風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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ひとりっこ。後編 :: 2010/05/08(Sat)

 当時、公立中学校に入学したての私は、まだ校内暴力の余韻を引きずった不穏な雰囲気も残る学校生活で、今思えば勇ましいほどの適応力を身につけていた頃かと思う。ただ、一点困ったことに、思春期に居た私が最も重きを置いていたと思われる価値が「ニュートラルであることのかっこよさ」「クールであること」だったような気がする。
 誰のせいかと言えば、多分小田さんだ。ビデオでしか観たことがなかったけれど、彼はあの頃、歌う以外には一言も余計なことは喋らない渋い人だったのだから。そうでなくとも、教室内で日々起きていた「仲間はずれごっこ」は子どもっぽすぎて付いていけなかった。他愛のないものだった。小学生のように幼稚だとそのときの私は思っていた。
 
 春の三者面談があった。担任はおそらく学年一のハンサム男で、ちょうど今の私と変わらない年頃だったと思う。几帳面過ぎる文字で板書をし、小学生の男の子の父親でもあり、決して悪い人ではなかった。彼は、私に近頃クラスで起きている「例の事件」(あの仲間外れごっこをそう認識していたようだ)について知っているか、と尋ねたので「はい」と答えた。そして見解を求められたので、私は少し考えて素直に関心が持てないと言った。中庸に、クールに。
 担任は少し目を丸くすると「・・・お母さん、Megさんって一人っ子ですよね。これですよ。彼女にはこうゆうところがあるんです」と、担任はそう告げた。母がなんと答えたかは覚えていない。今思い出すと少し腹立たしいくらいだが、当時の私は彼には自分を全く理解できないのだと思えて少し哀しかったと思う。
 それよりも、その後の彼の発言は忘れられない。「お母さん、もうお子さんは産まないのですか?」。彼は教育的見知に立っているつもり、だったのだろうか。アナタのコドモはフツーと少し違いますよ??
 
 幸いというか何というか、母はある意味で大きな人物らしく、この一連のやりとりを全く覚えていないらしい。ある意味でそれは嬉しいことだ。そして、このささやかなやりとりに、多少センシティブであった少女時代と今の仕事をする自分は確かに繋がっていると感じる。

このカフェにはネコが二匹いるのだ。 私は正真証明の一人っ子である。しかし、それは私の単なる属性の一つに過ぎない。
 NHKが小田さんを特集したときに、あまりに何から何まで「団塊世代」と結びつけて小田和正という人間を語ろうとしたNHKに対し、「人はみな、ひとりひとり(違うの)です」と直筆の手紙をしたためたことを思い出す。・・・あの頃、今みたいにお茶目で泣き虫な小田さんを観ていたら私はきっと、国語の先生に「よく書けています。ただし、読書感想文はもっと”感動的に”書いてみましょう」なんて赤い文字のノートを返されて苦笑することはなかった、だろう。

  1. 未分類
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comment

たしかに「几帳面すぎる板書」だったね。「例の事件」って覚えてないな。「フツーと少し違う」か。今ならそういう風に言われることに誇りを持ってしまったりするかもしれないけど、中学生にはね。ただフツーを明らかに外れている教師は多かったね。独断・強要やら体罰やら。あの時代はそれがフツーだったのかもしれないけど。
感想文、「感動的に!」っていわれても、困っちゃうね?
  1. 2010/05/10(Mon) 00:28:45 |
  2. URL |
  3. た #-
  4. [ 編集 ]

こんばんは、たくさん。
(↑いつにない呼び方をしてみました:笑)

さて、私はこの記事を書いたときに
あなたと私が「中学校1年、3年」と同じ教室にいたことを
ただの一度も思いつかなかったことにささやかな衝撃を受けています。
あの何かと鮮烈な中学時代の2年間よりも、
大人になってからのつかず離れずほそーく長いこの関係があまりにもしっくり来ているせいなのかな。

>たしかに「几帳面すぎる板書」だったね。

黒板の書いた美しい自分の文字に見入ってたし、
ちょっとだけ曲がった文字でさえ消して書き直していたよね!(笑)

板書って言うと小学生時代の先生が最も美しいのね。
中学、高校、大学になるにつれ、走り書きのような読みにくい文字になってく。
私も我がことながら、白熱して話すうちに黒板やホワイトボードを
埋め尽くしていく字がお世辞にも綺麗とは言えません。
でもさ、最初の一画目の横線が少々気に入らないから消して書き直すほど
中学1年ってゆーっくり授業が進んでいたのだね・・・。

>「フツーと少し違う」か。今ならそういう風に言われることに誇りを持ってしまったりするかもしれないけど

彼は、そう言いたげだったけれど、実際言ったわけではないよ。
「普通」ってよく分からない言葉だね。
少なくとも私は「自分」でいようと思っていたに過ぎないけれど。

>独断・強要やら体罰やら。

ひどかったね。思い出したことは綴りたいとは思えないな。

きっと、彼らは怖かったのよ。生徒のことが。

それでもあの野蛮で混沌とした時代を私たちやり過ごしたのだから、
コドモの適応力ってすごいなって思うよ。

そういえば、せがたくってT先生とは仲良しだったじゃない?
お子さんも同じ名前だったりして^^それは私、陰ながら微笑ましく思っていたのよ。
一度学校にお子さんが遊びに来ていたりしたね。
私、彼のことを憎々しく思ったことはないのよ、一度も。

