風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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相互観察。 :: 2012/01/15(Sun)

 センター入試が終わる。
 入試委員の先生方をはじめ、監督業務をこなした我々、縁の下の力持ちで立ち働いた事務職員さんたち、加えて受験生、関わった誰も彼もが、もう本当にお疲れ様でした、としか言いようがなし。入試会場の教室では「いかに眠気に耐え、そして、寒さをしのぐか」考えねばならない。私は普段、窮屈なのが嫌なので、それほど着込まないが、このときばかりは考え得る限り、最低現の重ね着をする。案の定、出向く前からもう肩が凝っている気がして、先に頭痛薬を飲んだ。
 
 今年担当したのは幸いにも小規模教室だった。丸一日、同じ教室で同じ顔ぶれの20人程度の生徒たちと接していると、ほんの少しずつ親密な空気が生まれる。監督は入試センターが定めた文言を一字一句、機械的に読み上げねばならない。でも、やはり、人は機械ではないので、回数を重ねるにつれて毎度、同じことを言うにもアドリブを加えた個性が滲んで来る。これは毎年、面白く観察する部分だ。
 「これで試験はすべて終了です。」を言い終えたあと、思わず「じゃあ、みんな、気を付けて帰ってね」「お疲れ様!」と、やっと素に戻って言葉をかけられる時、その解放感が受験生にも伝わるに違いない。ほわっと彼らの顔がほころぶ。その瞬間は、自分たちの報いのためにも見逃さなかった。「お疲れさまでした」と半分くらいの生徒たちが我々を多少労うように呼応したり、ぺこりとお辞儀したりしていた。
 
 今年は、試験監督に対する過剰なクレームは殆ど耳には入って来なかった。部屋を巡回するために、歩き回られるとうっとうしいとか、鼻息が聞こえていやだったとか、側に立っていたから集中できなかったとか。挙げ句は監督の服装や、存在自体を否定するような、殆どモンスター的なクレームが、年々増えていたので今年もさぞ奇想天外なクレーマーが出現するかと思っていたけれど。
 それほど、我々はある意味、案外「見られている」。縁のある学生は何処までも縁があるらしく「入試のときの監督が先生でした。間違いないです。覚えてないですか?!」(覚えていて欲しいのだろうか)・・・・と入学後に割と親しくなる学生によく言われる。
 そして、こっちも案外、記憶にまではとどめないにせよ、君たちを「見ている」。じっくりと人間観察をしているのだ。なくて七癖。問題を解きながら髪をずっといじっていたり、ぼりぼりかいたり、貧乏ゆすりが止まらなかったり、ペンをくるくる回したり。靴を脱いで足を組んだり、鼻をほじってぺろりと嘗めたり、宙に視線を泳がせていて、はっとこちらと目があったり。そうゆうのをずっと見ながら、眠気も吹き飛ばしてるんだぞー。だから、昨年度入試でケータイを使ったカンニングが誰にも発見されなかったのは、実は本当に不思議なのだ。

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comment

Megさん、こんばんは。

センター試験が終わって既に一週間が経っているのでちょっとコメントするのが遅いですが少しお邪魔しますね。

いよいよ入試シーズンですね。
昨年の今頃はウチはとても大変で、まずはどこを受けるか?そして、願書の取り寄せから試験料の支払い、願書の発送、ホテルの手配、受験場所の大学までの道順の作成・・・etc.
親としては色々なことが気が気ではなく、替わってやれるのなら替わってやりたいけれどそれだと全然点数がいかなくて不合格だろうし、そんな感じでとにかく不安な気持ちでいっぱいでした。
その点、今年は全くの第三者としてこのシーズンを迎えられ、あぁ受験生とその親は大変だろうなと、ちょっと上から目線で見ている毎日です。

>入試のときの監督が先生でした。間違いないです。覚えてないですか?!

