風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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あたためよう。 :: 2013/12/20(Fri)

 「議論」はいきなりはできない。その前には、関わりのなかで「場と人の心をあたためる」営みとスキルが必要。そうした人権的な理念をもって民間で体験型学習の講師をしている方とかれこれ長いおつきあいに。今年は若い学年の講義に招き、端から勝算はあったものの、予想も超えた盛り上がりとなる。

 当然、自分も一緒になって参画する。まずは、ひたすらにその人の声と気持ちに耳と心を傾ける練習。
 このごろどうですか?では、ささやかなお困りごとは何でしょう?そうして、その場の居る人たちが、当事者をエンパワメントできそうなアイディアや言葉を可視化しつつ差し出すという体験。いやはや、たった数分でも「ひたすら真剣に聴く」ことだけに集中すると、しょっちゅう顔を見ていた筈なのに、知られざるそのひとの人生の末端くらいには触れることになって、その人の人間性への関心や共感度がおおいに増す。
 
 ところで、私自身もささやかな「お困りごと」を開示することになる。ちょっと悩んだ末、あまり仕事の悩みは差し支えがありそうだったので、「エネルギー不足で親孝行や親戚孝行ができないでいること」とプライベートなことを告げた。いつもは支える側に回らねばならないポジションの私の話を「あまりに若いぴよちゃん」だと思っていた若い若い人々が、一生懸命にこの不甲斐ない悩みを救うための行動や気持ちの持ち方を伝えてくれた。

 『便りがないのは、元気な証とも言うし、今は仕事を頑張って、帰省できるときには思い切り親孝行、親族孝行したらいいです』とか『ちょっとお休みがとれるときに近い場所に旅行をプレゼントしたり、お食事に誘ってはどうですか』とか、『お父様って可愛らしい方ですね。お電話だけでも十分に喜ばれていると思いますよ!』
 これを年長の人に言われても嬉しいとは思うけれど、ゼミ生ほどには密には会わない、とりわけ若い人たちが、練習とは言え、そんな風に懸命に励してくれたことには、たいそう感動に近い気持ちになった。

 あちらこちらでそんなムードづくりが進むなか、短い時間で切れ味と趣深いトレーニングがひとまず完結。
 「さて、そろそろお時間になりました」の知らせには「ええっ!もう??」と声があがる。あまりに時間が短く感じられたのは、完全に自分が参画者であった証であり、何より夢中で楽しかった証拠だろうとも思えた。来週の感想文が楽しみだ。よかったことを、こうして数えていく。

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