風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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写真と同僚性と。 :: 2011/11/30(Wed)

 ”レンズ交換式ミラーレスデジタルカメラ(と正しくは言うらしい)”のsony α(NEX-5)を当時、「何故」セレクトしたのかさえの記憶もないくらい時が経てから箱から出したのが、つい先日。

テスト1 とりあえず、よくは分らぬが押せば映るんだろうと思い、最初に自宅のお馴染み小物類を撮る。そのあと、出向いたカフェの美味しそうなケーキ、カフェかの小窓から見渡せたお城や公園の紅葉を撮る。コンパクト・ボディだと思っていたら案外レンズがつくと重量感があるのね。ずっしりと。翌日は、遠足先で、学生らをおおいにせっせと撮影した。そのときはもう重さは全く感じず、お気軽な感じながらよく映るもんだと感心。まぁ、私にカメラや写真を語る才覚など皆無に等しいので、写真だけ貼っておきます。

 明日からいよいよ師走。

テスト2 ホットカーペットはまだ受け取れないまま。先週末に「届いた!!」と思ったら、なんたることか、一緒に注文したアルミシートだけがやって来た。心底がっかり。でも、今の絨毯の下に敷いてみると、これは侮れない。こたつ布団を捨ててしまって以来、膝掛けがあってもお尻は底冷えするぞ、困ったものだと思っていたところ、このシートのおかげで冷たさが激減した。柔軟やヨガをするときも床の固さが減じられて、とってもよい買い物だった。750円なり。
 それで、カーペットを3度我が家に持参しては留守を知って「ちぇっ」と舌打ちしていると思われるクロネコの人、もう週末まで諦めて待ちます。20時から21時までの間に配達希望を伝えていても、20時過ぎに一度訪問したら、不在通知だけ残し、もうその日は二度とは持ってきてくれないですものね。佐川は違いますがね。
 そうした訳で、今週末には、ふっかふかホットカーペット本体の上で、ネコのようにごろごろして幸福をかみしめてみようと楽しみである。

 とっても多忙が募ってきている。近頃、学生とは不必要によく話している気がするが、周りの同僚の方々とは会議でお目にかかる以外は、ほとんどお話する機会がない。これから入試業務もはじまり、きわめて忙しくなるけれど、多少は他愛なく馬鹿馬鹿しい話もしておいて良いような気がする、そんな気がする今日このごろなのだった。
 卒論、あの子たち大丈夫なのだろうか?と思っている矢先、宴会部長からクリスマスパーティと忘年会のお知らせが届く。

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モノ・ヒト語り。 :: 2011/11/26(Sat)

 近所に洒落たインテリア家具ショップがあることを思い出して、なんちゃって・おうちのカフェ化計画のために出向いてみた。部屋の印象を真っ先に決めるソファーを実際に見たかった。肘掛けはウッディーで、今のソファーよりは座高が低く、座り心地はほどよい固さで、サイズは2人がけよりゆとりがあり・・・と色々イメージは持っていた。

 でも、あれもこれも片端から見た結果、結局、今使っているソファへの愛着が増すことになった。決して、それが嫌でたまらなくなった訳ではなかったのだ。それは分っていたけれど、改めてそれを実感させて貰った。

 今、我が家にある革のソファーはそれだけで部屋の印象を左右する程度にはインパクトはある黄色とオレンジ色の中間色。頑丈で、どっしりとした佇まい。ひとり暮らしのスタートは突然やってきたので、忙しなくモノをそろえているとき、私や母が、昔から「ものを見る目がある人」と信用を置いてしまう伯母さんに「これ!」と決めて貰ったのだ。
 
 高知時代、築ウン十年のボロボロ官舎の壁を強引に真っ白に塗って、白いラグをに畳上に織き、窓の正面にこのソファーを置いたとき、「あぁ、ようやく黄色やオレンジが似合う明るい部屋になった」と、すごく嬉しかったのを思い出した。あれから、こちらに引っ越して来ると、すでに自分で塗らずとも白い壁のマンション部屋にソファーはごく普通に馴染んだ。
 でも、今思えば、昭和時代の懐かしいムードをたたえ、そして、無駄に広かったボロ官舎でこそ、このソファーはその存在意義を最大限に発揮していたような気もする。
 ただ、床からの高さが少々長い。それが僅かなネックとなり、家の主が主に「座る」という機能よりも、どちらかと言えば、床に座る際の背中を支えた。部屋を占拠する巨大なインテリアであり、そこに堂々と寝そべったり座ったりしているのは、私の分身である我が家の「羊」のぬいぐるみである。遠目にそれを見て和んでいた。

