風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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葛藤のあとからはじめよう。 :: 2013/04/04(Thu)

 日常場面での対人関係における自己表現について。
 たとえば誰かに、お前の考え方や態度は間違えていると責められたとき、どんな風に自己表現できるだろう。

 対人関係の葛藤場面でのコミュニケーションには3つくらいパタンがあるとされていて、
 ①自分の考えを殺して、相手を尊重してみせる自己抑制型(ノンアサーティブ)
 ②ひたすら自分が正しいと一方的に言いつのる攻撃型(アグレッシブ)
 ③自分の気持ちも伝えるが相手の話も聞く自他尊重型(アサーティブ)
 
 ③がいわゆる最も望ましいとされるアサーティブなコミュニケーションの方法。
 かれこれ一昔前に職場で受けたセクハラ講習を会で、アサーティブコミュニケーションという言葉を知った。そのときの印象では「嫌なことははっきりと、正直に、さわやかに相手に伝えましょうね」という啓蒙に過ぎなかったにもかからず、案外、自分はそれが「できそう」な気がしていた。
 でもね、これは経験を積み、繰り返し「練習」しなければ、いざという時には実践できません。
 
 時と場合と相手との組み合わせでは、自分はどこまでもノンアサーティブで自己抑制的になることは、割と最近、自覚をする。また、相手によれば、もしかすると攻撃的になる可能性にも留意せねば、と思い知る。
 新しい年度から気持ちよく対話や議論ができるゼミ運営をするためにも、先日、講師を招きゼミ内で研究会を開いた。
 ここで、最も印象的だったことは「基本的人権」としてアサーションを考える視点だ。人と違ってよい権利、人と違っている気持ちを伝えてよい権利のほかに「ヒューマンエラーの権利」というものを新しく知る。

 「自分の不完全さと過ちをみとめる」権利
 「自分の負えるだけの方法で責任をとってよい」権利


 これらの権利は自分のみならず、言わずもがな他者にも認めるということが権利を行使しあう「人間的責任」になるということだろう。アサーションの考え方は一つの対人関係の作り方の方法であって、これを採り入れるかどうかも自分で決めてよい権利も提示されている。

 この研究会で面白かったのは、後半のロールプレーイングだ。
 「言いづらいが、言いたいことがある」役と「それを受け止める」役に分かれて言葉を重ねていく。その寸劇を見ている者たちで、あれこれと「この順番」「この言い方」「この態度」がより望ましいのではないか?と提案していく。そのなかで、自分らしさの範囲で採用できそうなものを加えながら何度か練習を繰り返すのだ。
 たとえば「アルバイト先の後輩がいつも間違えていることがあり、注意したくてたまらないが、なかなか言い出せない」学生が、二度、三度、それを伝えるための表現を修正しながら模索する。すると、最後には、びっくりするくらいに感じよく、しかもきっぱりと『伝える』が出来るようになったことに一同、ちょっと感激さえして、おおきな拍手。

 よかった点・改善されたポイント
 ①相手も自分も、ゆとりがある時と場所を選択していた。
 ②「さっき、○○のとき、あなたどうしていた?」→「○○しました」と共通認識をつくった事。
  いきなり間違っていた、とは言わなかったこと。
 ③相手が新人で、戸惑うことが多い立場を理解していることを伝えていた。
 ④困っているときには、どうしたらよいか助言をしていた。
 ⑤最終的に、言葉を濁さずに、○○の場合は~してほしいと、きっぱりと伝えられた。

 この研究会での発見というか、そうあってほしいと感じたことがある。アサーティブになれないのは「性格」が理由なのだと思われがちだけれど、多くの一般的な人にはアサーティブとはどうあることか「認識」を深めること、「練習」することで、結構な成果が見込めそうなことだ。
 