へぇ、そんなことを覚えている学生がいるのですね?それは、余裕があったってことなんでしょうね。
僕らの時はまだ「共通一次試験」と呼ばれていた時代ですが、試験官の顔は全く覚えていないどころか、どこに座っていたかも忘れてしまったぐらい緊張していたように思います。
とは言え、僕は私立なので共通一次は受けていませんが(笑)

>昨年度入試でケータイを使ったカンニングが誰にも発見されなかったのは

そうそう、昨年はそんなことがありましたね。
カンニングで逮捕などという実にバカげた結果になりましたが、あのとき僕が怒っていたのはカンニングをした人物にではなく、ニュースで登場した「この件をどう思いますか?」と質問したマスコミと質問された側の受験者たちでした。

彼らは口々に「絶対許せません!」や「真面目に勉強した自分たちが損をした気分です」みたいなことを言っていましたが、本当にそんなことを思っているのか?ということと、ニュースでそういう言葉だけを取り上げれば全ての受験生がこの件で怒っていると世間に思わせる効果があるわけで、つまり、カンニングをした彼をマスコミが不必要に総攻撃しているに他ならないのですよね。
実際、確か京大も早稲田も告訴はしていませんから、大学の現場からしてもその彼にそこまでの敵視はしていなかったはずです。
まぁ、そのせいで面倒な仕事が増えたということはあったでしょうが。

町でインタビューされた受験生の「絶対許せません」というのも変で、仮に彼がカンニングをしていなかったら君が代わりに受かっていたとでも?と。
直接的な関係は全くないハズだから、少なくとも受験生に不利益は無かったと思うのですよ。
もちろん、正義感や不正行為に対する批判というのはあるでしょうけれど、その昔、早稲田で試験問題が盗まれて、その背景に金銭の授受があった、というのとは全く種類が違う「ただのカンニング」なのだから。

と、一年前のことを思い出して少し熱くなってしまいましたが(笑)、ICリーダーが届かなかったとか冊子配布ミスなどのトラブルで頭を下げている職員の姿をニュースを見ると、もう少し簡潔に試験が出来ないものだろうかと思います。
そもそも、センター試験という統一試験が必要なのだろうか。
Megさんはどう思われますか?
  1. 2012/01/23(Mon) 21:05:22 |
  2. URL |
  3. akasaka #r5rhURPY
  4. [ 編集 ]

akasakaさん、こんばんは。

体調はいかがですか。すっかり治っているといいのですが。

さてさて。実は、とても真面目に書いてくださったこちらのコメントに私も、ゆうべ長いお返事を打っておりましが。ところが、確定キーを押した途端に奇妙な画面に。長い文面が全部飛んじゃった(涙)

気を取り直して、書きたいポイントから書きますね(笑)

第一に、受験生の心性について。

昨年起きた「カンニング事件」の報道の仕方については、私は部分的にしか見聞きしていないので、正直何とも言えません。ただ、メディア報道は往々にして偏っている、というのはきっと仰るとおりだと思います。

一方で、受験生たちが「あいつだけズルして受かるなんて絶対に許せない!」心性を持つことは、色々な点から無理もないかなー、と思っています。

話はかなり飛躍しますが、私の知人にも我が子の受験をほぼご自身の試練と同様に捉えて、日々「受験日誌」のような語りを私のケータイに送ってくださる方がいました。

先日の全国入試に臨む前後のメールはとてつもなく長かったです。心を整理するに留まらないのです。

収集した大学や学部情報、そこに所属する先生や、書かれている論文情報、もっと大きな目で見れば、社会情勢などの『情報整理と受験戦術、および心構え』のために書かれているのです。受験生の親が、受験生当人よりも「受験」自体を勉強されていることが分かります。これはある意味、驚きです。私の時代は、もう少し親は後ろにいた感じがします。

この知人の方自身は、3人ものお子さんを育てるビッグマミーで、見たところ「毎日かーさん」風のほのぼの感をお持ちなのですが、先日の入試後は、親子揃ってカウンセリングまで受ける繊細さでいらっしゃいました。

今ね、受験だけではなくて、就職においても「親は子どもに任せきりでいてはいけない」という風潮が出てきましたね。受験や就職戦線での勝ち組に入るためには「名・マネージャー」を担える親を持てるかどうかが大きな要素になっていると各著書が訴えています。