赤いダウンベストは昨年から。 その位置づけが今ひとつ曖昧だった我が家のソファーに明確なポジションを与えたのは、家具ショップで「もしかして、カフェか何かを開かれるんですか?」と思いもかけない声をかけてきた若い青年だった。彼の言動が、私の潜在的な「長いご縁が続くのは素敵」という価値観を刺激した。
 店じゅうのソファーに一つずつ案内してくれた彼に、現在、我が家にあるソファーがどのようなものか説明すると、こう明言した。「いいソファーをお持ちみたいですから、もう、ずーーっと長く、おうちに置いてあげましょうよ!ソファはインテリアでいいと思いますよ。でも、革ならばお手入れはしてくださいね」と言ってくれたのだ。そのとき、何年も前に買った革靴なのに、「大好きだから」と修理を依頼したら、その場で、ものすごくぴかぴかに磨いてくれた「味わいこそお洒落」を教えてくれた店員さんを思い出した。
 
 ちなみに、その青年はお洒落やインテリアをこよなく愛している模様で、私のファッション・チェックも怠っていなかった。きっと美容師と同じように、身につけているものなどからお客さんの嗜好性も把握できるのだろう。

 先日、急遽「寒い日の遠足用」に購入したツイード素材のショート・ダウンジャケット。ツイードの品の良さと襟周りの大きい可愛さに惹かれて手にしたもの。彼は「実は、ずっと店に入って来られた時から、そのジャケットと首元の花のネックレスを見てました」と告げた。でも、それはお客の嗜好性チェックとは少し違ったようで、最後に思い切ったように「・・・それを、ちょっと羽織らせてほしい」と申し出た。
 女性用でサイズなので、もちろんぴったりと着られる訳ではないけれど、彼は「女子が着る洋服も、ニュアンスが好きなら合わせてみたい」タイプなのだと思う。スレンダーな肩にひょいとダウンと乗せると、おー♪と感心したほど様になっていた。自分のことが、よく分っている子なんだな。くるりと嬉しげにこちらを向いて「結構、イケますね、僕も!!スポーティーなダウン苦手やったけど、これやったら着たいです!」と言って、ブランドや値段などまで細かく尋ねてきた。男性用を探すらしい。

 と、そんな風に、多分、好みが似た店員さんとの出会いにより、私は、置物に化していた我が家のソファーを購入依頼、初めてせっせっと革を磨いてみることした。
 
 改めて「こんにちは」。また、出会ったときのように愛情を注ぎます。また、あの頃から渋みを増して、ときめきながら一緒に暮らしましょうぞ、黄色いソファ君。

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有言実行なるか。 :: 2011/11/21(Mon)

 「みんなで遠足」を、学生らが本当に嬉しそうに、いそいそ企画したので、カメラ持参の記録係として参加する。

 海外でもなければ、まして念願の温泉でもない。街の中心部からほんの数駅ほど離れたところに、「こんな広大なアスレチックジャングルがあったのか!?」と思うほど立派な広場や遊具を備えた、初めて赴いた公園。遊具はあるが、つまるところ「巨大な野山」である。
 「お弁当よし、おやつよし、ボールよし、バトミントンよし、ピクニックマットよし!」と指さし確認しながら、指折り数えて、二十歳を過ぎた若者たちが「この日を待ちに待っていた」ほど楽しみにしていたそうだ。折しも気温が急激に下がったが、広場に到着すると、すでに上着を脱ぎ捨てて、とにかく子犬並に広場を駆け回る。アスレチックには目に付く片端からよじのぼり、滑りおりて、大騒ぎ。なんとも・・・健やかな人たちか。

 山岳写真隊の皆さんの気持ちが1ミリだけ分ったのは、「カメラ(と日傘)を持って一緒に上って行くのは大変だ!」という当たり前の事実。
 けれども、そんなことは後から思ったことで、あれだけ弾けた笑顔をずっと見つめていると、何故かハッピー過ぎて感極まってきそう気分にさえなる。気づくと300枚を超えて撮影をしていた。カメラは、ほんの数日前に箱からやっと出した、半年以上も前に購入したSONYのαシリーズのデジタルカメラだ。簡単だから初ムービーにも挑戦。カメラ任せでも、お天気と被写体が抜群によかったので、気取りのない写真が沢山撮れた。何だかとてもしあわせ。


