風と君を待つだけ

~my ordinary days vol.3~




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作文屋。 :: 2011/09/08(Thu)

 中学くらいの頃、「ね、ね。今日さ、どうしてもプール授業受けたくないねん。この連絡帳に親からの手紙みたいなやつ書いてくれへん?」と頼まれて「あ、いいよ」と安請け合いし、しょっちゅう色々な同級生たちの親のフリして作文していた。当時は、まぁまぁ文字も綺麗なほうだったのだ。
 「○○先生、いつも大変お世話になります。本日、娘の○○は少々、風邪気味で体調が芳しくない様子でございます。プール授業は控えさせて頂けますでしょうか。よろしくお願い致します。○○より」ひょっとしたら、ひょっとして先生は気づいていたかどうかは分からないが、バレて叱られたことはない。
 
 翻って、私の母は父の元に届けられるお中元などに一筆お礼状を書くのも大変億劫だったようで、あるとき、思わず見かねて「私が書いてあげるよ」とまで言ったことがあった気がする。もちろん断られたけれど。
 そのくらい、昔は書くことに対して伸びやかだった。
 小学生の頃、読書感想文は、本は読んだままの感動の勢いで一気に書き上げることができた。もう、溢れるばかりの感情を爆発させて原稿用紙に書き連ねたあの気持ちを覚えている。
 それが高校生あたりになると、当時、クールで感情をあまり表に出さない小田さんに憧れ過ぎたせいで支障が生じた。国語の授業で書く読書感想文も、いささか淡々と理屈っぽく客観的であるほうが格好いいと思うようになってしまったのだ。当時の年配女性だった国語教師が「よく書けています。が、感想文はもっと感情豊かに書いてみましょう」と赤い文字を入れたことを鮮明に記憶している。

 母が私に「絵本作家にならないかなぁ」と願っていたらしい、と聞いたのは成人以後である。
 かなり、その思いから外れて、「やめておけばいいのに」と母が臆せずに言った面倒くさい論述などを生業にする職業に就いてしまった。ごく希なケースを除いて今は、書くものは皆、産み出すのも苦しいうえ、書いてしばらくは当分、読み直したくない類のものだ。
 
 一方、ある程度「この人はこうゆうことを言いたいのだろう」と察することが出来た場合、ある限定条件のなかで作文や添削をするのは、好んで行う傾向はあるらしい。それを、とある同僚は見抜いている。会議の狭間に「ね、ね。これとこれこれね。この条件を全部入れて、○○について作文して?ぜーーったいにあなたのほうが上手に出来るはず~」とおだてられて内職をしている始末だ。”こうすればもっとよくなる”という部分は人のことのほうがよく見える。
 
 はぁ。ネタの仕込みがまず執筆の第一歩だ。
 書くぞ!
 

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