風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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共振。 :: 2011/08/31(Wed)

 8月のカレンダーをめくり取って見えた「9」の数字。山と山の狭間には記憶喪失になったり意識を失ったりしていたけれど、いつになく駆け抜けざるを得なかった今月だったような気もする。
 
 先日発売されたAERAに小田さんの特集があった。ライターの女性の名前に見覚えがあった。この人が、かつて「小田さんて最後まで本当はどんな人なのかわからなかった」と結びながらも、小田さんの時に相反するような様々な人間性を描いてみせたことが、なじみの男性ライターとはまた切り口が違って、とても新鮮で記憶していたのだ。
 
 この薄っぺらい雑誌をざっと読み、日本の今の混沌がものすごくよく分かった。原発にせよ政治、何にせよ、同じ号のなかで全く異なる視線からの申し立てがあって誰もが右往左往、錯綜している。しかし、その多様さが現出していることは、ひょっとすると「まだ少しは健全」なのかもしれない、とも何処かで感じた。

 肝心の小田さんのインタビュー記事は、読みながら何度も目元を拭わずにいられなかった。唯一、この記事は「日本の」救いであった。小田さんのすべては理解できない、とかつて述べたライター女性は『小田和正の歌声、その歌の包容力を今、時代が必要としている』と明言した。まさに。
 なぜ、私は何をさしおいてでも彼のライブに出向こうと思うのだろうか。
 
 「歌」っていったい、何だろうか。

 小田さんは震災直後、そう考えたと言う。「自分の曲を聴くことも出来なくなった」とも言う。けれども、最後には、「一生懸命に書いたことを、歌って、そうやって、きっと自分と似た感性の人たちには共振してゆくと思うんだ」と。そのためには、何だかその命を削ることさえ厭わないように見える小田さん。ライブごとにどんどん身を削って痩せてゆく一方で、歌声の力強さにはどんどん圧倒される。
 私は会場で彼の「生」に触れて奮い立たされる。

 どこか、生き様を問われているような気持ちにさえなってしまう。生き様?それと言えるものなんてないけれど。「君はどうだ?」と突きつけられているような気持ちに。

 9月からのテーマ。どんなことも一人よりは二人、二人よりは三人。「徒党を組んでいこう」
 秋は、久し振りに綺麗なスーツ・パンツなどをきりっと着こなしてみたい気分。 

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その日が来るまで その2 :: 2011/08/22(Mon)

 「僕はコンサートでアーチストの名前を呼ぶ人の気持ちがよく分らなかったんですが・・・僕は言ったことないし・・・でも、最近分りました。呼ぶとそっち、見るからだね?」と、解釈しているらしい小田さん。
 小田さんをの名を呼ぶ人たちは、小田さんとの一対一の関わり世界を占拠したい訳ではないと思う。私は隣の人が小田さんにお礼を伝えてくれたら嬉しい。私の小さな声の代わりに届けてほしい。

 最近では必ず、一度か二度ある出だしの「あ、間違えちゃったっ(悔しげに苦笑)」。何を間違えたのか分らないような時もある。でも、あれは滅多とない間違いだったと思う。耳にするだけで背筋が伸びる、あの名曲の美しいイントロ部分で、ピアノの音を思い切り外した時、思わず身を乗り出して手すりを掴んだ。「しまった」という顔。子どものように両手で頭を覆い、「しっかりしろ、俺」とばかりに、トントンと二回打つと直ぐにまた弾き直した(その愛らし過ぎる仕草は書き残しておきたかった)。
 二度目は、いつもに増して、たいせつに、たいせつに言葉とメロディーが刻みつけるように、たっぷりと歌われた「風の坂道」。この曲は、究極的に言えば私の人生の指針である。
 それ以降の小田さんの声は、この日、一曲を増すごとに艶めき、美しく、力強く、伸びやかに響き渡って行った。

 「風」や「空」、そして「時」。沢山の小田さんの歌詞に登場する。ずっと滞ることなく流れてゆく。晴れ渡る日も雨の日も。日々、変わりゆくけれど、いつも、必ずそこにあるものたち。自然と、これまでの人生に関わった沢山のひとびとが思い出された。なかには写真でしか見たことのない人たちも。
 思いだされるのは皆、笑顔ばかりだった。そのことに気づいたときに、あぁ、そうか。本当だったんだ。悲しかったことも嬉しかったことも時を超えて同じような形になってゆく。それは、凸凹していても、生き続けているからだ。そう思える。生きていることへの感謝がみなぎった。