 遠足の締めには、我が自宅からそう離れていない「本当は教えたくなかったカフェ」を紹介する。
 若者よ、珈琲の味なんて本当にわかるのかい?そう思ったけれど「あぁ、この珈琲、抜群に美味しい~。ケーキ・・・・あぁ、うますぎる」とため息混じりに味わい尽くしている彼らを観ていると、何だかお腹がいっぱいになって「私のカフェ・ロールいる?」と半分、分けてあげた。あっという間に方々からフォークが伸びてくる。ふと、この屈託がなく個性的で、それでいて、とても協調的なこの人々との出会いも何かの人生の偶然であり、奇跡でもあったのだなと思う。
 
 先月くらいに「自宅をカフェみたいな心地よい空間に」という半年に一度、思い至っては断念する病気に再び掛かったので、ついつい学生に、「卒論のめどがついたら我が家で女子会を。。。」と言ってしまった。こちらは半分くらいの気持ちでも、あちらはかなり本気である。女子会の意味を理解しているのかいないのか、多分、男子も「A男じゃなくて、A子です~」と言って、どさくさに紛れて来そうな気配がする。

 昔は、よく女子たちを呼んでお鍋を囲んだものだ。今はもうこの大所帯が全員来たら入りきらないと思うけれど、慕って来る子に「いらっしゃい」なんて声をかけることが出来て、しかも、部屋に招いたら、「わたし、もう、ここに暮らしたいです!」なんて言われるほどの素敵部屋になったら・・・うしし・・・と、誇大妄想を抱きながら今夜も15分だけダンシャリをして腹筋をして寝ようと思うのだった。

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相棒、愛想をつかす。 :: 2011/11/17(Thu)

 近頃、ほとんどタクシーに乗らなくなった。「全く乗っていない」と言い切れたら気持ちがいいと思うけれど、先日とうとう朝が辛くて乗ってしまった。ちなみに夜の腹筋はいよいよ45回×2セットをこなすようになった。そして、あれだけの超夜型生活をやめ、朝はかつてなく早起きをしている。

 それはともかく、近頃、我が事ながら不可思議なことがある。
 毎朝、駅まで乗ってゆき、地下駐輪場に必ず預けてある筈の「自転車」がたびたび消えるのだ。

 朝、マンションの自転車置き場に見かけない。
 しばしの推理をはじめる。よくあることだ。

 あ、消えたのではなくて、なぜか分らないが、自転車を置き去りにして徒歩で帰ってきてしまったんだ。あー、なるほど、そうだったのか。そう思って翌日は間違いなく駐輪場で「超過料金」を支払って乗って帰る。

 ところが翌朝、ふたたびマンションの置き場に我が友の姿なし。
 しばしの推理を再びはじめる。瞬く間に見事にひらめく。

 そうか、いなくなったのではなくて、ゆうべコンビニ前に置いたあと買い物をして、また歩いて帰ってしまったんだ。

 大丈夫。これでもそれほど大きな破綻はないから。
 ただ、ちょっと無駄に歩くハメになっているだけだ。

 大事な考え事をしているだけ。深々と。切々と。
 そう・・・きっとそうであってほしい。

 今夜はさすがにマンションに戻る前に気づいたし。「あ、コンビニにまた自転車置いてきたな、私」と。
 そうだ。まだ、夜のトレーニングとダンシャリと、人生初の朝活生活の適応途中だからに違いない。

 

 もし、治らないビョーキでも共存して生きていきますから。

=============
 職場に、ほんのちょっとだけそのお顔立ちが、愛してやまないK.Odaに似ている方がいる。
 定年前なので年齢的にも近い。オダさんより若いが、風情としてはおじーちゃん寄りのH先生。
 私としてはちょっと残念なのが、お話の仕方が似ても似つかない関西弁だと言うことだ。

 春、パンを買うためにお昼に出る大学の出店に並んでいるとH先生がにこやかに話しかけてきた。
 「mさん、こんにちはぁ。きもちええ季節のなったのーぉ。空もきれいやしなーぁ(意訳:megさん、春風が気持ちいいね。ほら、空をみてごらん)」