 個人的ふりかえり。
 器量以上に理知的であろうなどと、カッコつけるの、やめよ。
 劣等感に苛まれているときは、ノンアサーティブになりやすいこと。そんな風にならない方法は、別に表彰されるような職業的成果を出すことではなくて、日常のなかで淡々と日課をこなす程度の安定感だ。
 誰かにひどいこと言われたー!と思ったら、反証しようとかそのための弁明を上手くやろうと思わなくていい。「あぁ、今の言い方は、私は(→これ大事)とっても傷付きました」を真っ先に伝えてから、でもいい。場合によれば、話を切って逃げてもいい。逃げるのはいけないって刷り込まれているんだな。人のことはよく見えて色々示唆する癖に、自分のことになるとへっぴり腰な自分のこともヒューマンエラーとして認めてやれ。

 人同士が、何か互いに努力しても完全に分かり合えるとは思わない。でも、「分かり合おうとした」感覚とか、「一瞬でも、通じ合えたかも知れない」と思えることは感動的だし世界の希望だ。そのためならば、ありとあらゆる表現の探索があっていい。

  1. 未分類
  2. | comment:2
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comment

はじめまして。
小田さん繋がりで、以前からこっそりと読ませていただいておりました。
昨年末以降、更新されていらっしゃらなかったので、お体の具合を陰ながら心配しておりましたが、復帰されて何よりです。安心しました。これからも楽しみに読ませていただきます。

実は私も大学関係者です。”象牙の塔”特有の大変さってありますよね。企業勤めが長かった私は、これにすっかり打ちのめされてしまい、ここ数年「ノンアサーティブ」と「アグレッシブ」の間の振れ幅がものすごく大きい日々を過ごしておりました。
が、待てば海路のなんとやらで、風向きも良き方へ変わりつつあり、今年の桜は少し穏やかに眺めることが出来ております。

LIFE-SIZE2012、もうすぐ手元に届きますね。楽しみです。


  1. 2013/04/06(Sat) 13:03:40 |
  2. URL |
  3. nanori #jnRiruIs
  4. [ 編集 ]

nanoriさん、はじめまして!

すっかりお返事が遅くなってしまってごめんなさい。

以前から小田さん繋がりでご覧頂いていたなんて、何だかとても恐縮しました。

何より、こんな見知らぬ私のことを心配していてくださったこと、
そのことを、こうしてお伝えくださったこと、勇気づけられました。
ありがとうございます。

私もnanoriさんのことが知りたくて、ご自身のブログを少しずつですが拝見しました。
とくにお仕事での葛藤を採り上げて書かれている記事は、
正直、いろいろな意味で我が事や、我が周辺で生じている出来事に
置き換えて読まずにいられませんでした。

>ここ数年「ノンアサーティブ」と「アグレッシブ」の間の振れ幅が
>ものすごく大きい日々を過ごしておりました。

こちらでは多くを語れませんが、心からお察しします。


小田さんの「言葉と心の間」って名曲がありますよね。
「伝えて そのまま ためらわないで」というフレーズにはぐっと来ます。
でも、その前に「ことばと こころのあいだ それは君しかわからない」には、
ちょっと”問われている”気がします。

nanoriさんの記事に、「小田さんのステージに出向く時は小田さんに対峙できる自分であるかどうか
問われている気がする」、といったような内容を発見して、
あぁ、もう全く同じ感覚の方だーー!と、すごく共感しました。

「風の坂道」 
イントロを思い出すだけで「問われている」気持ちになります(笑)
前回のツアーでは聞くたびに、もう打ちのめされました。
その感覚を得るために、這うようにツアーに通ったようにさえ思えます。

>待てば海路のなんとやらで、風向きも良き方へ変わりつつあり、
>今年の桜は少し穏やかに眺めることが出来ております。

それをうかがって自分のことのように、ほっと安堵しました。

nanoriさんとは、小田さんの同じステージを観ていたことは
きっと、これまで何度となくありそうですよね♪

LIFE SIZE届きました!
どれだけ小田さんが懸命に走り抜いた一年だったのか、とってもよく分りました。
それだけに、ファンとしては、せめてコラボした数曲だけでも
カットしないものが聞きたいのになぁって思いました。
最後に歌い直されたmy home town の澄み切った「今」の小田さんの歌声にはため息が出ました。
  1. 2013/04/09(Tue) 21:43:32 |
  2. URL |
  3. Meg #T0ca3UNU
  4. [ 編集 ]

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