風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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I CAN :: 2009/11/12(Thu)

 SONYのウォークマンを買った。
 そして、ついでにアナログ音源をデジタル化するソフトも購入予定だ。
 その昔、私もウォークマンは持っていたが、あまりの長期に渡って放っておいたせいで充電池は気味悪い色に腐食し、電池ケースが見あたらなくなっていた。それなのに私は、実家から何本かのカセットテープを持って来ていた。「いつか聞きたくなるだろう」と何となくそう思ったのだ。

 学生時代の若い頃にうんと音楽に熱中をした古い友人のブログを読んだ。彼はクラリネット吹きだった。あのころ、誰に聞かせる訳でもなく、飽きることなく何度でも同じフレーズを繰り返し練習したことが綴られていた。あの情熱や集中心は、今も心の何処かにあるのではないか。「ピアニストがピアノを弾くように」。
 ピアニストがピアノを弾くように、というフレーズが琴線に触れた。そうだ。昔、昔、高校生の頃、私も毎日、ギターを胸に抱えて日々練習に明け暮れたことがあったのだった。コンクールに出ることは一つの目標だったけれど、誰かに勝つためではなかった。ただ、ひたすらに一つずつのフレーズを弾きこなせるようになることに夢中になった。「成し遂げたい」。そういう一心で。

 届いたばかりのウォークマンに、当時の自分のコンクール演奏が録音されたテープをそっと差し込んだ。もはや何年ぶりかさえ分からない。
 私は当時、高校3年生。曲はバッハの「バイオリン協奏曲第1番 第3楽章」で、私はその曲のソロパートを担当した。今思えば、相当な難曲である。原曲のバイオリンソロは、スタッカートやスラーを多用し、早弾きの連続だ。原曲を聴いただけでは、到底、アルト・ギター一本でソロを真似ることは不可能だとしか思えない。ただ、不思議なことに、当時の私には「出来ないかもしれない」といった不安が一切なかった。あの、ほとんど根拠のない自信はどこから来たのだろう。
 
 あのころ、私にはほんとうに何もなかった。何一つ自分の証となるようなものを持っていなかった。私は、自分を探してはいなかったかもしれないけれど、誰かに自分を見つけて欲しいとは思っていたかもしれない。
 学校に朝早く行って練習をし、1時間目と2時間目の間の休み時間にお弁当を食べ(早弁の常習者だった)、昼休みを削って練習し、放課後も取り憑かれたように練習をこなしたと思うけれども、苦に思ったことはない。いかに美しい音色を奏でるか。私の理想は、不思議なことにピアノのような音色だった。バイオリン協奏曲をギターで弾く私は、ピアノの音をイメージしていた。

 改めて、当時のコンクール演奏を聞いて、まざまざと思い出した。緊張のあまりに最初のソロパートは少し指が空回り気味だった。あんなにも練習したのに実力をすべて発揮できなかった。きっと、だからもう何年も聞き直そうとしなかったのかもしれない。けれども、次第に何とか我を取り戻し、中盤を超えたあたりのアルペジオによるソロ部分にさしかかる。ここだ。ここが、一番好きだったソロパートだ。  バッハは今のポピュラー音楽の原型と言えるだろう。単調に感じられるバロック音楽にも「胸を徐々に熱くさせる泣かせの部分」が必ず存在するのだ。私は、カセットテープから流れる自分のその演奏を耳にした途端に、ほとんど、苦しいばかりに心の中心を捕まれた気がした。「懐かしい」といったような生半可な感情ではなく、もっともっと激しいものが胸を打ち付けるように迫って来て、うづくまるようにして耳を傾けた。
 ただの素人高校生の演奏である。私は恥ずかしいとは思うものの、その演奏に言い知れない鼓動の速まりを感じ、どんどんボリュームを上げた。それだけではない。ソロパート演奏を引き立てるために細心の注意を払いながらアンサンブルを構成しようと計らいながら懸命な演奏をする仲間達の名前を次々に思いだした。自分の体じゅうが涙に覆われるような気がした。私たちの演奏は、上手とか下手を超えて、ただただ「ひたむき」としか表現しようがなかった。

 もっともっと幼い頃。父に一輪車を買って貰った。1日、いや2日で、乗りこなしてやろうと私は考えた。何度も何度も転んで膝をすりむき、太股の内側が真っ赤になっても、練習することはちっとも嫌ではなかった。
 あの頃、ものすごく強く信じることが出来たのだ。とてもシンプルなことを。
 「努力をする。だから、私は、できる」

 Bach - Violin Concerto No.1 in A Minor BWV 1041 - 3/3
 http://www.youtube.com/watch?v=9A-1iFHoBVE


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Violin Concertoを聴いて、この曲を繰り返し練習するってどんな感じかなって、いろいろ想像してみたよ。ひたむきに一つのフレーズに取り組む姿って、美しいね。また、なんとなく懐かしいね。「I CAN」って、ほんとにそうだ、ひたむきに何かに取り組む自分を早く取り戻さないと!って思った。私はできる。根拠のない自信を思い出そう。今になってみると「根拠のない」と思っていた自信が、意外ととんでもない努力に支えられていて、生半可な根拠よりももっと強固な土台の上に乗っている自信だったんだなってことに気づかされるね。
  1. 2009/11/17(Tue) 03:00:50 |
  2. URL |
  3. た #-
  4. [ 編集 ]

せがたく、こんばんは。

一挙に3つの記事にコメントしてくれたんだね。ありがとう!そのうちの二つは、せがたくのブログを読んだあと、そのままテーマとして頂きました(笑)我々は、全く違うライフコースを営み、性別も違う割には、案外、考えること、感じていることが似ているっていうのが面白いな。

>ひたむきに一つのフレーズに取り組む姿って、美しいね。また、なんとなく懐かしいね。

そう、ちょっと懐かしいよね^^♪タカタカタ♪って1小節の4分の1を構成するだけのワンフレーズを何度だって練習出来たからね。転んでも転んでも、転ばなくなるまで練習するのはむしろ楽しかった。

それだけの熱情を傾けられる時間と余裕が、あの頃、有り余っていたということかもしれないのだけれど。(私は勉強はしませんでした・・)

>今になってみると「根拠のない」と思っていた自信が、意外ととんでもない努力に支えられていて、生半可な根拠よりももっと強固な土台の上に乗っている自信だった

そうかもしれないね。「成せば成る」って最近よく言いがち。でも、それは正直なところ半分は投げ出したい気分いっぱいで、でも、やらざるを得ない・・・やればなんとかなるんだ!的状況で紡ぎ出す言葉だったりするよ。

あのころ、何よりも好きなことに対しては、大前提として自分は「努力できる」という信念を揺るぎなく持てたということ。今の自分たちは、あのころと時間の流れ方や、配分される時間は違うけれど、「努力できる自分」像の信念が消えてしまったという根拠はないわけだからさ(笑)

過去を振り返ってみるのも悪くないなって思ったよ。過去の自分の未熟さは、殆どは思い出したくないことばかりでも、たまには励まされることってあるもんだ(笑)
  1. 2009/11/17(Tue) 23:20:06 |
  2. URL |
  3. Meg #T0ca3UNU
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