前へ進め! 美しい照明がそうした気持ちに添うように、時に青空のように、満天の星空のように演出され、天井を何度も仰いだ。なんだかもう、まっすぐに伸びる小田さんの声と一緒に一筋の光になって空から自分を見つめているよう。
 
 小田さんが何を背負って、何処に向かって走っているか分る。客席で涙する人を見かけるたびに歌えなくなりそうになるのを堪えている。きっと、「その日が来るまで」本気で走ってゆく。だから、私も自分がすべきことを、与えられたことを、今ここで出来ることを、未熟でも未完でも懸命にやろうと、もう一度、思うのだ。

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その日が来るまで その1 :: 2011/08/22(Mon)

 仕事を終えたその足で、会場に急いだ。無茶は承知のスケジューリング。待ち合わせ場所のベンチに腰を下ろすと、もはや立てる気さえしなかったが、それでも、会場までは行ったという事実だけでも作りたかった。このツアーがはじまって、3度目の参加。
 
 実は、先日、大学時代の同級生の結婚式に行けなかったかわりに、彼らの暮らす街に近いこの会場のチケットを二枚プレゼントした。大きな会場だけれど、同じ列の斜め前方に座っていた同級生の姿に私はまもなく気づいた。かなり久しぶりのちょっと奇妙な再会。「おーい!」と私は自分の席から派手に両手を振った。同級生の彼が照れくさそうな様子で片手をひょいと挙げて応じた。隣席の彼女は小柄で可憐な様子だ。ありがとうございます、と言うように柔らかなお辞儀をしてくれた。
 「めちゃくちゃ楽しかったよ。大好きな歌、いっぱい歌ってくれたな」とお礼のメールが来た。彼女はどのような感想だったのだろう。ただ、彼が自分だけで楽しい人ではないので「二人がとても楽しかった」のだろうと、シャイな性格を思い出しながら思った。「きっと幸せでいる」そんな気がした。

 この日の小田さんのMCトーンは控えめ。ただ、どれだけ野球が好きな少年だったかは、よく分った。「僕はね、三振は殆どしたことないですね・・・しなかったけど・・・今思うと、思い切って振り切ってなかったって事だったんだな」と、甲子園球児たちに今でも胸がときめく話をしてくれた。握ったマイクをバッドに見立てて「こうやってさ・・」とスイングする姿は、あれほどの大会場で話しを聴いている感じがしない。
 最近の会場には、小田さんと一回り程度しか違わない「かつての(野球をしていたかもしれない)少年」が大勢いる。アンコールで一度ならず二度も私の隣で「小田さん、ありがとー!」と、素晴らしくよく通る声を届けていた男性は、よく知っている中学校の先生の善良な雰囲気に似ていて微笑ましかった。
 
 つづく。

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繰り返す日々。 :: 2011/08/21(Sun)

  8月に入ってから続いた講習会や講演の類を、やっと終えた。西へ東へと、電車や新幹線にもすっかり乗り慣れた感がある。
 多忙の波は二つあった。波の狭間に、全力の6割でもいいから努力すれば、これほどの疲労には至らなかった。しかし、第一波を越えたあと、予定どおりの軽鬱をいとも容易く受け入れる。さんざん嫌な気分を味わい尽くし「どうせ、しんどいのを引き受けるのは自分しかいない」とまで考えて楽になりたかった私には、これからも延々と試練が降り注ぐだろう。

 仕事の依頼先から「当日、ご用意するものは?」と聞かれ、通常、事務的な応えは決まっているが、「栄養ドリンクの差し入れを」と譫言の伝えた模様。先方は当日、私をねぎらい「今日は、お忙しいなか、ボロボロになりつつ来て頂いた」と参加者達に紹介した。机には厳粛な佇まいでペットボトル水にコップ、その隣には、燦然と輝く赤いラベルのアリナミン飲料。せっかくなので、片手で瓶を持ち上げて「これですわね」と振ってみせると会場からは笑いが漏れる。もちろん半分は失笑かもしれぬが。
 
 完全ではない自分が、人々の前で伝え手になるチャンスを貰っている。たった一こまの講義であっても一期一会だ。よい機会になるかどうかは自分の力ではなく、聴衆との相互作用のなかにある。
 自分の言葉の届き具合の質は、毎回少しずつ異なる。おのずとその理由を考えさせられる。もう体力的には限界を超えた最後の会で、少し綺麗な光が見えた気がした。「いいときも悪いときも同じように一生懸命」という小田さんの言葉。苦しんで、あがいてやっと実感する。

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