今回の記事では社会的マイノリティが誤解や偏見を受けながら
社会とどう関わる戦略が迫られるのかって視点で書いてみようと思って、
たとえばね・・・って卑近な例を学生に話すような気持ちで書いてみたのよん。
  1. 2010/05/11(Tue) 00:35:05 |
  2. URL |
  3. Meg #T0ca3UNU
  4. [ 編集 ]

Megさん、こんばんにゃ~。

「ひとりっこ」
興味深く拝見させてもらいました。
Megさんって、とってもクールな子供だったんですね(笑

Megさんって、ひとりっこっぽくないイメージなんですが、兄弟が居るというイメージでもありませんでした。
僕の思う「ひとりっこ」のイメージじゃなかったのかなぁ。
なんだか、「おねぇちゃん」というイメージが強いんですが、それもちょっと微妙な感じというか(^^;
しっかりしてるんだけど、ひとりっこのように甘えん坊でもないというか。
うちの舜が一人っ子で、とても甘えん坊なので、余計にそう思うのかもしれませんね。

僕のとこは、4人兄弟で、兄貴、姉、姉、僕の順番です。
ちょっとだけ人と違うのが、歳が離れてるという部分でしょうか。
13歳上、10歳上、6歳上、で僕という順番なんです。
歳が離れてるので、兄弟喧嘩というものもした事がないんですよねぇ。
いつも、兄や姉が相談相手、という感じでした。
それでかもしれませんが、妹か弟が欲しかったんですよね(笑

でも、Megさんの記事を読んで思ったのが、一人っ子だろうがそうでなかろうが、育った環境?が人間に与える影響がすごく大きいのかな、なんて思いました。
まあ、僕は人から見たら典型的な末っ子だと思いますが(爆

それにしても、当時の若い先生(教生(字があってるかわかりません(笑)の先生)って、今見たら経験値が少ないというか、ちょっと若々しいですよね(^^;
色々考えて、子供の為を思って言った言葉が、すごく軽いというか底が浅いというか・・・
悪く言うつもりはないんですよ。
ただ、一生懸命なんだけど、空回りしてる感じがしてしまいました。

う~ん、なんだか上手く言えないまま、ダラダラ書いてしまいました(汗
  1. 2010/05/14(Fri) 00:37:51 |
  2. URL |
  3. kei #-
  4. [ 編集 ]

keiさん、こんばんは^^

ちょっと面倒なこんな長編にコメントしてくださって嬉しいです!

>Megさんって、とってもクールな子供だったんですね(笑

まぁ、「そうあろう」と努力をしていたようなものですね(笑)
例えば矢沢永吉に憧れたり、間違ってもさだまさしに
傾倒したりしなくて、よかったとは思っております・・・ほほ(笑)

実は教えて貰うまでは、私もkeiさんがどのようなごきょうだいの間に育ったのか、という
確固たるイメージというのはあまり持っておりませんでした。
何となく「お兄さん」らしい印象があったのは、
見えている範囲でmihoさんや瞬くんへの温かな言動などが
透けて見えていたので、それが「兄らしい」感じに思えたのかもしれないですね。

そうは言っても、もし、「お姉さんがひとりいます」と言われても
「弟がひとりいて僕は兄です」と言われたとしても、
どれも「ふむふむ。それらしいな」と思えて来ます(笑)

そのひとがきょうだいのどのポジションかとか、
何人きょうだいっぽいとか、
皆が思っている共通の「らしさ」ってあるようで、
実はあんまり無いのかもしれないですね。

ただ、とりわけ「ひとりっこは○○だ」とか
「末っ子は○○だ」とか説明してしまえれば、
とても簡単で便利なので多用されて来てしまったのでしょう。

>それでかもしれませんが、妹か弟が欲しかったんですよね(笑

なるほど^^
私も淡く「もしきょうだいが居るなら、おにいちゃんがいいな」
と思ったことがあったのを思い出しました。
というのも、近所に暮らして一番頻繁に接触があり、
遊んでもらえた兄たちのことが好きだったからだと思います。
そのいとこたちがお姉さんや妹、弟だとまた違った感情を抱くのかな(笑)

>育った環境?が人間に与える影響がすごく大きいのかな、なんて思いました。

そうだと私も思いますね。
例えばkeiさんもそうだと思いますが、我々団塊ジュニア世代って
本当に周りに沢山コドモたちがいませんでしたか。
私のコドモ時代は団地暮らしだったので、それはもう毎日
のように友達と真っ暗になるまで遊び倒していました。
隣近所のすさまじいきょうだい喧嘩に巻き込まれてみたり、
近所に生まれたばかりの赤ちゃんをだっこして頬を染めてみたり、
夏休みじゅうよそん家のきょうだいと一緒にうちで暮らしたりと・・・一人っ子ながら、それはもうガヤガヤとした人々の輪のなかで育つことができたことを嬉しく思っています。
私はそんな多様な人々のあいだで社会生活を学べたのだと。
意図せずともその暮らしが当たり前だったことに感謝です。
今は意図して作らなければ密なコミニティは出来ません。

>色々考えて、子供の為を思って言った言葉が、すごく軽いというか底が浅いというか・・・

言いたいことは分かります(笑)
今なら、教員者でなくともその発言の偏りには首をひねりますね。
「教育」をめぐる情報が圧倒的に不足していて、
まだまだ個々の教員が未成熟だったそんな時代です。
でも、いまもさほど変わらない部分も結構あるなぁと思うことが
しばしばありまして、教育現場っていうのは保守的なのですよね。
  1. 2010/05/14(Fri) 01:08:58 |
  2. URL |
  3. Meg #T0ca3UNU
  4. [ 編集 ]

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