風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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グッバイ。 :: 2011/04/14(Thu)

春休みを経て久しぶりに開催した先週のゼミ日記から。
 
【今日のゼミで学んだこと・感じたこと】
・人間は時間がたてば忘れる生き物!!だから、記録を残さねばならない
・子育ては個人的な営みだと思われがちだが、公共の場で語られるべきものだ。
 個人的なことは社会的なこと。あたらしい公共空間をつくるという視座。
・頑張って大学で勉強して、東日本大震災の復興に向けて日本の社会に貢献できる大人になろう。

 まだ夜は肌寒いけれど桜が散り始め、次に来るのは新緑の季節だ。
 リリースされた当時はあまり熱心に聞かなかった小田さんの「グッバイ」がとても胸に沁みこんでくる。全く無駄のない職人的なフレーズや洗練された完成度の高いメロディに、歌っているような佐橋さんのギターも相変わらず秀逸なのに、なぜか心を素通りしていた。あの頃、曇空のように不満や不平が心を覆っていたのではないかと思う。
 けれども、この曲はかつて夜のニュース番組にも使われた「明日」に通じる感動を持っていることに今頃になって気付いた。小田さんの声はさらに変わったと思った。「年輪を重ねた」とはっきりと思った。突き抜けるようなハイトーンボイスで小田さんの唄声を象徴するのではもう足りない。言葉の一つ一つが切々とした趣をもって伝わる。
 どんなに想っても、きっと伝わらないかもしれない。かなわないかもしれない。世の中はそんなことばかりかもしれない。それでも祈ることや想うことで希望に繋げようとするような「ちっぽけな誇り、それだけ」。小田さんがギターを抱えてステージに立ち、この曲を白い光のなかで熱唱する姿が目に浮かぶ。きっとライブで聴くと何倍も素晴らしいに違いない。

 ありふれた、ただの日常でさえ生きるのがしんどいと思っていたら、あんなにも人々を傷つける天災が起きた。それでも立ち上がろうとする人たちを太陽は等しく照らしているだろうか。季節はどんどん通り過ぎてゆき、春が来て夏が訪れ、同じように秋が来て冬が来る。多くのひととの出逢いや別れがあって。
 私たちは人生の終わりに向かって、一日一日にお別れして生きて行っているようなものだ。そんなことを初めて思った。素敵なことはずっと忘れない。悲しいことも時の流れのなかで素敵な出来事に統合されていくはず。
 
 新しい明日のためにグッバイだ。

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  1. 2011/04/16(Sat) 14:46:42 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

mちん、こんばんは!

mちんに貰ったコメントがあまりにも嬉しくて、
気が付いたら膨大な量のお返事をしてしまいました。
それなにの、今「投稿」ボタンを押した瞬間にWiFiの接続が
ぷちって切れて(号泣)ぜーんぶ消えちゃった・・・もう茫然自失・・・。
時にちょっと涙までしつつ書いたものが。

というわけで、ちょっとクールダウンしてからまたお返事しますにゃ(涙)
「読んでるからねっ(何度も)」と、先に伝えておきたくてメモ残します。
  1. 2011/04/17(Sun) 21:01:59 |
  2. URL |
  3. Meg #T0ca3UNU
  4. [ 編集 ]

mちゃん、改めまして、こんばんは!

少し時間が空いてしまってごめんなさいね。
今日はメモ帳に「下書き」してからのコメントのお返事です!(笑)

>時々自分の人生の終わりを考えては恐怖に震えあがる事がしばしば。
>それはきっと私はまだ死ぬには若く、しなくてはいけない事や
>やり遂げていない事もたくさんあるから

私は、日常生活のなかでは「いつか人生を終えること」や
ひょっとすると予期せぬ形で突然終わってしまう、なんてことを
頭では判っていても出来るだけ考えないように生きていました。
たぶん怖かったから、面倒だから、考えることを迫られなかったから・・・。
とりあえずは「明日もふつうにやって来る」ことを前提に。
でも、ふつうの明日が来ることは、やはり奇跡なのよね。
たとえ、そこでたくさんの苦悩や闘いがあったとしても。

私はうんと幼かった頃はわりと頻繁にお布団に入ると
「もしも自分が死んじゃったら」という妄想を繰り返していたことを覚えています。
幸福いっぱいだった子ども時代にそんな妄想癖にどうしてとりつかれていたのかは謎です(苦笑)
でも、私は、自分の命を支える大切な人たちを想っていたのかな。
こんな自分を喪ってしまったら悲しみにくれるであろう人たちの愛情を
何度も何度も甘く噛みしめていたのではないかと思ったりします。

そういえば幼い頃、眠る前に母が絵本を読んでくれたの。
こぐまちゃんシリーズって言ったと思う、大好きだった(笑)
『お母さんぐまが、こぐまちゃんをぎゅーって抱きしめてあげました・・・』
というシーンになると、ちびの私はそのたびに嬉しくなって
もう幸福すぎて?、それがうまく言えなくて身もだえしていたそうです。

mちゃんはいつもお母さんをハグしてあげているね。
生きている間に絶対にしてあげなくちゃいけないこと、娘として。
わたしが今、人生が突然に終わると絶対に困ると感じるのは、
そういうこと・・・かな・・・。

明日も無事に来てくれるって今夜は信じています。
同じ時代を生きる人たちと人生ひきこもごもに共感しながら明日も
生きられたらいいな。

>Megちゃんの
>私たちは人生の終わりに向かって一日一日お別れをして生きて行っているようなもの
>この文章に救われたような、それでいて何かしら希望のようなものを感じて
>何度も読み返して今年から書いている3年手帳に綴ったよ。

私は書いておいて、通りすぎると忘れてしまうと言うのに(涙)
でも、mちゃんがそんな風に言ってくれたことを絶対に忘れないからね!
私の言葉などを拾ってくれるmちゃんには、たぶん私よりもずっとずっと
深淵で清らかな感性が宿っているのだわ、と感じずにいられません。

******************************************************
>今月は毎日曜日、町内の神社のお掃除を朝の7時からしているの。
>せっかくの日曜日なのに早起きしないといけないのよ。
>でも不思議ね、やってると気持ちが落ち着いてくるの。

早朝から神社のお掃除!
それは大変そうだけれど、かみさまの前でさぞかし清々しい気持ちになれそう。
(出向くまでは死ぬほど億劫になりそう、私はね:笑)

mちゃんのお引っ越し以来の町内の方々の交流をみていると
くりくり坊やたちや、おばちゃんたちとの会話などがあって
うらやましいなぁと思います。
地域の人たちで繋がりましょうのスローガンには普段はのっかている私ですが、
一番距離としては近いひと、マンションの住人たちを全く知りません。
朝、お掃除をしているのは同じマンションの人ではなくて、
管理人の奥様だったりして。
それでも、せめてマンション玄関で会った人たちにはご挨拶はしようって思っているんだけれどね。

さて、今週も半ば、のりきりましょう♪
  1. 2011/04/20(Wed) 00:58:26 |
  2. URL |
  3. Meg #T0ca3UNU
  4. [ 編集 ]

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