年の夏、断念したことが悔やまれるのが、小田さんのさぬき市のテアトロン野外ライブだった。あれに行かなかったのも一つの答えだったけれど、行くという選択は人生をちょっとだけ変えたかもしれない。「今だから出来ること、それを決して忘れないで♪」
 
 半年に及ぶ今年のツアーはもう一つ一つ特別な想いで臨むのだ。


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