風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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綱渡り人生。 :: 2009/10/06(Tue)

 10月始動。

 先週末から講義もスタート。前日まで全くどれほどにグロッキーな気分であったかは記憶が飛ぶほどに、いざ、はじまってしまえば、もういつも通り慌ただしさの極みである。
 先週末の金曜に講義を終えてから大阪に移動。週末は名古屋で学会。ひさしぶりに短く登壇。
 日曜の午後には実家に戻り、翌日、締め切りの学内紀要への論文の続きに着手。
 完璧なまでの睡眠不足のなか、月曜の午前中はいささか呂律の回らない講義をしたあと、論文の最後の手直しと編集。珍しくも締め切り数時間前に余裕の提出を果たした。この様子のどこが「余裕」なのか。これを「余裕」と言わしめる理由は、私は父が締め切りを守って論文を出したのを一度も見たことがない所以である。娘にまで「おい。不完全なのを出すくらいなら、一週間くらい、ちょっと待ってもらえよ」などと平気で言う人である(どこが「ちょっと」なのだ!)
 周囲の偉い先生たちにも似た気配があり、おそらく激務を超えた猛務のなか尚、論文も提出せんと奮闘しているのかと思われるけれど、そういう方々は一度、事務に提出をしたのち、奇妙に腰を落ち着かせ「今から差し替え原稿を作るの~うふっ、明日出来るかしら」などと、サラリと言ってのける方々である。

 こうのような綱渡りライフを共に過ごす人として理想的なのは、他人の修羅場を目の当たりにしようとも一向に動じず、悠然として朗らかな人物であろう。ついでに、ご飯を作るのも上手ならばなお良い。

季節は変わり今日はもうニットにブーツです 父は自身のあらゆるストレスを家のなかで口にするタイプである。現役時代、彼の苦悩は尽きなかった。長きに渡り、母はそれに真摯に耳を傾けて共感の意を示し続けてきた。しかし、当然、聞く側にもストレスは溜まる。ある日、母は「私、もうこれ以上は限界!」と思い、父に伝えたところ、「あぁ・・・別に口で言うほどにはストレスには思ってないんだよ。言うだけでいいんだ」といった実に軽い口調で返されたのを機に、「テキトーに聞き流す」ことを覚えたそうだ。母曰く、「お父さんは、思っている以上のことまで喋るのよ!」。
 
 この笑える話には、いくらかの教訓が含まれているように思う。人に話を聞いて貰うときには、出来るだけ相手の共感を得たく、どこかしら自分を気の毒な主人公に仕立て上げて、必要以上にドラマチックな物語にする傾向は誰しにもあるのではないか、と。それは一瞬の快感でもあるゆえに。そんな人間の憎めない習性をかえりみえば、自分の経験は「語る」を繰り返す事によって、よい意味でも悪い意味でも増幅されることも腑に落ちる。また、人々の語りを聞く場合にも、さほど大きく振り回されずに済む・・・かもしれない。
 
 要するに。ノートパソコンの前で私が頭をかきむしる最中も、隣でイヤホンをしながらテレビを観て悠長にけらけらと笑っており、「あら、ご飯食べないの?」との声かけにも無反応の私を適当に放置し、知らない間に主婦の知恵で壊れたショルダーバックを修理してしまった母よ、どうもありがとうって話である。

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