風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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卒業おめでとう。 :: 2011/03/27(Sun)

 その日は折しも雨だった。震災の影響もあってか、やはり卒業生たちも少し控えめで、つつましやかな雰囲気が漂う日ではあった。しかし、恒例行事として卒業生たちは式を終えたあとにお世話になった先生たちの研究室を回っていた。
 私のゼミ室からも今年、二人の学生らが巣立って行った。彼女たちは私がこの大学に着任した同時期に1回生として入学し、3、4回生になると我が研究生のゼミ生として位置づいた。まだまだ未熟な自分とずっと一緒に歩んできてくれた仲間のような存在でもあったと、今は思う。

 急な雪に加え、もはや翌日の卒論発表会の準備を残しては帰れなくなり、実習室で彼女たちが夜を明かしたことなど本当につい先日のようだ。その日の夜の追い出しコンパで、卒業生のひとりからこれ以上ない称賛の言葉が贈れれた。
「私は先生のような大人になりたいです。なんでも相談できるようなひと。決してこれは駄目だとか決めつけないで、柔軟な気持ちで受け止めてくれるような大きな人に」と、聞こえた気がした。前夜、彼女たちに付き合って殆ど睡眠を取っていなかった私は、そのときは、あらゆる物事があまり理解できなかった。自分が贈る言葉を述べているときも、何だか体がふらふらと揺れていた。

 数日後、学生は本当にそんな身に余る言葉を言ってくれたのだろうか、何かの間違いだったのではないかと思えてきた。「恥ずかしながら、あれは私が疲労のあまり耳にした幻聴じゃなかったかしら??」と本人に思わず問い合わせたところ、さんざん笑われたけれど「私はマジで言いました!」と返信が来た。

 そうか、彼女はマジだったのか。でも、自分を見ているとわかる。いつも余裕がなくて気持はコチコチだ。かろうじて笑ってはいるけれど、それは笑える小さな種をいつも探しているからだ。ちょっと突けばパンと、いとも簡単に弾けてしまいそうだと時々思う。どこをどう見たら、彼女のように感じられるのだろうと考えると思い当たることがある。

卒業おめでとう 彼女の素直さや、かいがいしさや、優しさに私がずっと惹かれ続けていたのだ。別の学生も同様だ。2年間付き合っていると、表に出さないけれど生きるひたむきさや家族や将来の自分にかける想いがわかる。そうした気持ちに応えたくて、小さな自分のなかの精一杯よかれと思える部分を彼女らには見せていたかった。ただ、それに尽きるのではないだろうか。

 人は自分の鏡である。あなたが私を素敵に見えるのは、あなたが素敵だから。
 救われていたのは明らかに私だ。

 お別れの感傷的なムードが苦手だ。「次に会うときは社会人同士の女子会でお茶をしましょうね!また近々に!」と笑顔で手を振った。こうした世の中で、心の底から自分以外にその幸せを祈れる人が一人でも二人でもいるのは幸福なことだと思う。
 教員になってしまったのは成り行きだ、と以前の自分は思っていたけれど、涙が出てしまうほどの感動も眉をひそめるほどの胸の痛みも、何もかもがここにはある。

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