 最近になって、先生がとりまとめをされるお仕事を依頼された。研究室に訪ねて来られたH先生が相変わらずのおっとりモードでお話する様子を「これがオダさんだったら・・・オダさんを間近に見たらどんな感じなのだろうか」と妄想しながら、オダさんではないので真っ正面からお顔を鑑賞していた私。
 その首に何か提げているなと思ったら、教員に名前入りで配布されているコピーカードだった。穴あきパンチでパチンと空けちゃったらしい穴にネームプレート用の紐を上手に通してぶら下げている。「あぁ・・・私もこれ、二度なくしました!これなら失いにくくていいですね・・」と言いかけたら「ややっ。これでもなくなるねん。でも、ほら。目立つし、どっかに忘れても人目につきやすいやろ?へへへっ(笑)」

 最後の「へっへっへっ」だけを、オダさんに重ねて想いを馳せた私はたいそう幸福そうな顔をしていたに違いない。H先生は照れくさそうに頭をかきかき、笑い声を残して部屋を出て行った。

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決別と再会と。 :: 2011/11/12(Sat)

 驚くべきことに、「今の自分」にはフィットしていない沢山のモノとの決別をする暮らしを少しずつ初めているうちに、二ついいことが起きた。それこそがダンシャリ(断捨離)の極意だと「読んで(読んだだけで)」勝手に正しく、と思ってけれど、今の実感には至らなかった。二つ、いいこと起きている。

 一つは「気づく」ということ。もう一つが「新しい出会い」である。

この日は折しも天気予報は雨。 多くの「お久しぶり」なモノたちとの再会と別れを繰り返しているうちに、ふと、いったい自分は何時から、こんなに自分の暮らしの一部を、「滞りっぱなし」にして平気だったのかと深々とした内省の域に達してきた。以前、何かで読んだことがあるけれど、心を煩い、ひきもってしまった人たちの支援プログラムに黙々と自分の散らかった部屋を片づけていくという内容があったように記憶している。私はそれの有効性は身をもって理解できる。来客がある1時間半ほど前、もうこの世から消えたくなるくらいに掃除が億劫だった。大抵、キッチンを洗って加速がつくと、もうどんどん気分が良くなる一方だ。半日、それに費やしてもいいと思う程に。

 一見すれば片づいているように見えるだけの我が家の奥まったところに「詰まっていた」モノたちをかき分けているうちに、様々な、断じて「過去の遺物」にしてはならないモノたちの発見もあった。
 それが分ると、もう居ても立ってもいられなくなった。もはや不治の病と思っていた「面倒くさい病」が、瞬く間に緩和されてきた我が娘を見て、母は半ば驚きながら「いつまで続くやら」と笑いながら様子を見ている。が、ひとまず、手帳には仕事以外に「○○に行く日」をプロジェクト化し、くっきりと刻んだ。

 「今」の自分が使っていない、気に入っていない、いつか使うかもしれない、あることさえ忘れているかもしれないモノ達に占拠されたされた状態は「心のべんぴ」と一緒だそうだ。そうと聴くと一日でも早く健やかさを手にしたくなるものだ。
 少しずつではあるけれど、このごろは滞りが少しずつ解消されてきて、気分が優れてきたようだ。
 もちろん、毎日働いていると何もかも煮詰まってしまう時が多々あるけれど(仕事とはそういったものだ。にわかに答えは出ないのが当然)そういう時こそ「よし、5分だけ研究室に掃除機をかけて窓辺でストレッチしてから再開!」と思う。やれば、すぐに成果の出ることを、ちょっとだけ手がける効果を知った。 

 モノの占拠は、実は新しい情報や知識をもたらしたり、新しい感性をふるわせる機会も邪魔していたようにも思う。後生、自分の同じ場所に貼り付けていないで、思い切って手放し、一度は失った状態を知り、それが埋めていた隙間をよくよく観察してみるものだ。それがもたらす人生への意義も明確になるし、縁あっての再会もまた楽しい。

 と言うわけで、だいぶ意味が違うが・・・割と気にしていたのに見あたらなくなった文献を諦めて買いなおしてからと言うもの、次に見失ってもいいように我が血となり肉となれという気分で読んでいる。本は、にわかダンシャリ娘に手にされ「ちょっとー、あんたさ、あたしのこと、簡単に捨てないでよ??聴いてんの?いいわ、いつだって見えるところに居てやる、このすっとこどっこい娘!」と、さぞかしご機嫌斜のようだ。

 明日はこたつ布団とお別れするつもりである。さらば、こたつで寝ちゃうライフ!
 

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