いくつもの大学を受験させて「大学生になるチャンス」を沢山与えてやれる”経済力”だけの問題ではなくなっているのですね。超ハイパーな能力を駆使して闘わねばならない親子揃っての闘いが、受験や就職になってきたのかと。

もっとも、私の知る限りでは、塾にも行かずに一人こつこつ勉強をし、いくつも受験できないので、我が校一校だけを受験し合格を果たした、言う学生もいました。もう卒業しましたが、非常に優秀な学生でした。でも、万が一、たった一度の入試で力が発揮できなかったときはどうするつもりだったのか。「きっと今頃、普通にフリーターしてると思う。浪人なんて出来ないし」って言うんですよね。

これが今の現実ですよね。

人間は似通った属性の人に対してもっと競合心や嫉妬を抱き、わずかな差異で優劣をつけて、必要以上に優越感や劣等感を抱くようです。「受験生」って人たちは、まさにそうゆう状況に置かれている人々。

全国一律のものさしで測られて、一点、二点の違いで夢を叶えたり破れたりする境遇は全く同じです。少なくとも「大学を受験できる」だけの条件は持ち得た同類ではありつつ、背負っている家庭的背景その他は、結構大きく違っています。

そして、私が最近感じることには、受験への適応が強いられる18歳時って人生で最も世界が狭まる時期でもあるのだろうな、と。ある意味で「集中=排他」です。価値観も一律化しており、大学1回生なんて、「若いから頭が柔らかい」なんて思って講義に臨んだらトンデモありません。

とある心理学者も言っていましたが、現代では大学1回生くらいが最も「固定観念をはがしてやらねばならない」リハビリ期間なのだそうです。

何が言いたいかと言うと、社会的に見ても、個人の発達段階から見ても、個々が受験に臨む背景から見ても、他人のわずかな逸脱さえ許容できる筈もないほど追い込まれちゃっている集団が受験生じゃないか、ということです。

そう考えたら、「隣を歩く監督者がうっとうしくて実力が発揮できなかった!」くらいのことを(公にではなくて帰り道に友達と)言ってストレスを発散していても仕方ないなぁ(苦笑)と思ったりも。

つまり、冷静に考えれば他人のカンニングなんて、自分の実力発揮が出来るか否かと直接関係ない訳ですが、「あいつは許せない」を声高に叫ぶのは、超プレッシャーのかかって、辛くて仕方がない人たちの、いわゆる一つのガス抜きではないでしょうかね。別段、メディアはそればかりをクローズアップする必要もないことですが。

第二に、受験システムの煩雑さについて。

akasakaさんの仰るとおりだと思います。毎年、毎年、ミスが出るたびに派手に報道されるわけですが、監督要領はこのまま行くと、そのうち辞書並の分厚さに行き着きます。

人間が実施することには必ず何処か間違いが伴ってしまいます。その間違いが許容される程度の、受験生への影響が最小限になるようなシステムが現行のものと言えるのか、見直しは必要だと思います。。。と言うか、私はミスが報道されていない殆どの大学が「ほぼノーミスだった」ということ自体が、まるで奇跡だと思っています!
ICプレイヤーを用いたリスニングなんて、もう始まる前から「何か間違いが起きそう」な気配がしますもの(苦笑)

最近、9月入学を実施すると伝えている大学も出てきましたね。今後、仮に、春の入学が秋へと変わっていくとしても、その過渡期はますます入試は多様化し、混乱し、そうして各地で毎年、沢山のミスが起きると思います。

一つ言えることは、そんなに皆が皆、大学生を目指さなくてよい社会設計も必要ですよね。

今、猛烈に卒論指導の真っ最中なので、筆だけがぱーっと走ってしまいました。
綿密に読み返して編集するのをサボるので、超長文のままですが、あしからず、でーす!
  1. 2012/01/24(Tue) 23:56:20 |
  2. URL |
  3. Meg #T0ca3UNU
  4. [ 編集 ]

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